その1 X君
X(えっくす)君というアシスタントがいた。
無論思い切り仮名である。クセルクセス大王じゃあるまいしこんなイニシャルの日本人はいない。イニシャル出すのもはばかられるのでX君。
私より10歳近く年下で、うちに来たのが25歳。7〜8年勤めた後、プロの道は諦めてカタギになった。
戦う男であった(笑)。
いわゆるストリートファイターである。
中学まではいじめられっ子だったらしい。
だが入学した高校が思いっきりビーバップなとこで、新入生の説明会に行くとその手のヤバげなあんちゃんたちがズラリと並んでいた。つっぱってエラソーに奇怪な学ラン着てすごんでる奴が、屈強な教師にボコられてるのを見て、これはえらいとこに来たと思ったそうだ。
ここで何か策を講じなくては、自分はいじめられたままになる。
彼は空手部に入部した。
少年漫画みたいな話だが、それで強くなってしまった。いじめられっ子がいじめっ子になった、わけではない。ただいじめられなくなったのである。
中学の時のノリでいじめに来た旧友を返り討ちにした事はあるようだが。
日々の挨拶のように戦いが繰り広げられている学校で、幾度となく修羅場をかいくぐった。
ただ力押しに戦うのではない。
そもそも見かけはひょろっとした普通の男である。
知恵を絞った。
放課後、校舎の裏に・・・てえ時に、トイレの浄化槽のフタをはずして草をかけ、その向こうで待っていたこともある。成功した(ぷろじぇくとXのナレーションで読んでください)。
正義感の強い男で、弱い者いじめはしなかった。
うちへ来て仕事を手伝いながら、私の質問に答えて昔話をしてくれた。
笑った。
むちゃくちゃ笑った。
こんな漫画みたいな青春を送ってきた人間は初めてである。
「それ描きなよ」
と私は言った。
「それまんま描いたらおもしろい。何より実感あるじゃない」
失礼ながら、彼が描くマンガはそれとはまるで無関係な、かわいい変身ヒロインものだったりして、今一垢抜けない、商業誌に載せるにはインパクトに欠けるシロモノだった。
「そうですかー?」
X君は言った。
「オレ今更あんな殺伐とした世界、描きたくないんですけどねー」
しかし、何作か描いた彼の作品を見るに、今のままでは活路はなかった。
何日かして、X君も心を決めた。
高校時代を作品化し、某少年週刊誌に持ち込んだ。
「どうだったX君?」
「ダメでした・・・」
「え?なんでー?」
「編集さんに言われたんです。
『君ねえ、こういう頭で考えた不良はいただけないな』って」
とかくこの世はままならない。
その2 学生時代
X君の高校はおもしろい奴がいっぱいだった。
ある時、ある男がクラスメートに果たし状を書いていた。
夢中になって書いている内、仲間が後ろで読み始めた。本人はまるで気が付かない。その内受取人までやってきて読み始めた。手紙が終わりに近づいた頃、受取人が言った。
「もう書けたー?」
果たし状を書いていた男は後ろも振り返らず答えた。
「うん、もう少し・・・」
もう少しで完成、と言いたかったのだろうか。だがその言葉が終わるより早く、受取人が男の髪の毛を掴んで顔面を机に叩きつけた。鼻血が飛び散った。何度も何度も叩きつけた。
手紙が出されるより早く、勝負はすでについていた。
「今時果たし状だってよー」
「いつの時代の話だよ」
「昭和初期じゃねーの?」
笑いものになったという。
そんなとこなので、X君もよく売られた。ケンカをである。
空手部の主将たちといっしょに話してるとこへ、威勢のいい奴がやって来た。
原因は忘れたが、ともかくX君が気に入らないらしく、売り始めた。
「めてんじゃねーぞうらー」
とかいった「だーらー」な発言が続き
「放課後校舎の裏に来いよ、シメてやっから」
みたいなお定まりなセリフを並べたあげく、主将に向かってなにげに聞いた。
「おい、Xって強いのかよ」
誰に向かっても礼儀正しく丁寧な物言いの主将が答えた。
「ええ、強いっすよ」
男が凍った。
実はこの日の少し前、某有名フルコン空手の道場生のOBが空手部に来て稽古をつけ、X君はタメ組み手をやり、部内で評判になったばかり。
「んだよ、ほんとにつええのか?あー?」
しばしの沈黙の後、己の動揺を隠すかのように「売って」いたあんちゃんは見得を切った。
「必ず来いよ待ってっからよー」
X君を睨んで去っていった。
放課後、X君は待っていた。
果たして誰も来なかったという。
その3 リーマンX
X君はサラリーマンである。
一見ごつくもないし中肉中背、背広にネクタイを締めると全然強そうに見えない。
おかげで今でも「売られる」のである。
ある日の通勤途中、某駅前で一人の男が「売って」きた。
理由は些細な事であった。雨の日に傘の雫がかかったとかなんとか。悪くもないのに謝る気などさらさらないX君に、男がキレた。
「来いよオラ」
X君の腕を掴むとどんどん人気のない路地裏に連れて行く。うれしくてしょうがないX君、こぼれる笑みを押さえきれない。いったい何をしてくれるのだろう。楽しみにして連行された。
どん詰まりに来て男が振り返った。
X君の腕を掴んだのと反対の手に拳を固め
「てめ・・・」
その瞬間、男の顔面にX君のパンチが炸裂した。
吹っ飛び尻餅をつく男。あふれる鼻血を押さえながら、男の態度が豹変した。
「す、すみません、すみませんっす」
後はひたすら平謝り。
あんなことやそんなことを夢見てついて行ったX君。
全然楽しくなかったという。
その4 X、猫を救う
ある雨の日の事。
X君は上司のT課長と歩いていた。同僚のIもいた。
T課長は猫好きだった。ふと課長の足が止まった。
「あれ、あんな所に子猫が」
雨に水かさの増したどぶ川のそばで、ずぶぬれになりながらちっちゃな猫が鳴いている。
「かわいそうになあ。親はいないのかなあ」
心配そうに課長が見回す。
「捨てられたのかもしれませんね」
X君が言った。彼も猫好きで、数年前に愛猫を亡くしていた。
「なんなら私が拾っていこうか」
課長が言った。気の優しい課長はこれまでにも、同様な状況で拾っていた。
「あー、やめましょやめましょ」
唐突にIが言った。
「こんなん拾ってたらキリないですよ課長」
子猫の前にしゃがみこむ。
「ちょうどいい具合に川もあるし、流しちゃいましょうよ。この流れならあっという間にいっちゃいますよ、はははは」
普段から嫌な男であったが、血も涙もない発言にX君が切れた。
子猫に手を伸ばしかけたIの背中めがけて猛然とダッシュ!ためらうことなくとび蹴りを放った。
「おまえが流れろっ果てしなく!」
蹴られた反動と驚きで一瞬沈んだ後ポーンと景気良くジャンプしたIは、子猫の上を飛び越えて一回転、尻から増水したどぶ川にみごと転落した。
「うわあああっ」
背広もカバンもぐしゃぐしゃである。
「な、なにをするんですかああ?」
半泣きで上がってきたという。子猫は課長にもらわれて行った。
これには後日談がある。
出勤したX君にIが近づいてきた。
「Xさああん。」
憎憎しげに笑いかける。
「後ろからとび蹴りしたくらいで、いい気にならないでくださいよおう?」
その瞬間であった。X君の体が宙に舞った。
顔面に正面からもとび蹴りを食らったIが、鼻血を吹いてころがった。手に社員食堂かどこかから持ってきたらしい大型のゴミ箱のふたを掴んでいた。
「なにそれ?」
X君が聞いた。
「これで受けようと思ったんですよう」
バカな男だったという。
その5 二段蹴り? 2002 09 09
漫画家には二種類の人間がいる。
「他人おたく」と「自分おたく」である。
私などより何十何百倍もヒットを飛ばしながら、他の漫画家の作品を熱心に買っている、これが「他人おたく」。無論、好きで買っているのではなく「敵情視察」であると言う人もいるだろうが、それでは説明のつかない熱心さ、これは本当にファンなのだなと思える人が何人もいる。
私などはその逆「自分おたく」で、どんな偉い大作家の作品よりも自分の漫画の方が好きである。例えて言うと「ブサイクでも自分の子がかわいい」という親心であろうか。所詮いくら美しかろうができが良かろうが他人の子は他人の子。とは言っても「誰が見たってうちのナントカちゃんがこの世で一番かわいいのよ!」というような「盲目的な愛」はない。「ここんとこやそこんとこ、いろんなとこで『うちの子』はだれだれさんのぼっちゃん(嬢ちゃん)には遠く及ばない」という醒めた目は維持している。蛇足であるがこの視点を全人類が把持していれば、世の中の諍いは大半がなくなると思うがどうか。いや、そういった盲目的な親の愛があるからこそ子供は幼い頃世界を肯定的に捉えられるのだ、という反論もあるだろうが、私は子供なんか持ってないので知ったことではないのだ、わはははは。
それはさておき、徹底した「自分おたく」で他の作家の漫画にはほとんど興味のない私が、ファンをさせていただいている数少ない作品の一つが浜岡賢次先生の『浦安鉄筋家族』(秋田書店)である。
先日、楽しみにしていた連載が終了、愕然としたのだが、すぐに『元祖!浦安・・・』が始まって一安心。単行本も発売になり大喜びで買ってきた。相変わらずのパワーと面白さで大いに笑わせていただいたのだが、その中に一箇所、作品の質とは無関係に驚いた場面があった。
一巻の一話目、奈々子先生が主人公の子鉄たちにかます二段蹴り(駆け上がり蹴り、と言うべきか?)が、かのX君の学生時代得意だった技そのままだったのである。
それはと言うと、
相手が一歩前に踏み出したところを、その膝に一足目を乗せ、もう一方の足で顔面を蹴る。一種の二段蹴りである。正直にまっすぐ蹴りにいくとかわされるため蹴り足を横殴りにするのがポイントで、相手が少々のけぞったりしても、足の向こう脛やら膝やらどこかの部分がヒットする。実力差のある相手にしか使用できない、派手さ優先の技ではあるが、決まると楽しく相手の屈辱感も大層大きい。
空手部時代の試合でもたまにX君は使ったそうであるが、相手との実力差を見切るX君、かわされたことはなかったそうだ。
X君はかつて少年チャンピオ○誌(『浦安・・・』が掲載されている)に持ち込んでいたこともあり、当時から浜岡漫画のファンだった私は、X君経由で担当さんにお願いして浜岡先生の色紙をいただいたことがある(いまでも額に入れて仕事場に飾ってある)♪
と言っても、彼がそんな自分の得意技を担当さんに話すわけもなく、まして浜岡先生に伝わるわけもない。これはまったくの偶然である。相違点といえばマンガの方は「踏み出した足の膝」ではなく「床に膝をついた少年の立てた方の膝」に乗っていたところくらいか。
偶然とはおもしろいものである。
もっともこの技、私の知り合いの武術関係者も「ああ、ボクの友達のYもそれ得意だったな」と昔おっしゃっていたし、別にX君の専売特許というわけではない。
ただまあ、なんというか、世界は狭いなあーと思ったできごとだった。
なんかX君ネタにしては地味な話になってしまった?ごめんなさーい;
その6 敵をはかる 2002 10 06
X君はめったに負けない。
勝てない相手とはやらないからである。
宮本武蔵もそうだったらしい。てえか、だいたい達人というのは、よっぽどやむにやまれぬ事情がない限り、勝てない相手とは戦わない、無駄な戦いはしない。
口で言うのは簡単だが、これはこれで大変である。
敵と自分、どっちが強いか戦う前に見抜けなくてはならない。
テレビの格闘家と違って、ストリートファイトでは事前に相手方の情報、戦力戦績などまるで知れない。モメて始まるまでの僅かの間に分析しなくてはいかんのである。 身ごなし言動、始める前の構えのスキなど、いろいろあろうし、においと言うかオーラと言うか、直感的に判る物もあるようだ。
全盛期のX君は、いかに足音を忍ばせても後ろから接近する人間を1メートル手前で探知できた。気配で判るというやつである。
X君が来て間もない頃、当時武術漫画の『セイバーキャッツ』を連載していた私は、取材で色々と武術家、武術関係者の方々と会っていた。ある日X君も誘ってみた。
「いいんですか行っても?」
うれしそうなX君。
「今回お会いするのは道場主とか老師とかいう方々じゃないから」
と私は言った。
「まだ修行中、ただのお弟子さんだから。年齢は学生さんから接骨院をやってらっしゃる中年の先生までいろいろだけど、そんなに緊張することはないよ」
口では遠慮しながら、X君はやる気満々だった。
「柔術だか拳法だか知らないが、まあ空手に毛の生えたようなもんだろう。ちょいと腕試し」
と顔に書いてある。果たして当日、うれしそうに時間通り、待ち合わせ場所に現れた。
日本の柔術から中国武術まで、色々なものを修行中の数人の方々に集まっていただき、写真やらお話やらを取らせていただく予定であった。
都内某所の区民ホールみたいなとこの一室を、私はX君と訪れた。
がらりとドアを開けるとすでに皆さんお集まりで、思い思いに準備運動やら練習やらの真っ最中。
X君の顔色が変わった。
「お邪魔します」
お弟子さんがたとはすでに顔見知りであった私はX君を紹介した。
「アシスタントのX君です。どうぞよろしくお願いします」
事前に彼のことは知らせてあった。今度こういうストリートファイト大好き青年を連れて行きますので、少し遊んであげてください、と。
しばらくは見学。ゆったりとした柔軟運動やら激しい突き蹴り、見たこともない固め技などを興味深く眺めるX君に、1時間くらい経った頃、『セイバーキャッツ』の主人公と同じ通背門を修行中で師範代格のY氏が声をかけた。
「良かったら少しやってみます?」
「え。はあ」
なんだか硬いX君。
「こういうものも持ってきましたので」
Y氏がふだんは使っていない他流派の防具を取り出した。フルコン空手で使う面とボディのプロテクターである。空手をやっていたと言うX君のために、わざわざ持って来たらしい。安全ナントカみたいなネーミングで当時売り出されて間もない商品であった。
「こ、これ付けたって、全然安全じゃないっすよー!!」
X君が悲鳴を上げた。さっきからの突き蹴りを見てて、この防具がクソの役にも立たないことがわかったのだ。
「こんなんだったら付けない方がましっス」
引きつった顔でY氏と見合った。
いざ始まると、全然いつもの切れがない。心なしか縮こまった体で、ぎこちなくキックやパンチを繰り出している。
瞬時に飛び込んでY氏が攻撃。
お客さんということで、あえて寸止めでおいてくれている。
わっと叫びそうになるX君。
再び試合うがすぐにスキをつかれて、あるいはパンチ、あるいはキック、あるいは投げ技。まったくなす術もなくX君は終わった。
Y氏はいささか不満そうであった。
「いやあ、もっとやる人かと思ってたんですけどねえ」
私にそっと囁いた。
「私もです」
私はY氏に頭を下げた。
「わざわざ防具までお持ちいただいたのに、申し訳ありません」
後半は柔術の方に関節極められたり、また様々に貴重な体験をしたX君。
帰りの電車で私は訊いた。
「どしたのきょうは?いつもの元気はどこ行ったの?」
「冗談じゃないですよ」
X君が怒った。
「あれマジでオレが攻撃したらどうなったと思います?全部カウンターであの何倍もひどい目に合わされましたよ」
「あ、そうなの」
「ドアを開けて練習風景見た瞬間に思いました。来てはいけないとこに来てしまったって」
そうだったかも知れない。
ただのお弟子さんクラスの方々だから緊張しなくてもいいよと言った私の言葉にウソはなかったのだが、ただの、は少しウソだったのだ。
打ち合わせ無しに全力で繰り出すパンチを何十発も見もしないで片手でさばく(『マトリックス』で最後の方に主人公が見せるような動き。その筋の方にはおなじみの)南派武術の人とか、鉄パイプやらナイフやらで武装した暴走族6,7人を一人で叩きのめす(スタンディングのまま関節折ったりして)北派武術の人、殴りかかる剣道有段者の竹刀を素手で奪い取る柔術の人とか、「ただの」と言うにはいささか不適当な戦歴の方々だらけの集会だったのだ。
事前に知らせない方が、もう少しX君がひどい目に合ってくれておもしろくなると思ったのだが、ちっ、思ったよりも鼻が利くな。
とても残念な一日であった。
ちなみに、こういう人たちが全く手も足も出ない師匠がいるとこにはいるのだが、それはまた別の物語である。
その6補足 2002 10 07
なんか「その6」見るとX君がかわいそうみたいに思われた方もいるようだが、当人けっこう楽しんでいたのである。
最後の方なんかすっかりうちとけて
「やめろ!人殺し!」
とか叫びながら(顔は笑っている)柔術の人に関節極められてたりした。