映画「ランド・オブ・ザ・デッド」をナタでザックリ切る!
冷めた後から端的評価。
見たいのはこれじゃない。その不満が募り苛立ちに変り結論的に単純な不快感になる。
「ドーン・オブ・ザ・デッド」より評価を下回っている。
本筋のゾンビがこれではしばらく噛り付けない。
あんな人間同士の関係なんか余計退屈なのでどうでもいい。
ゲームみたいな演出や殺し合いは退屈を誘うが殺人鬼に見える程度ではゾンビのルックスも落ちた物だ。
初めはイケるが、後から駄目な要素でこういうのは受け付けられない。
3回見て余所見してしまうほど興味がなくなる。味が無い。
近未来SFなら放電兵器くらいないと面白くない。未だに楽をしているようなシチュエーションで銃撃戦をするのは飽きる。
ドラマの描き方についてはTVMより水準が低い。ゾンビすっぽかしたドラマのこの部分が一番退屈になる。
登場人物についてはどうでもいいゴミである。
悪役であるカウフマンは噛じられて無難に爆死。デニス・ポッパーに酒というブラックユーモアもある。
設定上は、所詮は小物で食われる価値も無い安楽死なのだろう。製作側のせめてもの情けをとった容の配慮もあると思う。
存在感と風貌は目の肥やしになる味がある。再度ホラー映画での彼の登場に期待したい。活動がTV中心になる役者が多いからだ。
また彼は再帰を図っているので無粋にしないほうが映画ファンから見ても得策だ。
ただでさえ往年からの俳優は映画界から消え去り、TVの若手役者ばかりが台頭する嘆かわしい風潮がある。ベテランの渋い親父は大事にしよう。
ライリーは物静か過ぎて頼りないヘロヘロ。名場面も無いので特に語る事も無い。
チャーリーは顔面火傷でライリーとの関係を説明。小男を撃ち殺し、ゾンビから護るボディガードにしてもみんな装甲車に乗るのでミス設定のキャラクター。
スラックは金網デスマッチで活躍場面を態々用意させてもらった感じでいけ好かない。
ロッカールームで脱ぐにしても中途半端に鍛えられてる腹筋で腹ブヨブヨをパンダ目になっているメイクで見せられても困る。
特徴が無いなら決まった性格と売春ドラッグスタイルのパンク系統はお断りだ。
アーシア・アルジェントがすっ裸を見せたらキレるよ。と「気になる映画」でコメントを語ったが薄幸の少女ならともかくこういうイケイケなキャラは好かん。
あの金網のシーンの地下バーのようなどこだか分からないのが一番困る。ストリップバーでもあんなセコイ場所は無い。
人間VSゾンビの戦いを楽しんでいる観衆がゾンビ映画のマニアとして受け取れる進化しても変らない娯楽の構図。
チョロ役についてだけ特筆してマシだがジョン・レグイザモがジョニー・デップに見えてしまうイケ好かなさもある。
噛まれて死んでおく価値も無いのが生き残っているだけ。
サモア人は登場人物達とは人種的に違和感がありすぎて物語上でも不必要極まる。
肉太りに意味が無いならマンホールの穴に落ちて挟まってケツに手突っ込まれて内臓引きずり出されるか頭だけもがれて食われて勝手に死んでおけ。
肝心の食われる連中だけ誰だか分からないギャラリーなのである。
■ロメロのゾンビに見る悪人の特権と開放感と上流階級と貧困層の変な構図
悪人が食われて「ザマミロ」という懲悪の快感が今回は一切無い。
上流階級の大半が食われたか?に留まるラストの分かりづらい微妙な場面しかない。
「もう死んでる」でミサイル一発で昇天。しかもスラム街の下級の市民がその後ろからぞろぞろ出て来るので上流階級の一部を助けた感じだろう。
上流階級のビルに貧困層が集まり上流階級を助ける義理も恩恵もあるわけが無い。普通なら自分達の自衛で精一杯ではないのか?。
ここまでリアリティと過去の色々なゾンビ作品を融合したのにも関らず勘弁してほしい虚脱感に見舞われる。勘違いのカタルシスがある。
ゾンビのリーダー、愉快なビッグ・ダディ。
次々と撃たれる仲間を見て怒り悲しむ。(機能不能になったものは踏んづけて潰しちゃいます)
ゾンビを吊り下げ標的にしている構図で驚く。
マシンガンで刺激を受けて使ってしまう。
そんなものよりこれを使えとばかりに仲間に武器を手渡す。
街明かりが見える場所に復讐に行くため水の中に入ってしまう。(泳ぐシーンは無い)
花火に関心が無くなる。食い気より人間抹殺で一致団結する。(おいおい)
ノロノロした動きで走る事は無い。(ドーンでは走るゾンビを脚本して自分が監督となるとこれですかズルいなぁ)
なぜビッグ・ダディがリーダーに成り得たのか?他のビンビ達は吠える声に目的実行に我に返ったりしリーダーの指導に忠実。
この作品において科学的理論に達する説明描写は一切無い。
ゾンビは悲劇の主人公であり人間は問題の解決をせず殺戮を繰り返し楽園で暮らす傍観者である。
この逆転の発想はファンに求められておらず先を行き過ぎているにしてもショッキングな意味合いを含む。
ランドという意味合いが楽園でも死の舞い降りる島でもあまりピンとこない。これぞ「ゾンビの怒り」という感じがする。
「ゾンビ」「死霊のえじき」のグロ・スプラッターのオマージュ以外に、
「サンゲリア」(水中ゾンビ)「サンゲリア2」(首ゾンビとナタゾンビ)「ゾンビ3」(武器)「ナイトメア・シティ」「ゾンビ4」(マシンガン)「バタリアン」(ミサイル)集大成。
マッドサイエンティストのような狂気の科学要素は無く、オカルトの神秘性も無い。子供ゾンビも無い。エロも無い。
名シーンといえるものがあまり印象に無く惹き付けられる見せ場がそれほど無いので人間ドラマの中に惹き付けられる内容がほしかった。
ゾンビが武器を持って人間を襲うにしてもバイオレンスの描き方はそれほど武器に依存しておらず噛み付くシーンがメイン。
ゾンビは生肉解体業っぽい。スピーディなノンストップのアクション要素はあるが新作ならではのヒマ潰しで孤立感と不気味さが欠如している。
ファン・マニアに受ける従来から依存する要素が足りない事が分かる。
「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」では家に逃げ込み孤立する恐怖。
「ゾンビ」では1人、1人の活躍の場。そこに何かいそうな予感。逃げ込んでどうするかの愚連隊要素の常に危機を脱するサバイバル。
「死霊のえじき」では軍としての規律で頼もしい対ゾンビの部隊とゾンビの習性を科学的に理論付け。安全神話が崩壊し別天地を求める。
前回の要素を引き続き加えてきている。
「ランド・オブ・ザ・デッド」は味も臭みも無い肉のようになってしまった実はスイカの皮である。
バカ騒ぎして楽しむ先入観で見る期待感でなら十分にイケていて通用するが終わりもゾンビが別天地を行く別行動を描き、すっとぼけた中途半端加減。
クソドラマで物語を締めくくっているのでホラーとして見たかったとなるので後々冷めてしまう作品だ。
【悠々自適コラム】の「それホラーですか?」にも書いてあるが、
例えばアマチュアが作るゾンビ作品は「俺達はゾンビ映画が見たい」という高まりがあるからこそなのだろう。「見たいのはそれじゃねぇよ」と。
またこの不満足感からヘンテコな安い作品が出てきそうだが映画にもならず育ちもしない結果に終わる。
サバイバルアドベンチャーを要する性質もないためドキドキワクワクもしない。脱ぎも無いならムラムラもしない(笑)
内臓ばっかしのテンコ盛りでごった煮状態のクリップソースを無駄に作って編集で挿入しているのが困る。
そんなヒマあるならムードを出す特殊効果くらい用意したほうがいい。
どこがどこだか繋がりが分からないのは「ヘル・オブ・ザ・リビングデッド」並だ。
まずゾンビは復活の不気味なムードがあってなんぼ。死霊である要素を感じさせるオカルトに繋がる。
こうなったらルチオ・フルチの作品を思わせるようなゾンビの再来が待ち遠しい。
ジョージ・A・ロメロはこれなら満足なのだろうか?とりあえず寝るか?作り続けるか?。駄作が生まれるのを恐れるか?。
やはり色々な人達が介入してくると名監督の作品も廃れてしまうのだろうか。
イタリアやスペインにメキシコなど含めユーロ方面からもまた再熱してほしい。
薄幸の少女のオカルトとパンツ路線や、色白でけしからん貧乳やラテン系のケツなどヌード有りや筋肉ヒーローの往年の路線でも構わない。
人物に着目する魅力あってなんぼの世界だ。見て感じて楽しむのが映画の娯楽性の満足度だ。
その点、登場人物など物語の描き方にはケチを付け放題だが、ゾンビについてはケチをあまりつけられてないのがランドである。
人物の関係のドラマと別枠でその存在感は放置されている雰囲気なのでもったいない。最終的に2枠1枠2枠の道順ですれ違うに収まった。
安楽を願うのは人間もゾンビも同じか?いや違う。ゾンビは俺達に構わないでくれと言わんばかりだ。
これならまだ侍が落武者の死霊と戦うほうがマシである。
■考える所
上流階級が注文したのはオレンジジュース。
酒は醸造しているエリアが無いので盗品で調達しなければならないため。
注文できたとしても高いだろうから経済破綻している時に私財の無理は出来ない。
クラブでは賭けの景品と思われる肉の缶詰が山のようにある。野菜やパンでも無い限りそのままでは減塩タイプでさえ塩辛い。
畜産をする安全性や何時間もないため人類は常に暇を持て余す。
■映画
これだけ特異な趣向だとロメロが関ったと聞かなければ分からない。監督は現場の監修が仕事。殆どは製作側のチーム担当で事が運ばれる。
困った事にゾンビングサウンドでさえ無いため盛り上がりも違う。TVM慣れの余波を感じ取れる。
得票したいのは山々だが後々に持ち上げられるほど印象に残る味が無い。
不意に現れるゾンビもかなり無理があるが今回だけは妥協依然に無視する。話の路線上とは無関係なので振り返るとあまり面白くも無い事実がある。
人間の肉体もエビの尻尾やカニの足や腕をもぎ取れるほど脆くは無いが妥協するのはそういう所のみ。
背広やワイシャツの糊が利いているのには説明の仕様が無いので困る。
力を入れたゾンビ映画作品も今回だけに終わってしまう雰囲気さえある。
スプラッターシーンだけが要だが物語は決まりきっており、場面の移り変わりが激しく奥深さと緊迫感が無く何度見返しても名作や傑作にもならない。
■トム・サヴィーニ
「ドーン・オブ・ザ・デッド」に引き続き「ランド・オブ・ザ・デッド」にも出演。
メイキャップアーティストの中に彼の名を冠したクレジットは無い。
ベトナム従軍を生かした経験やネクロフィリア考察から来た現実的メイク研究ならではの指導と趣向が伝わっているスタッフが大勢いなくてはならない。
一言言えば意向が伝わるのがメイキャップアーティストの世界。
常に何を求められるか把握している。ボディペインティングと併用してコンテストも多い国柄ならでは。
ゾンビも多彩で怪我をしたものや、部位が壊れかかっているもの、乾燥したもの等、多彩な趣向のマニアのための需要を満たすツボを押さえている。
今回はナタを振るうゾンビ、「サンゲリア2」以来の美味しい役。威圧感で圧倒する凝縮した迫力は中々絶品。
雑草や枝を叩き切る大型のジャングルナイフでは無いのでやや無骨。
彼本人のゾンビ度も怪我や腐敗したものとは違いアイコンタクトで狂気に満ちている風貌。このゾンビに殺されるなら本望だろう。
前面主要のビッグ・ダディ(リーダー)やザ・ブッチャー(解体・生肉業)、アゴの外れた女ゾンビは襲って食うシーンは無い。
食うやつ食われるやつらどうでもいい脇役キャラクターばっかりなのである点が肩透かしを食らう。
またこの近辺は手榴弾を投げ返されて(投げる腕を切られて)兵士が吹っ飛ぶシーンもあるが彼のアイデアだろう。
ゾンビのスプラッターシーンだけで要は保っている。
彼が居なかったらスタッフも怠けて大半のレベルが低下し映画は見所が無く亜流として終わったはず。
墓場から蘇った死者に生きながら食われる恐怖の痛みはアドレナリン分泌で快感へと逃避するのを忘れてはならない。
駄作と割り切っているわけではないが、駄作臭いに留まる。
■同じようで求める物の違い・似ているようで違う持ち味のキレ芸
ここはほぼ同年のお笑いの話題で一例を例えよう。(関係者は見過ごしてね)
「カンニング」の竹山隆範がキレ芸で出て来る。(終始不満をブチまけ続けて満足して収まるキレ芸)
「ダチョウ倶楽部」上島竜兵。(キレて帽子を床に叩き付けオチをつけるマンガにあったかのようなリアクション芸)
キレ芸やめてくんないかな仕事の依頼が少なくなったんだよ。上島・談(切実なのか2度TVで竹山氏からこの話が出る)
実はキレ芸が面白くて笑っているわけではないです。キレ芸そのものに人気はありません。
芸人そのものが業界から飽きられるとすっぽかされます。若手は出演料が安いし新鮮さから無難。若手はTVであまりネタを披露しません。
過去のピン芸人達も大勢消え去った感じなのでまだマシで返り咲きは番組次第の継続性と存在と笑いのアピールですね。
(超豪華珍品料理から志村けんのコント番組までずっと見てますよ)
ゾンビであるが求めるゾンビ映画でないという趣向と同じです。
新作は一時的には新鮮味を味わえますが、後になると深みは無いです。
さらなる継続性で多種多様な物語を生み出す力学が必要となります。”継続性は力なり”と言うのはそういう利点です。
痛快なゾンビ映画は逆に不快である。
ゲームでやりたいと思う事を映画でやっては通用しない。危機感と自衛こそカギ。
批評を論ずる側なら突っ込み甲斐があるのでゾンビ映画が好きでもランドが駄目な人には理論的にも受けない面について理解できる説明にした。
好みは往年のゾンビが好きか、そうで無いかに分かれる部分もあるにせよこの作品の大部分がそうではない。
速い展開や派手なアクションのボリューム映像は若い人向けに満足度足り得るし好まれるだろう。
個人的には退屈を吹き飛ばす活性剤としては良い効果になる物と思う。
これから回帰して求めるとすれば遺跡や孤島の神秘的な舞台やローカルな地域の設定がより好みで背景として求める物です。
軍隊のゾンビを再復活させ凝縮したおどろおどろしいムードでなら海外物より旧日本陸軍憲兵しか無いでしょうね。
どんどんおかわりを持ってきて。味のある美味しいゾンビ映画の追加オーダーお願いします。 |
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