2004 02 15
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その3 嫌な話こそ 2004 02 15
残酷話ではないのでいささかここに載せるのは不適当なのだが、編集さんにまつわるエピソードなので記す。
私が以前御世話になった編集長の某氏は誠実な人であった。頭も切れる。
そこそこ年配の方だったし功績もある方で今では現場を離れてもっと上の役職に上がられてしまった。残念なことである。それはともかく。
氏の言葉で印象に残っていることの一つが、
「嫌な話は直接する」
どういうことかと言うと、編集者が漫画家に対して面と向かって言いにくいこと(最たるものは「打ち切り」の話か)を、面倒くさいし気が引けるからとFAXやメールだけですませる人がいるがあれは間違いだと。
普段のなにげない打ち合わせ、FAXやメールで間に合うものはそれでもいいのだが、これは言いにくいな、とか嫌な話だからどうも・・・と言う内容は、逃げないできちんと作家と直に話をすべきである、と。自分はそれを心がけていると。
なるほどなあと私は思った。
編集長(当時)の話は、編集サイドから漫画家に対しての話であったが、ひるがえって考えれば、漫画家も編集者に対して同じことを(言いにくい話は逃げて顔や声の見えたり聞こえない方法ですませようと)しているのではないか。自分だってないとは言えない。
私はけして人格者などではないし小人物であるから、ともすると知らずに「逃げ」を打っていることもあるだろう。気をつけないといかんなあ。
そう心の隅に留めている。
先日も少し編集さんに言いにくい話があって最初メールで出したのだが、上記のエピソードを思い出し、その後電話で話をした。文章では伝わらないニュアンスが声では伝わることもある。何より、逃げは打ちたくない。
もっとも内容が複雑な話や、ともすると感情論になりそうなことは声より文章の方がいい場合もある。何度も読み直して整理、分析できるからである。ケースバイケースであるが、この
「嫌な話こそ直接話す」
という姿勢は、貴重な先達の言葉として忘れないでいたい。
その2 気配り 2002 11 26
友人からの伝聞である。
彼の知り合いで女性作家だらけの編集部でムックを担当していた若い衆(学生兼編集者だったかも知れない)がいた。
バレンタインデーともなると各作家からチョコをもらう。義理チョコであっても悪い気はしない、と言いたいところだが、こいつは後が大変なのだ。お返しである。ホワイトデーに全員に返す。金額もさることながら、作家陣は横のつながりも密なため、誰に何を送ったか筒抜けである。えこひいきがあったりしては大変だが、中でも別格のC先生とK先生は高めのモノにしなくてはいけない。
と言うのはほんの一例、作家たちへの気配りにほとほと疲れ、彼は仕事を始める前に比べて10sも体重が落ちたと言う。
ムックが完成してから足を洗い、姿が見えなくなった。
ある日友人が街中で出会い、今何をしてるのかと訪ねたら
「金融業」
ほう、色々と大変なんだろうねえ、と言うと
「何を言ってるんですか、あの頃のことを思えば気楽なもんですよ」
と若い衆は笑った。
「少年ジャ●プを枕に(編集部で)寝たこともない連中に、負けやしません、ははははは」
恐るべし漫画界????
その1 栄光への脱出 2002 11 09
私が漫画家のため、向こう側の編集さんの話というのは今一伝わってこない。
残酷物語というのとは少し違うが、有名な逸話をまずは書こう。
一部業界人には知れ渡っていると思われるし、即売会などで伝わって、業界以外の方にも「知ってるよ」って方は少なくないかもしれないが、一応書く。
東京の某出版社の編集さん、仮にI氏とする。
神戸の方に原稿取りに出張した。相手は有名な女流漫画家である(名前は言えない)。到着してみると果たして先生はトンズラ。どこへ行ったか行方が知れない。仕方なく仕事場のマンションに止めてもらうことになり、寝入ってしばし、ものすごい振動に飛び起きた。地震である。そう阪神大震災。
東京人のI氏は思った。
ついに関東大震災か、と。
当時、関西であのような地震があるとは誰も思っていなかった。神戸がこれだけ揺れたのだ。きっと東京では、愛する妻も子も皆死に絶えたに違いない。泣きたいような気持ちで念のため電話(ケータイ)をかけると元気そうな妻が出た。
「あなた!大丈夫!?」
「そっちこそ大丈夫なのか!」
「なに言ってるのよ大変なのはそっちでしょ!」
初めて事の次第を知った。
たまの出張、しかも漫画家の職場放棄で大震災に遭遇してしまったI氏。お気の毒と言う他ないのだが、それでも幸運の女神は微笑んだ。まず無傷。
その先生のマンションは、大家が自分も住むつもりで手抜き幸治(おもしろい変換するな、このPC)もとい手抜き工事一切なしに立てた文字通り筋金入り(鉄筋のな)の堅牢マンション。
ドアさえ開かなくなった安アパートもあった中、震災直後でもなんの問題もなく窓も開いた。
とはいえ、こんなとこにはいられない。
どう逃げる?
道路はあちこち大混乱である。ご存知の通り崩れた高速さえあった。
だがI氏は賢明だった。まずラジオなどで情報収集。どこの道路が通行不能、どこの道路が開いている、すべてチェックしメモをした。
通りに出てタクシーを止める。
「あの大阪の方、電車に乗れる所まで」
「無理だ無理だ!」
と運転手が遮った。
「どこも渋滞や通行止めで、そんなとこまで行けやしねえよ」
「あの私、今動ける道路を全部調べて書いてきました」
「え?」
かくてI氏は無事脱出。スムーズに東京の我が家へ帰りついたと言う。
今となっては笑い話。
だがもしも、某先生のマンションが安普請で、下敷きとなり果ててたら、これは立派な「殉職」である(しかもきっかけは漫画家のトンズラ)。
紙一重で悲劇を逃げ切った、貴重な編集さんの物語である。