コレヒドール島
Corregidor Island
マニラから高速船で約1時間、マニラ湾の入り口の島です。戦略上重要な島で、外に、カバリョ島、エルフライレ島、カラバオ島の4島セットで運用されていた。
このページでは、この島の建設から砲弾輸送、物資輸送、住民輸送に重要な役割を果たした鉄道を中心に紹介します。
参考にした資料 SUN CRUISES.INC.パンフレット
C.S.Small著 RAILS TO DOOMSDAY
コレヒドール島太平洋戦争記念館
@ノース・ドッグ
高速船の着く波止場
ノース・マイン波止場
2002年8月 |
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@ノース・ドッグ
この左が高速船の船着場、右が下のボトムサイド駅。
波止場の中央の線がY型に分岐し波止場の外周の複線に合流する
2002年8月 |
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@ノース・ドッグ
上の写真の右側、ここがボトムサイド駅の跡
2002年8月 |
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Aローチャ波止場
マッカーサーの銅像の後ろの波止場。段々壊れて短くなる。
2002年4月 |
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Bマリンタ トンネル東口
トンネル内には、複線の線路が、当時のまま残ってる。
2002年8月 |
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Cトンネル内
逆光で良く分りませんが、複線の線路が通ってる。
2002年8月 |
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Dマリンタトンネル西口
こちらも東口同様線路は、埋められて少しだけ見えます。
2002年8月 |
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Eホテル横の立体交差
右側のマリンタトンネルから下って来た線は、立体交差の上を通り左側のホテル裏へ向かう。更に進むとミドルサイドを経由しトップサイドに向かう。
2002年8月 |
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Fホテル横の立体交差
上の立体交差を、教会側から見る。左が教会、右がホテルの丘。右側に線路が通ってた筈だがその痕跡は無い。写真を写してる道路は、ノースドッグとサウスドッグを結ぶ線が通っていた。
2002年8月 |
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Gホテルの裏
上の写真の右側。マリンタ・ジャンクション駅跡真っ直ぐ行くと上の立体交差の上を走りマリンタトンネル、左に曲がるとノース・ドッグ、後ろはミドルサイド経由、トップサイド方面
2002年8月 |
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Hサウスドッグ
ホテルの裏手の波止場
食後直ぐここに向かい線路を探す。複線の線路が、通ってたがコンクリで埋められた様だ
ここから上の立体交差を通りノースドッグに線路が延びてた。
2002年8月 |
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Iサウスドッグの駅跡
路面電車の駅跡を見付けた。ホテル裏から10分位歩いた所。
2002年8月 |
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J発電所
下の石炭波止場の近くに有る。建物の屋上に土を入れた為木に覆われてる。
2002年8月 |
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K石炭波止場
正式にはエンジニア波止場。戦前は波止場の先端に石炭のホッパーが有った。
2002年8月 |
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L石垣
ノースドッグと石炭波止場の中間の位置、右の石垣の上に線路が有った筈だが完全に埋まってる。
2002年8月 |
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ノースドッグ全景
上から石炭波止場、その左に発電所、中央が高速船が発着するノースマイン波止場、右下がローチャ波止場。
太平洋戦争記念館の展示写真
1937年 |
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ウエイ砲台
肝心の砲台が写ってませんが線路中心なのでお許しを。
左の建物は砲弾庫。鉄道で運ばれた砲弾が貯蔵される。
2002年8月 |
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太平洋戦争記念館近くの駅跡
路面電車の終点です。
2002年8月 |
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観光バス
日本のメーカー製
島内を縦横無尽に走ってた路面電車を模してる。路面電車の写真は博物館の有ります。
2002年8月 |
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路面電車
アメリカ ブリル製
丘を下ってミドルサイド駅に近ずく62号電車
このタイプは61−64まで4両存在した。
太平洋戦争記念館の展示写真
1937年 |
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蒸気機関車
アメリカ ポーター製の0−4−0 亀の子
基地の建設中、この機関車がコレヒドール島に3輌、カバリョ島に1輌、カラバウ島に1輌配置されてたらしい。
写真は中国製の模型でライトと煙突の型が少し違う。 |
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カバリョ島
コレヒドール島に近い島、ここにも勿論線路は有った。勾配の強い地下のトンネルで貨車はケーブルで上下する。現在フィリピン海軍の管理地で立ち入り禁止です。
2002年8月 |
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エルフライレ島
貨物船の上の小さな島
砲台だけの島
写真caviteさん |
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カラバオ島
この島も鉄道が使われていた。
良く分らない写真ですが、ペルトアズールの近くなのでちゃんとした写真を写す機会があるでしょう。
2002年8月 |
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