今年は110年目でもある(2004年現在)

ここで投入しないと後が無い21万おまけ


 刹那的生活を続けつつも、自分の誕生日をしみじみ迎え、肉親の何回忌に行く末を思うのが人のならいと云うのなら、歴史上の出来事を50年百年単位で商売のタネにするのも結構なことであります。

 今年(2004年)は、日露の戦役から百年目の記念すべき年です。日本海海戦25周年記念の年(昭和5年)には「海と空の博覧会」などと云うイベントがあったりしたのですが、先の大戦で敗れた我が国にあっては「大東亜戦○○周年陸海空国防博覧会」などやろうものなら、右左から何を云われるかわかったものではありません。

 さて、日露戦争は1904年と云う事は歴史の教科書に書いてある通りですが、同じ歴史の教科書を開けば1894年が日清戦争の年である事だって、ちゃあんと載ってます。
 日本の場合、10年おきに戦をしていた関係で、今年は日露戦争一色になる予定ですが(笑)、中国にあっては、甲午戦争百十周年の方が、意義あることだと私は思うのであります。

 少し前に、中国が黄海海戦で沈没した軍艦を引き上げようとしている、と云うニュースがあったのですが、「『定遠』はともかく『致遠』って何?」と、その記事を読んだ人の89%が思ったはずです。どうして「致遠」なのか、と云うところを知っておかないと、今後の中国ビジネスを展開するに際し、大きな障害ともなりかねないので、今回はこのあたりを、日本の軍艦ファンの方々の失笑を覚悟の上、テキトーに紹介する次第であります。

 当時の中国が「清」と云う国名であった、なんてところから始めると面倒なので、とりあえず清には「北洋水師」と呼ばれる艦隊があった、と云うとこだけ覚えて下さい。「致遠」はそこに所属している軍艦であります。

「世界の艦船」1994年9月号の『黄海海戦 その戦闘経過をたどる』(高須 廣一)と云う記事によると、
 艦種:巡洋艦 常備排水量2300トン、速力18ノット、
 兵装:通常砲5(21センチクルップ砲3、6インチアームストロング砲2、15センチクルップ砲1)
 速射砲16(57ミリホチキス砲8、47ミリ重ホチキス砲2、37ミリホチキス砲6)
 機関砲4(11ミリガトリング砲4)
 魚雷発射管4

と云う軍艦なのでありますが、どんなカタチをしているのかまでは良くわかりませんので書きません(笑)。つまり、そう云うレベルの書き物として、以下お読み下さいね、と事前に断りを入れているわけです。

 とにかく「致遠」と云う軍艦がありました、中国ではものすごく有名、日本じゃあ誰も知らない。そのギャップを埋めようじゃないか、と云う事で、一本の映画を御紹介します。


「甲午風雲」タイトル

 「甲午風雲」と云う映画です。長春電映1962年の製作ですから、YS−11の初飛行やマリリン・モンローが亡くなった年であり、堀江謙一の太平洋単独航海が行われた年でもあります。大きな出来事としてはキューバ危機がありました。
 タイトルの「甲午」はキノエノウマで1894年の事、この年の風雲ですから、日清戦争に関係ありそうなことがわかります。タイトルバックには、水柱と軍艦が描かれています、ここから海戦に関係ありそうだ、と読みとれるわけですが、VCDのジャケットの中国語を読めば、色々書いてあるのです(笑)。
 中国の映画なので、言葉はすべて中国語、しかも中国語の字幕も無いものですから、詳細な筋書きは書けません。以下場面を紹介しながら内容を推測していきたいと思います。


熱弁をふるう主人公

 この熱弁を振るっている「愛国者」を画にしたような人物が、物語の主人公「致遠」艦長であります。登場人物の衣装が「中華一番」しています。まあ「中華一番」の時代より2、30年くらい後になるのでしょう。


海上を見る

 室内ではあのような格好ですが、軍艦に乗り込む時は、こう云う服装になります。当時、本当にこんな格好だったのかは定かではありませんが、「戦争映画において、自国軍人の服装に、ひどい間違いはない」と云う原則を信じることにいたします。


「致遠」のつもりの軍艦(協力:人民解放軍海軍)

 「過去の戦争を扱った映画に出る兵器は実物ではない」と云う原則は、中国においても当てはまります。実物は海の底ですから仕方ありませんね。それでも水兵はそれらしい格好をし、ちゃんと「北洋水師」の旗がひるがえっております。


「伊藤」と云う役名の人(右)

 「戦争映画の敵側は多少いいかげんでも良い」と云う原則の見本のような、大日本帝国海軍連合艦隊のメンツです。日本軍の配役として「伊藤(日海軍中将)」の名があります。伊藤祐亨中将のつもりみたいです。これでは葦原将軍ですね(笑)。
 映画の冒頭では、「済遠」の艦長が日本艦隊に対して白旗をあげてしまったのを、「済遠」の乗員が引きずりおろし、日本軍に一発お見舞いする場面がありまして、上の画像はそれに対する日本側の様子を表しています。


一発お見舞いした人

 「北洋水師 済遠○○」と胸に書かれています。袖口の「○○」は階級を表しているようですが、意味まではわかりません。この人物は、済遠の艦長に愛想をつかして致遠艦長に拾ってもらいます。


中華特技の実例

 ミニチュアの艦艇です。円谷特撮の方が、もう少し重量感があります、と書いてしまうのは私が日本人だからでしょうか?


この人は「少佐」(吉野艦長)

 こちらも日本側です(支那服:清、洋服:日本と、ある意味わかりやすいですね)。清側の攻撃に対し魚雷発射を指示するところです。


秋津洲から放たれたる魚雷

 この魚雷は動画を使っているようです。これで「高陞号」は撃沈され、ようやくここが「豊島沖海戦」と呼ばれている戦いであることがわかります。「致遠」は全然活躍していません(笑)。


済遠艦長を諫める致遠艦長

 まあ、北洋水師側はすったもんだしています。宴席で主人公が済遠艦長を批判してしまい、このような騒動となってしまいました。艦長は謹慎させられます。


提灯の文字に注目

 艦長が謹慎処分となった「致遠」。「北洋水師」の提灯がさびしげです。


琵琶を弾く

 乗組員が心配して艦長宅に詰めかけると、琵琶の音が…。この後弦がバチンと切れ、彼らの今後を暗示させます。


エライ人達

 謹慎が解けたので、北洋水師の大演習が始まりました。北洋軍閥の長、李鴻章(黄色の服)も観閲しています。


「致遠」

 日頃の訓練の成果を見せるのですが…、大砲は火を吹きません。


心配そうな様子


大人!砲弾に…

 なんと砲弾には、火薬の代わりに砂が詰めてあったのでした! これでは戦争も出来ません。海軍の費用を西太后が流用した話は有名ですが、火薬の代わりに砂を入れた、と云う話は初めて知りました。もちろん、映画の話ですので実際のところはわからないのですが…。


「保国衛民」の額

 演習から戻った「致遠」に、威海衛の漁民からの贈り物が待っていました。「保国衛民」の額です。舞台が日本であれば大漁旗となるころであります。
 この後、威海衛に潜入した日本の軍事探偵(スパイですね)が捕縛されるものの、釈放される話が入り、米国旗を掲げて接近した日本艦隊が旗を入れ替え、ズドン一発! いよいよ黄海海戦が始まります。


火を吹いた大砲

 「現用兵器で代用する戦争映画は、兵器をバンバン活躍させなければならない」の原則通り、大砲がつるべ撃ちに撃たれます。


当然こうなる

 「致遠」は奮戦するものの、ついに砲弾は尽き果ててしまいます。「定遠」はどうしたか、ですって? どこにいるんでしょうねえ(笑)…。私も「定遠」の活躍があるだろうと思って、このVCDを買ったのですが…。


本艦は体当たりを決行する!

 撃つべき弾もはや尽きて…ではありますが、「致遠」の戦意は衰えません。乗員一同、敵艦への体当たり攻撃を決意するのであります。旗だけでなく、艦首にも黄龍が描かれていますね。

 「敵ながら天晴れ」と云っているかどうかはわかりませんが、「致遠」がこちらに向かっている事だけは察知した様子です。

 激しい攻撃の中、操舵手は倒され、今や艦長自ら舵を取り、体当たりを敢行しようとしています。首に巻いてあるのは、例の「弁髪」です。


勇敢ではない水兵

 中国人の愛国心を鼓舞しなければならないのですが、清側が原則的にだらしないので、日本側にも駄目なところを見せてもらおう、と云う場面です。この程度で「国辱だ」なんて思うようでは日中ビジネスは成功しません(笑)。


お約束のシーン


「浮き輪をどうぞ」「いらんわい!」

 水兵はバラバラと逃げだしますが、伊藤中将、あくまで戦う姿勢を貫きます。立派です。立派な軍人には中国人も日本人も無い、と云う態度が見えます。映画を作った人も立派であります。
 北洋水師には、「済遠」艦長のような人(ここでも逃走しようとして、ついに味方水兵の手によって殺されてしまう)もおりますが、少なくとも日本の海軍指揮官だけは全員戦い抜くのです(3人しか出てきませんが)。
 かなりはしょりましたが、映画も大詰め、「致遠」の最後を御覧下さい。


敵艦目指して突進する「致遠」の勇姿


あとわずかだが…


魚雷が!

 対艦ミサイルにしか見えない魚雷が迫ります。一度はかわしましたが…


命中 大爆発

 こうして「致遠」は乗員もろとも轟沈したのであります。

 史実はともあれ、映画としてこのように描かれた以上、そのイメージが一人歩きするのは中国だけに限った話ではありません。優秀な指揮官、精強な乗員が国難に殉ずる姿は崇高なものであり、それを利用する者は後を絶ちません。
 北洋水師は、結局以後も活躍の機会は与えられず、根拠地威海衛を襲撃されて潰滅。北洋水師の長たる丁提督は、部下の反乱にあって、部下の助命を嘆願して自決してしまいます。そう云う実状があるだけに、「致遠」の存在は中国にとって、大きなものとならざるを得ないわけです。
 これはあくまでも「映画」でのことですから、必ずしも史実通りになっているとは思えません。しかし、中国ビジネスで出会う中国人は、この映画を観ている可能性はあります。「取締役 島耕作」も、コッソリ観ているかもしれません。


 日清戦争百年にあたり、「致遠」のプラモデルが発売されました。同時に「定遠」「鎮遠」も発売されています。「定遠」は当時話題にはなりましたが(もっとも作った人は何人いることやら)、「致遠」の扱いは冷たかったように思います。などと書く私自身、「うっかりと」「致遠」のプラモデルを買ってしまい、「えらく現代的な軍艦やなあ」と持て余してしまったのですから…。今にして思うと、映画に登場した艦をそのままモデル化してしまっているようです。
 この機会に取り出してみようと思ったのですが、実家にしまい込んだようで、出てきません(笑)。


このネタのために「レオナルド」で2千円出して買いました

 ウケ狙いで買って後悔しても責任は持ちません。模型の箱書きをおおざっぱに訳してみました。

 「致遠号」巡洋艦は百年前の甲午海戦(黄海海戦)に参加した、管帯(艦長)ケ世昌が率いた戦闘艦である。この艦は1887年に英国より購入された。乗員編成は200人。
 甲午海戦中、日本海軍旗艦「松島」、「比叡」、「赤城」、「西京丸」等と前後して損傷を受け浸水するも、傷ついた旗艦「定遠」を護るべく「吉野」に衝角攻撃を敢行するが、「吉野」が「定遠」に放った魚雷を受け沈没。艦長ケ世昌は艦と運命を共にすべく救助を拒絶して乗員250人とともに黄海に没す。
 ケ世昌の壮絶なる最後の知らせは清朝宮廷を震撼させ、時の皇帝光緒帝は昭宗祠に「壮節公」として祀った。世間でも彼を英雄として思慕せざる者は無かったと云う。

 本製品を組み上げることで、百年前の北洋水師「致遠」号の特徴ある雄姿が甦ります。(大意)

 この模型を北京のデパートで見た時は、中国もここまで来たか、と感慨深いものがありましたが、今では立派な模型メーカーも出来ました。このメーカーの商品はその後見かけません…。