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営業案内  アロエルート   表示価格はすべて税込み価格です

 店舗  郵便番号:146-0082 大田区池上4−26−11 

      電話番号  03-5700-4811 

          営業時間 月曜日〜土曜日  10:00〜17:30  

          年末年始の営業は決まり次第ご案内します。

          台風、雪の日は休業することがありますのでお電話にてご確認下さい。

           詳細地図

    ホームページ→http://www2.ttcn.ne.jp/aloeroot/

 

事業所  郵便番号:216-0002 川崎市宮前区       

       E−メール :aaloeroot@mx9.ttcn.ne.jp 

 

              責任者  山田


店舗経歴

昭和54年2月  南伊豆アロエセンター・アロエクラブ設立、通信販売開始。

昭和57年3月  南伊豆アロエセンター・東京営業所設立。

昭和63年4月  南伊豆アロエセンター・委託業務引き受け開始。

平成 3年4月  個人商店アロエルート池上5丁目に開店、小売業、卸売り業開始。

平成 4年4月  自社ブランド”D.ALOEシリーズ”販売開始。

平成16年4月  個人商店アロエルート池上3丁目に移転。小売業、卸売り、通信販売、ワゴン販売
          
平成18年9月  
個人商店アロエルート池上4丁目に移転。


取り扱い商品メーカー名

(株)フタバ化学  (株)南伊豆アロエセンター (株)東京アロエ (株)アマン

(株)サンエイコスメティック (株)太陽油脂 (株)デイハンズ 樺善 潟Rーヨー化成


店長からのメッセージ

東京都大田区池上にお店を開設しています。駅から3分と便利な場所です。

今後も皆様の健康と美容に少しでもお役に立てるよう良品を格安にご提供致します。

是非一度ご来店下さいますようお願い申し上げます。

 以下の方法で当店商品を手に入れることが出来ます。

@アロエルート池上店にご来店される。

A電話03-5700-4811で注文する。(10000円以上送料無料)

Bホームページから申し込む。*ご購入案内ページ

今後とも変わらぬお引き立ての程お願い申し上げます。

当店の基本姿勢は まがいひん、もどきひんは許さない。(このてが多いんです)本当にいい商品、

アロエの良さを実感できる本物を皆様に提供する。人と人とのふれあいを商売以上に大切にする。

このモットーで開店以来毎日頑張っています。 口ベタのぶん、商品がカバーしてくれています。

いつかお付き合いできることを楽しみにしています。

クリックでホームページへ

これから先は読まなくて結構です。

店長のプロフィール

最終学歴: 総理大臣安倍さんと同じ学園。まったく意味ないけど。
趣味:    超いろいろ!おいおい述べていきます。
好きな歌手: フレディーマーキュリー 最高です。当然すべての曲は持っていますし、
     ビデオや書籍(イギリスから取り寄せ)   も。ハイランダー、フラッシュのBGM
     もクィーンが担当してるんですよ。なにがすごいって一曲一曲が完璧なんです。
     私生活は認めませんが、彼の作曲に対する熱情は右に出る者はいないでしょう。
好きな曲: 「アドロ(演奏)」、「帰り来ぬ青春」「G線上のアリア」「リリーマルレーヌ」
好きな花: カサブランカ:香りも花言葉もすごい!「雄大な愛」。
好きな指揮者: フェルベルト・フォン・カラヤン
好きな食べ物:みなみまぐろの大トロ、ロブスター
普段の昼食:ラーメン、コンビニ弁当。おおこのギャプ!
愛読書: カールセーガン著「コスモス」 もう十回は読んでいますね。宇宙の神秘を分
    かりやすく解説されてます。どうして、昔の人は星を見て宇宙構造を理解したのか?
    彼の人間味あふれる文体で時代をおって説明されてます。彼の訃報を悲しく聞きま    
    した。何処か宇宙の彼方を旅している事でしょうね。
感激した本: シェイクスピアの「ハムレット」、英語の古文なので難解ですが短い会話の
    中に二重の意味が含まれていたりしてものすごく奥深い脚本です。
感激の絵
感動の映画: チャップリンの「街の灯」、チャールトンヘストン主演「ベンハー」、「偉大な
    生涯の物語」、「フォレスト  ガンプ」
SETI: 地球外生物探査活動に参加してます。これもカールセーガンの影響!
    PCの余力を利用し宇宙から飛んでくるすべての電波を解析し、知的生物が発し    
    た電波を探しています。
長所: 父の「人の気持ちを思いやる心」、母の「清廉潔白な性格」を引き継いでいるような    
    気がします。
短所: 長所の裏返しか?少しスケベ。(これは遺伝に関係なし。)
自分とは: なんだろー。毎日考えています。
思想: 輪廻転生。現世で徳を積むことにより魂はレベルアップして再生すると。
特異体質: 霊感強し(経験談は信じない方が多いと思われるので遠慮します。)
気質:気に入ったものはとことん大切にする。スピーカーならJBL,フィリップス。車ならフォ    
   ードのプローブ(フォルムがグー、市街地ではおとなしいスポーティーカー、でも高    
   速に入ると巡航180Kで走行できます。残念ながら国内ではもう販売していません。)
好きな季節:秋がなければ殺伐として心に潤いをもてない。人に優しく微笑んでくれる。で    
   も四季の中で短すぎますね。一年中、身近に感じられたらこんな幸せはありませんね。
過去の部活:(中学)写真部:しゃれた学校でクラブ作ったら暗室、機材みな用意してくれ    
   た。(高校)園芸部:入部動機  は、温室が中庭にありタバコを吸えたから。(大学)    
   地理研究部:活動を一切しなっかた最悪部員。友人と会ったり、荷物の受け渡し場    
   所として活用。
卒論:セオドール.ドライザーの「アメリカの悲劇」:人生、恋愛、宗教、死など題材に事欠か
    なかった。原稿用紙400枚、調査に半年、3日で書き上げました。
: いろいろあります。まず第一に、誰からも、いつまでも愛されるアロエ製品を開発する
   こと。人間的にも同じことが  言えますが。製作はそれ程難しいとは思わないけれど
   も(構想は出来上がってますが)開発費用がネックです。第二には---美しい島。紺碧
   の海、白い珊瑚に囲まれた島、日がな一日中寝そべっていたい。目を瞑り波と小枝の
   囁きを聞く。食べたいときに食べ、したい事をする。こんな理想的な島に行きたい。
趣味:オーディオ
   自転車改造 廃棄された5台位の自転車から10弾変速のスポーティなものを作る。
   
   車 ショクアブソーバを取り替えたり、性能アップの為のものなら何でもつけた。今の
     車はボンネット開けてもイジリようなし。
   釣り  海釣り。この商売前は2年間毎土日、伊豆へ。おとなしい家内の”いい加減に
      したら”の一言でヤメ。
   パズル  数独は一ヶ月ですべてマスター、もう飽きちゃいました。追)まだやってます、本10冊目!
   アロエ収集 ポーチめちゃめちゃで、外壁塗装の時は全部移動で泣きました。
   株  へそまがりな私にはもってこいです

最近思うこと:
糖尿病やガンの方をケアしていますが、ガンの末期の方に会うたびに考えてしまいます。頭髪は何度も抜け落ち、

先日は抗がん剤の副作用で足や手が通常の倍くらいに脹れていました。でも気持ちは明るく、”思うように動けなくなり

夫にあたってしまう”と。なんとか腫れを取ってあげたいと思っても医者以上の事は出来そうにありません。

元気づける事しかできない自分の非力さを痛感するばかりでした。(11/26)

夜間、配達をしていますが、受け取る人に二種類のタイプがあることに気がつきました。

”こんな時間に面倒くさいな”と愛想のないタイプ、かたや”ご苦労様、気をつけて帰って下さいね!”と言ってくれるタイプ。

自分は何時でも誰にでも、自然と後者のタイプになるような人間でありたいと思います。(12/10)

クリスマスが近づいています。「愛とは与える喜び」、キリストのように多くの人に心の贈り物を!(12/15)

最近、変わった経験をしています。「デジャヴ」って知ってますか。既視感”以前、こんな状況を経験しているな”と感じる事。
一瞬の事ですが不思議な感覚にとらわれます。心理学者がいろいろ研究していますが、なんらその理由、原因は分かっていません。
私は年二回ほど経験しますが、それはたいした出来事ではありません。
私の場合、ある夢をみたとします。その夢は目が覚めても鮮明に残り”これは将来、デジャヴになる”という強い感覚にとらわれます。
ですからデジャヴが起こると”これから先どのような展開になるか見えるのです”。
例えば、20年以上前、会社員兼通販をしていた頃「自分のお店らしき所の中にバイクを引っ張って仕舞う」夢を見ました。
この時、不思議な感覚にとらわれました。”サラリーマンなのにあの店は何だろう?どうして店の中にバイクを片づけようとしているのか?
普通、バイクは外に置いておくでしょう。”これはデジャヴの先見に間違いないと感覚がとらえました。
そして今年の10月お会式の時にそのデジャヴが起こりました。 人出が多いので、普段使用しているバイクを路上から撤去するよう指示され
店内に仕舞うハメになりました。20年前の先読みした夢が現実になったんです。「おお、あの昔見た夢が現実になった。」とはっきり理解しました。
そして12月14日にまた先読みの夢を見たのです。不思議な夢でした。17歳くらいの女性とめぐり会うシーンです。
白いドレスを着た清楚な令嬢風な女性が応接間でまどろんでいます。 私が近づいていく。二人は以前から認識し合っているのか、
会話を交わさずとも自然と手を取り合う。こんなシーンです。顔も名前までも正確に覚えています。ただ単なる願望が夢になったのだろうか?
普通、夢だと目が覚めた時ほとんど覚えていないのが普通です。決定的なのは「これはデジャヴの先読みである」とあの以前感じたフィーリングを
まさに感じた事です。 願望の夢と片付けないとすると、どうなるのか?その中にはありえない事も存在します。
いろいろ考えるととんでもない結論に到着します。だれも信じられないような事に。まず輪廻転生を信じられるか否かの問題に突き当たります。
私は信じる派です。自分の前世も知っています。出会った数人の方の前世も見た事があります。現世で徳を積む(人に幸福な気持ちをもたせる、
人を幸福にする)ことにより、次の来世で一ランク上の人生を送る。人はよく「この人生に満足しています、 今度生まれてきた時にも同じ人生でいい」と
言いますが現世でそれなりの努力をしなければなりません。出会ったすべての人に生きる喜び、幸福な感覚を自然と提供しなければならないのです。
 この輪廻転生の話を否定する人は多いと思いますがこれぞ真実だと信じています。
デジャヴの先読みが現世であり得ないとすれば来世のデジャヴを見ている可能性があります。魂は自分で導くことが出来ます。
 自堕落になるのも崇高な精神になるのも自分で自分の魂を導くことが出来ます。来世に向かって来世での魂の有り様を導く努力を今からする事も
出来ると思います。夢で見た女性に来世で廻り逢えたとしたら、その時「これはデジャヴだ。前世で見たデジャヴの先読みで知っていた」と言って
誰が信じてくれるだろうか。 デジャヴの特徴は自分の視野から見るので自分の姿が見えないという欠点のようなものがあります。
また、フィーリングで捉えるので会話を含め人種の特定がしにくいという問題を抱えています。相手の年齢は分かってもはて自分は幾つなのか?
廻り逢える機会を事前に知っていれば心の準備が出来るわけですが、そこまで行くにはもっと高いレベルに到達していなければ難しいのでしょう。
「赤い糸で結ばれていたような気がする」「一目会った時に結ばれるような気がした」「第六感でこの人と感じた」等、 前世の記憶をほとんど失っていても、
魂のどこかほんの一部に残り香が存在しているケースもあるはず。現代医学的に考えれば、死とは生命維持機能の停止、肉体の消失でEND!
見えない魂の存在など物理的にも調べようがないので研究しようがない。ということで、過去の不思議な経験体験談などはオカルトのジャンルに
なってしまっています。でも、近代文明の歴史のなんと浅いこと。いつかこの不思議な魂の働きも解明されるかもしれません。
多分、不可能でしょうが。そして時は過ぎ、私の魂は自由に大空を飛翔し、デジャヴを楽しんでいることでしょう。

魂の解釈はヒンドゥー教、大乗仏教、チベット仏教、西洋のスピリチュアルで異なる。仏教系では精神、西洋系では感情と本質が違う。
輪廻転生や転生のクラス分けも異なる。仏教の六道では少なすぎる。人間でのレベルも一つではなく、虹のように無段階的に多種のレベルがあると
考えています。精神は頭脳でコントロールできるが、魂はコントロールできないのだから感情、感性の源、根源と考える方が正しいと思っています。
チベット仏教のダライラマの生まれ変わりの伝統的儀式にはとても興味を持っています。これを証明できれば魂に関する人々の認識がまったく
変わってしまうでしょうね。 前世から現世、そして来世へと魂の移り変わりを人間は記憶の一部として受け継がれていく事をどうしたら証明できるであろうか?
人は落雷の音や地震を経験する時、えもいえぬ恐怖感を感じる事があります。太古の時代より落雷、地震の時大きなカタストロフィを経験し、
この現象は人間にとって危険であると遺伝子に記憶され、魂の奥深くに刻み込まれていると考えられています。逆に焚き火に当たり、
うとうとまどろむ心地よい安心感覚もやはり過去からの経験によるものでしょう。いいですか、こんな太古からの記憶が刻み込まれているとすれば
ちょっと前の前世の事を100%忘れ切っているはずがありません。どれほど強烈に感情を揺り動かしたか、 どれほど強烈に思い出に残したいと感じたか
によると思います。
魂のレベルを自覚するには何に感じて興味を沸き起こすかによると思います。例えば、小石のあるジャリ道に虫の死骸、一円玉、小さい花があり、
向こうから犬が歩いて来たとします。転ばないよう小石ばかりが気になって歩く人、何の虫だろう気持ち悪いとすぎる人、おっ、金だ得したと思う人、
綺麗な花が咲いていると感じる人、犬が怖いと恐怖を感じながら避けて通る人、心配事を考えながら眼中になく通り過ぎる人とまちまちであろう。
まあこれは極端な例ですが、同じ場所でも人の感じようは千差万別である。ですから一人の人を見た時、その感じ方も人それぞれ異なる。
その人物の悪い面ばかりが見えてしまう人、悪い面をわざわざ探したくなる人、良い面を理解しようとする人、判断できない人とまちまちだろう。 
つまらない事に興味を持つ、人を悪く見る程レベルが低い。 普段のなにげない言語行動が常識はずれな人、人を不愉快にしたり、不幸にする人、
自分の欲望の為には人殺しも厭わない人等レベルは餓鬼まで下がって行く。逆に最上級はヨハネ、モーゼ、マリア、仏陀、イエスキリストへと登りつめる。
この最上クラスになると魂は自然と輝きだし、人間の目からは後光,光輪のように見える。絵画や仏像等に描かれたりしているのは誇張ではなく
そう見えたからです。ただ一つ注意しなくてはならないのはそうしたくなる感情、衝動と実際の行動が異なる事です。 精神が行動をコントロールしている
のだから、魂が感じて行いたいと思う事を精神が制御することはままあることです。ですから、ある行動が感情からのものか精神からのものか
判断しなければなりません。この判断は難しそうに見えて実際はちょっとした観察眼を持っていれば意外と簡単なものです。最初のアクションに表れます。
例えば、財布を拾った時なにか期待してしまうか、落とした人の困った気持ちを感じるかその顔の表情はすぐ分かります。また、突然ある人物の前に
顔を出すとその人物が自分をどう感じているかすぐ分かるものです。人は事前に合う予定があれば心で準備し応対方法を考えていますから本心は
つかみにくいのです。
さてそれでは自分自身のレベルはどの程度か?最上でもなければ最低でもない。普通のレベルです。この文章を書いている事こそレベルの低さを
意味しています。もっとレベルが高ければ、何気ないことを書いても読む人の魂を揺り動かせるはずです。こんな文章書くことは意味がないととっくに
理解しているはずですから。かと言って、人を羨んだり、憎んだり、陥れようと思ったりしない。人を苦しめたり殺したりの欲望のレベルではない。
非常にかよわく、かぼそく、寂しがりやの魂だと思う。ですから、自分のレベルより若干上の魂に出会うとすごく近づきたくなる。
魂はふらふら浮き上がり相手の魂にじゃれつくようになでまわし、遊んでくれるか打診するんです。触れ合いを求めて止まないデリケートな宿命の魂です。
 ちょとした事で喜び、ちょっとした事で打ちひしがれる単純な魂でもあります。でも、過去の経験から、私の悩んだ時、困った時にどういうわけか
助け舟が現れます。周りの人には周知の事実です。そこで分かった事は、少し上の魂は少し下の魂が苦しんだり悲しんでいる時助けてくれるという事です。
とんでもないところから、とんでもない人がヘルプしてくれる事もありました。この人たちの事を肝に銘じるとともに自分の成すべき事を自覚した次第です。

最近、秋川雅史の「千の風になって」という歌がヒットしているそうです。外国の作者不詳の詩に新井満氏が日本語訳、作曲したものです。
この曲の異色な所は死んだ魂が語りかける歌であることでしょう。東西の死生観の一端を垣間見えおもしろく感じました。「お墓にはいません」。
以前、お寺の和尚さんに尋ねたところ「人間死んだら49日間かけて魂を浄化し成仏する。墓には魂はありません」と説明してくれました。
「千の風になって」、「光になって」「鳥になって」「星になって」の部分に若干の違和感をもったので原語を見てみると理由がわかりました。
原語では「なって」の部分は「 I am 」です。「なって」というより「なんです」のほうがより意味が深くなり、正しく伝わるような気がします。例えば、
「冬はダイヤのようにきらめく雪になる」より「雪のダイヤのように輝く光なんです」の方が普遍的な表現になる。
「なって」だとそれ以外の時は何?という疑問がわくけど、「なんです」だと「光であり、鳥であり、星でありとオールマイティである原語の意味が
伝わると思います。この歌により多くの人の悲しみが救われれば素晴らしい事だと思います。

パイオニア10号を知ってます?1972年3月に打ち上げられた惑星探査機です。カールセーガンも積極的に参加したこのプロジェクトは地球外の
生命体に太陽系地球に文明を持った人間が存在するという事を知らせようという尊大なものです。1983年、木星をはじめとする惑星の写真撮影の成功後、
冥王星の軌道を通過しました。現在、140億キロ離れた所を通過中です。2003年1月に通信は途絶えました。次に出会う星はアルデバラン星です。
そこにたどり着くのはなんと160万年後です。ものすごい時間と距離。完全な孤独の旅。無事に着いたとしても、連絡方法はなし。
地球上に人類がいるかどうかも分かりません。機械だからこそ為せる技。 たとえ意思、感情がないにしろ応援せずにいられません。パイオニアご苦労さん。
人類の夢を乗せ長い孤独の旅、がんばれ!

一枚の絵(グスタフ・クリムトの接吻):構図がへん。寝ているのか膝まづいているのか
 はっきり分からない。崖淵とのことだが、崖だか何だか分からずへたくそ。
 金箔の衣装だか寝具だかありえない。女性のかっこうが不自然で寸法が合わない。
 衣類らしきものに描かれている黒と白の模様、花をイメージした柄が稚拙。
 こんな感じに受け取っていたのでクリムトにはまったく興味ありませんでした。
 でもある日、突然見方が変わりました。人を愛するという事を描きたいと思った画家
 なら、究極行き着く先はこの「接吻」にあると確信を持ちました。
 クリムトと恋人であったエミリーエを描いているそうです。
 人間の最高の幸せの瞬間、この時以外ないでしょう。女性の表情が幸せで満たされている。
 女性が幸せなら男性も幸せ。この瞬間の前でも後でもない。
 画家が一枚の絵を描く時、その一場面の中にいろいろなイメージが組み込まれている
 はずです。それがなければただの写真でよいはずです。
 究極の愛する二人にとって、周りの境遇がどのようなものでも関係なく、ただ、愛を確認
 し合うだけがすべてであると。
 自分の過去、なんでもいい、ある一瞬を思い出してみると、一枚の構図になりえない事に
 気が付きました。その前後の事やそこに登場する人物の思い出などいろいろ加味されます。
 一枚の絵も画家のいろいろな思い入れが凝縮されていると思い知らされた次第です。 
 そのような目で見るとクリムトの素晴らしさの一端を理解した気がします。
 レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの微笑みには彼の別の永遠のテーマを感じます。

母の命日に思う
命日の夜、実家に顔を出す。
「ただいまー!こんばんは!」。返事があるはずがない。もう誰も住んでいないのだから。
薄暗い部屋の中に両親の遺影。にっこり微笑みかける二人の笑顔が無言で迎えてくれる。
屈みこみ、「元気?」。死んでしまってるのに変な質問だよな。独り言がでる。おかしいけど
笑えない。耳を澄ませば、在りし日の喧騒が浮かぶ。親父の好きな8ミリ映写会や正月の
兄弟親戚一同の集合時。うるさい位のにぎやかさ。この部屋の壁にすべてが沁み込んでいる。
家庭も人生と同じで生まれ、育ち、ピークをむかえ、そして年を取っていき、終焉なのか。
そう、日曜日の朝は食パン3キンあっても足りないくらいで、おかずなんか取り合いだったね。
3人の無言の会話はあたたかく、心やすまるひと時だ。
そして我に返る。静寂の中で、悲しく、冷たい、くやしい現実が体を包み込む。
誰でも通らなければならない道なんだろうが、こんな道は辛すぎる。
数日前、両親と旅行する話を聞き、その方に「思う存分、両親に甘えていらっしゃい」と言うも、
私の気持ちを理解したか分からない。
「明日の日曜日、学芸会の練習だからお弁当作ってね、のり弁だよ!」
小学6年の時の話。翌朝、「のり弁じゃないじゃん」(神奈川弁らしい)。母は無言で手渡す。
久しぶりの弁当で好きなのり弁が食べられないとは。でも、いざ食べるとオムライスのような
もので、手の込んだ、非常に美味しものだった。悪い事しちゃったな。
帰宅したとき、「おいしかったよ。全部食べたよ!」こう言うのが精一杯だった。
でも、それ以降40年以上、いつか謝らなくてはと気になっていました。なぜなら、その時の
母の悲しそうな顔を忘れる事ができないから。最初にして最後の一回だけの悲しい顔でした。
私はなぜ母にそのような事をしてしまったのか?謝らずにいられませんでした。
母が亡くなる1ヶ月程前の事、二人きりになるチャンスに恵まれました。
私は意を決して言います。「実はね、謝りたい事があるんだけど」。
顛末を話した後、母は「おまえは本当にやさしい子だね。そんな昔の話おぼえていないよ」
母はやさしく微笑んでくれました。
お母さんこそほんとうにやさしいね。僕はしあわせだよと言いたかったけど言えなかった。
でも、言う必要はなかったのです。にぎった手がすべてを伝え合っていたから。
わたしの長い長い苦悶の糸からとき放れた時でした。
その母はもういない。写真の中で微笑むだけ。でも、いまだに私に話しかけてくれる。
二人だけの秘密のはなし。いや、父も傍でうなづきながら聞いている。
「そろそろ帰るね。また来るよ。」鍵を締め、実家を出る。帰りのバイクのみちのり。
街の明かりが何故か目ににじんでよく見えない。雨も降っていないのに。

釈迦の霊泉について
最近、ある人に教えってもらった不思議な泉。世界的に有名なルルドの泉に匹敵する
神秘的な泉水が日本にもあるのですね。場所は群馬県水上温泉の奥にあります。
現代西洋医学で不治の病と宣告された方が大勢訪れるそうです。一抹の希望を持って
訪れる、それこそ神にも縋る心境の方々の心情を思う時、それは感慨深いものでしょう。
末期ガンの人がこの泉の水で治ったケースがままあるとのこと。
はたして、ただ単なる迷信に過ぎないのだろうか。
地下2000メートルから自噴するこの鉱水にはゲルマニュウムをはじめとしてカルシュウム、
マグネシュウム、カリウム等いろいろなミネラルが含まれています。
このような物質が体内でどのように変化しどのような作用をするか正確に分かっていません。
ガンを例に進めます。そもそもガン細胞は体内の免疫機能をくぐりぬけて繁殖します。
なぜくぐりぬけるのか?簡単な言葉で言えば「体内一般細胞と似ている為、免疫細胞が
感知できない」のです。最近の研究で、ガン細胞を42.5度に熱するとガン細胞の形状が変化し、
免疫細胞が感知し、攻撃し撃退するそうです。熱していない別の場所に転移したガンにも
攻撃をし、きれいさっぱり治すそうです。
このことから推測するに、霊泉に含まれるミネラルの1種類か数種類かがガン細胞に作用し、
その形状を変えるのではないか。
形状が変わって免疫細胞が感知できれば治癒の方向に向かう。自己治癒力と言われるもの
だと思います。
傍から観れば信じられない事でしょうが、実際に治っている人がいる事実は隠せません。
その人の体質、ガンの特質、作用する環境等により効果が出る場合とそうでない場合があるのは
やむをえない事でしょう。ですから、食事との取り合わせ、起き掛けの一杯、果物や酢との
混合等、いろいろ試すべきだと思います。「信じるものは救われる」と言いますが、信じる事により
より自己治癒力が高まるものと考えています。

(続)釈迦の霊泉について
日本の各地の名水を調べてみると一概にミネラルが多ければ良い物でもないようです。
ルルドの泉水も釈迦の霊泉もそれほどミネラルが多いわけではないのです。
ミネラルが多ければ多いほど体に良いとすれば「にがり」になります。豆腐を作る時のにがい液
です。とすると、現在の化学分析で解き明かせない成分が入っているのか、イオンの関係か、
はたまたクラスターや波動値に関係してくるのか?各種のミネラルの配合比率なのか?
小生に解明できる可能性はまったくありません。ただ少なくともミネラルは体に絶対必要なもので
あり、体内で作る事は出来ません。不足していれば正常な体質を維持する事は出来ないはずです。
アトピーなどもこのミネラルバランスに起因している可能性が大いにあります。
ミネラルを適度に取り続けることは絶対必要な事です。塩を一例に取り上げれば、精製塩は
単なる塩化ナトリウム、自然塩にはたくさんのミネラルが含まれています。アラジオこそ本物の
塩です。サラサラしてれば良いと思ったら間違いです。ザラザラでかつ値段も手ごろです。
そして健康体の維持ができるのです。釈迦の霊泉の飲み心地のよさにはミネラルの絶妙なバランス
を感じます。体に悪いわけがないと誰でも気が付くはずです。

クリスマスによせて
初めて新約聖書を読んだ時から、もし私があの日、ゴルゴダの丘への道に居たとしたら、
私に何ができたあろうか、何をしたであろうか考えています。今の私でも苦痛に苦しむキリストに対し
何らかのアクションをおこしている事は間違いありません。おこがましいので書くことはできませんが。
でもこの事が、自分の人生に途轍もなく大きな影響を及ぼしていると思います。
現在の生活において、「行動せず後悔するより、正しいと思った時にすぐに行動する」。この思考は
着実に実行しているつもりです。人が困っている時、黙って見過ごす事が出来ません。ここで見過ごす
のであれば、ゴルゴダの道で何も出来なかった事の証になってしますから。
私にとって、「願う」と「祈る」では雲泥の差があります。「願う」は願望であり日頃、良く思います。
「祈る」とは、神の前にひざまづき、自分を曝け出し、願いを乞う事だと思っています。神に自分の
ありのままを曝け出す事の重みを感じざるをえません。
HOLY NIGHT  たとえキリスト教信者でなくとも 「人を愛する」、「人に愛を」、「すべてを愛す」
「すべてを許す」事など、静かに考えてみる日かもしれませんね。

動物と植物
その最大の違いは動くか動かないかということ。(酸素の排出と吸収は別にして。)
人間を含め動物も植物もたいして違いがないのではないか。
人間は進化の最高峰で最も優れていると思われている。
でも、本当だろうか?
食物連鎖の頂点。最も優れた知能。地球の征服者。こんなふうに思うのは人間の幻想では。
ウイルスやエイズ、マラリヤなどの微小の細菌には勝てず、親子、兄弟で殺し合う事件も
日常茶飯事に起こっている。化石燃料の消費で地球環境の破壊も行っている。
こんな状況で下等動物と思われている恐竜が謳歌した2億年を人間は生き抜くことが出来る
のであろうか。
本当に優れた生き物とはその種をいかに長く存続させるかであれば、とてもではないが人間が
最高の生き物とは言えまい。
大きいものではくじら、小さいものではバクテリアなど現在でも遥かに長生きしている種がいる。
そして、植物。動物より遥かに長生きする種はいくらでも存在する。
植物は動いていないようで、環境に適した場所に移動している。長い歴史の中で山火事や
嵐、気候変動に適切に対処し生き永らえている。一本の木は枯れても種族としては存続している。
短期的に見れば確かに動いてはいないが、長い目で見ると種として移動している。
アカシヤやキャベツなどは火事や害虫の情報を仲間に伝達している事が最近分かってきた。
アルコールやアルデヒド、テルペン類の揮発性化学物質で会話をしているのだ。
種の生命の維持の方法は遥かに植物のほうが優れている。
人間は種の保存のためにセックスによる増殖する方法を選んだ。植物はどうだ。すごいのは
数種類の方法を持っていることだ。花からたねになり増やす。根が地を這いそこから芽を出す。
茎から新芽を出す。小さい植物の細胞の中に種の保存のためのプログラムが書き込まれていて
その一つでも成功すれば生き永らえる事が出来るのだ。個々の植物を見れば、たねを遠くに
運ぶ手段は千差万別にある。風を利用したり動物にくっついたり、弾き飛んだりといろいろ。
山火事で茎、葉すべてが死んでも根は生き残り、日と水でまた成長を始める。
人間は驕り高ぶることなく真摯に植物の生き方を学ぶべきではないだろうか。
チャールトン・ヘストンの訃報に寄せて
チャールトン・ヘストンが亡くなりました。偉大な俳優の死を悼みます。
新聞記事を読んでいると「偉大な生涯の物語」のヨハネ役で出演したと載っていました。
以前に書きましたが、私が感銘を受けた映画に出ていたとはまったく知りませんでした。
調べてみると、この映画はジョージ・スティーブンスという監督の映画でした。
他の作品に眼を通した時、「陽のあたる場所」の文字が何か気になりました。
この映画は原題「A Place In The Sun」、なんとセオドール・ドライザーの「アメリカの悲劇」
の映画化でした。この「アメリカの悲劇」は小生が数ある小説の中で唯一選んだ卒論の
作品だったのです。分かった時、まったく不思議な気分になりました。
このジョージ・スティーブンスという人物、なぜか私の人生感と波長がピッタリ一致します。
今後、時間があるとき深く調べたいと思っています。

放射線について
福島原発事故はこれから先、長期間にわたって日常生活を悩ませ続けることでしょう。
原発という「悪魔のおもちゃ」を、勝手に安全神話を作り上げて、広めてきた人々は全員
福島に移住すべきだと思っています。今日は別の観点からちょっと見てみたいと思います。
ホットスポット(放射線量が強い場所)が問題になっています。千葉の流山あたりで0.3マイクロ
シーベルトの場所があるそうです。TVニュースによるとイタリアのローマ市内観光地を
調べると0.3と同じようなレベルの放射線量が観測されるそうです。理由は遺跡の岩から
放射されているとのこと。そこでは市民が普通通り生活しガン患者が特別に多いわけだはない。
安全基準の設定がおかしいのか、放射線に微妙な違いがあるのか不明なので安易に結論は
出すべきではないと思う。そしてもっと気になったのが日本で放射線量が著しく多い所、玉川温泉
の話。ここは以前からがん患者さんや、不治の病の方が湯治される所として人気の場所。

ジョージ・カーリンの名言を読みました。
素晴らしいの一言 何故か振るえがきました。お奨めです。

 


 

 

 

 

 

 

 

 


--------------後日つづく。---------------------

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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