古新聞紙利用の研究

廃物利用商売伝授で81万7千にちょっと足りないおまけ


 高円寺の古書会館でネタ探しをしていたら、こんな本が見つかる。


『古新聞紙利用の研究』

 昭和2(1927)年12月発行。発行者が「日本土地改良研究所」と云う、ちょっと胡散臭い冊子だ。今では「古新聞」と呼ぶモノを、律儀に「古新聞紙」と表記してある。たしかに物体と捉えれば「紙」は必要だよなぁ、と頷いてしまい2千円払って買う。
 古新聞の使い道なんて、梱包の詰め物・焚き火の焚き付け・習字の練習・雨が染みた靴の湿気取り・床掃除のときに濡らしたヤツをちぎって撒いたのでホコリが立たないヨーにする、など、「研究」以前のことしか思い浮かばない。便所の「落とし紙」「紙粘土」も微妙だ。
 どんな事が書いてあるのだろう。例によってタテの文字をヨコにして、仮名遣いなど調整してご紹介する。

(1)古新聞紙利用の研究
 凡そ世の中に物の副産、物の廃物ほど多いものはなかろうかと考えます。例えば樵(きこり)が木材を挽く時に鋸屑が生ずる、大工が木材を削る時に鉋屑が生ずる、農家が籾(もみ)を玄米とする時に籾殻が生ずる 玄米を白米とする時に糠が生ずる、と云ったように此ういう類の物は極めて多く 殆ど無限大と云ってもよい位であります。
 是等多くの類中には、之れを研究すれば随分世を益する可能性のある物少なくないが 多くは閑却されて顧みられないものが多いが 然し国利民福と云う大きな問題の上から見て、此ういう廃物として役立たぬ物を役立たせる事を考えたり、或いは現在役立っている物に対しても 更に用途の価値を高めるように考え出し、少しでも廃物を国内に少なからしめると云う事は、吾々国民としての義務でもあり、又国利民福を計り 国富を増進せしむる上に於いて決して閑却に出来ぬ問題と考えます。

 大上段に構えての、不要物・廃棄物活用の勧めである。地球環境のためではなく、捨てるモノを商売のタネとして、国利民福を図ろうと云う。「富国強兵」の精神でリサイクルを語るトコロが現代とは違う。
 鋸屑・鉋屑、籾殻・糠、と、廃物を対にする工夫が嬉しいが、クセの強い文章だ。

 此の見地からして、現在吾々日常生活の上に最も必要であって、一面最も不経済極まるものがある。それは即ち新聞紙ではないかと思う。御存知の如く、新聞紙の購読料は少なくも一ヶ月六十銭以上一円内外を要するのに反し、之れを古新聞紙として売却処分せんとするなれば二足(ママ)三文、漸く購読料の十分の二位の十五銭か二十銭内外のものではないか。最も 一度購読を終わったものであるから致し方のないようなものではあるが、此の儘に之れを閑却に付して置く事は、国民の必需品として其の数の甚大丈けに、国益上の大なる不経済と考えるのであります。

 文化生活の必需品であるが、読み終わればもちろん、日付をまたいだ瞬間に不要物となる「新聞紙」の存在が語られる。国民の文化向上に不可欠な新聞も、用が済めば「国益上の不経済」とはヒドい云いようだ。情報鮮度を云々する気も失せるくらい時期遅れになったのを読み返すと、案外味わい深いモノがあるし、50年100年経つと立派な歴史史料に大化けするのだから、了見が狭いと云いたい。もっとも、ここで問題にしているのは、あくまでも物体としての「古新聞紙」である。
 東京大学の「明治新聞雑誌文庫」が創設されたのが、同じ昭和2年の2月と云う。

 新聞紙の発行部数と云うものは、日進月歩の今日益々其の必要を感じられて来て、現在では如何なる山間の僻地でも 新聞紙の行かぬ所は無いと云う状態であるから、従って其の発行部数と云うものは 全く恐るべき数に上がっておるのであります。
 大阪毎日新聞、大阪朝日新聞は其の発行部数数百万と称されておる、次には東京日日新聞あり、東京朝日新聞あり、時事新報あり、報知新聞あり、国民新聞あり、毎夕新聞あり、読売新聞あり、都新聞あり、中外商業新報あり、二六新聞あり、やまと新聞あり、其の他全国小都市に散在する新聞あり、之等日本全国の大中小の新聞社が発行する新聞紙の数を合すれば 実に五百万以上に達する事でありましょう。
 仮に今 全国の新聞社が日々発行する新聞紙を五百万と仮定すれば、其の読者は五百万人と看做(みな)して差支ない訳であろう、此の五百万人の読者が毎月六十銭平均の購読料を支払うものとして計算を立てて見ると 一ヶ月三百万円の購読料となる、五百万人の読者は一ヶ年三千六百万円の購読料を支払う事になるのではありませんか。
 次に一ヶ年三千六百万圓の購読料を支払った新聞紙を、之れを古新聞紙として処分する場合、一ヶ月分最高価格二十銭の割で売却するものと仮定しても、一ヶ月分の購読料六十銭に対し四十銭の損失が生じて来る、五百万人の一ヶ年分購読料三千六百万円に対し、古新聞紙として売却したる場合は二千四百万円の損失が生じて来る事になるではありませんか。
 斯くの如き有様であって、之れを個人的立場から見ても其の損失は申すまでもなく、国益の上から見ても大なる損失である事は何人にも首肯される事と考えます。
 されば今日、古新聞紙を巧みに利用して有益なる方面に用途を開拓すべき事の研究は最も必要な事であって、其の損失額の大なる丈利得額も大なる訳であります。


 500万部発行で500万の読者を想定するのは人が好すぎるが、ここでは、単に大量に流通し、大量に廃棄され、屑屋に売ったところで大した値も付かぬ実情を述べているに過ぎない。新聞離れ、有名夕刊紙の休刊が報じられる今日の眼で読めば、ふうん、と思うのみだ。古新聞処理の損失の大きさが強調されているが、載っている情報を買うのが本筋だから、捨てるには惜しいが国益を損なうとは云い過ぎだろう。ちなみに、2023年のデータによれば、読売新聞一紙で618万部を発行し、朝日356万部、毎日162万部発行されているとの事。現在の方がよっぽど国益を損なっている(笑)。

 然らば今日まで 之等の方面に対しては何人も研究を試みたものはなかったのか、否々研究は間断なく続けられておったのであるが、其の大部分は加工に要する手数が多く掛かり、或いは加工薬の高価のため 商品として引き合わぬ様な結果となり、或いは精巧なものが考案されても販路の比較的に少ないために 之も又目的に反すると云う結果に至ったものが多く、今日尚、古新聞紙は古新聞紙として其の儘包装紙に或いは袋用紙にと云うように、極く平凡なものに利用されておるに過ぎないのであります。
 茲に至って吾人は考うるに、本研究は決して私事ではなく、実に万民を益する上に於いても国富の増進を計る上に於いても、今後益々発行部数が増すとも少なくなる如き事なき此の古新聞紙を、如何に用途を有利に開拓すべきかは、吾人が挙って研究すべき事ではなかろうかと考えます。

 今次に本書の編者が編者自ら考案したる古新聞紙の加工法を説明せんとするものであるが、之れを以て古新聞紙利用の研究は完成したるものではなく、更に一歩進んで真に吾人の福利を増進し、国富を増進するに値するところの大研究の完成を期待して已まぬのであります。
 編者は何人を問わず、古新聞紙利用の研究に就いて、編者の期待に一致したる一大研究を完成されたる者に対しては、金壱千円を贈与する事を茲に約し、聊か本研究に対し貢献の労を惜しまぬ者であります。

 古新聞紙活用の研究は行われているが、手がかかり商売には引き合わぬものであったと云い(その内容は記されていない)、そのまま包装紙にするか、底を貼って紙袋に使うのがせいぜいだと云う(今でも行われているし、外国の新聞紙面を模したモノまである)。そうでは無いのが、本書で紹介する方法だと云うのであるが、より優れた古新聞紙利用法があるなら、千円―戦前の1円を3千円とすれば3百万円になる―を贈呈すると云う。それだけ、この加工法による古新聞紙リサイクルには価値があると云うのだ。
 その方法とは?
古新聞紙加工方法
(1)本加工法による製品及用途
 先ず第一に本加工方法に依って出来上がった製品は何であるか、如何なる方面に使用されるものであるか、と云う事を知って戴く必要がある。加工方法を説明する前に順序として、本問題から説明をして行く事にいたします。

 本加工方法に依って 出来上がった製品は何であるかと申さば、地方の田舎に於ける「附木(つけぎ)」即ち薪(まき)炭の火附である。従来の地方にある附木と称するものは、檜(ひのき)の薄片に硫黄を塗り附けた丈けのものであるから、其の火力の弱き事は勿論、燃火時間も数十秒と保たない、従って漸くにして 松葉の如き最も火附きの早いものに対してのみ用が足りる丈けで、木炭(すみ)や薪木(まき)の如きものに対しては全く火附けの用をなさない 然るに本加工法に依る附木は 従来の附木に比較して雲泥の相違あり、即ち火力強力にして、而も燃火時間約二三分間、松葉の如き火附の早いものに対しては勿論の事、木炭(すみ)や薪木(まき)に対しても容易に火附けの用をなすのである。
 以上は地方の田舎に於ける場合の製品の名称と用途であるが、之れが小都市並に大都市に於ける場合は 「焚附(たきつけ)」即ち木炭や薪木や石炭やコークス等の火附けである。
 小都市並に大都市に於ける従来の焚附けと称するものは、松の木材が或る特種の変化を来したるものを 五寸位の長さの箸の如くに拵えたものに、火を附けて置いて、木炭や薪木に火を起こしたものである。最も今日では 鋸屑や其の他に特種なもので改良されたものが出来ておるようであるが、兎に角 本古新聞紙加工法に依る焚附は 従来の焚附に比較して勝るとも劣る如き事は断じてないのであります。本古新聞紙加工法に依る製品は斯くの如く 地方の田舎にあっては「改良附木」となり小都市並に大都市にあっては之れ又「改良焚附」となって 全国至る所の如何なる家庭にも日常必要欠くべからざる必需品となるものである事は、ここに説明申し上げた事に依って何人も首肯される事と確信いたします。

 火附け・焚き付け? あれだけ大上段で語り倒した結論がこれか。
 2千円返せッ!

 閑話休題。
 この「古新聞紙利用の研究」―伝授料込で定価金3円(1円3千円換算で9千円!)―を買い求めた当時の読者にすれば、上の「附木」「焚附」の説明など、ページ稼ぎ・中身の水増し以外の何物でもないだろう。しかし、ツマミを捻ればガスで火が点く、「近未来人」が読むと、とても興味深い。

 「附木」「焚附」の名前は見たことがあるが、実物を見ることは(博物館でも行かなければ)まず無い。アニメ映画に描かれた「附木」はあるのだが(下図の赤丸)。


徳間アニメ絵本『この世界の片隅に』から複写・加工
拡げた絵本から写したので傾いております

 古新聞紙を使い、これより優れたモノにすると云う。ガス台があるのが当然とする主筆から見れば、ドーでも良い「金返せ」案件だが、ガスが普及する前の世界を想えば、大研究に値するのかも知れない。
 余談はここまでにして本文紹介に戻ろう。

 本文では続いて「(2)第一作業に就て」から「(7)第六作業に就て」まで、6つの作業工程が詳述される。すべて書き写すのは、さすがに面倒だ。幸い?本書には「(8)第一作業より第六作業迄の概説」が記されているので、そちらを掲載する。

(8)第一作業より第六作業迄の概説
 扨て古新聞紙加工法として、又古新聞紙利用焚附製法として 或いは又古新聞紙利用改良文化附木製法として、第一より第六迄の作業に分類して 其の加工法の説明を終わったのであるが 本説明も一冊の書物として説明するとなかなか長いものである。之れを実地実際に就て説明するなれば、僅かに三十分で足りる説明であるのであって 従って又本作業の簡単なる事は申すまでもない。然し乍ら本説明が相当頁に亘っての説明になったから、多くの読者中には或いは相当六ヶ敷い作業の様に考えるものもないとも限らない。こんな簡単な作業に対し例え一人でも斯ような考えをもたれるものがあっては遺憾と考え、更に第一作業から第六作業迄の概要に就いて述べて置く事にいたしました。

 「改良文化附木」が昭和初期感を出している。「なかなか長い」「相当頁」とあるのは、製法説明が本書19ページから55ページまで続くから。しかし1行20文字が8行で1ページであり、引用文を延々とお読みいただいた読者諸氏もお気づきのように、その文章は冗長である。それをコンパクトにまとめたと書いている。最初からソーしろよと云いたい。図は、各工程の説明から持ってきた。

 先ず一枚の新聞紙を二つ切りにするのである。


 其の新聞紙の一端に糊を附けたなれば、

 直径二分五厘位の長さ二尺位の円(まる)棒に糊の附いてない方の側から巻付けて行って 最初の一枚が巻終わったならば更に今一枚を巻附ける 此の二つ切りにした二枚の新聞紙を二回に巻終わったならば、巻附けの心(ママ)になっておるところの円棒を引抜き、更に同じ事を何回も繰り返して行って、円筒形のものを何本も拵えればよいのであります。


棒に巻き付けた状態



棒から抜いた状態

 此の円筒形のものが 二三日続けて巻附けて沢山出来上がったならば、今度は之れを四十個ずつの短円筒形の形のものが出来るように横に切断して行くのであります。

直径1.5センチ、高さ1センチ程度

 それから短円筒形のものが何千何万と出来上がったならば、之れをパラピン液の中へ投げ入れて泡の出なくなった時を見計らって、パラピン液の中から取り出し、之れを戸板のようなものの上に撒き散らして置いて、約十分間位過ぎた頃に箱でも笊でもよいから、其の中に入れて置けばよいのであります。
 最後にパラピン液に依ってすっかり固結して仕舞った短円筒形のものの一端に硫黄液を附けるのであります。

 要するに之れ丈の作業であるのであって、実に極く簡単なものであるのである。恐らくこんな簡単なものは他に一寸ないと考えます。
 簡単な丈けに一度作業の順序を頭に入れて仕舞えば、女子供にも容易に出来る作業であります。

 「女子供」とあると、内職させるのか…と思ってしまう。
 「パラピン」はパラフィンのこと。『家庭百科重宝辞典』(昭和8年)の記述を引くと

 石油の原油から精製して得る白色無臭の結晶体である。蝋燭の原料、織物の仕上げ、壜詰の口の絶縁等用途広く、又パラフィン紙にも造られる。粗製のポマードや、水油にもパラフィンを混ぜたものがあるが、これは毛髪のためよろしくない。

 古新聞紙にパラフィンをしみ込ませ燃焼を良くし、硫黄で火附けを容易したモノと云うわけだ。パラフィンが湿気防止も兼ねるから、「文化附木」とは良く云ったモノと感心はする。現在の固形燃料の御先祖様と捉えることも出来ようが、硫黄が燃えるから小鍋を温めるわけには行くまい。

 製法を改めて記したあと、本文は

 (製法が)簡単なものであって製品の需要の多いものでさえあれば、必ず其の製造工業は成功する可能性を有しておるものと見て差支えないのである。此の解釈から見て本古新聞紙加工法等は実に成功の可能性に近いものと云って何等憚るところがないのであります。

 と胸を張っている。しかしヨーク読み返すと、「成功の可能性を有しておる」、「可能性に近い」とあって、「成功する」とは一言も書いてない。
 固く丸めた新聞紙に火をつけるのと、どれだけ違うのか、ガス台に慣れきってしまった主筆には、これの凄さが全然判らないのだが、こんな考案があり、それに乗っかったとしても、作っただけでは材料代と手間賃は持ち出しで一銭のお金も入らない。本書はぬかりなく売り捌き方についてもページを割いている。

(9)製品の売捌に就いて
 本加工法に就いて説明申し上げた丈けで 既に本製品の売捌と云う事に対しては そう骨の折れる品ではないという事が直感された事と思います。
 既に前述の説明によっても御解りの筈であるが、地方の田舎でも、都会でも、全国至る所の各家庭の日用品であるのであるから、荒物店等へ頼んで売捌いて貰えば幾等でも売れ行くものと信じます。
 唯製品の売捌方に就いて最も肝要な事は、薄利を旨として、数で儲けると云う事にしなければならない。こう云う日用品の売捌方の呼吸は少しでも安く、アア便利なものだと、云う事を始めに消費者の頭にピンと響かせるようにしなければならないと思う。例え便利なものでも日用品として毎日不欠必要なものであるから、最初に消費者の頭にコレは高いと云う感念を与えるような事があってはならぬ。
 要するに本製品は永久的の日用品であるから、決して始めから巨利を夢見るような事なく、草鞋(わらじ)でも造って売るような 堅い精神をもって薄利多売と云う方針で行けば 必ず成功する可能性のある事は疑いのない事で 此の精神、此の方針が本加工製品売捌の成功の第一要素である事を忘却してはなりません。

 「幾等でも売れ行く」のが確信でも保証でもなく「信じます」なのが怖い。しかし、製品―永久的の日用品―のことは脇に置けば、新製品の売り込みのやり方、その心得は当時の小商いの実情に基づいているだろうから、なかなか興味深いものがある。
 その心得の語りでも、「成功の可能性のある事は疑いのない事」なのだ。

 それから売捌地の問題であるが、。之れは成る可く其の地方々々で売捌処分の方法を講ずる事にした方がよい。それは申す迄もなく遠地取引は輸送手数や運賃等も掛かるから、それ丈け利得は少なくなる訳で、之等の微細なる点までも大いに留意しなければならない。それから又一歩進んで都会の問屋を開いてに取引せんとするような場合は、最初製品の見本を送って、其の製品見本に依って取引価格を定め 其の上で取引を開始するものであるから、問屋取引をせんとする者は之等の点も心得て置かなければならない。殊に問屋取引の場合に於いて注意すべき事は、最初の製品見本に依って取引価格の決定された以上、其の見本に勝るとも劣るような製品を送ってはならない。之れは将来の取引に大なる信用に拘わる事であるから 夢だに忘れてはならない事であります。

 見本より悪い品質のモノを送らない。製造業者の道徳ですね。薄利多売を考えると販路は全国に拡げたくなるものだが、製品の性質を考え製造者の地元でやる方が、経費がかからずその分利益が取れると云う。
 この製品、商品になったら何個何円で売れる(はず)なのだろうか? 製造者(読者)に一任すればよさソーな事だが、そこも抜け目なく記してある。
(10)製品分量の標準と製品価格の標準に就いて
 次に製品の分量と販売価格とを定めなければならないが、之れは目下東京地方に於いて販売されつある他品に習って定める事が最も至当と考え、次の標準を定めて見ました。
 製品分量は百五十個入と七十個入の二種類位に拵えて置く必要があると思う。製品を入れる容器は、袋でも箱でも随意であるが、先ず三色刷位の石版印刷か何かで、綺麗な意匠を印刷して「文化つけぎ」とか「文化たきつけ」とか云う名称を付して袋のようなものを容器に使う事が最もよいと考えます(意匠袋御入用者には実費で分譲しますから御照会下さい)。

 大の方がお得になるようにするのか。そして美麗なラベルは欠かせない。それを「実費で分譲」なのだから、本書を買った読者からは、テッテ的に搾り取ってやろうと云う強い意思を感じる。

 それから販売価格であるが、之れは百五十個入れを二十銭として、七十個入れを十銭と定める事がよいと思う。最も此の価格は小売価格であるから、荒物屋や問屋へ卸す場合は 当然小売価格以下で卸さなければならない。然し各地方々々の土地の情況に依って、右の標準価格よりも値上げをせねばならぬ場合もあろう、又値下げをせねばならぬ場合もあろう。之等の事は地方々々の情況と、其の時の場合に依って臨機応変に価格を定めて貰いたい。然し乍ら、決して薄利多売と云う事を忘却してはならない 此の事を忘却せざる以上 各自の任意なる価格を定めて小売するなり、卸売りするなり随意であります。

 70個入り10銭を1円3千円換算すれば一袋300円。一個4.3円が高いか安いか何とも云えぬ。この製品(売れたとして)、本当に儲かるのだろうか?
(11)収支計算書
 古新聞紙一貫目(註・原文は『一貫匁』に「いっかんめ」のルビなので表記の方を改めた。一貫目は3.75キログラム)に対し本加工法を施すと、約七千個の製品が出来上がる事になる。そこで此の七千個の製品を十銭売の七十個入れとして計算を立てると、十銭売が百枚出来る事になるから、之れを小売価格に計算する時は十円と云う製品価格になります。
 右の七千個の製品を拵えるには即ち一貫目の古新聞紙に本加工法を施す原料代は、古新聞紙一貫匁四十銭、パラピン九ポンド代(一ポンド二十銭割)一円八十銭、硫黄代十銭、袋代百袋分五十銭、煤(註・パラフィンに煤を混ぜ、新聞の文字が読めぬよう着色するのに使う)は金に見積もらず、合計二円八十銭の原料代となります。
 (さき)の製品価格十円から、原料代二円八十銭を差引けば、茲に七円二十銭と云う純益金が現れる。即ち一貫目の古新聞紙に本加工法を施したる事に依って 七円二十銭の儲けとなる訳である。然し之れは小売価格の見積計算であって、之れを卸売する場合は二割乃至三割の口銭を出さなければならないから、此の場合は四円乃至五円の儲けとなる訳であります。
 尚又大規模に行わんとする場合には、右の利益の中から更に工賃や諸経費を差引かねばならぬ事になるから、更に儲けの率の低下する事は当然であるが、それでも一貫目の加工に対し三円内外の利益は充分見られるから、要するに大量生産で行けば、取得するところの利益は結局同じ事になる訳であります。

 古新聞紙一貫目から、70個入り一袋(10銭、今の300円)が100セット出来ると云う。その売価10円(現在なら3万円)。巡査の初任給が手当ナシで45円、銀行員70円(『値段史年表』)だから、500袋毎月売れれば、内職なら酷い数字では無い気がしてくる。
 製造原価のうち原材料費が2円80銭。ところが紙を巻いたり切ったりする労務費の記載が無い。製法や売り方には丁寧な(くどい)説明をしているのだ。原価を少なく―利益を大きく―見せるためわざとやっているに違いない。推算する。
 新聞紙一枚で40個出来る。7千個作るのに必要な新聞紙は175枚。それを切って棒に巻き、糊つけて乾かして抜いて切ってロウに漬け…の工程を経る。これが「実地実際」で説明すれば30分と書いてあるのだから、人間が作業する時間は棒1本分で30分としよう。
 新聞紙一枚で棒ひとつの40個製造だから、7千個は延べ175本分の棒と作業が必要となる。30分は0.5時間だから175本作る所要時間は87.5時間。これを一日8時間労働でやるなら11日必要だ。安月給と云われた、巡査の初任給45円を30日で日割りすれば一日1.5円となる。これを資本家になったツモリで搾取して1円にしてやる。日雇労働者の平均賃金が1円98銭だから、女子供にも出来る簡単な作業と云うことで妥当と思わせる。
 ところが、1円×11日=11円で労務費だけで売価10円を上回ってしまう(笑)。荒物屋・問屋の取り分を引いた残りの4円5円で利益2円を取れば、労務費に回せるのは2円3円である。さきの「30分」は説明を受ける時間も込みと考え直し、一本40個が10分で出来ることにしよう。これで1/3になるから約4日で4円、まだ足が出る。
 昭和6年の雑誌附録に載った婦人労働者の給与を見ると、日給1円もらえるところは限られている。印刷女工見習い(尋常小学校卒)が50銭で、見習い期間が終わると70銭とある。女工見習い並の1日50銭で働かせてヨーヤク2円に収まる。そこから工数か労賃を削れば「3円内外の利益が充分見られる」のだが…。古新聞紙を集める手間賃だって勘定しないわけで、正直この事業が成り立つ自信は無い。
 それでも本書はこう結ぶのだ。

 刻一刻、日一日と文化の進み行く今日、他の機先を制して成功を欲せんとする諸士は、どうか一日も早く御実行あらん事を。本書の教えたる本加工法に依って、古新聞紙が有益に利用され、且つ、諸士の福利増進の資ともならば 其の多寡を論ぜず編者の悦び之れに過ぎたるものはないのであります。

 性根が労働者の主筆には務まらない。そして「文化つけぎ」とか「文化たきつけ」などの商品があったと云う話を、私は浅学ゆえに聞いたことがないのだ。
(おまけのおまけ)
 一貫目(3.75キログラム)の新聞紙を溜め込むのにどれくらいかかるのだろう。
 昭和2年12月の『朝日新聞』朝刊8ページ(12ページの日もある)で、夕刊4ページである。一枚4ページだから、朝8頁夕4頁は2枚と1枚で一日3枚。新聞紙の重さをネットでざっと見ると、一枚16.4グラムと21グラムというのがある。昭和初めと今とでは紙質が違うから、割り切って20グラムと考える。20グラム×3枚で一日60グラム、一ヶ月30日として1800グラムとなる。2ヶ月溜めて一貫目になる感じだ。こちらもラクではなさそうである。