もう後は無い!

「20年夏」を迎える45万おまけ


 毎月ページの更新をする、と称して10年近く。自信満々で掲載したネタが黙殺されてしまったり、手抜きテキトーででっちあげたものが思いの外(小規模に)評価されてみたり、出した結果はさておいて、変わりようが無いのは更新時期の焦燥感である。

 ネタがあれば書き写す時間が取れず、ネタがなければ古雑誌をほじくり廻して頭を抱え、イザ書き出すと本題と関わりのないところが気になり、そんな時に限って生活資金獲得活動(人様に頭を下げて米味噌醤油を借り倒さないだけマシと云うのもか)で深夜帰宅だ休日出勤だと云う事態に至る。

 「もう19年の夏ですから」と云う言葉を、昨年目にした。耳でも聞いた。
 その年の秋に出る予定の、ムック本(と云う表記は、ブック−書籍とマガジン−雑誌の合成語である『ムック』の意味からするとヘンなのだが、『ムック』だけではガチャピンの相方みたいではありませんか!)に記事を書く人が発したものであった。その時は「そりゃあ今年は平成19年だけどさ」と思ってそれきりだったのだが、それが昭和19年の帝国日本渾身の反攻作戦(あるいは負けないための努力)と、平成19年の締め切り間際のドタバタとをかけている事にようやく気が付いたのは、年の暮れのことで、同じムック用に書いた自分の原稿は、連合艦隊の如くあっさりボツになったのである。

 と云うわけで、今(2008年6月)は、「20年夏」である。都市は焼かれ、沖縄は押さえられ、「本土決戦」が叫ばれた「20年夏」、なのだ。
 

 「少女倶楽部」昭和20年7月号表紙。紙を折って冊子にしただけの「製本」。「神風」の鉢巻きりりと締めて職場に臨む少女の姿である。
 「読者のみなさんへ」と云う記事では、本土決戦を前に、読者にこう語りかけている。

読者のみなさんへ
 みなさん、いよいよ一億国民がすべてを捧げて戦う本土決戦の時がせまってまいりました。わが国の戦力のすべてを破壊し、日本人のすべてを亡ぼそうとする鬼畜のような敵は、いま私たちの足もとにおしよせて来ているのです。
 しかしみなさん、おそれてはなりません、くじけてはなりません。去る日、沖縄の少女たちは、烈しくふりそそぐ敵の砲弾や爆弾の下で、死の間際まで自分にあたえられた受持の場所をはなれずに戦ったということです。
 いまこそみなさんも、この沖縄の少女たちに続き、祖先からうけついだその腕、その体、その血をもって、あくまでこの皇土をまもり通さねばなりません。この先、どんな事が起ろうとも、どんな苦しみがあろうとも、みなさんは日本の少女です。勝ち抜く日まで勇敢に戦って下さい。
 少女倶楽部編輯局


 国民義勇兵法の公布は、6月23日のことである。女子は17歳から40歳、男子は15歳から60歳までが対象となる。緊迫した状況の中にあっても、少女雑誌の編集者としての矜持が「みなさんは日本の少女です」の一言にこもっている。この先似たような言葉は見ないですませたいものだ。
 同じ「昭和20年」でも、年の初め(正しくは19年末)は、まだそこまでせっぱ詰まってはいない。

 「少女倶楽部」昭和20年新年号表紙。「敵米英を必ずうち滅ぼそう」とは書かれているところは戦争末期であるが、表紙の画は霊峰富士をバックに、防空頭巾を被る少女像であり、「今年こそは!」と云う前向きな精神が見てとれる。
 頭巾に見える鮮やかな黄色と赤は、頭巾の布が、緑地に黄・赤・水色の柄を入れた着物(おそらく『銘仙』だろう)を再生したものであることを表している。

 この時期は、特別攻撃隊(読者おなじみの『特攻隊』である)を持ち上げる−彼等への期待がそれだけ大きく、それ以外に戦局を好転させる手だても無い、とされた−記事が多く見られる。その一つ「ほのほと燃えよ」(伏見猛彌)は、レイテ島に敵が上陸し、戦局が切迫したことから始まり、特別攻撃隊−決死隊が、日本に限らず米英にもあるはずだと置いた上で、「しかるにわが陸海軍の特別攻撃隊の場合は、万に一つも生還ののぞみはないのであります。」と「必死の精神」を強調し、

 世間いっぱんでは、仕事が思うような成績をあげえなかったときには、辞職でもすれば責任のすこしははたしたことになります。昔の武士であればまちがったことをすれば、腹をきって責任をとったのであります。つまりやめるか死ぬかすれば、それですむのであります。
 しかるに、特別攻撃隊の勇士たちにとっては、死ぬだけではすまないのであります。かならず敵艦を撃沈せしめなければなりません。
 敵艦を撃沈しなければ、死んでも死にきれない気持、そのはげしい気魄を必中の精神というのであります。


 と、「必中の精神」についても述べている。しかし、読者である少女に対しては、

 みなさんはまだ子どもであり、しかも女性ですから、特別攻撃隊には参加できません。しかし、一生けんめい私心をとりさり、ほのおのように燃えたつ愛国のまごころをもっていまの仕事に努力するならば、あの世界にくらべもののない特別攻撃隊の偉功に、すこしでもおこたえすることができるのであります。

 と、あたりさわりの無いところを云うに過ぎない。
 幸いにして本土決戦になることなく、戦争は終結。「どんな事」は記事が想定もしていなかった、大日本帝国国体の変革として訪れ、「どんな苦しみ」は食糧難、住宅難、就職難として日本の少女達に襲いかかったのである。

 今は「20年の夏」である。息つく間もなく7月も8月もやってくるのである!