夢の話
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その6 猫との対話 2007 01 24
愛猫のミケコが亡くなってはや7年目になります。
死んでから夢で何度か会ったように思います。
ただ、いつも体の模様が微妙に違う気がするんですが、なぜかミケコだと思うんですよね(笑
一回目は死んでから間もないころ。
お寺の一角みたいなとこに私がいて、扉が開け放たれていて
「あれー、こんな開けてたらミイちゃん出てっちゃうよー」
と思うんです。
で、部屋の隅から庭を見ると、草木が生い茂ってて、鹿とかいろんな動物が飛び跳ねてる。
で、見回すとすみの茂みにミケコがうずくまっていて
「あっミイちゃん!」
って思って目が覚めました。
二度目は、それから何年か経ったころ、温かい日差しの中、幼い頃歩いた田舎の道(家などもある)を私は歩いています。
腰くらいの高さの竹の垣根の手前をミケコが歩いていて、垣根の向こうにはでかい虎がいる。
「危ないからこっちへおいでミイちゃん」
と抱き上げます。
虎は別に襲ってくるでもなく、垣根の向こうをうろうろしてます。
私もパニクるでもなく、ミケコを抱いて歩いていくのですが、
私の腕の中でミイちゃんが、なんと人の言葉で話すんですね。
何を話したかは覚えてないんですが
「○○が××してね、△△なんだよー」
と、生前のミイちゃんの自己主張っぷりとそっくりのニュアンスでかわいい声でいっぱい話す(ミケコは生前も話し好きでした)のがおかしくて楽しくてそれだけ覚えていました♪
三度目は今年2007年1月20日の昼、目覚める前に見ました。
まことに不思議な夢でした。
どこか病院のような場所に私はいます。病院ではないのかもしれません。
患者になってるわけでもなく、なぜか腕にミケコを抱いています。
こんなとこで抱いてて叱られないかなと思いますが、別に誰もとがめないので(まわりにはたくさんの人がいます)抱いたまま通路を歩いていきます。
またミケコがしゃべります。
ミ「今回(の猫生では)いっぱい色んな体験したよー」
私「そうかあ、じゃ、もう猫は卒業だね?今度は人間になるんだね?」
ミ「本当は天平年間に生まれたかったんだけどね」
私「えっ?それって時間を逆行して転生するってこと?それはまだあまり知られてない概念だよ。体外離脱のモンロー研究所とか、一部の人しか主張してないよ」
ミ「(時間を超越した転生なんて)当然だよ。
今度はふじ寺に行くことになっちゃった」
私「へー」
ミ「そこでね、恵まれない動物たちの面倒みてあげるんだ」
そして私は目が覚めました。
とっても穏やかな気持ちで目が覚めて、寝る前悪かった体調(頭痛とか腹痛とか)がきれいに治ってました。
右腕の中にあったミケコの頭が今でも記憶にあります。
話している途中でミケコは一回身をよじり、つまと違って猫を抱くのが下手だった私は
「あ、ミイちゃん行っちゃうの?」
と思ったのですが、ミケコは姿勢を直しただけで、じっと抱かれててくれました。
ミケコはすっと首を立てて前を見据え(夢の中で私とミケコは見つめあいません。ともに同じ方角を見て)かわいいけれど媚びのない、凛とした声で話します。
生前から私は、ミケコの魂の高貴さに敬意を抱いていましたから、まあ彼女ならこうかもなと納得できる声でした。
まわりにはいっぱい人がいて、建物の壁は少し色が付いているのですが、壁よりもみんな白っぽい感じがしました。
知っているひともいっぱいいたようなのですが、思い出せません。
知らない顔なんだけど知ってる人もいたような気がします。
この夢には二点妙なところがありまして
まず、日本史に疎い私は「天平時代」という単語は使いますが「天平年間」という言い方はしません。
目が覚めて「天宝年間」(1830〜1843)の間違いじゃないかと思ったくらいです。
日本史にくわしいつまに言うと、いやそういう言い方はするよと言います。調べてみるとそのとおりです(天平年間/729〜749)。
また「ふじ寺」なんて寺があるというのも知りません。
ネットで検索したら「ふじ寺」と呼ばれる寺が鳥取県に実在する(住雲寺)ことがわかり、びっくりしました。
この二点は、少なくとも私の顕在意識にはないデータで、心理学的に見ればどこか記憶の片隅潜在意識から浮かび上がってきたのだろうという解釈も成り立ちます。
それはさておき
ミケコの話のニュアンスからすると
ミケコは、天平年間よりも現在に近い過去?のふじ寺に人として赴き、生き物をかわいがって暮らす予定になったようでした。
ふじ寺こと「住雲寺」の建立は建武元年(1334年)だそうです。
これは検証は不可能ですし(ふじ寺にいて動物好きだった人間なんて星の数ほどいるでしょうから)ただの夢と言えばそれまでです。
でもネットで、見たことも聞いたこともない「ふじ寺」の存在を見つけたときは、なんだか涙がこぼれました。
言ってみればこれは、一種のヒーリング・ドリーム(癒しの夢)です。
ちっちゃくて大きいミケコの魂が、彼女なりの(今となっては彼かもしれません、どっちでもいいです)旅路を、しっかと前を見据えて歩んでいるさまに、胸打たれました。
たとえそれが夢であっても
私は慰め励まされました。
「オレも頑張るよミイちゃん。
また会おうな」
追記
尊敬するキプロスのヒーラー、ダスカロスことスティリアノス・アテシュリスが生前こんなことを言っていたと読んだことがあります(『太陽の秘儀』キリアコス・C・マルキデス/著・鈴木真佐子/訳・太陽出版)。
「夢を見ると、すべては秩序正しい。問題は、明確な形で夢の体験を肉体の脳に伝える能力がないことだ。子どもがカメラを持って美しい風景の写真を撮るが、フィルムを巻かずにそのまま写真を撮り続けたようなものだ。ネガを現像すると、すべてが混ざり合い、混沌としているように見える。それは現実そのものが混乱しているわけではない。そのように脳に記録されただけだ」
上記のミケコの夢は、ほかにもプライベートな内容を語り合ったのですが、そこにはいささか混乱も見られました。
数日前に友人が愛猫を亡くしたので、そのことがこんな夢を私に見させたのかもしれません。
その5 人生を変えた夢 2004 09 25
私は若い頃、と言っても十代から二十歳過ぎまで、徹底した個人主義者であった。社会性は一応持っているので犯罪などは犯さないし、他人への裏切りもとりたてて記憶にない。友達もいたし恋人もいた。ただ根本は徹底したミーイズムのエゴイストであった。
過去形で語るからと言って、今が別に立派な人間であるわけではないのだが、最低限人としての条件は知っているつもりである。
それはさておき。
その若さとバカさが炸裂していた頃、やはり心の隅でなにかしら、己の生き方に疑問を持っていた。
このままでいいのだろうか。
俺は何かが間違っているのではないか。
何年か思い悩んで、様々な人との出会いを経るうち、おそらく時が満ちたのだろう。ある晩素敵な夢を見た。
江戸時代くらいである。
夢の中で私は盗賊一味と暮らしていた。
人さまの家に押し入って家人は殺しまくる物は盗む。そこらじゅう血の海でも平然としている、いや楽しんでさえいたかもしれない。女もいたように思う。
そうして何年か暮らすうち、ある時盗賊仲間2〜3人と連れ立って夜道を歩いていると、遠くから犬の鳴き声が聞こえてきた。それも物凄い数である。
野犬の群れだ。
やべえ逃げなきゃ、と思うと、仲間はするすると壁を伝って屋根の上に逃げのびた。あれ、俺だけ置いてけぼりかよ。早く逃げなきゃ。
と思った途端、すぐそばの角を曲がって数え切れないほどの犬たちが姿を現し、叫ぶ間もなく私にとびかかってなぶり殺しにかみ殺した。ああ、これで終わりかおれの人生、と最後に思った。
私は「死んで」目が覚めたのである。
恐ろしく生々しい夢だった。別の一生を生きたような思いさえした。
理屈を越えて私は何やら感じるところあり、それを機会に生き方を変えた。
と言うと話が出来すぎてしまうが、生き方を変える大きな大きなきっかけになった。
あの夢は、あのままの気持ちで生きていった己の末路とも思えたのである。
この生き方はよそうと思った。夢は私に教えてくれた。
素敵な夢と書いたのはそういう意味である。
その4 射的の果て 2003 05 10
何年も前の話である。
銃の好きな私は資料として何挺もモデルガンだのエアガンだのを持っている。
ある時、仕事中の憂さ晴らしに、仕事部屋のあちこちに標的を置いて撃つことを始めた。アシスタントもいっしょである。
「このページを描いたらちょっと」
とか
「このコマ仕上げたら一発」
とかである。
最初は簡単なシルエットを紙で切り抜いて撃つことから始め、やがてB4やA3の紙に人物を描くようになった。モノクロからカラー。どんどん刺激を求めてエスカレートしていく。
発泡スチロールの板にレリーフみたいに美女を彫ってポスカで色付け、狙ってみるとけっこういける。原則として顔は撃たない。美しくないからである。
8ミリのプラスチック弾は時には貫通銃創、ときには盲貫銃創。さまざまな効果を生み出した。
マトのリアル化はますます進み、スチロールの立体をカッターで彫って完全な3Dのフィギュア(無論彩色して)を作り、ボール紙や厚紙でコスチュームやアーマー、武器まで持たせるようになった。
「次は武器だけ撃ち飛ばす」
「次は肩口」
とかアシさんともども楽しんでいたのだが、何か心の隅にひっかかるものもあった。
いかに冗談とは言え、こういう殺伐とした方向により深く耽溺していくのはいかがなものか。
そのうちどうも夢見が悪くなりうなされるようになり、とうとうある日、何人もの人々に囲まれて一人糾弾されている夢をみて飛び起きた。
霊的なものか単なる私の超自我、良心のなせるわざかは定かでないが、以来ぷっつりとリアル標的エアガン撃ちは封印してしまったものである。いい潮時だとも思ったせいもある。
いい時にいい夢が見れたと私は今でも思っているのだが。
その3 思い通りに夢を見る 2003 02 06
ことはなかなかできない。
目が覚めてからなーんだ夢だったのか、じゃあ、もっとああすれば良かったとかこうすれば良かったなどと思うことはある。と言うかその方が大半。他の人は知らないが私の場合まず思い通りにはならない。
逆にめったにない「思い通りになった体験」というのがある。
中学生の頃だったろうか、夏の昼下がり、座敷でうとうとしていると、なんだか何台もの自動車に追いまくられる夢を見た。ふっと目を覚ましかけ「ああ、夢か」と思うが、また眠りに落ちて追いかけられる。恐ろしい思いを2、3度繰り返していると、ふと
「なんだ夢なら何も怖がることはないじゃん」
と気がついた。夢なら要するに「思ったもん勝ち」ではないか。では、と決意も新たに眠りに落ち、今度は夢の中で走ってくる自動車どもに立ち向かった。来る車をかたっ端からつかんでは投げつかんでは投げ、ほとんどをぶち壊して気持ちよく目覚めた。
そういう体験は実に稀である。
そもそも夢の中で、夢を夢として認識することが難しい。
起きてから矛盾だらけに気づいても、なぜか夢では気が付かない。
もっとも夢というのは、実際に順序良く見ているものではなく、無意味な断片を目が覚めてからつじつまの合うようにつなぎ合わせて解釈しているだけなのだ、という説もあるが、すべてがそうとは私には思えない。
夢を夢と思った体験が先月あった。
また自動車である。
私は中型自動二輪の免許しかない。四輪には乗れない身なのだが、なぜか一人で駐車場に止まった四輪の運転席に座っている。急いでどこかに行かないといけないらしいのだが運転はできない。困っていると、なぜだかは忘れたが、そこが夢の中であることに気が付いた。
「なんだ、夢ならいいや」
そう思ってハンドルを握りエンジンをかけ、邪魔な車をバンパーでどかして思い通りに動き出す。詳しいことは忘れたが、なんだかそんな夢だった。
40年以上の人生で、記憶に残る「夢を夢として意識した夢」が最低二つ(いや、ほかにもあるのだろうが良く思い出せない)自動車に絡んでいるというのは、何か理由があるのだろうか、それとも単なる偶然か。心理学的に(或いは夢判断でもいい)解釈の一つも聞きたいものである。
その2 正夢?
私には「霊感」とか「予知」とかの才はない。「正夢」というやつも皆無である。
マンガの師匠が二人いる。
一人は原作家の小池一夫先生。
私が上京と同時に入塾した「劇画村塾」の塾長だった。『子連れ狼』の原作者と言えば、ああ、あのとうなずかれる方もあろう。
もう一人ははるき悦巳先生。
私が駆け出しの頃、フリーのアシスタントとして何度か使っていただいた。『じゃりン子チエ』の作者と言えばお判りだろうか。
私をルークとするならば(世界を救ったり悪の帝王を倒したりはしない、名もない雑兵であるので、全然「たとえ」になってないのだが、まあ話が判りやすいのでがまんして)前者がオビワン、後者がヨーダに相当する。
いや、小池先生ははるき先生よりずっと先達なので、そこんとこは間違えないでいただきたい。
あくまで私にとっての出会いの順番や触れ合いの量が、という話である。
1980年前後、はるき先生は東京で仕事をしておられた。
府中の近く、聖跡桜ヶ丘に住んでいた私は、電車やバイクでよくお手伝いに参上した。食えない時代、どれほどお世話になったかは、いくら書いても尽せない。
私が結婚して、いよいよ気合を入れてひとり立ちせねばならなくなった頃、先生は(以下「師匠」とする)関西に越された。元々あちらの方であったし
「息子を関西弁で育てたいんや」
と笑って言われた。
飯田橋の旅館にカンヅメになっていた師匠の元にはせ参じたのが、最後のご奉公だったと思う。
お別れしたあと涙がこぼれた。
何年かが過ぎた。
そもそも夢の中で知人と会うことの少ない私ではあったが、果たして師匠のお姿も、ついぞお見かけしなかった。
ところがある日、珍しく、夢で師匠にお会いした。
なんだかやたらと人が多く右往左往する中で、久々のご挨拶をして別れた。
ふと話したりない思いで戻ろうとすると、これがどうにも戻れない。師匠は見えるのだが多くの人に邪魔されて、いっこう近くに寄れないのだ。まごつく内に目が覚めた。
妙な夢を見た。しかしまあお懐かしい、と思ったのもつかの間、翌日だったか当日だったか、大変なことが起きた。
阪神大震災である。
師匠の家は最も被害の大きかった地区のそば。
あわてて電話したが繋がるはずもない。何度も何度もかけ直し、結局無事が確認できたのは4日後の晩だった。
これから雨が降るらしいので家を出て避難する、との事。私は早々に電話を置いた。再度連絡が取れるのは、ずっとずっと後の事である。
後にも先にも夢に師匠(はるき先生)をお見かけしたのはその時一回きりである。
だからどうしたと言われればそれまでであるが、なんとも不思議な夢だった。
1995年の思い出である。
その1 覚めないで
先日、知り合いの女エロ漫画家(ご本人曰く)から暑中見舞いメールが来た。
かわいくておもしろくて華奢で巨乳(Gカップ!)の乙女である。「うちの家族には牛がいる」などと弟さんから言われたこともあるらしい。
「山本さんといっしょにバスに乗って、デートしてる夢を見ました」
仰天した。
ああっ夢なら覚めないで!!!
思わず叫びそうになって気が付いた。思い切り他人の夢。しかもとっくに覚めとるがな(泣)。
2002 07 22