このページは、山本貴嗣の妻が山本について語る日記です。
最初はmixiの私の日記に妻が横から打ち込んでいたものですが、このたび「あつじ屋」でも公開に踏み切りました。
一部デフォルメや記憶違いもありますが、おおむね真実です。
私としては・・・もうどうとでもして;
(このページは上にいくほど新しい記事です)
最終更新・2006年5月18日
その10 (2006年5月18日記す)
今日はつま家族とわしら夫婦で食事。高級てんぷらだ。
ふと気がつけば○嗣の機嫌が悪くなっている。
う、ゴハンが付いてない。
○嗣はどんなメシにもゴハンが付いてないとダメなのだっ た。
「ああ、メンドくさい..。」
おねえさんを呼んでご飯を持ってきてもらうと、つまは離婚を考える。習慣だ。
結婚してから離婚することしか考えられなかった事が多々ある。
○嗣は家庭内基地外である。
だから、あまりに「やってらんねえよっ!!」が重なると、
そそくさと実家へ行き、かくかくしかじかで離婚したいと思うと切り出すと、いつも即座にダメと言われる。
なんでじゃあ!?と聞くと、
「(理由が)くだらねえ!から却下」なのだそうなのだ。
東京大空襲を生き延び、悪い兄弟に日夜悩まされたつま母にしてみればそうだろう。
つま父は大馬鹿笑いで、死にそうになっている。
12歳で実母に死なれ、父親の再婚で自分の妹弟とは離れ離れに育って苦労したので馬鹿馬鹿しくて笑いが止まらないらしい。
つまの苦労はミジンコ並みと笑われ、しぶしぶ家に帰る。
「(とりあえず)殴らせろ!」
とウサ晴らしに○嗣をポカポカ叩いてメシを作ってきた20年だった。
この歳になっても、○嗣はヘンテコだ。
一生変わり者を続けるだろう。
だって本人は「自分がヘンだ」と少ししか思っていないから。
そして、つまは笑われる。
本当にカンベンしてくれ!
番外編6 (2006年5月5日記す)
久しぶりです。
先日つま家族とごはんを食べた。
年寄りが集まると昔の話しかしない。
ある日、悪い桃太郎ことオジ2号は犬を連れて散歩に出た。
つま母はそこまでは見たらしい。
しばらくするとパトカーが家の前に止まってオジの犬がウレシげに下りてきた。
「今度はなにをやったのだ!!」つま母は戦々恐々。
すこし時間はさかのぼる。
近所にちょっとした大きさの寺があった。
そこの境内が犬の散歩コースになっていた。
いつものように通りかかると、いつもと違って法事の接待の用意がしてあった。
テーブルに酒やビール、ご馳走が並んでいる。
悪い桃太郎の血が騒ぐ。
「行けっ!!」 犬に指令だ。
悪い桃太郎に忠実なので、連れてる犬も悪犬ラッシー。
(でも雑種)
犬はテーブルに駆け上がり、何もかもシッチャカメッチャカにしていたら、警察に通報された。当たり前だ。
犬共々パトカーで連行。
さんざ絞られた挙句、全然反省してない犬とオヤジがパトに乗って御帰還したのだ。だから、犬も一緒に下りて来たのだ。
「毎日毎日こう呼び出されたらかなわないから、
もうカンベンしてくださいよお!!」
オジ2号は毎日小さな?悪さをしていたのだ。
警察も根をあげるくらいに。
その後、その寺からは「お出入り禁止」になった。
これが幾つ目だか数え切れない。
だいたい子どもでトラ箱とブタ箱の区別を知ってるのは珍しかったろうと思う。
警察が泥酔したオジ2号の扱いに困って
「今日はトラ箱一杯なんだよう!!」という話を聞いて覚えた。
つまはそんな子どもだった。
こんな話をしながら「つま父のハダカ踊り」のことを言うと
「ええっ、なんの話!??」
水に流すのも大概にしろぉ!! カンベンしてくれっ!
山本本人による追伸
問題のおじは
「オレみたいな奴は早く死んだ方がいいんだ」
とか言いながら結局70代前半まで生きながらえたそうです。
亡くなって間もない晩、義母(つまり私のつまの母。問題のおじの尻拭いを仕方なく何度もしてた)の夢枕に死に装束で現れ、深々と頭を下げたそうです。
義母はあわてて飛び起きて
「今度は何をするつもりだっ!!?」
と叫んだそうですが、その後は何もなかったそうです(笑)。
きっと行くべきところに行ったのでしょう。
番外編5 (2006年2月11日記す)
昔、大学生の頃、クラスメートが「学部の界隈で変な人が出る」と噂していた。
そして問題の変な男に遭遇した。
大体想像がつくと思うが、すっぽんぽんにコートだけを着て女学生が通りかかると男の子の大事なものを見せてくれるのだった。
思わずじっと冷静に観察していると、オヤジはガッカリしてコートの前を閉じて行ってしまった。
すまん、カエルより見慣れているのだ。
つま父は風呂上りによく裸踊りをしていた。
アレが千切れるんじゃないかと思うほど体中をフリフリくねくねさせていた。
つま姉はこういうことが大嫌いで(ふつー好きなのはいないと思うが)キャーキャー嫌がって泣き叫ぶので、つま父は嬉しくて、もっと激しく踊り始めるのだった。
「騒ぐとやるよ。」とつま母に言われていたので、
「よく千切れんなあ!」などと、つまが冷静に言うと、
「見る!?」などと言う。
小さい頃からこうだったが、つま母はよく言っていた。
「女の子がいる家のお父さんはみんなやるのよ!」
結婚してから出版社のパーティーで○嗣がこの話をすると、
誰のお父さんもそんなことはしないらしい。くそ、騙された。
名古屋に行ったとき、マンガ家のT山先生がわざわざつまに会いに来てくれた。
「そんなお父さんを持った○嗣さんの奥さんを見てみたい」ということなのだったが、さすがに穴があったら入りたい心境だった。
まさか両親からウソを教えられるとは思わなかった。カンベンしてくれ!
つま父のセクハラ行動はどんどんエスカレートしていった。
もう此処には書けないほどに。
番外編4 (2006年2月5日記す)
オバ5号は酒の飲みすぎで呆気なく亡くなった。60歳前後だったと思う。
葬式といえば親族が全員集まる、普通。
ところが、一族最大の変わり者オバ2号だけが来なかった。
「旅行に行くから」
というのがその理由で、オバたちは大激怒、三原山の噴火状態で、「使いっぱしり」でその辺を走り回っていたつまは戦々恐々だった。
オバ2号はお雛様のようなオバ5号の対極をなす容貌で、目が凶悪なロンパリで姿顔かたちは「となりのトトロ」である。
頭の中身はもっと最悪で、考えていることはおろか言ってることもつまは理解できなかった。
「人3化け7」という言葉を聞くとオバ2号を思い出してしまう。
このオバは二十歳の頃、
「自分が結婚できないのは親が話を持ってきてくれないせいだ」
と深く両親を恨んでいたそうな。
つま祖母は近所にお願いしまくって見合いをセッティングした。そして上手く犠牲者(花婿)がいて結婚できた。
「なにを考えているのか分からない..」とつま母によく言っていたそうである。
激怒してても葬式は続く。
旦那寺の住職はサラリーマンと住職の二足のワラジを履いていたので、葬式に来られなかった。
代わりの坊さんを適当に手配して読経してもらう。
台所で一仕事終えて葬式に参加しようと読経を聞いていると、突然、
「しゃんしゃんしゃんしゃあ〜ん!」と坊さんのシンバルの音が連続して聞こえる。さるのオモチャみたいだ。なんだか知らんが可笑しい。笑いが止まらん。このままでは葬式に出れん。
そこへエプロンで顔を覆ったオバ3号が台所に飛び込んで来た。
涙を流して大笑いしている。他のオバたちも何人か駆け込んで大笑いしている。
後で、葬式に残ったオバに「笑い声がうるさい!」と説教されていた。
一番かわいそうだったのが喪主であるオバ5号夫。
間近でこの「しゃんしゃん」ライヴを聞いていたので逃げることも笑うこともできない、が、可笑しい。で、どうしたか?
「みんな逃げちゃってヅルーい!」と思ったが太股を千切れんばかりにツネったそうである。
痛みと笑いで出た涙を悲しみの喪主の涙にすり替えてコラえたらしい。
葬式には御馳走と酒が出る。しかも、タダだ。
オジ2号は見逃さない。スシ食ってサケ飲んで大暴れ。
弱った親族はタクシー代をあげて追い出す。
すると、オジ2号はタクシーに乗らず、歩いて酒を買いに行ってしまうのだ。どこまでも、トンでもないオヤジである。
ものすごく悲しい場面で笑わずにはいられない事は起こるものだと知った。
番外編 3 (2006年1月25日記す)
つま祖母は男を「温室のバラ」のごとく甘やかして育てた。
で、息子は皆ラテンな与太郎ブラザースに成り果てた。
つま祖母のコメントは「失敗した..」だった。
一方、女は「鋼(はがね)」を鍛えるように叩き上げた。
結果どうなったかというと、全員タフなアマゾネス集団に成長したのである。
男より働き、男なんかひとッ跳びするほど稼ぐ、「正しい」ことが大好きな口やかましいダイハードなオバサンたちだ。
ある時、姉妹が何人か集まって温泉旅行に出かけた。
ウワバミのように酒を飲みケラケラと笑うオバサン達だが、
田舎のソバ屋に入った時、それは起きた。
「こんな味で金を取るのは許せない!!
調理場に行って文句言ってくる!!」と、
つまオバ5号が凄いケンマクで調理場に突っ込んで料理人にセッキョたれたらしい。
みんなで止めた。松の廊下状況である。
でも、このオバ5号はすごい味音痴なのである。
つまが子供の頃、オバの料理を「まずい」と言ったら、
つま母はオバ5号から説教された。
「出された料理はなんでも食べなきゃダメじゃないの!どーゆー教育してんの!」
オバ5号は「正しい」ことが好きなのである。
カンベンしてくれー!
手料理が不味いのは動かしがたい事実だ。
ソバ屋事件の翌日、今度は喫茶店でオバ4号が
「コーヒーが不味すぎるっ、文句言ってやらねば!」
とカウンター内に突撃しそうだったので、みんなで止めた。
これまた、とある日、
親戚中が集まって山道を降りていた。
その時、オバ5号がすってんと尻餅を搗いた。
だれかがオバ5号夫に注進に行く。と、オバ夫は
「地球が壊れませんでしたか?」と言う。
正しいオバたちは大激怒である。
「女房が怪我したかも知れんのに、冗談言ってる場合かあ、
それでも亭主かあー!」
男たちはヒソヒソと話し合っていた。
「ここの女たちは強いからねぇ..」
そうなのだ。
冗談が通じないほど「正しい」ことが好き!なのである。
あ、このオバさんたちは「現金」も大好き!であった。
山本本人・注
「番外編2」での赤裸々なおじの生態に読まれたお客様が退かれたようでしたので、今回はつまは当たり障りのない内容に押さえてしまったようです。本当はサラ金地獄の話とか色々あるようなので、また後日。
動物編 1 (2006年1月18日記す)
前回はハードですんません、ふぉー!
オジ2号には家来がいた。サルと犬である。
仲良く石油缶ストーブにオジ2号と動物があたっている光景をつま姉は見たことがあるそうだ。
でもこいつは悪い桃太郎だった。
ある日、母親が小遣いをくれないことに腹を立てたオジ2号は
「ばばあ、襲って来いっっ!」
と、サルに命じた。忠実なのである。
サルはあっと言う間に住居侵入。
重篤な心臓病で病の床についていた母親(つま祖母)は8マンのように屋外に飛び出してきたという。
「サルが、サルがぁ〜!!」
翻訳すると、サルが祖母の蒲団の上で大暴れしたらしい。
後でオジ2号がものすごく怒られたのは言うまでもない。
オジ2号はよく飼っていた犬とつるんで近所を歩いていた。
リードをつけていない、もしくはそんなこと考えたことも無いオジ2号の犬たちはよく野犬捕獲の役所のおじちゃんに捕まっていた。
いつも謝ってはその場で返して貰っていたのだが、
ある日コメツキバッタのように頭を下げても解放してもらえないことがあった。
この時の犬は見境無く吼え、気に入らない人間は咬む、とても凶悪な「狆(ちん)」だった。
連れて行かれる車の金網越しに凶悪な狆と酔っぱらいオヤジが目に大粒の涙を溜めて声も無く見つめ合っている。
ラブ・ロマンスである。犬も人もオヤジだが。
オヤジ2号は事の顛末をすぐに泣きながらワシらに報告しに来た。
自分の子供の教育とか将来など考えたことも無いオヤジ2号だが、この時はすぐに役所に行って犬を連れ戻してきた。
ほんと、カンベンしてほしいオヤジであった。
番外編 2 (2006年1月15日記す)
つまには母方にオジ1〜3号、オバ1〜8号までいた。
存命なのはオバ2号(義絶中)とつま母にあたる8号だけである。
オジ1号は酒好きだった。
毎年初日の出と共に先祖の墓参りするのが習慣だったらしい。
ある元日早朝あたりが暗いうちから菩提寺玄関周りを掃き清め、ガラス戸をガンガンたたき
「おらぁ、お参りに来てやったぞぉ、戸を開けろうぉ!!」
酒気帯びで怒鳴る、怒鳴る。戸を開けるまで続けていたらしい。
結局、パトカーで警察に連れて行かれた。檀家なのに。
ちなみにオジ1号とここの住職は酒友達。
いつも般若湯にまみれたマッカッかな顔で住職が御経を上げるので、檀家たちは「ちゃんと読めるんだろうか?!」とハラハラしていたという。
オジ2号はもっとタチの悪い酒好きだった。
酔った自分にインネンをつけられて困っている人を見るのが好きだったのだ。
ハダカにコートで街を歩き、おねえちゃんにご開帳。
無銭飲食で近所のお店は全部お出入り禁止。もちろん酒気帯び行為。
すべてパトカーで警察行きである。
あんまり回数が多いのでオジ女房が
「もう迎えに行きたくない!」
というので、仕方なくつま母が迎えに行っていた。
一度通りすがりの若い男に酔ってインネンをつけたことがあった。
と、この男やにわに包丁を取り出してオジ2号を追いかけ始めた。
オジ2号、この時ばかりは真剣に逃げた。
まるでアニメ「ロードランナーとコヨーテ」みたいに夜の近所を全速力で駆け回っていたらしい。
途中でオジを見失った男はゼイゼイいいながら
「今度から気をつけてくださいね!!」
と言って包丁を仕舞って帰って行った。
後でこっそり戻ったオジ2号は
「本気になるんだもん!」
「包丁なんてやり過ぎだよ!」とオジ2号女房。
どいつもこいつもカンベンしてくれ。
でもオジ2号は乱暴狼藉を止めなかった。
ある日、「オヤジもう止めろ!!」と
高校生になった長男に外階段から殴り落とされた。階段落ちである。
泣いてオジ2号はつま母に言いつけに来た。
「当たり前じゃん!♪」と母に言われて傷ついたらしい。
人に甘えるのも大概にして欲しいものである。
後年ガンになって手術する時、麻酔が効かなくて困った。
若い頃遊びでやったヒロポンのせいである。
博打を打つのに眠らないように覚せい剤を打っていたらしい。
医者から
「これ以上麻酔をかけると死んじゃうかもしれませんけど」と 言われたが、オジ2号女房は
「(死んでもいいから)やっちゃってください!」
と言っていた。オジ2号は無事生還。
みんな死ぬのを楽しみにしていたのだが死ななかった。
オジ2号は相変わらず無頼の生活を送り続けた。
番外編 1 (2006年1月13日記す)
つまが貴嗣のアホ話ばかり書いているので、
「これじゃあボクが本当の馬鹿みたいじゃなぁーい!」
と親父キュートな声で言う。馬鹿じゃなかったのか?!
よくまあ悪口言いながら一緒に何十年も暮らせるものだと思うでしょう?
貴嗣はとこどこ「つま父」によく似ているのである。
「女は自分の父親に似た男と結婚する」
だから、なのです。つまがそれに気づいた時、戦慄が走りました。頭の中で「カンベンしてくれ!×∞」でした。
つま母の末期癌の姉を車に乗せてホテルやレストランの高級料理を食べ花見を楽しむという生活を続けていた頃、車椅子に乗ったつま母姉が、
「こんな贅沢をさせてもらって、私は何様だろうねぇ!」と
苦労の尽きなかった人生を省みながらシミジミ言った。
車椅子を押していたつま父はつい言ってしまった。
「ほとけ様ですよお!」
場面は一瞬凍りついた。
が、後々、今際の際につま母姉は
「ほんとにもう仏様だもんねえ!」と思い出し笑いしていたと言う。
ある日つま父は漂白剤を入れた湯のみを指差して
「ぜぇーったい、絶対この水飲まないでね!!」
と固く注意した。
すると金勘定以外は不注意のカタマリみたいなつま母がこれで薬を飲んでしまった。
母を心配する娘たちをヨソに、つま父は怒りだし、
「だから飲むなって言ったのにいいいぃぃぃい!!」
と階段を猛スピードで駆け下り、階段下の便所の薄い板戸に正拳突きでコブシ大の穴を開け、いつも使わない部屋に蒲団を敷いて寝てしまった。なんなんだ、これは!!?
それ以来実家の便所の板戸はしばらく穴が開いたままだった。
つま母に聞くと「見せしめだ」とだけ言った。
どっちもどっちだが、こんな親なので貴嗣と一緒になっても、しばらく判らなかったのである。
もっと恐ろしいのはつま母一族がもっと変だったことだった。
だから変なものに慣れているのである。刷り込みは怖い。
その9 (2006年1月3日記す)
みなさま明けましたおめでとうごらいあす兜海老。
山本貴嗣は大事なことを人任せにする男である。
1999年のその夜12時をまわっても貴嗣の腹痛は治まらなかった。いろんな格好をして痛みを逃がそうとしていた。
「エジプト壁画の夜の女神みたいな格好だな」
とからかうが痛くて返事も無い。
医者に行こうということになり、タクシーで二人は病院へ。楽しく運ちゃんと笑い、話しながら病院へ着くと、お客の一人が急患と知って驚いていた。こんな夜中に見舞いは行かないよお。
医者は診察してくれたが、
「よくわかんないから明日朝来るか、入院してくれない?」
「おい、貴嗣、どーするよ?」
「うわー、オレもう痛くてわかんないから、キミ決めてくんない?」
瞬間、つまは激怒した。命に関わることを人任せにしたからだ。でも医者がいるので怒れん、ぬぬぬう。
「(眠いし、めんどくさいから)入院させちゃってください」
と務めて冷静に言った。
翌日、虫垂炎と判明。即手術が決まった。そして、つまが飯を食っている間に手術が始まってしまった。長い。どうしたんだと思っていると終わって医者がやって来た。
「すこし破けてましたんで、時間掛かっちゃったー」
と取った虫垂を見せる。食べられなくなったタラコのようだ。
この後、貴嗣は麻酔が覚める時ひどく痙攣を起こしてつまを驚愕させ(本人は全然知らんらしい)、看護師の手荒い看護で認知症が進む老患者がいる大部屋に入れられ、入院ベッドの床は血だらけと(勝手に点滴が抜けて放っておかれた)なることになった。
この間つまは洗濯ばばあと化し、病院と家を行き来して疲れ果てていた。
一時、貴嗣はテーピングに凝っていた。痛めた足にビッシリとテープを張り、悦に入っていた。
そのやり方は良くないんじゃないか?と言うと
「本にはそう書いてあるから正しいの!!」と断言する。
つまは蛇のウロコのようにテープグルグル巻きの足を見て、イヤーな予感がした。
「足が痒いのよ!どうしたらいい?」
そーら来た! 面倒になるとすぐ人に聞く。カブレだ。
足をバケツで冷やしたら、もっとパンパンに腫れて水ぶくれがいっぱいできて、でっかいギョウザのような足になった。さすがに医者に行く。黒田福美に似た美人の医者は言った。
「もう、テーピングしないでね」
それから何日も歩けない貴嗣の枕元に食事を運ぶ日々が続いた。真夏だったので堪えた。
当人は「悪いねえ!」とゲラゲラ笑って電話をし、飯を食っている。殴ってやろうと思った。
後日、慣れた人にテーピングしてもらうと長さ10センチ2〜3本でピタッと決めてしまった。
貴嗣、カンベンしてくれ〜!
その8 (2005年12月13日記す)
貴嗣は朝から悲鳴と怒号を上げている。
体調が悪くて執筆が上手くいかなくて機嫌が悪いのだ。
こんな時、つまはよく思う。
「昔(前世)陶片追放されたこと、あるだろう?」
ギリシャのご近所さんから
「貴嗣ウスはきちんとしてんだけど、たまに危なくてさー」
などと山へ追放され、ヤギや羊相手に不満たれまくり、人恋しくて泣きながら眠るなどということを何回か繰り返してきたに相違ない。
人に合わせるのは大嫌い、でも人スキ!なのである。変人だ。
だから旅行なんかでも
「本当に気の合った友達とマターリできればそれでいいの!」
対するつまは
「メシはここ! お土産はこれっ!」
名所の点と点をピシッと線で結び、加速装置で移動する。全部ゲットで「あがり」だ。
だから、絶対、貴嗣と旅行したくない。
でも、旅行に行く、たまーに。
昔、場所は上高地。マターリ派のためだ。移動は徒歩。食事はすべて宿で手配できたからだ。ここは問題もなくクリア。
旅の余韻に浸る帰り時、大喧嘩である。
「ボクは本屋で立ち読みしたいのー!!」
「ソバだ!(予定の)ソバを食うんだ!せっかく来たのに!」
つま単独行動。猛スピードでタクシーへ。行き先を告げると、
「あっ、そこ、火事で焼けましたよ。」
「うおおおー!」と頭の中で吼えてフリーズした。
親切な運転手さんの案内で地元の人が行くドーでもいい蕎麦屋に行った。不味かった。何かのバチが当たったのかとも思った。
燃えたソバ屋は都心のお堀端で新規開店したらしい。今度は火事にするなよ、くそー。
怒りは貴嗣に向け加速する。列車の中での長い冷戦後、つま実家で再戦の火蓋は切られた。
大口論の中、つま母の一言。
「喧嘩するなら帰れ!」メシが欲しいのでガマン。
帰宅後、再々戦。夫婦は倒れるまで戦う。
一度、朝まで生喧嘩をやり最後は大泣きしながら健闘を讃え
「どおして、お前はオレの言うことが解らない!!」と
ハモったことがある。ほとんど魔法合戦のようだった。
冬の京都もひどかった。
深深と冷える古都で互いにハナ水垂らしながら口角泡を飛ばして詰まらない激論をしているのだ。
あまり腹が立ったので別々に帰ることにした。
後でわかったのだが5分違いの新幹線に乗ってワシらは帰宅していた。バカである。
その7 (2005年12月11日記す)
貴嗣は用心深い。近所へソバを食いに行く時も執筆中の完成原稿を持って出る。家が火事で原稿が燃えても錯乱しないようにである。
それに外出時、護身・防災用具を想いつく限り、いつも体に付けているので帰宅すると気分が悪くなって倒れていることがある。一時地震が連荘で起きた時は在宅中でも身に付けて具合を悪くしていた。避難できるのだろうか?
つまはと言えば枕元に刃なしの斧をいつも置いているのみだ。脳天をカチ割るために。
ある日ワシらは東京へ連れ立って出かけ夜帰宅した。
さてドアを開けようとすると既に開いている。すかさず、
「ドロボウか!?」と顔を見合わせ肯いた。
となると、話は早い。それぞれ手に傘、杖とか得物を持ち、配置につく。突撃は貴嗣、つまはバックアップ。そろりそろりと家に上がり、1部屋づつ明かりを点ける。得物を構え、後ずさる。瞬間移動だ。
「リビング、くりあ!」
「トイレ、くりあ!」
つまは後方確認。これが続く。
全て確認し、侵入者がいない事、施錠せずに1日出かけていた事が確認された。
「誰が最後に戸締りしたんだ!!」で、大紛糾である。
用心深くてマヌケなワシらなのだった。
その6 (2005年12月9日記す)
山本貴嗣は「石橋を叩いて崩落させる」ほど用心深い。
ある日曜日つまは当時住んでいた団地の道路傍の草むしりをしていた。ふと見ると渋谷へ出かける貴嗣とアシ君が手を振りながらタクシーで走りすぎるのが見えた。つまも手を振る。美しい光景である。
さて家に帰るとドアが閉まっている。鍵は持っていない。たちまち怒り心頭である。呪いの言葉を吐き続ける。
困っているつまをお隣のお兄さんが2階トイレの窓からトカゲのように侵入して我が家のドアを開けてくれた。後は復讐のみである。
後で渋谷に着いたつまはいきなり貴嗣に吼える。
「だって、無用心じゃないの!」と貴嗣。
鍵を持っているかどうか聞け!と言うと
「そんなの知らんもん」
渋谷は二大怪獣の決戦場と化した。逃げ惑うアシスタント。
貴嗣の注意力は自分を守るためにしか使われない。
「いつか思い知らせてやる..!」と念じた甲斐があった。
ある秋の初めの頃。ワシらは東京に出てきていたのだが、つまとは別行動で貴嗣一人で帰宅の予定だった。家は貴嗣が自分で厳重に戸締りをしていた。
「これで入れるものなら入ってきやがれ!」
自信満々鼻高々である。
そして東京・港区のつまの元実家。つまは枕元に電話を置いて寝ていた。いつものことだ。ひとりの困ったちゃんのための24時間電話相談室をやらねばならない。午前0時過ぎにそれは鳴った。
「鍵持って出るの忘れた!帰って来て!」
自分が困った時は何時でも家族は助けてくれると思っている男である。タクシー呼べるほど金は無い。始発で帰るからと言って電話を切り、気を失った。
その頃貴嗣は格闘していた。家の周りをグルグル回って開いている窓が無いか探す。隣の犬に吼えまくられる。さすが貴嗣だ!開いている窓は全く無い。すごいぞ!貴嗣。
仕方なく家の端に座り込む。ほとんどドロボウだ。マズイのでつまのママチャリに乗る。暑いのでTシャツ汗みどろ、真夜中なのでチャリンコ泥棒と見分けがつかない。案の定、職質だ。気が付くとどこから沸いたのか数人の警官に囲まれていた。自分のマンガの単行本持ってないので疑われる。自転車の番号が確認できて、ようやく解放。泣きそうだったそうだ。これを教訓に「外出時は自分の単行本を所持すること」が貴嗣用心マニュアルに加わった。
とにかく時間を潰すため海岸に行く。すばらしい朝日に感動。
一晩中起きてへとへとになった頃、始発下り列車のグリーン席に乗ってつま到着。誰も乗っておらんのにバカバカしい。腹を立てて改札をくぐると汗まみれドロドロオヤジが涙目で待っていた。ハチ公に迎えられた先生もこんな感じか。
鍵を放り投げるとパッと受け取った貴嗣はママチャリに乗って一目散に帰宅した。
シャワーを浴びて悲惨な状況を話終わると鉄砲に撃たれたクマみたいに寝ていた。
因果は巡るのだ。つまは一人ほくそえんでいた。
その5 (2005年12月4日記す) (少しスカトロなのでお食事中の方はご遠慮ください)
貴嗣の頭はコンピューター並みだ。データが入っていないとフリーズしてパニクる。
2階のトイレに行った貴嗣が電光石火で階下に来て「割り箸」を持って駆け上がって行った。嫌な予感がする。と、雑巾を切り裂くような怯えた声でトイレからつまを呼ぶ。
行くと、開口一番「見てえっ!」もうもうと臭い立ち込める便器から何か摘み上げ、今届けられた脅迫状のように恐る恐るつまに見せる。
「大腸の粘膜がはがれたのかしらっ!
ボクは..癌なのかしらっ!.. ボクは病気なの?」
頭にデータが入ってないので、貴嗣はもう涙目、チワワのクーちゃん状態、論理は短絡、完全パニックである。
なんで大腸の粘膜がはがれると癌になるんじゃ?と、つまは臭いとブツのダブルショックでくらくらしながらも踏みとどまって冷静を保とうとした。このブツ、どっかで見たことある。
「大丈〜夫だ!昨日食ったトマトの皮だ。」
一件落着した貴嗣は「♪♪」状態だ。でも、つまの肩には悪夢が乗っかっていた。
「今日はトマトが食えん..。」カンベンしてくれ〜!
その4 (2005年12月2日記す)
はるか太古の昔、はぼカンブリア紀な新婚の頃。
つまは初めて「しめ鯖」を作った。美味そうに出来た(はずだ)。貴嗣はウレシそうに喰らいついた。でも何か様子がおかしい。つまは実家に電話、すると「皮、剥いた?」つまは石化した。貴嗣はずっとサバと格闘していた。
気を取り直して今度は「レバニラ炒め」を作った。が、作ってる最中から変だ。味見をした。不味くて食えん。でも、ニッコリ笑って貴嗣に出す。食っている、こいつ、味盲か!?
根が正直者なので、ついウッカリ言ってしまった。
「そんなマズいもの、よく食えるなあ?!(なかば感動)」
「ど、毒なのか?このメシ!」貴嗣はパニックに陥った。
それから数ヶ月の間、メシのたびに
「これは食えるんだろうなあ?」と確認するのを忘れなかった。今もって「しめ鯖」と「レバニラ」は作らない。
月日の経つのは早いもので、今では
すっぱい豆腐 とか 腐った炊き立てゴハン
など、見事に貴嗣に完食させている。料理の腕は上がった。
貴嗣は「おせち料理」が大キライだ。でも、「伊達巻」玉子だけは例外。
ある正月、つまは「伊達巻」を腐らせた。こっそり始末する。メシの時もその話題は出さない。そんな時に限ってカンが働く。
「あれっ、伊達巻は? なんで出さないの?」
「忘れて、腐って、捨てた。オレは玉子はキライだあ!」
それから貴嗣ごうごうと責任追及である。つまは屁理屈の応酬である。
貴嗣怒る怒る。怒りのあまり、ペンを持ってカレンダーまでマッハで駆け寄った。見に行くとカレンダーの月ごとに「だてまき」「だてまき」「だてまき」と書いてある。
「イヤミなこと、しやがってぇ!」
と怒鳴ると
「来年まで忘れないようにしてやるう! 食い物の恨み思い知れぇ!」
と言い放った。後は春先のネコのケンカ状態で、しばらく口を訊かなかった。カンベンしてくれえ!
その3 (2005年11月30日記す)
「お腹が減ったら、いつでも人間をやめる。」とは山本貴嗣の口癖だ。最初は冗談だと笑っていた。今は..笑えん。
とある夏の日、貴嗣とつまはつま一族と軽井沢にいた。遅い昼食を取ろうとランチの看板の出ていたレストランに入った。
席に着くとやって来たボーイは
「ただいまティータイムでランチはやっておりません」
と言った。
「しょうがない。夕飯までケーキでつなげるか」
と皆が思う中、一人だけ人間をやめている奴がいた、物凄く凶悪な顔をして。
「なんだ、それならランチなんて看板を出しておくな!ふざけやがって!」
厨房に乗り込み復讐するつもりだ。腹が減って自分を見失っている。急いで店を出た。一人を除いて家族会議である。全員車に乗り込み走り出した。
「ああ、A店は定休日。B屋は昼休み。こうなったら!」
つま義兄が頭のグルメ情報を駆使してソバ屋を探し出した。
「お蕎麦だけど、い〜い?」
とつま母が尋ねると海老天をくわえた貴嗣は
「うん!」
と言って人間に戻っていた。
またある時、神奈川県御用邸の近所で避暑をしていた。
貴嗣は腹ばいでお絵かきである。午後4時頃のこと、突然貴嗣が「お腹が減ったー!」とダダをこね始めた。
つま母は「オカキじゃダメ〜?」
「ごはんじゃなきゃヤダー!」
貴嗣はアシをバタバタさせていた。あぶない。つま母はつま父を伝令に飛ばした。ウサギ年のつま父は脱兎の如く厨房に駆け込みマッハで戻ってきた。
「夕飯は6時にしてもらったから!」
「じゃ、それまでお煎餅でいい?」
「うん、いい」
アシをバタバタさせてお絵かきに暮れて行く夏の午後。
これは絶対ムコのキャラじゃない!つまは鼻からエクトプラズムを出して固まっていた。カンベンしてくれ!
その2 (2005年11月27日記す)
真夜中、蒲団の中でうつらうつらしていると、隣で貴嗣のうなり声やら悲鳴、命乞いが聞こえる。本当に怖い寝言だ。
「寝ている奴に話しかけてはならない」という鉄の掟が日本にはある。だから、自分の頭でストーリー展開を始めると不眠に拍車がかかるのだが、止められない。おっ、ちょっと目が覚めたぞ。うわぁ〜、聞かずには居れん!
「おいっ何を見てたんだ!」
「んあっ、ひらない(知らない)。」
本当に面白いものは面倒くさがって話さないのだ。嫌な奴である。
またある時、寝転がって動物番組を楽しみに見ていると、オヤジがクマのように圧し掛かる。
「だれもお返事カキコくれない〜!ボクはいらない子なんだあ〜!」
「安心しろ!いらないのはオマエだけじゃない。みんな、要らないんだ。だから、そこをどけっ!風太くんが見えんじゃないか。」
「おやじネグレクトだ」と言われてグチられる。カンベンしてくれ。
その1 (2005年11月26日記す)
突然ですが、つまが日記を書きます(ときどき)。
食事をしてると時々「うっ」とか「くーっ」とかいう音が貴嗣の方から聞こえる。心の中で
「かまぼこの骨が刺さったのか?」 「味噌汁のシジミに大岩でも入っていたのか?」
とドキドキする。メシに異物があると激怒し、百年の復讐を誓うのが習慣になっているからだ。
恐る恐る
「どしたの?」
「ん?想い出し悲しみ」
これだよ!ご幼少のみぎり出会った悲しい事、悔しい事が突然よみがえり慟哭しているらしいのだ。内容の説明をお願いすると
「思い出してハラワタが煮えくり返るから、やだ!」
と言うような事を言われる。ワケが解らん、胃が縮むし迷惑この上ない!カンベンしてくれ!
これの逆バージョンもあって、夜中「にへら〜!」と笑う「想い出し喜び」。これについても理由は聞いたことが無い。「秘密のアツジちゃん」である。