少子化対策のヒントになるか?

『大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性』その4で82万800おまけ


 「大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性」(西野入徳、早稲田大学出版部)の続き。

 大東亜の盟主として活躍が期待される日本人(この文章は大東亜戦争中に発表された)。その中核となる「指導階級」の量、つまり人数が足らなくなる予測を述べ、
 1.指導階級としての素質がありながら、高等教育を受けられず社会に埋もれるしかない、現代の青少年に教育機会を与える
 2.「高等学府卒業者早婚」による、将来の「指導階級」の増産
 の対策が語られている。
 現実には、大日本帝国時代はもとより、「ジャパンアズNO1」なんて云われた頃であっても、東亜を支配するヨーな事はなく、今では「指導階級」の数どころか日本民族消滅の可能性まで語られる有様。こんな文字通りの「机上の空論」を紹介してドーすんだ、と思われるかも知れぬが、文章が楽しいのだ。

 今回は、「高等学府卒業者早婚」のくだりを、例によってタテ書きを横書きに組み替え、仮名遣いを現代のものに改め、一文がやたら長いので適宜空白追加に改行を施してご紹介していく。

四、優秀人物の不足と高等学府卒業者早婚の急務
 (承前)
 第二は年々四万に垂んとする 高等教育適格者不足補充の通を講ずる事である。
 是には国民中 遺伝的に優秀なる資質を具備する者の出生率を高むる以外に良法は存しない。換言すれば 年々高等学府を卒業する五万数千の学徒を含む 生殖年齢層に在るA級B級男女が悉く早婚して 其出生率を最高度迄高め、各自の有つ良素養を多量に遺け継ぐ優良児を、能う限り数多く世に供し、以て我邦将来の 指導階級の質と量の一大強化に貢献する事である。

 「A級B級」は、「指導者の重責を果たす」頭脳の持ち主で、アメリカで行われた、壮丁「能力試験」結果の上位4%、8%にあたる。論者は、日本人であるからと、そこを明瞭な理由もなく、25%上乗せさせ、壮丁の5%、10%をA級B級としている。
 彼らが生殖可能となったら、早く結婚して、一人でも多くの子どもを産み育て、指導階級の量増大―毎年4万人不足とする―をしてもらおうと云うわけだ。もちろん、論者のアタマの中での話だから、彼らの意思は問われない。

 然るに事実は甚だ遺憾ながら其の反対を行って居る。試に一夫婦当出生児数を 両親の教育程度によりて分類すれば、上表(註六)の示す如くにして教育程度の高まるに連れて出生児数は漸次低下し、夫の場合に於いては結婚後二十一年乃至三十年にして、小学校卒業者は平均五人三分 中等学校卒業者は四人七分の子女を有するに対し、高専以上の卒業者は四人に過ぎず、小学と大学との間には一人三分の開きを存ずる。妻の場合に於いても亦其の傾向相等しく 小学校卒業者の平均児数は夫の場合同様五人三分 高専以上卒業者のそれは四人二分にして 其の間一人一分の差を示して居る。

結婚後21〜30年経過時の教育程度別出生児数(表はタテヨコを組み直してある)
夫  妻   平均
小学卒   5.3児 5.3児   5.3児
中等卒  4.7児  4.3児  4.5児
高専以上卒  4児 4.2児   4.1児

 AB両級に相当する「高専以上卒」からでも4児生まれている。「4人に過ぎず」と記しているが、ひとつの夫婦から4人発生して、子どもがいずれ生殖可能となるのなら、これで充分ぢゃあないか(笑)。そして子沢山になりそうな小学校(当時の義務教育はここまで)卒でも5人ちょっとと云うのだから、学歴の高さと子どもの数が反比例しているわけでもないようにも見える。結婚し、家庭が維持されれば子どもは生まれ、人口は増えていくのである。
 しかし、論者はその違いに拘る。

 教育程度と出生力とが 斯くの如く逆行するは抑も何故であるか?
 教育それ自体中に 何か生殖力を減殺せしむる処の生理的作用が存在するか否かに関しては、其の論議喧しくして遽(あわただしい)に断定を下し得ない。スペンサーは 脳神経の使用と生殖機能とは逆行し、頭痛を酷使すれば生理的に自ら出生力を低下せしむると称して居るが、之は未だ科学的に証明されて居らない。仮に一歩を譲り彼の説が真なりとするも、高等教育が果たしてそれ程迄に頭脳を酷使するや否や、若しするとしても それは大体結婚以前 殊に試験直前の短期間に留まり、結婚後に於いて高等学府出の夫婦が、中、小学出の者に対し、夫れ程甚だしく頭脳を酷使するや否やは速断を許さない。

 子ども一人の差で「逆行する」とは大袈裟に過ぎる。しかし、「高等教育が頭脳を酷使」するか? の問いかけは面白い。そこに、頭脳を酷使する機会なんて、試験前の一夜漬けの時ぐらいだろう、の論者の弁は、当人が一夜漬けで、最高学府を含む教育過程をクリアして来たと自白しているヨーで楽しい。
 頭脳労働自体が、生殖作用に直接の影響を及ぼすかはさておき、それを成り立たせている、学校・実社会を問わぬ日常生活でのストレスが、生殖活動に作用することはあり得る。

 併し次の事丈は明言し得る。即ち高等学府に学ぶ者は、修学に多くの年月を要する為め、且つ又卒業後職業の関係、或いは立身出世への熱望、或いは生活程度向上への欲求、或いは結婚に伴う出産育児に要する出費の配慮等により、或いは又殊に戦時に於いては 卒業と同時に来る兵役関係の考慮等より、概して晩婚に陥り易い。

 高等学府に進むものは晩婚の傾向があるとして、その理由が列挙される。将来を思って晩婚になりがちだとしているが、そもそも就学期間が長い分、実社会に出るのが遅くなるのだから、「一人前」の証でもある婚姻も、相対的に遅くならざるを得ないだろう。「学生結婚」の言葉が持つニュアンスは称賛・推奨とは異なる。
 晩婚の理由として「兵役関係の考慮」が挙げられているが、それが逆に早婚の要因になった話もある。


 婚姻年齢が出生率の上に及ぼす影響は相当大きく、殊に女子の場合に於いて顕著である。例えば二十歳にて結婚せる婦人は 結婚後三十年乃至四十年の間に五人四分の出生児あるに対し、二十五歳結婚の婦人は 同期間に三人八分を出生するに過ぎない。(註七)尚詳細は別表参照

妻の結婚年齢と出生児数(結婚後31年乃至40年経過)(表は組み替えた)
結婚年齢  16歳未満 16歳 17歳 18歳 19歳 20歳 21歳 22歳 23歳 24歳 25歳 26歳 27歳 28歳 29歳 30歳 31〜35歳
出生児数  6.0 5.9 6.4 5.7 5.9 5.4 5.3 4.8 4.4 4.3 3.8 3.4 3.2 2.9 2.2 2.3 1.5
 先に載せた「教育程度別出生児数」の数と合ってないヨーな感じがするが、そこを気にしていたら、この論文を打鍵した我が身が浮かばれないので、気にせず続ける。

 ここに於いて 高等学府卒業生の結婚年齢高低が 其の出生増加に対し極めて重要なる意味を有つ事となって来る。厚生省人口局の調査によれば 最近日本全国平均初婚年齢 男子二十八歳 女子二十四歳である。
 高等学府卒業者は 前述の如く概して晩婚なるが故に、其平均年齢更に高く、男子三十歳 女子二十五歳と見て大差無しと思わるる、前掲妻の結婚年齢と出産時数表 及教育程度と出生児数表とを対照する時は、大体に於いて女子の結婚年齢 小学校卒業者は二十歳 中等校卒業者は二十三歳 高等学府卒業者は二十五歳程度なる事が窺われる。

 妻の結婚年齢と生まれた子供の数が記される、極めて興味深い表である(厚生省発行『人口問題研究』第一巻・第七号からと註は云う)。
 現在、女性が婚姻可能な年齢は満18歳以上だが、2022年3月までは16歳以上、旧民法では15歳以上からであった。女学校の見目麗しい生徒が、視察に訪れたエライ人に「息子の嫁に」と見初められ、退学していき、童謡「赤とんぼ」で「十五でねえやは嫁に行き」と唄われるゆえんだ。改めて表を見れば、10代で結婚すれば5〜6人、20代前半4〜5人、20代後半2〜4人と出生数が落ちていき、アラサー(30歳周辺)になると1、2人がいいとことなってしまう事が解る(当時と今とは、衛生・医療等の水準が異なる)。
 そして、高学歴者=指導階級の結婚年齢が推定されている。

 今仮に 此の三教育階級の夫婦各々百組宛が同時に結婚し、其の子孫が親同様 夫々女子二十歳、二十三歳、二十五歳にて結婚し 前表の示す割合を以て出生を継続する事一世紀に及べば 別表の如く各階級の人口 小学卒業級二万八千九百四十七人、中等校卒業級三千四百三十四人、高等学府卒業級二千六百六人となる。

性能階級別出生率と200年後の各階級人口増加(表のタテヨコは組み替えた)
性能階級  結婚年齢 1夫婦出生児数 夫婦組数 人口実数    同上増加比率  
 現代 百年後 二百年後 現在 百年後 二百年後
優(A、B)  25 3.8 100 200 2,606 33,964 1.0 13.03 169.82
並(C、D)  23 4.4 100 200 3,434 77,401 1.0  17.17 387.01
劣(E、F、G) 20 5.4 100 200 28,947 4,118,400 1.0 144.74 20,592.00

性能階級別出生率と国民素質低下一覧表(表のタテヨコは組み替えた)
性能階級   結婚年齢  1夫婦出生児数  総人口に対する百分率 
現在 百年後 二百年後
優(A、B) 25 3.8 15.00 2.44 0.25
並(C、D) 23 4.4 35.00 7.49 1.29
劣(E、F、G) 20 5.4 50.00 90.08 98.46

 換言すれば其の増加相対比は 高等学府卒業級を一とすれば 中学校卒業級は一、三二 小学卒業級は一一、一一となる。従ってAB級に属する優良人口の 総人口に対する割合は別表の如く 始めの十五%より二%四三に低下し、国民の素質は著しく退化する。更に一世紀間此比率にて出生を継続すれば、AB級の人口は総人口の〇、二五%に減少し、国民の素質は益々退化し、国家は優秀なる指導者の欠乏によりて顛落するの危険に直面せざるを得ない。
 是を防止する道如何? 勿論高等学府卒業者の所属する AB級優秀人口の出生率を最高度に迄高むる事が第一である。

 取り扱い注意な表であるが、初等教育までの女子は20歳で、中等教育は23歳、高等教育まで行くと25歳で結婚した者達が、子孫も同じ教育を承け、同じ年齢で結婚して子を成す前提で、100年200年経過すると、それぞれの人口比がスゴい事―EFG級が総人口の98%以上を占めるのに対し、指導階級のAB級は、わずか0.25%―になってしまう。しかしながら、少子化の危機が叫ばれる昨今を思うと、「指導階級」消滅の危機など、取るに足らぬと云いたくもなりますね。
 結局のトコロ、AB階級出の女子の結婚を25歳から、EFGと同じ20歳まで下げれば、指導階級の人口問題は解決するのではないか? 以下の本文は、そこのトコロを、前回以前の内容も交え、論者得意の? 数を交えた理屈で述べたものとなる。

 既述の如く 我邦現在のAB級人口は 其所要数に不足する事二十四歳男子のみにて 年々四万人に達する。是を同年齢の生残率〇、六六五にて除し 出生時の数に換算すれば約六万人を得る。是に女児の出生比率100/105(註八)を乗じて 得たる五万七千百四十三人を加えたる 十一万七千百四十三人が 毎年のAB級出生増加所要量である。
 現存のAB級夫婦十六万六千余組により 年々之丈の出生増加を得んが為には、毎年一夫婦平均〇、七〇五人の出生増加を必要とするが 是は生物学的に不可能事である。厚生省の調査によれば 出産後母子の健康に悪影響を及ぼさざる範囲に於いて 出生率の最高なる女子結婚年齢は二十歳である。依りてAB級女子 現在の平均結婚年齢二十五歳を二十歳に繰上げ、同時に男子の夫れを三十歳より二十五歳に繰上ぐる事が 該階級の出生を増加せしむるに必要なる結婚年齢移動の最良限度である。

 AB級女子の結婚年齢を20歳にする。出産数は20歳未満で結婚する方が多いが、母子の健康を考慮すると、20歳が望ましくなると云う。妊娠・出産するのは女性であるから、男子の結婚年齢を早める必要を感じないのだが、ここには記されていない、精子の事情があるのかも知れない。

 斯くしてAB級男女十六万六千八百組が 悉く結婚を五ヶ年早むれば 一代(結婚生活三十五年とす)の中に約二十六万七千人即ち一年平均七千六百二十五人の出生増加をもたらす。(註九)是は年次出生不足四万人の 五分の一弱にして甚だ不充分である。併し是以上女子の結婚年齢を早むる事は 仮令出生率は若干高め得るも 出生児及び母体の保健上宜しからざるを以て、特種の場合に十九歳結婚を認むる程度に止め、余は結婚年齢以外の諸条件中 出生を減退せしむる傾向あるものを排除し 之を増大せしむるものを助長する事に務め、以て将来長期間に於て 此の不足を補うべきである。

 男女の結婚を5年早めると、1年あたり7625人の人口増が見込まれると云う。「註九」に記された計算式は、
 妻20歳結婚出生児数=5.4
 妻25歳結婚出生児数=3.8
 夫妻数=266,880組 出産期間=35年 として、妻結婚年齢ほ25歳より20歳に5ヶ年丈繰り上げたる結果生ずる年平均出生増加数
 (5.4−3.8)×266880÷35=7625.
 と云うものだ。
 増えた分がまた結婚して子供を作るものの、指導階級の所要はスグに満たせるモノではないが、母子の健康を考慮しなければならぬ以上、あとは時間の経過に任せるしかないようだ。ともあれ、人口が減ることだけは無い。
 少子化対策は、女性の結婚年齢を下げることと、結婚して家庭を維持出来る環境(=恒常的な収入)の整備と維持に尽きる。とガラにも無く(還暦近い単身者が)思う。現代では女性も、戦前・戦中から見れば高学歴となり、かつ社会人として活動しているのだから、論者が挙げた「晩婚の理由」すなわち
 ・立身出世への熱望
 ・生活程度向上への欲求
 ・結婚に伴う出産育児に要する出費の配慮
 が、男女ともにのしかかっていると云える。これらの文字を改めて眺めると、戦前・戦中の昔も、令和の今日も、「晩婚の理由」は変わっていない事が解る。晩婚どころか未婚になりゃあ人口が減るのは道理だ(人口減をやらかしている当事者の一人が云うセリフでは無いね)。
(おまけのおわび)
 今回で、『大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性』本文紹介は終わりにするつもりであった。残るトコロは、この論の反対論者が云うであろう「男子二十五歳にては収入少なくして結婚するも家族を扶養する事能わず」に対する、論者の理屈である。これが楽しい「机上の空論」あるいは「ユートピア論」になっていて、そこは切り離してやった方が、読者もシチメンドクサイ「青い文字」を読まなくて助かるだろうと思い直した次第。