世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。

 ここでは、神の存在、死後の世界に対する各国国民の見方を図録にした。日本人の回答は以下である。

日本人の回答結果(%)
  存在する 存在しない わからない 無回答
A)神 35.0 31.6 33.4 -
B)死後の世界 31.6 30.5 37.9 -

 対象国は、55カ国であり、存在していると考えている人の比率別の内訳は、以下の通りである。

存在していると考えている人の比率別の国数と国名
   神の存在 死後の世界
国数 国名 国数 国名
90%以上 24 エジプト、ヨルダン、ナイジェリア、インドネシア、マルタ、バングラデシュ、フィリピン、イラン、ウガンダ、ジンバブエ、プエルトリコ、タンザニア、ペルー、南アフリカ、メキシコ、トルコ、ポーランド、チリ、アルゼンチン、アイルランド、米国、インド、ポルトガル、ルーマニア 4 エジプト、インドネシア、ヨルダン、イラン
50〜90%未満 26 クロアチア、カナダ、イタリア、北アイルランド、ギリシャ、オーストリア、スペイン、アイスランド、スロバキア、セルビア・モンテネグロ、フィンランド、ベラルーシ、ウクライナ、ラトビア、リトアニア、ルクセンブルク、ベルギー、ハンガリー、スロベニア、デンマーク、ドイツ、英国、ロシア、オランダ、ブルガリア、フランス 26 ナイジェリア、トルコ、ウガンダ、フィリピン、タンザニア、マルタ、チリ、米国、南アフリカ、プエルトリコ、アイルランド、ポーランド、ジンバブエ、アイスランド、メキシコ、カナダ、ペルー、イタリア、クロアチア、インド、北アイルランド、スロバキア、アルゼンチン、バングラデシュ、ルーマニア、オーストリア
50%未満 5 スウェーデン、エストニア、日本、チェコ、ベトナム 25 リトアニア、ギリシャ、オランダ、スペイン、ルクセンブルク、英国、フィンランド、ポルトガル、ベルギー、スウェーデン、フランス、ドイツ、デンマーク、日本、ラトビア、ベラルーシ、チェコ、スロベニア、ウクライナ、ハンガリー、ブルガリア、エストニア、ロシア、セルビア・モンテネグロ、ベトナム

 神の存在と死後の世界を比べると、神の存在の方が一般的に信じられている。神の存在は24カ国で90%以上の人が信じており、50%未満の人しか信じていない国は5カ国に過ぎないのに対して、死後の世界は、90%以上の人が信じている国は4カ国しかなく、50%未満の人しか信じていない国は25カ国もある。

 エジプト人は、神の存在、死後の世界ともに、100%の人が信じている。ヨルダン、インドネシア、フィリピンといった諸国も、エジプトと同様の見方を示している。

 米国は欧米先進国の中では神の存在、死後の世界を信じる者が多い点が目立っている(図録9522、図録9525参照)。

 逆に、ベトナムは、神の存在も死後の世界も信じていない者が多い点で目立っている。ベトナムで信仰心が小さい点については図録8068参照。

 日本は、ベトナム、チェコと並んで、神の存在を信じない人の多い国であるが、死後の世界については、信じない人が多いが、その比率は、ドイツ、デンマークと同程度であり、それほど目立っているわけではない。

 日本人の特長は、「わからない」の比率が多い点にある。神の存在については、世界各国の中でも、「わからない」の比率は圧倒的であるし、死後の世界についても、「わからない」の比率は世界一高い。日本人は、神の存在や死後の世界に対して、存在するともいえるし、存在しないともいえるという立場をとっているように見える。悪く言えば、どっちつかずの見方で他国から理解不能な民族ととらえられる傾向があるともいえるし、よく言えば、存在を証明できない以上、どっちでも良いではないかと哲学的に考えている民族であるともいえる。

 ヨーロッパ主要国における時系列変化は図録9522参照。ロシア人の神や死後の世界への意識の変化については図録9458参照。

 下図は、世界価値観調査と並ぶ国際共同意識調査の双璧であるISSP調査の結果から、神の存在についての日本人の考え方をもう少し詳しく見たものである。日本人の場合、「私は、実際に神が存在することを知っており、神の存在に何の疑いも持っていない」という回答が世界一少ない一方で、「神が存在するかどうかわからないし、存在するかどうかを明らかにする方法もないと思う」や「神の存在を信じる時もあるし、信じない時もある」という答えが世界1位多くなっている。上の世界価値観調査の「わからない」という日本人の回答の内容がうかがえよう。そして、世界全体では42%が神の存在を疑わないと思っている中で神を疑い続ける日本人の考えが特異である点は疑いないといってよい。このデータについての詳細は図録9528に掲載した。


【コラム】中間的回答の多い日本人 〜あいまいな日本人〜

 林知己夫(1996)「日本らしさの構造―こころと文化をはかる 」(東洋経済新報社)は、海外比較を含めた国民性調査の長い蓄積から、日本人らしさをあらわす「J−態度」の特徴として、以下の3点をあげている。

@人間関係重視
A中間的回答の多いこと
B宗教を信じないが宗教的な心を大切にする

 ここで、中間的回答とは、「非常によい」と「まあよい」なら、「まあよい」の方の回答、また「どちらともえいない」、「分からない」といった回答を指す。

 そして、1953〜88年の継続調査において、新しい年次の方が「J−態度」的であり、また現時点では若い世代の方が「J−態度」的だと分析している。また、中間的回答については、以下のようなプラスの評価を与えている。

「私はこの中間的回答をする発想そのものは(中略)本居宣長のいう「漢心(からごころ)」なき素直な見方ができ、不確定状況の下でうまく対処することが無理なくできる長所であると思われる。」「中間的回答好みは国際化時代に適用しないから「はっきりものをいえ」という人がいるが、これは日本人が日本人でなくなることを意味する。」

 私の両親は近代的な明るい家族をつくろうと努力し、知り合いのインテリ医師にあこがれたり、朝日新聞なんかを購読したりしていたが、所詮、相撲力士の息子と北前船主の孫娘であるので、私を真のモダン・ボーイには育て損なっていた。

 私は、幼い頃、ご主人が興銀マン(のち頭取)の母親の友人宅を訪れ、ご馳走になった時のことを思い出す。母の友人である近代的な感じの夫人は、AとBとどちらが食べたいと私に尋ねたので、何の疑問もなく、「どちらでもいいです」と答えた。そうしたら、「どちらでもいいです」ではなくて「Aがいい」あるいは「Bがいい」とおっしゃいとたしなめられた。私は主体的な発言をした方が相手を敬うことになるという夫人の考え方に同意するとともに、これまで疑問もなく使っていた慣例的な発言に非があることを自覚させられたことに少し傷ついた。後で考えて、「どちらでもいいです」とは、何も、AもBもどのみち大したことない食事だという含意はもってはおらず、単に「私などはご迷惑が懸からない方で結構です」というへりくだり(謙遜)の表現をすることで相手を上位に置きたいということだったのになあ、と自らの軽い傷心を慰めたのだった。

 不確定でも、はっきりAがBかを表明しないと、次に進めないとする考え方と、確定していても、AかBかをはっきりさせない方が、世の中うまくいくという考え方は、それぞれにそれなりの有効性があるのであろう。

 中間的回答の具体例は、この図録のほか、図録8062(アジア的価値観の各国比較(日本・韓国・台湾・中国))、図録8598(米国を世界はどう見ているか)にも見られる。これらでは、欧米だけでなく中国、韓国などと比較しても中間的回答が多いという日本の特徴は明確である。

 こうした日本人の特性は、女性のシワのできかたにも影響を与えているようだ。米国ロサンゼルス在住の女性歌手八神純子は、キャロライン・ケネディ駐日大使のシワが話題になっていることと関連して、こう言っている。「長年のアメリカ暮らしでできたシワは、日本で過ごしていたらできたであろうシワとは違うと思っている。欧米人は表情豊かに話すので、英語の上達とともに私もそんな表情をするようになりシワが増えた。特におでことまぶた。驚いた時など眉毛をあげたり下げたりしているとシワになった。笑うときも口に手を当てないで豪快に笑うので、頬の辺りにも線が出た。 」(東京新聞「言いたい放談−シワ物語」2014.1.24)

 拙著「統計データが語る 日本人の大きな誤解」でも言及したが、「こうした日本人のあいまいさは、人間関係重視のなかで生じたものだと推定できる。明確な物言いで他人を傷つけない配慮が心の働きとして習慣化しているともいえるのである。これが日本社会の過ごしやすさを生んでいることも確かであろう。」(p.232)

 日本社会は欧米諸国と比較して低ストレス社会である点を図録3274でふれたが、狭い島国で暮らしていくためには、あるいは、近世以降の”むら”社会の効率性を維持するためには、日本人が相互になるべく角突き合せない生き方の工夫をしてきた努力の結果といえよう。東アジアの儒教圏諸国の中で他国と異なる日本の特徴として、親が子に教えたい精神的態度として日本人が何よりも「思いやり」を第1にあげている点にもこうした点が明確である(図録8068参照)。相手を思いやるのは、何も相手のためだけではないと考えられる。会議で相手の誤りを明確に指摘するのではなく、遠まわしに分からせる工夫を凝らすのは、別の機会に、自分の誤りが端的に指摘されて傷つくのが嫌だからに相違ない。傷つけあわない工夫がストレスの低減につながるのである。

 図録3274でも引用したが、海外とも比較しながら国民性調査に長く携わった林知己夫はこう言っている。

「日本人は「日本社会は人間関係が煩雑で高ストレス社会だ」などという、マスメディアの無根拠な報道を信じ込んでいるが、それはまったくの誤りである。むしろ、日本人の一見煩雑に見える人間関係のあり方が、人間のもつ攻撃性をやわらげ、人間同士の直接的な衝突を回避させることに役立っていると考えるべきである。」(林知己夫・櫻庭雅文(2002)「数字が明かす日本人の潜在力−50年間の国民性調査データが証明した真実 」講談社)

 意識調査に対して日本人が「わからない」と回答する比率が多い点に関して、以上とは異なる考え方も成り立つ。気候学者の鈴木秀夫は、それは、西洋の「砂漠の思考」に対して東洋の「森林の思考」に日本人が特に親しんでいるためと見なしている。

 鈴木秀夫は、ドイツ人が、わからないという状況が耐え難くて、物事の理解より自分の意見をはっきり持つということを優先する態度をとり、例えば、よく知らないにも関わらず訊ねられた道をきっぱりした態度で教えたりすることをドイツでの生活で見聞きして驚いたという経験をあげ、これに対して、日本人は、人間の判断を空しいものとみなす仏教の思想に影響され、理解していることでも自分の理解は不十分なのではないかと感じ、むしろ「わからない」と回答する方がしっくりする気持ちを抱くのだとしている(「森林の思考・砂漠の思考」NHKブックス、p.14〜18)。そして、こうした東西の考え方の違いを気候風土に影響されて生まれたものとしている。

「このような東西二つの論理の分かれ道は、どうしておこったか。そこに、砂漠と森林がかかわっていると私は考える。砂漠では、ある一つの道が水場に至る道であるか否かどちらかに決断をしなければならない。その道が生への道であると判断することは、他の道は滅への道であると判断することである。それに対して、森林には、生が充ち満ちている。生への道か滅への道か思いわずらう必要がない。生と滅を区別する必要がない。人間が、これだと思った道から迷うことによって、かえって桃源郷を発見する。」(p.83)

 ここで、気をつけるべきは、中国や韓国はむしろ「砂漠の思考」の影響が強いとされる点である。中国思想における論語の「天」は「森林の仏教の如来よりは、砂漠のキリスト教の神に近い」(p.104)。韓国についてはこうだ。「水蒸気の供給源である太平洋の方向には日本列島が屏風のように連なっていて、雨はそこで大部分落とされてしまっている。日本の湿潤と韓国の乾燥は裏腹の関係にあるわけである。サハラから、アラビア、タクラマカン、ゴビをへて中国北部にいたる大乾燥地帯の、もう一つの延長の部分として韓国の立場を理解することもできる。その見とおしのよい韓国では、日本にはない、最高神の崇拝が伝統としてあった」(p.112)。だから、キリスト教がなかなか普及しなかった日本と対照的に、韓国ではキリスト教が積極的に受容されたという訳である。

 このように考えると上で紹介したような意識調査において、韓国人が「わからない」と回答する割合が日本人とは対照的に少ないのも合点がいく。

(2006年12月26日収録、2013年6月7日コラム追加、6月19日コラム修正、2014年1月27日八神シワ物語引用、8月11日コラムのコメント補訂、8月12日ISSP調査結果追加、12月12日鈴木秀夫説追加、2015年3月29日日銀マンを興銀マンに訂正)


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