山本貴嗣の原点

リチャード・コーベンのこと
あるいはいかに山本がその作品群に魅せられたか

最終更新 2003 06 29
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プロローグ  (2003 06 24)

 リチャード・コーベン(Richard Corben)は絵描きである。
 主な職業は漫画家と言うべきか。漫画以外にもイラスト、小説やアルバムのカヴァーアートなど様々な仕事を手がけている。

 彼について述べる前に、私の彼へのスタンスを述べる。
 「もし今あなたの持っている漫画の本をある一人の作家のもの以外すべて捨てて、逃げなくてはいけない。そうなったら、あなたは誰の本を持って逃げますか」
 私はそういう『華氏451度』な質問を受けたとしたら、迷うことなくコーベンと答える。
 私にとって彼は、世界で最高の漫画家なのである。
 コーベンより優れた絵描きはいくらもいる。
 優れたストーリーテラーもいくらもいる(絵描き以上にたくさんいる)。
 しかし彼は私にとって、愛すべき尊敬すべき偉大なる唯一無二の漫画バカなのである。

 このページは長くなりそうだ。
 私がいかに彼の作品を愛しているかを、手を変え品を変えしゃべりまくるぺージである。
 おそらくこの「あつじ屋」というサイトの中で、もっとも節操の無い(分別の無い)私情に溺れたページとなろう。
 あ、そんな話は聞きたくないと言われる方はお早めに退散ください。本当に責任持てないのです(笑)。まあ数あるコンテンツの中に一つくらい、そんな勝手な箇所があってもいいでしょう。だって私のサイトですもの。


その1 コーベンとの出会い  (2003 06 24)

 出会いったって本人に会ったわけではない。その作品にである。
 1977年、私は漫画家になる大望を胸に大学入学(合法的家出だ)のため上京した。
 私の行った学校は当時東京は御茶ノ水、本屋街のすぐそばにあり、授業の合間にもマメにちょくちょくお出かけして、立ち並ぶ夢のような本屋群を彷徨った。そこで出会ったのが、SFマガジン等の紹介記事で目にして垂涎のマトであった『ヴァンピレラ』を始めとする海外のコミックたちである。
 そう言うと反射的に『スーパーマン』などに代表されるいわゆるアメコミを連想される方も多いだろう。しかし私の場合そういうタイプは今一「圏外」で、もっと絵的にもハイブロウでアダルトな同じアメリカンコミックでもウォーレン系とか、ヨーロッパのメタルユルランとかいった「凝った」ものが好みであった(ジョン・ブシーマの『コナン』とか例外もあったが)。
 日本の漫画には無いすばらしいデッサン、見たこともない絵柄。
 一般の洋書屋から古書店まで、あらゆる場所を巡って小遣いの許す限り私はそれらを買いまくった。
 とはいえ、山口県の片田舎から出てきたばかりの「おのぼりさん」には、今ひとつポイントの店というものがわからない。
 そんな時に助かったのが、バイトで出入りしていた創刊間もない「スターログ」誌の編集部である。編集長のN氏を始め、出入りする関係者からも情報を集め、私はあちこち足を伸ばした。
 かのSFアート界の巨人、フランク・フラゼッタの作品群と出会い、衝撃を受けたのもそのころである。
 そんな中で、最初のコーベンとの遭遇はもはや記憶は定かではない。
 おそらく雑誌「ヴァンピレラ」か「イーリィ」「クリーピィ」の巻中か巻末にあったモノクロの(活版ではなくオフセットの)短い作品か、雑誌「1984(だっけか?)」のカヴァーの女性が縛り付けられたロケットの打ち上げシーンのイラスト(カラー)だったと思う。
 コーベンはエアブラシ・アートの鬼才であった。
 一枚絵は言うに及ばず、コマ漫画まで一コマ一コマ丁寧にブラシを駆使して写真と見まがうリアルな質感立体感を出していく。いったいこの一ページにどれだけの手間ヒマがかけられているのか?私は思わず絶句した。こんな漫画は見たことが無かった。日本ではけしてありえない。アホだ。そして天才だ。
 エアブラシでリアルと言うと、日本では空山基のようなリアルな画をイメージするだろうがコーベンは違う。ライティングや質感は写真のようにリアルだが、登場する人物には独特のデフォルメがなされており、八頭身からサンダーバードのような等身まで自由に操り、一種独特な味を出す。それは人間のみならず動物やモンスターもそうである。それらの多くがなんとも言えないユーモラスな味があって、命がかかっているシビアなシーンでも襲ってくる怪物が思わず微笑んでしまうような容貌をしていたりする。この辺は私も自作で似たようなことをすることがあり、友人に、なんでこの場面でこういうやつ出すんだよと言われることもあったが、いいんだよ、オレはこれが好きなんだ!と言い返したものだ。尊敬するコーベンへのオマージュってやつだ!(パクリはしないスよ)
 その内私はきちんとした彼の単行本が欲しくなり、新宿の紀伊国屋の洋書コーナーでカタログを見せてもらった。その中にわずかにあったコミック部門の片隅に、コーベンの不朽の名作『DEN』の単行本があった。
 取り寄せには確か数ヶ月を要したように思う。

 『DEN』は彼の代表作である。
 丸坊主のムキムキ男の主人公が異世界で美女や怪物、魔法使いたちと恋と冒険の物語を繰り広げる。カンフーアクションもあればチャンバラもありガンアクションもある。
 それが何十ページにもわたってフルカラーの精緻なブラシアートで描かれるのである。こんなゴージャスな漫画は見たことがなかった。
 いわゆる薄っぺらいアメコミのベタ塗りカラーのおざなりな絵とは次元が違う。
 絢爛豪華な絵巻である。
 一般の人にはなじみはない。日本語訳された彼の作品と言うと日本版『スターログ』誌の別冊に収録された『THE RAVEN』くらいではあるまいか。
 しかし日本の漫画家やイラストレーターにはファンが少なくないようだ。そう、知っている人は知っているのだ。そして当然のように彼のパクリもあちこちに見受けられる。中にはこのイラストは明らかにあの作品のあのページのあのコマだなとバレバレ一目でわかるようなシロモノもあった(恥を知れクソども)。
 そういうわけで、1970年代の終わりから、私のコーベンに対する長い長い「お付き合い」の日々が始まった。

『BODYSSEY』


その2 コーベンのライティング  (2003 06 29)

 コーベンで何より魅せられたものの一つがその立体感であり、それを生み出すライティング、光と影の描き方である。
 彼の作品の多くはカラーであるがモノクロもたまにあり、それを見ると改めて、そのライティングのうまさに感嘆する。と言っても何か彼が発見した画期的なすごい新技法が使われているわけではない。昔からある光と影の原則にのっとって描かれているのだが、私が出会った70年代末には、日本の漫画家でそのような描き方をする人はまずいなかった。今でもほとんど見かけない
 一番印象的なのは「照り返し」と「影」それもくっきりとしたベタの影である。
 言葉で説明してもピンとこないと思うので実例を私の絵で見ていただこう。

『本気のマンガ術』より・光と影

 上図は拙著『本気のマンガ術・山本貴嗣の謹画信念』(唐沢よしこ・共著 美術出版社)の中の一つである。
 壁抜けのできる右側の乙女が左側の乙女のふいをついて背後から剣を突き刺しているところ。
 絵や写真に興味のない方には初耳かもしれないが、物体に光、とくに真昼の直射日光のような強い光が当たると図のような陰影ができる。物体の陰の部分には「照り返し」と言って地面や周囲の様々な物体からの反射光が当たるため、光の当たっている部分とその反対側の部分の境界線あたりが一番暗くなり、そこから遠ざかると直接の光が当たっていなくとも、ほんのり明るくなるのである。
 一方、光の当たった物体が落とす「影」は、その「照り返し」の当たっている部分よりも黒い(あくまでおおざっぱな原則論であるが)。
 上図をよく見ていただけるとお判りいただけると思うが、剣や乳房が胴体に落とした「影」はくっきりベタで表現されているが、剣や乳房の「陰」の部分は「照り返し」によってそこより明るくなっている(実際の原稿はスクリーントーンが貼ってあってもう少しハーフトーンがついていたのだが、いささか細か過ぎて図ではとんでしまっている)。
 これが明るい光にさらされた物体の光と影(陰)の基本である。
 絵画の技法書を見れば載っていることなのだが、それはたいがいリンゴとか円柱とかクソおもしろくもない物体を例に描かれているため、頭の中を素通りしてしまう。少なくとも私はそうだった。
 その基本的陰影技法を、具体的に思い知らせてくれたのがコーベンだった。
 「あれ?胸元になんでこんな真っ黒な影が落ちてるんだ?あ、これはこいつが振り上げてる腕の影か!」
 とか
 「なんでバストの下が明るくなってるんだろう。立体感があってかっこいいな。あ、これは胴体の照り返しか!」
 等々。
 人間感動がないと学べない。
 コーベンは躍動する肉体を描いて、私に光と影のなんたるかを教えてくれた。
 上図の技法も、すべて彼のマンガを見る内に、自然と学んだことである。


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