納涼時局おまけ

珍しいファンサービス


 諸般の事情で、<おまけ>の更新がパッタリと止まってしまい、読者諸氏には淋しい思いをかけている事と思い、慚愧に耐えない。

 しかし読者よ! いよいよ久しぶりの<おまけ>である。


 「アサヒグラフ」昭和18年8月25日号の、「克熱総進軍」と云う記事より…。

速達を鞄に詰めて颯爽と熱風を截る、顔も手も陽にやけて、見るからに健康そうだ


 驚く無かれ!の女学生である。記事に曰く。

 ”蒸風呂のようだ”という言葉があった。夏の暑さをかこった言葉である。
 しかし、いまはその言葉を口にするものはなく、学徒は例外なく暑中休暇を献納して、重軽工業部門をはじめ、凡ゆる生産面に進軍した。
 殊に目ざましいのは、女学生、女子専門学生の進出である。
 日本橋高女の上級生徒15名は、日本橋局で、いままで女学生の誰もやったことのない速達便と電報配達に自転車を駆り、颯爽と熱風を截っている。また頌栄高女の上級生徒40余名は、目黒区中目黒の七欧無線で、芝高女上級生50名は凸版印刷で、又東京女子薬専生徒は慶応病院でそれぞれうだるような室内で勤労奉仕を行い、更に東京女子医専生徒は板橋の施療に活躍している。

 わが猛攻に喘ぐ敵アメリカは、焦燥の果、強制的に各種重軽工業に女子を動員した。
 わが国の女学生の勤労はそれとは全く反対である。男がやれる仕事なら女に出来ない筈はない。勝つ為に男子と代わろうという、熾烈な愛国心から迸り出た美しい真情なのだ。暑さなど意にとめぬかのようである。

 製本出来上がった教科書を、一定の数量だけ揃えてキチンと積む。勤労の歓喜は、そのインクの香りのように爽やかに乙女の胸から胸へ伝わる(凸版印刷株式会社にて)

 <勤労の歓喜>よりも雑誌に掲載される歓びの方が大きい、などと不心得な考えをしてはイカンのである。<乙女>と云う言葉も死語になって久しいものだ…。


 と云うわけで、「アサヒグラフ」の表紙である。これを載せたくてネタを作ったのが見え見えで情けない…。空襲で亡くなられていなければ、もう80近いお婆ちゃんである。

乙女と云えば<きんどーさん>だよな…