たまには景気の良い話…
新世紀が始まったからといって、日本の景気が急激に好転するわけもなく、ごく一部のやんごとなき方々を除いては、もっともっとお金があればなあ…などと思っていることと推察つかまつる。
わが総督府もご多分にもれず、貧乏ヒマ無しなのであるが、新春企画をかねて、たまには景気の良い話もしたいと云うものである。
そこで「科学画報」大正13年新年号より、以下の文章をご紹介する次第である。(例によって適時改行と仮名遣いの変更を行っている)
日本医学専門学校長医学博士中原徳太郎氏は、(略)「放屁中徳」と云う結構な綽名がついて居た。
それは或る時友人と散歩に行って飯田町を歩いていると、お尻がムヅムヅして来たので、例の通り、屁が出るのだろうと思って、連れの×博士に、「おい、一発やるぞう」と予告して、特別誂らえの大砲を放つつもりで力んだものである。
ところが、天地を震動させる位の超特級の音が出ると思いの他、ぷすりとも云わず只下腹が張って居たのが少し之れで緩やかになった気持ちだけであった。オヤと思い乍ら猶も話しつつ歩いていると、何だか非常に臭いので友人は頻りに鼻をひこつかせて「おい臭いぜ」と言った、中徳先生はそんな筈はないと言い張ったが、不図、変に股のところが冷たいので妙な顔をしながら、道端の協同便所へ飛び込んで洋袴(ズボン)の釦を外して調べて見ると、こはそも如何に猿股の中にはコテコテと黄金色の塊りがトグロを巻いて、それを先程から歩いたのでもう溶けて股から脛の方へ崩れて流れかけて居たのである。
之れには流石の乱暴者の先生も呆れ果てて暫くは股間を解放したままボンヤリとして居たが、ポケットに入れて置いた古新聞紙で漸くに処分し終わり、黄金塊の付着した其のまま可なりに永く奉公した猿股は、永久にドサリと音を立てて、暗中の壺内に投げ込まれたものである。
放屁の中徳の由来、ざっと斯くの如し、ただしこれも聞書である。少しは作意が加わっているかも知れない。
どうです、景気の良い話でしょう。この記事は<科学者の愛嬌ばなし「仙人掌の花」此人にして此事あり>から抜き出してきたものである。
「科学画報」と云う雑誌は、れっきとした科学雑誌なのだが、こう云う妙な記事も掲載されているのであった。読者諸賢の日頃の御愛顧にお応えして、総督府から黄金の一枚も年賀に出したいところなのであるが、貧乏なので<黄金話>で代用する次第である。