「看板建築」の夜明け

ひとコマ漫画「新東京風景」で81万3700おまけ


 「兵器生活」のネタを拾いに行く暇が無い。部屋に転がる再生外骨主筆、『面白半分』第二号(昭和4年7月発行)を見返す。ひとコマ漫画「新東京風景」(上野春吉)が目に留まる。これだッ。


 「仮面をかぶッた家
 「銀座のモボとモガ」
 「省線電車の裳度から」の三本。

 「省線電車の窓から」では、お日様が「まるで蜘蛛の巣みたいだなァ」と電柱・電線だらけの風景を歎く。21世紀になっても、一部の美観地区を除いて、電柱・電線ははびこっていて、日本の原風景みたいな顔をしている―それをテーマにした美術展に行ったこともある―ものだが、それをヨシとしない人もあったのだ。

 「銀座のモボとモガ」。昭和4年だから「モボ」「モガ」は現役の流行語として使われている(笑)。ステッキにタバコを持ったモボ、パラソルに断髪、脚を出したモガ。女の連れた犬が、男のズボンの裾が拡がっているのを見て「」ハテナ象の足かしら」と云っている。榎本健一(エノケン)・二村定一が歌った「洒落男」に、「ダブダブなセーラーのズボン」とあるのはこれの類(歌では色・柄はわからぬが)。これも作者の否定的な見解が示されている。

 そして「仮面をかぶッた家」


 おのぼりさんらしいのが「ナルホドたいしたものだ」と、通りを眺めている。曲がり角に二階建ての「CAFE(カフェ)」、「市内一円」と書かれているらしい横断幕の隣は「雇人紹介」の垂れ幕を下げた三階建てである。しかし、おのぼりさんからは見えていないが、立派なのは正面だけで、ヨコに廻ればただの家に過ぎない。「仮面をかぶッた家」と評す、上野春吉(上野の人なんだろうなァ)の見立てはナルホドと思う。

 建物本体は木造・瓦葺き、在来の日本建築なのだけど、その正面(ファサード)を上下ひと続きの平面として、上辺を凸型に出したり塔のカタチを真似てみたり、表面を銅板・タイル・モルタル(継ぎ目を彫って石積み風にしたモノもある)で装飾した商家を「看板建築」と呼ぶ。東京であれば、関東大震災の復興にともなって登場したと云われているから、古い商店街を示す指標となるとともに、その多彩な意匠は街歩きの楽しみはもちろん、目的にさえなる。主筆はコレに目が無い。
 それが「仮面をかぶッた」と評されているトコロが面白い。おのぼりさんは正面だけを見て「たいしたものだ」と感心し、マンガ作者は虚栄・虚飾(悪趣味)を見出し、「兵器生活」主筆は同時代評の存在を喜ぶ。

 マンガに描かれたものは、二階建てにしては屋根が低く見えるので、復興期のバラック建築を描いたものかもしれない。こう云う建物が本当に在ったかドーかも微妙だが、マンガ家にはソー見えていたのだろう。
(おまけのおまけ)
 『10+1』の論考、「看板建築考 様式を超えて」(横手義洋)は、「看板建築」と云う概念が、日本建築史を語る言説の中で、どのように記述されてきたのかをコンパクトにまとめたもの。街歩きの中で「ナルホドたいしたものだ」くらいしか云えぬ、不勉強な主筆にとって、得るトコロが大きい。
 そこに、「看板建築」が、「擬洋風建築」―西洋館を、明治期の大工(在来の日本建築の作法が骨身に染みついている人たち)が、見よう見まねで作り上げた建物―の末裔・伏流ではないか、との見方が紹介されていて、目からウロコが百枚くらい落ちる。それを述べた藤森照信は、「建築探偵」を名乗り「看板建築」を世間に広めたにもかかわらず(それに踊らされた者としては信じられないが)、本業の建築史アカデミズムの世界で「看板建築」を語ろうとはしなかったと云う。

 手持ちの写真を載せる。この10年ちょっとに撮ったモノを掘り返したもの。ホンのお目汚しであります。


新築時はパッとしなかったんぢゃあないか



カッコイイけど「看板」感が無い



「仮面」と云うより「額当て」



石造り風だけど屋根のカタチが…

 銅板貼り建物の写真が見つからない。撮りに行くと今月の更新に間に合わないからやめる(笑)。
(おまけのひとりごと)
 「擬洋風建築」の末裔・伏流と云うモノの見方を知ってしまったおかげで、これらの建物は、「現代擬洋風建築」あるいは「昭和擬洋風建築」と呼ぶのがふさわしいんぢゃあないか、なんて思ってしまう。