アニメコラム

当時アニメを映画館で見るような暇も時間もないし勉強する歳でしょう。



アニメ雑誌
「アニメージュ」徳間書店
「アニメディア」学研パブリッシングだから本誌に便乗した学研のオカルト雑誌の広告に気をつける必要がある。
「ニュータイプ」角川書店
この3冊はアニメ番組表が掲載されており便利。
カラーとはいえ、巻頭特集は大したことがない。
ポスターなどの付録が重点。
「ナウシカ」や「ZZ」までなら、ナウシカやフォウ・ムラサメまでの女性キャラクターがポスターなど。
残念ながら劇場版アニメシリーズとOVAシリーズが終わり、
「勇者シリーズ」や「機動警察パトレイバー」の頃になると需要は低くなったが。

VIDEOとLDからDVDの頃に移り変わった時期だと、当時は買い換えるかどうかという瀬戸際でもない様子という話だった。
店員で社員価格で購入できればマシであるが。

フィギュア雑誌
「ホビージャパン」
「B-CLUB」

アニメファン雑誌
「ファンロード」

マンガ雑誌では映画化の告知程度でアニメやフィギュアの広告や特集は無い。
講談社「コミックボンボン」
当時は「プラモ狂四郎」が「機動戦士ガンダム」の人気に便乗してた。
「太陽の牙ダグラム」「装甲騎兵ボトムズ」など流行のメカ物マンガが連載されてた。
裏には様々なグッズの通販広告が掲載されていた。「般若の面」とか「レコードの上を走って音楽を出すレコード針付きのミニ車」とかプロレスラーのサイン色紙とか。通販広告がユニークだった。
小学館「コロコロコミック」
藤子不二雄のマンガ「ドラえもん」の連載は少年漫画の中では絵柄が丁寧だった。
当時からコミックスの収録では収まらない雑誌形態の冊子で数百ページに及ぶ選り抜きマンガ月刊コロコロコミック特別増刊号「ドラえもん映画大全集1000」小学館780円1000p昭和60年2月7日発行などが発売されてた。
収録作品は「のび太の恐竜」「のび太の宇宙開拓史」「のび太の大魔境」「のび太の海底鬼岩城」「のび太の魔界大冒険」「ぼく桃太郎のなんなのさ」
この冊子のような分厚い本は何年か置きで発売されてる。
ファンクラブは「ドラえもん ビデオクラブ」などがあり会報が発行されていた。
他の作家はコマ枠からはみ出すカット割りなどがあり迫力のある絵柄で多彩だった。
当時の「コロコロコミック」は以外だが「機動戦士ガンダム」の人気には殆ど便乗してない。
チョロQ人気では「ゼロヨンQ太」他ではタカラ社がチョロQファンクラブの会報を発行していた。
ゲーセン人気では「ゲームセンターあらし」だがゲーセンブームが終焉したために流行を逃した感じがある。
「釣りバカ大将」は孤島で海水を天日干しして料理したりクエ釣りネッシー釣りにチャレンジしたりサバイバルに意欲があった作品である。
講談社「週刊少年マガジン」では「釣りキチ三平」が大人気で、すぐにワイド版も発売された。
この頃は小学館「週刊少年サンデー」で「うる星やつら」のワイド版もすぐに発売された。
秋田書店のマンガも「バビル二世」など大人気マンガなどがワイド版で発売された。
「別冊コロコロコミック」は集英社の「少年週刊ジャンプ」と同じ大きさ。
当時は「ゴシラ」シリーズなど迫力がある内容のマンガの連載などが掲載されてた。
他の雑誌だと「あさりちゃん」「パンクポンク」「おじゃマクラ」だと発売されたコミックスの巻数が凄い多いですが。
「あさりちゃん」もコミックスの収録では収まらない雑誌形態の冊子で西洋のファンタジーををモデルにしたスペシャルマンガが発売されてた。
ティーンコミック第8号「あさりちゃん」小学館850円昭和58年4月19日発行。同時連載は他の作家の「うわさの姫子」
コミツクチュチュNo.1(夏の号)「あさりちゃん大特集」小学館320円。昭和60年8月13日発行。他の作家の連載7本立て。
後に手塚治虫のマンガ作品の再販やハードカバー愛蔵版が発売された。
「週刊少年ジャンプ」の各種マンガ作品も寺沢武一「コブラ」から桂正和「夢戦士ウイングマン」までハードカバー愛蔵版で発売された。
「KC」から「ワイド版」そして「ハードカバー愛蔵版」と再発売されたコミックスの経緯はアニメの人気とは違った側面で需要を満たしていた。
朝日ソノラマが石ノ森章太郎の特撮原作のマンガ作品と大都社が永井豪のロボットマンガ作品を再販。
後に2社は無くなったが。
「テレビマガジン」などはどちらかが世代にとっては分かりやすい内容であった。
「小学○年生」などはメジャーな作品が無かったことと書店での売り場が限られてるため衰退した。

当時はアニメ雑誌の広告で有名な神奈川県横浜「アニメイト」は父親と一緒に行ったことがある。
東京八王子「まんが王」などが専門店。「まんが王」はマンガだけではない品揃えだった。当時の大型書店は・・・もっと広かったので現在の鉄生堂書店とは違うかな、現在は閉店。古本屋も数件あった。くまざわ書店は有名らしいが。
後の「八王子そごう」の閉店とともに需要は無くなったが。
「八王子そごう」では父親とサイコロステーキとパフェとスパゲティを食べるのが楽しみだったが。
グリルのフライパンの取っ手が分離式でフライパンごとテーブルに出された。
ブルーハワイはカクテルなので子供には飲めないと説明を受けた。
府中か張布あたりに同人誌専門店もあったがアニメグッズは無かった。
当時の高幡駅のそばの啓文堂書店は1階フロアと2階フロアがあったが現在は2階フロアのみ。周辺の書店と古本屋は現在は閉店。
当時は父親と高幡駅前の「ミスターラーメン」で「うま煮ラーメン」を食べたが美味いが鼻水出るのでラーメンそのものが苦手。

素人はセル画は価値が高いと思ってしまうがアニメシーンの一部なので実際に見てしまうと何のシーンが分からず購買意欲が薄れてしまう商品であった。

ポスターなら画集の一部のようなオリジナル原画からの制作されたものか。
アニメのシーンの一部かでかなり価値が異なる。
各種ロボット物の特撮やアニメは、
大手玩具メーカーだったポピー製品のジャンボマシンダーという、
80cmほどの塩化ビニール製フィギュアが各種発売されていたが、
1980年代にはアンティークショップで2万円台の販売価格で扱われていた。
東京下北沢には「スチャラカ商店」』(後に「オムライス」に改名したと言う話がある)他の地域では「バットマン」など
ホビー雑誌「ホビージャパン」で広告が掲載されていて3件のアンティークショップがあった。
当時は「マジンガーZ」のガレージキットが巻頭特集。

フリーマーケットのガラクタ市・骨董市でも年代物のアニメグッズは多いが玩具のアンティークの価格はしっかりしてるので安くしてもらうのは難しい場合がある。

キティアニメーションフィルムは「ムービック」通販部門があり、「うる星やつら」の作品を軸にポスター、CD、テレフォンカードなどのグッズが充実していた。
会報は「MOVEMENT(ムーヴメント)」で「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」「YAWARA」など。こちらでは入会時期が「うる星やつら」「めぞん一刻」を除く「らんま1/2」「YAWARA」の頃だったが。

当時、「日本電信電話公社、略称・電電公社」後の「NTT」がテレフォンカードを公共で使用できるようにしたのは多くの玩具メーカーにとっても吉報であったといえるのではないだろうか。

初期の頃はフィギュア化されるものは女性キャラクターやロボットキャラクターのフィギュアが大半。
ただし造型師のものはオリジナルが大半でメタルフィギュアまで。
「うる星やつら」なら、ラム、しのぶ、お雪、弁天、さくら、ラン。などの女性キャラクターのみが製品化。男性キャラクターは製品化されない傾向であったが。
ガレージキットの時代になると「北斗の拳」と「ドラゴンボール」が男性キャラクターが多い人気作品であったのでガレージキットで製品化されていた傾向であった。
「夢戦士ウイングマン」と「きまぐれオレンジロード」も女性キャラクターが多い作品だったが。
ただしガレージキットの組み立て方と処理と塗装は、プラモデル仕込みの腕前では完成させるのは難しい製品であったので挫折した人も多いと思う。
1970年代から1980年代まで最初から塗装済みなのはポピー社製の超合金とソフビ人形くらいであった。
後にデザインが正確で、塗装済み完成品、可能可能なバンダイ社製「ハイコンプリートモデル」が発売され、
UFOキャッチャーで完成品フィギュアが流行してから組み立てモデルは需要が低下した。


模型店やホビー店の流動性は新発売の玩具こそが年譜。同時期には女の子向けの「ファンシーショップ」が開店していたがアニメ作品のグッズは扱ってなかった。
まず模型店やホビー店は店長と世間話が出来る交流の場でもあった。
模型店とホビー店ではポスターは販売されてないのでアニメ専門店を個別に利用。
「ぬいぐるみ」は模型店とホビー店では扱ってない。なんらかのギミックがある品物なら扱っていた。
子供向けのお店でもそれだけ扱ってる製品が異なる。
当時、こちらが利用していたのは「ジュピター模型」、「はっぴーべる」、「KOストアの?階」、大抵はテナントの社長がオーナーでが2店舗の経営。北野駅前「KOストア」の?階、他の模型店、
「ムラウチ」、父親と一緒に「家具のムラウチ」を尋ねたが「家具のムラウチ」ではなかったというオチが発生したが、CDやプラモデルの別館の品物の充実さには目を見張るものがあった。
CDを扱ってる館ではレコードの発売が終わりアニメのシングルCDが発売されていた時期。通常はアニソンCDとして複数の作品が収録されてしまうものが多いが。
神奈川県横浜のアニメイトは駅前にあり父親と一緒に行ったことがある。見学だけで買う物は無かったが。
現在はそれらのお店は無いが。
広告でのホビーショップは「イエローサブマリン」などがメジャーであるが。
「プラモのモ子ちゃん」はプラモデル制作のガイドブックが数種類発売されていた。普通は田宮模型のプラモデルに無料で1枚封入されていたものが最初である。
当初はタミヤカラー、パテ、エポキシパテ、ヤスリ、サンドペーパー、ジオラマ用カラーサンド、半田ごて、など製作用工具まで。製作用工具は作品とコラボした経緯はなかった様子である。
張り合わせの溝の部分まで埋めておかないと完成度について店長に指摘されるものであったが。
お店のショーウインドウにプラモデルなどを飾ってしまうと、閉店する頃には先に誰かに取られてしまっていて無かったりするので、製作者の明記などを貼っておく等するようにしておく注意が必要であるが。
ガンダムのプラモデル、略称ガンプラの人気が終わると模型店が1984年頃に閉店。限定モデル「ゾゴッグ」ジュアッグ「アッグ」「アッグガイ」などが最後。
「超時空要塞マクロス」のプラモデルは大型であり敵モデルの戦艦プラモデルは売れない場合は看板の代用。
コードと電池を使用したマイコン・リモコンでのタミヤ模型の戦車が主流。
飾り物の動かない戦車よりは人気があった。
ラジオコントロールという略称ラジコンは個人経営の1階フロアのみの模型店では販売されてなかった。
主に大型ストアが兼ねてる別館の2階フロアまで有してる模型店のみである。
その場合はガレージキットも豊富な品揃え。他の大型プラモデルでは「名城シリーズ」「鎧シリーズ」などがある。
当時はタミヤ模型が提供していたテレビ番組「RCカーグランプリ」を有してたほどである。
メーカーは「タミヤ模型」「京商」「NIKKO」「東京マルイ」などだが。カタログ販売が先行していたのは「タミヤ模型」と「京商」の2社で製品も2社。「NIKKO」がその後。
「タミヤ模型」と「京商」の2社のラジコンは一式の販売ではなくて、車種、グリップ、部品用オイル。充電バッテリー、充電アダプターと数点ごとの個別価格で販売されていた。
「タミヤ模型」はバギー型の「ホッパー」「ホーネット」
「京商」はヘリコプターやバイク。
テレビシリーズ「エアーフルフ」が流行したのがヘリコプターのラジコンはさすがに道路の使用では見かけないが。
ヘリコプターと戦車のラジコンはガソリンを使用するので子供にはガソリンまで購入できない扱えないという難点があった。
当時「NIKKO」は「トランザム」が最後のモデル。運良くテレビシリーズ「ナイトライダー」が流行したので渡りに船であっただろう。
「NIKKO」は一式のセット。
ホビー店はスーバーのテナントや系列の店舗。
ガンプラで「ZZフルアーマー」など。「ダーティーペア」フィギュア。ただしリカちゃん人形の作り。
「チョロQ」が登場し数百円数十ページ未満の専門誌も発売されてファンクラブ制度も整っていた。
「任天堂 ゲームウォッチ」が登場。
「任天堂 ファミリーコンピュータ」通称ファミコンが登場。
ファミコンのROMカセットとディスクは殆どのお店で委託の中古販売も可能だった。500円でどうですか?と客だが他の客にその場で叩き売りで売り飛ばしたこともあるが。
ウルトラマンなどのソフトビニール人形は雑多な怪獣ものだけが売れ残り。
「キン肉マン」シリーズはプラモデルの中にゴムが通せる仕組みで間接部分が柔軟であった。
「Dr.スランプ アラレちゃん」は「キャラメルマン2号」まで製品化が充実していた。原作漫画版では「キャラメルマン3号」が登場。のちにドクターマシリト博士が自分を改造してキャラメルマンにしてしまうが。
再販プラモデルは「ゲッターロボ」、「勇者ライディーン」など。「ミクロマン」の遺跡シリーズが最後に流行していた頃までである。
モデルガン−エアガンまたは空気銃。ただしホビーの品物の仲では高価なので「Gun」などの専門雑誌も購入すると大変である。
超合金が量産されたが売れ残りも「装甲騎兵ボトムス」の超合金や「太陽の牙ダグラム」のデュアルモデルが最後。
後にはR2-D2型の等身大の簡易型家庭用ロボットが販売されるが、マイコンの発展型。


テレビ版を再編集した劇場版はパンフレットもあったが、テレビ版と同じなら映画館まで行ってお金を払うなんてことは相手にせず。
次々と量産されていた新作アニメが目立った。

バトルばかり多用する内容が人気作品となりOVAなどは廃れた感じがします。
このままではアニメの将来は格闘技を観戦する観客に成り果ててしまうのでしょうか。


アニメの主題歌は人気。
関連商品としてもケタ違いの売り上げ。
ベテランの作曲家と作詞家がコツを心得てる。
アニメではファンタジーのジャンルだからこそ都合が良い。

実写映画の主題歌は人気が無い。
映画にはエンディングに主題歌が扱えるという都合で宛がってるだけで、大人気の作曲家と作詞家と歌手も起用せず大ヒットするような歌や曲ではない場合も多い。
ホラー映画に主題歌があっても殆ど相手にしてないという結果。
実写映画でファンタジーのジャンルだと日本では製作本数が少ない。


余談ですが、
昔の雪印乳業のアイスクリームボックスでは「トムとジェリー」のゴム製フィギュアが封入で扱われてました。
昔のエスキモーのアイスクリームボックスでは「スマーフ」のゴム製フィギュアが封入で扱われてました。
ヤクルトでは「ヤクルト ミルミル」のゴム製ミルミルフィギュアが扱われてました。クラスメイトの母親がヤクルトレディの販売者をしていたので当時は確認できましたが。

戻る