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その20 凄い連載・補足 2004 08 03
このページの前項で触れた「凄い連載」であるが、二回目を見た。いきなりページが6ページになっていて「あれっ?」と思われた方も少なくないと思う。私もその一人であり、いささか残念に思ったのだが、よくよく考えると作者の黒咲先生はスタジオのようなものはとっくに解散されて特定のアシスタントもお持ちではないはず。となると、ちょうど今年アシスタントを一切使わずたった一人で隔週連載をやった私の経験からして、週に描けるのは(あの絵柄からして)せいぜいがんばっても10枚以内であろう。
であるから前回の一話目は描き溜めで、その後は毎週数ページとなってもおかしくはない。まあ、あくまで私の想像であり、もしかしたら次週で元どおり多いページ数に戻ってないとも限らない。その辺はわからないが(笑)。
ちなみに知り合いの漫画家と話していたら、まだ黒咲先生はそんな連載を持てるだけ余裕があると思うとの感想が出た。その人が言うには、漫画家のどん詰まりにも色々あって、中には生活保護を受けている人。介護している親の介護保険と年金を便りに食いつないでいる人。様々だそうである。
今生活保護というのは月に一人14万円で、たまに仕事があって20万円とか入ると差額を役所に返納しないといけないのだそうだ。なんとも大変な日々である。
先日、件の連載が始まったとき漫画家のJ・I川先生がBBSに、我々いつかその日が来ることを覚悟して漫画家になったわけだが、とカキコくださっていたが、いや、私はそこまで深く考えてこの道に入ったわけではない。若い頃というのは未来は無限にあると感じている。現在(45歳。2004年現在)の己の姿など夢想だにしなかった。
確かに私は、たとえホームレスになってでもマンガを描くという覚悟で上京はしたが、その言葉の本当の意味など十代の馬鹿ガキだった私には、全然わかっていなかった。
明日はわが身、を思って、せいぜい精進していきたい。
その19 凄い連載が始まった 2004 07 22
週刊漫画ゴラク(日本文芸社)の2004年8月6日号で始まった黒咲一人先生の『55歳の地図』。
凄い漫画が始まった。
ある意味で世界漫画史上最も恐ろしい漫画である。漫画家にとって。
「実録!リストラ漫画家遍路旅」
とコピーが入った扉ページをめくると、ト書き
「2003年−−−夏 その前年六月より原稿の依頼は途絶え やる事なす事全てが裏目裏目の連続であった」
と始まる。
そう、これは黒咲先生ご本人の、漫画家廃業物語なのである。
かつては少年マガジソなどでも連載を持ちヒット作をとばした先生が、仕事がなくなり、家財道具全て原稿さえも処分して(なんとゴミに出すのだ!)アパートを後にし、新たな道を求めて旅に出る。
いや、その過程をこうして漫画化し、現在掲載されているのであるから、厳密にはまだやめてはおられないのであるが、少なくとも一度は実質的に「廃業」されたと言っても間違いない。
この日が自分にも、いつか来るかもしれないことは私も昔から考えている。
妻などは、この連載「怖くて読めないー」と言っている。
他のページでも書いたと思うが、この商売、連載が終わるたびに「失業」しているのだ(失業保険はもらえないけど)。
だから余裕のある作家は常に複数の連載を平行してこなし、一つ切れてもほかがあるように「保険」をかけている。しかし悪いことは重なるもので、平行している連載が両方なくなることもないではない。実に恐ろしいことである。
同作には実在の漫画家も実名で登場する。
おもしろかったのは動物漫画(犬漫画と言うべきか)の巨匠、高橋よしひろ先生のスタジオが先生始めスタッフ全員犬の姿で描かれていたところ。思わず笑ってしまった。
第一話ではフェリーに乗って黒咲先生が東京を後にするところで終わる。
いったいどういう展開でどう落とすのか。目が離せない連載である。
その18 過酷な日々 2004 07 18
イースト・プレスから出ている竹熊健太郎先生の『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』を読んだ。
「・・・60年代までは「月刊誌に連載を持てば車が買え、週刊誌連載を持てば家が買える」と言われていた。それだけ雑誌、とりわけ大手誌の原稿料は高かったのだ。
たとえば67年に十代後半で月刊誌デビューしたあるベテラン作家の場合、ページ3000円だったという。物価はここ30年で大体五倍から七倍程度上がっているから、中間をとっても今なら1万8000円〜2万円程度。これは、現在の中堅〜ベテランクラスに匹敵する。
要するにマンガ家の「定期収入」は、物価の上昇に反比例して下がっているのである」
まったくもってひどい話である。
それに続いて「作画密度の上昇とアシスタント不足」など細かに原因を挙げて、今日のマンガ家のいわゆる「連載貧乏」の実態が分析される。
よくぞ書いてくださいました、と申し上げたいところであるが、竹熊先生が何を書かれようと業界の体質は何も変わることはないのだろうなという諦めの気持ちもまた湧く(泣)。
業種は異なるが、日本の映画界のギャラの低さはアメリカなどと比べて驚くばかりである。ハリウッド映画のようには世界配給できない事を考慮に入れても、あんまりな額である。要するに映画会社丸儲けなシステムになっているとしか思えない。
漫画界も大同小異、出版社側の利益率が高すぎるのではないかと私は思う。印税10%ってのもなんだかなー。
イヌアッチイケーで長距離トラック運転手のドキュメンタリーをやっていた。
話には聞いていたが悲惨である。
その昔『トラック野郎』などという映画がはやったころは、運転手といえば二人であった。疲れたら交代しながら運転できた。
今では経費人員削減でドライバーは一人だけ。
「この三日間で眠ったのは3〜4時間」
「もう10日も家に帰ってない」
などという証言が並ぶ。
人員削減のため荷物の積み下ろしまでドライバーがやる(1000個とかの荷物をである)。
激務に継ぐ激務。居眠り運転の経験のあるドライバーは6割にも登るそうだ。無理もない。正常な状態で働けない環境に常に置かれているわけで、事故らない方が奇跡である。
安全運転のためにスピードが制限される一方で、定刻に着かないと賠償金が請求される。ドライバーは板ばさみだ。
そんなストレス状態にのべつまくなしに置かれながら、年の手取りは300万前後とか。せめて1000万はもらわないと引き合わないだろう。
他人事と思えない。
漫画界の方がラクなところもあり、しんどいところもあるが、まあ似たり寄ったりな地獄である(もっとも漫画界の場合、一部の「勝ち組」はいるのであるが)。いつの世でもどの業種でも、一番しわよせを食うのは弱い末端の個人である。
ああいう番組が作られて、業界の体質を多少なりとも変えるきっかけとなるのだろうか。それとも何も変わらないのだろうか。
だからどうしたと言われてもはっきりとは答えようがない。とりとめもない話になってしまったが、色々と考えさせられ、天を仰ぐ本と番組を見た。
その17 原稿のゆくえ 2004 04 17
2004年4月15日、巨匠横山光輝先生が亡くなった。
不幸な事故である。残念というほかはない。幼い頃よりさまざまな作品で楽しませていただいた。ありがとうございました。お疲れ様でした。こころよりご冥福をお祈りします。
ところでその少し前、ネットのニュースで横山先生が学生時代に友人にゆずられた生原稿が売りに出され高値で取引され、先生ご本人のコメントとして「あげた物なのでどうされようとご自由だが、売りに出されるのは不愉快。1150万円なんて、そんな価値はない」(asahi.com:社会)というのが載っていた。
おっしゃること判るのであるが、私は最近考えが変わってきた。
立場を自分に置き換えて考えるなら。である。
私の場合生原稿をあげた相手は幼い頃の友人くらいだが、これはサイン(色紙や本)に置き換えても同様の問題だと思う。
若い頃はせっかくサインしたものを売りに出されるなんて、とストレートに思っていた。サイン会などすると明らかに「売る」ことを目的で、巨大なボードなどを持ち込んで「○○さん江」は抜きで絵を描いてくれと言うお客様もあって、これはさすがに不愉快だった。
しかし年月は人を変えるものである。
ファンだった作家から離れることも少なくない。
そうなった時に、サイン本や色紙をゴミに出すのと売りに出すのとどちらがいいか。廃棄され永久に消えるくらいなら、古書店などに回って新たな人の手に渡った方がマシである。
うちにも随分とたくさんの作家のサインがあるが(ほぼすべて私宛の名前入り)もし私が先に亡くなるようなことがあったら気兼ねなく全部手放してくれるよう妻に言ってある。
人がサインや原稿を手放す理由は主に三つあると思う。
「その作家に興味が失せた」
「その作家が嫌いになった」
「金がいる」
興味がなくなれば邪魔なアイテムであるし、積極的に嫌いになれば見るのも嫌だろう。金に換えると言うと聞こえは悪いが、家族に病気の人とか出て急に入用になったなどという場合もある。いちがいに非難はでいない。だいたい売れば高額になりそうな原稿やサインの作家といえば、まず間違いなく巨匠や大ヒットメーカーなので、金に不自由しない人々である。貧しい下々の事情など考えが及ばない(ように思う)。反射的に「目先の金に目がくらんで人の好意を売り払いやがって」と不快に思われるのではないか。
かく言う私も一枚売り払いたいと思ったサインがある。
一人の作家ではなく寄せ描きで、長らく壁にかけていたのだが、十数年の間に人間関係に色々あって眺めるのが辛くなった。見ると「ああ、この人はこうなっちゃったなあ・・・」とか「この人とは絶交しちゃったなあ・・」とか色々。で、寄せ描きの中心人物たる作家(この人とは今でも友達。しかし私にとって友人であることの事実や付き合いが「宝」なのであって過去のサインにはこだわりがないのだ)に「実はあの寄せ描き手放してもいい?」と聞いてみた。ちなみに貧乏漫画家の私ではあるがそれを金に換えなけれなならないほどには生活に困ってはいない。要するに存在がストレスになるアイテムに耐えられなくなってきたのである。
友人の答えは「やだ」であった。
「見るのが辛いなら壁からはずしてしまっちゃえばいいじゃん」
なるほど。
では、と言うわけで壁からはずして片付けた。
私の場合、自分のサインは持っている人の好きにしてもらってかまわないと思っている。生原稿を持っているのは限られる友人だが、その人が手放したいと思ったのならそれまでだ。もっとも私のようなマイナー作家、売っても金にはなるまいし(そもそも買い手がいるのか?)手放す人もいないだろうが。
これは横山先生のお考えをどうこうと言う話ではないので誤解なきよう。
あくまで不肖山本のスタンスの話である。
なお「友人にゆずった生原稿」と言うのは私の場合あくまでデビュー前のアマチュア時代のそれであって、単行本になった商業誌掲載のそれではない。もしそういうものが市場に出たら原則として盗品である。
その16 恵まれた(?)境遇 2004 03 07
先日、学生時代に割とファンしてた某漫画家の単行本を久々に買ってみた。2〜3年前に出た本である。
中を見ると、あいかわらず絵はめちゃめちゃうまい。私など逆立ちしたってかなわない素晴らしさなのだが、なんだかかっこだけつけてる中身の無い話ばかりで複雑な気分になった。なんと言うか、趣味でマンガ描いてる中学生が考えるような「思いつき」を(と言っても歳はとってるので、本当の中学生のような破天荒な面白さやとっぴさもない)ものすごい画力で飾ってあるような。この人って・・・私より長いキャリアでいったい何を得てきたのだろう・・・ただ美しい絵を描くだけなのか、人物や物事の本質をつきつめるとかいう意識はなかったのか。
妻はちらっとめくって一言
「なんかまがい物の臭いがするー」
うんそうなんだよ、いい勘してるね。
友人の事情通に話をしたら
「ああ、あの人の作品は言うなれば同人誌ですからね」
「?」
「すごい金持ちの奥さんと結婚して、別に漫画なんか描かなくても困らないんですよ」
なるほど、だから読者不在の趣味の作品でもかまわないわけか。
ある意味うらやましいが、ある意味不幸な境遇だなあと思った。
その15 老残 2003 12 16
誰にも「老い」はやってくる。
私にも無論これをお読みの皆様にも。
漫画家の上にも、等しく「老い」は降り積もる。
若い頃尊敬していた漫画家がいた。仮にZ先生とする(イニシャルではありません、念のため)。
時代劇ではその人ありというくらいの人で、その流麗なタッチ、迫力、品、何をとっても一級品のお方であった。
十年くらい前からであったか、あまり誌面でお見かけしなくなり、どうされたかなと思っていると、風の便りに「歳でガタガタになってしまってあかん」という話を聞いた。同業者からのウワサであった。
それから数年後だったか、とある出版社から珍しく描き下ろしタイプの単行本が出ているのを見て手に取り、開いて私は仰天した。
こ、これはまっことウワサどおり、いや、ウワサ以上の壊れっぷり。
若かりし頃の面影は微塵も無い。
まるでどこかの漫研の学生が、その先生をパロディにして漫画を描いたかのようなよれよれの線。裏から見るまでもないガタガタのデッサン。泥酔して左手で描いたかのような人物さえあり、背景には段ボールでできたような家が建っている。
あまりのすごさに呆然となった。
これまで四十数年生きてきて、私も色々な先生の絶頂期と没落を見てきたが、これほど落差のある例は他に知らない。
この項の始めに、誰にも老いはあると書いた。
かく言う私も、ある種の技術では秀でても、「エルフ」や商業誌版「アーニス」を描いていた頃のような若々しい線はもはや引けない。確実に老いは積もっているし自覚もしている。
が、今ここで言うZ先生のそれは、そんな生易しい次元のものではないのである。
誰か止める奴はいなかったのか。
そう思えるほどの凋落ぶりであった(おそらくいなかったのであろう)。
駄目押しで悲しいのが著者のあとがきで、そこには「自分は気概を持ってこの世界でやってきた。まだまだガンガン行くつもりだ」といった意味の、どこまで本気に受け取っていいのか困ってしまうような「やる気まんまん」のメッセージがしたためられていた。
Z先生の訃報を聞いたのは、それから間もなくのことである。
私は今でも尊敬している。
絶頂期のZ先生の作には、一生私は及ばない。
晩年がどうあれ、その輝かしい作品群は漫画史に永久に残るであろう。
ただ恐ろしいと思った。
歳月はあれほどの名人から、かくも全てを奪ってゆくものか。
そう言う自分が、いつかその日を迎えないとも限らない(いや、名人になったことも傑作などものしたこともない私はZ先生のケースとはいささか意味が違うけれど)。その時、自分はどうするのだろう。潔く自ら筆を置ければ一番なのだが、世の中何があるかわからない。やむをえない事情で、恥を忍んで描くやも知れず、あるいはおつむの方がボケていて、へろへろの線を引きながら「このすごいオレのタッチはどうよ」などと「真昼の寝言」をつぶやきながら嬉々として描くやも知れず、何がどうなるかは実際その時が来るまでわからない。
いやそもそもそんな歳まで漫画界に私が生き残っていられるかわかったものではないのであって、鬼が笑う類の心配ではある。
蛇足であるが、ほとんど「遺作」と言ってもいいそのZ先生晩年の作は、今思うとそうとう悪い体調の中、動かぬわが身に鞭打って描かれたもののようでもあった。ある意味では「前のめりに紙の上で倒れて亡くなられた」壮絶な「殉職」のようであり、執筆中に倒れて他界された藤子F先生の姿とも重なって見える。
けして「かっこいい」最後ではなかったかも知れないが、馬鹿にする気持ちは起こらない。何か荘厳な最後を見届けた思いすらする。
ご冥福をお祈りします。
その14 インタビュー 2003 08 26
雑誌、新聞のインタビューには「嘘」が多い。
テレビ、ラジオだって都合のいい所だけを編集でつなぎ合わせれば、発言者の意図とまったく逆の話にだって持っていけると思うが、活字は特に「いじり易い」のである。
私の友人の漫画家何人かに話を聞くと、けっこう酷い目に合っている人がいる。
T氏は昔、東京のビル群が大爆発でぶっ壊れる話(原作付き)を描いた後、某有名新聞のインタビューを受けた。常識人のT氏はまっとうに受け答えしておいたのだが、掲載された記事を見て驚いた。
「漫画家Tは田舎から出てきて、東京の巨大なビル群を見て思った。いつかこれをぶっ壊してやろうと・・・」
みたいな、全然言ってもいない話が書かれていたのだ。
あわてて担当に問いただすと
「まあまあ、本当はそんなこと思ったんでしょ?」
みたいないい加減な応対。T氏はいたく憤慨したという。
かく言う私も駆け出しの頃、ある雑誌のインタビューで全然しゃべったことと違うニュアンスの記事を書かれ、げっそりしたことがある。インタビュアーは顔見知りのライターのおじさんだったので安心してたのが間違いだった。センスがないというか「おやじ」というか。これが「おもしろい」と思ってあんたはアレンジしたのかってな仕上がりだった。例えて言うと
「ベストを尽したいと思います」
みたいに言ったところを
「おいらとことんやっちゃうよーん」
みたいな書きっぷり。おもしろいと言うよりまるっきり私がアホみたいなニュアンスである。おまけに漫画関係の友人についてのコメントも、その軽薄なノリで言ってもないことまで書かれていて大いに冷や汗を書いた。あまりのズレっぷりに抗議する気すら失せたが、その「おっさん」とは以後二十年以上二度と会っていない。
最近でも友人の某氏、ある雑誌にインタビュー記事が載ったのだが、本人は電話すら受けてないと言う。適当な資料を元にした完全な「でっち上げ」である。さして問題のある部分はなかったようで不幸中の幸いだが、この業界そういういい加減さが昔からある。
漫画家に限らず、私も雑誌で芸能人の発言などを見て「こいつ嫌いだと思っていたが本当に嫌な奴だな」などと思うことがあるが、果たして本人の発言かどうかわかったものではない。
業界人でない一般の方々も多少は感づいておられるとは思うが、想像以上のものがあるのを知っておいていただきたいと思う。
蛇足であるが、数年前「まんがの森」書店さんの小冊子で受けたインタビューは実にまともで、発言のまま(無論ページ数の都合上多少の要約はあるが)収録されていてありがたかった。
他のところでも、いつもああだといいのだけれど・・・
その13 訴訟 2003 08 01
訴訟に金がかかるのはご存知の通りである。
先日某漫画古書店につぶれた出版社から大量の漫画家の原稿が流出、物議をかもしたが、ああいう場合、権利や責任の所在を巡っていろいろとややこしい事態が発生する。
詳しく書くと問題があるので完全匿名でしか書けないが、思い浮かぶ事件が一つ。
ある有名漫画家のカラー原稿がとある古書店のオークション・サイトに出た。スタート金額が百万単位。
作家はまったく手放した覚えの無い原稿で、贋作でなければどう考えても盗品である(見ればわかるだろうと思われるだろうが初期段階では画像が非公開だった)。
大作家なのでまず自分の弁護士に電話。
色々と手を尽して運良く「さしとめ」にこぎつけた。
と書くとわずか一行だが、実際は大変。競売に掛かっている時間が長かったことが幸いしてすべりこみで落札前に間に合ったのだが、そこまで行くのに一ヶ月。品物を見ると、確かに本人の原稿で、印刷所かどこかから流出したものと思われた。編集部にも大いに責任があるということで、諸々の経費は大半出版社が持つことになったとかならないとかであるが、とりあえず初動段階では本人持ちである。その額が半端じゃない。
まず着手金に50万。
その後にかかった費用は数百万と聞く。
大部数を売り億単位の印税が入る大先生ならなんとかなるが、弱小の水呑み漫画家ふぜいではなんともならない。
ちょっと常識を働かせれば子どもにでも盗品と判るシロモノをしゃあしゃあと商売にまわす古書店に「良識」などと言っても効果はない。
いっそ漫画家有志の連名で、当方は自分の原稿を原則として他者に譲渡、販売等は行わないから、万一そちらの店頭に持ち込まれる原稿があってもそれらはすべて何らかの不正な方法で入手されたものである、と内容証明郵便で各古書店に送りつけてはどうか。多少は効果があるのではないかと思うのだが。
その12 生原稿U 2003 07 06
以前「その4」で生原稿の話を書いたが、今回はその「保管」について少し書く。
先日某出版社がつぶれて保管されていた漫画家の原稿が大量にマンガ古書店に流出、売られて問題になったことがあった。幸い私は関係のない会社であったが、恐ろしい話もあったものである。
出版社にもピンキリあって、ひどいところはひどい。
本当にいい加減な保管をしているところがある。
新人作家だからとナメられて、とかいう話ではない。昔手伝ったことのある売れっ子作家で、当時その会社の看板作家みたいだった人も、連載中のナマ原稿を紛失され
「すまんな、これでかんべん」
などと言われてコピーを渡されたことが幾度かあった。いわんや新人をや、である。
私も1978年のデビュー以来、何本か原稿を無くされたり破損されたりしてきた。
破損の例としては、私の代表作の一つで単行本何冊分かの原稿がまとめて返却され、開封してみたところカラー原稿の何枚かが端っこに水でもかけたかの如く絵がにじんで修復不能になっていた。出版社に連絡とったところ、編集長と副編集長が御詫びに来た。お涙金を渡されて「このことはどうかご内密に」と言われた。
まあスキャンしてフォトショップかなにかで修復することは今でこそ可能だが、モノホンの原稿はどうにもならない。思うに、編集部に保管中、冬場の暖房の結露かなにかで濡れたのではあるまいか。
しかしこれはまだいい。
肝心の原稿自体がなくなってしまったものが幾つもある。
駆け出しの頃の読み切りなどは、こっちもあまり大切に思っていないものもあり、忙しさにかまけてうやむやになったものが少なくない。無論何度か調査を頼むのだが「どうも見当たらないようです」などと言われ「引き続き調べてみます」などと言われたままそれっきり。
何年も経つ内、当時の担当が退職したり甚だしいのは病没されたりして、もう何処へ行ったかわからない。そういう原稿が幾つかある。
ちなみに今まで私は自分のナマ原稿(色紙やラクガキではない、いわゆる雑誌掲載用のお話のある「作品」)を他人に譲渡したり販売したりしたことはないので、万一そういうものが古書店などにあったとしたら、それは盗品かなんらかの違法なルートをたどったものである。まあそんなものはないとは思うが(笑)。
最近は私はナマ原稿をスキャンしてPCで加工したものに少し手を加えて完成稿にしている。だから万一紛失されてもナマ原稿は手元にあり、被害は最小限に食い止められるようになった。最小限に、と言うのは、プリントアウトしたものに追加でトーンを貼って処理したりする場合もあるため、完璧なマスターが手元にあるわけではない。あくまでも完成稿一歩手前が保管されているのである。
またカラー原稿に関しては、いまだにアナログ(2003年7月現在)のナマ原稿を提出しているから、紛失破損されるとシャレにならない。
いずれにしても、これからこの業界に入ろうという方は、原稿は早めに返却(単行本にするにしても加筆修正などもあることだし)してもらうのが得策と心得られるがよいと思う。
ああ、そういう私もまだ返してもらってない古い原稿が何本かある。
まだ無事に残っていればいいが。
適当に折を見てつっこまなくっちゃだわ。
その11 ある阪神ファンの悲喜劇 2003 05 02
私の友人に阪神タイガースのファンがいる。
超有名漫画家である。
その某氏がある時、海外の漫画大会から受賞の通知を受けた。春先の話である。実際の開催や表彰にはまだ何ヶ月か間があった。
ただしその受賞には一つ条件があって、表彰式に出席できること。
で某氏は考えた。その年はしょっぱなから阪神がガンガン飛ばしまくってた。この分だと優勝も夢ではない。となると、いかん、表彰式はちょうどその優勝試合の頃になる。そんな歴史的感激の一瞬に立ち会えないのは嫌だ。
海外の漫画大会に行ってそれを見逃すなんて耐えられない。
某氏は受賞を断った。
満を持して待った感激の瞬間・・・と話はうまく運ばない。その年、尻すぼみに調子を落とした阪神は最初の勢いはどこへやら。優勝の夢は煙と消えた。
その某氏、別に名誉や権勢欲などない人なのでかまわないと言えばないのだが、なんとも悲喜劇な話である。
さて今年(2003年)はどうなりますやら。