ビンボ臭い?合理的?

「マイマイ新子と千年の魔法」大入り祈念で52万おまけ


 2009年11月21日全国公開の、アニメーション映画「マイマイ新子と千年の魔法」で、『考証協力』と云う事をやった。

 ふとした事で知り合った、片渕須直監督から、新作の事で協力して欲しい、と呼び出されたのが2006年12月初めの事。
 昭和30年の防府を舞台にした、高樹のぶ子の自伝的小説「マイマイ新子」をアニメーション映画化するにあたり、そこで描かれている50年前の世界と、小説の中に語られている千年前の世界−そこには、後に『清少納言』と呼ばれる女の子がいた−を、映像に再現して繋ぎ合わせると云う構想を聞かされ、『まあ、なんて興味深いお話なのでしょう』と答えたら、『三つの難題』ならぬいくつかの宿題が出されたのである。
 ご馳走になった手前、手持ちの古本と、新たに買い求めた古本で応えたのが自分の『協力』と云うところで、それが映画の製作にどれだけ貢献したのか? と云うところは、忸怩たるものがある(笑)。

 構想を聞いてすぐ、本屋に走ってこんな資料がありました、と届けに行けば、すでに当時の地図に写真・航空写真や遺跡発掘調査記録まで古本屋の目録で『大人買い』していたカントクの姿があり、古本屋の店先で小遣い銭で拾った一つのネタを、水増しして一つのウェヴコンテンツにする「兵器生活」の方法論とは全然違うなあ、エライ事を引きうけてしまったなあ、と思いつつ、図書館に行き、古本市で戦前婦人雑誌付録のスタイルブックを漁り、アンティークショップで昔の色鉛筆を探し廻ったのが、2007年の夏から秋にかけての頃であった。

 自分の『協力活動』は、ここで停止し、後は映画の完成と公開を首を長くして待つだけとなる。2009年春先に、原作が文庫版(新潮文庫から好評発売中)で刊行されたのを書店で見た時、帯に映画の宣伝が書かれていたにもかかわらず、公開時期が記載されていなかったので、このままオクラ入りするんじゃあないか? と心配までしてしまった(笑)。

 映画は無事に公開、すでにあちこちで賞賛の声もあがっている中、いまさらこんなところで宣伝する必要があるのか? と思うのだが、「兵器生活」読者諸氏の中には、わざわざ『児童映画』を見に行こうとは思わない人もいるだろう、アニメーション映画は趣味じゃない人もいるんじゃあないか、など考えると、だからこそ、世間様に向けたプロモーション活動の光が届かない、「兵器生活」読者向け宣伝をするべきではないのか? と、公開初日の舞台挨拶を見て、私は了見を改めたのだ(しかし、その日は呑んで寝た)。
 ここから映画の存在に気づく人が10人も出て、うち一人が映画館に足を運んでいただき、主筆はネタ一回分を浮かせる、と思えば損ではないし、『自分のサイトでも宣伝しときました』と云う実績にもなる(笑)。

 映写機を停めてもらって、画面をじっくり観察したいくらい(アニメーション映画に向かって何と云うバチあたりな事を!)『昭和30年と千年前の防府の町を精緻に描いた』映像の面白さを、古い町並みを歩くのが好きな方には、ぜひとも感じていただきたい映画である。
 映画一本で『昭和30年』と『西暦974年』の世界を同時に目に出来る、と云うのは、空前絶後の事で、しかも慈愛の気持ち満ち溢れる物語まで味わえるのだから、印度総督に騙された(毎月騙しておりますが)と思って、劇場に足をお運び下さい。
 ちみなに、原作(面白い本です)を先に読んでおくと、監督が原作をどう再構築したのかを分析する楽しみがあり、映画の最後には、大きな驚きを味わう出来ます。
 と云うわけで、次回は普通のネタに走ります、で終わらせても良いのですが、「兵器生活」のコンテンツを楽しみにしている読者諸氏のために、『協力』の途中で拾ったネタを紹介します。
 『色鉛筆を探し廻った』と、先に書きました。見つけた現物は監督に提出してしまったのですが、その後も色鉛筆を探すクセが残ってしまいまして、うっかり一つ買ってしまいました。戦後のモノなので、この機会を使わないと、コイツの代金○千円(ほぼ映画一本分に相当)のモトが取れません(笑)。

 「ユニオン鉛筆 高級三本六色鉛筆」舌を噛んでしまいそうな商品名です。『三本で六色』と云うと、若い方は、多色ボールペンを思い浮かべるかもしれませんが…

 一本の鉛筆に、半分の長さの2色の芯を入れたものです。一番下の「赤/青」の2色鉛筆は、今でも見かけます。古い文具のカタログで『色鉛筆』と記載されている場合、この「赤/青」鉛筆だったりします。
 六色の構成は、赤/紺・緑/黄・青/茶と云うもの。バラ売りもされる赤/青(実際は紺)鉛筆に、他の組み合わせを入れた、ちょっとセコい商品で、それが『高級』を謳っているところが、またセコい。

 しかし、ご自分が色鉛筆を使っていた頃を思い出して下さい。
 白地図の塗り分け、『ぬりえ』(主筆が子供の頃は『アレをやると絵が下手になる』と買ってもらえませんでした)など、色鉛筆を使うことは何度となくあっても、鉛筆がチビてきて、持つのが大変になるまで、使いこむことがあったでしょうか? 色鉛筆喪失の大きな原因が、紛失と落下衝撃による『鉛筆内部での芯折れ』だった事を振りかえると、一本ニ色鉛筆は、実に合理的なモノ(セコいけど)と云わざるを得ません。三本分のスペースしか取らないのも、エコなところです。実際に削って使用すると、キャップをつけないと、箱の中でガタガタ動いて芯が折れてしまうはずですが(笑)。
(おまけのおまけ)
 「カントク片渕のメイキング・オプ・マイマイ新子」の中では、軽く問いかけたと云うのに、わざわざ現物を探して廻ったと半ば呆れたように記されております(該当記事は、各位お探し下さい)が、現物の一つも見つけてこないと、何も答えることが出来なかった、と云うのが実情だったのであります(笑)。
(おまけのおまけのおまけ)
 買いこんだ資料は、「こんなもんがありました♪」と、都度製作会社に持ち込んでおったのですが、映画の製作が終われば、「どうぞお引取り下さい」となるわけで(笑)、置き場所を確保するために、冷蔵庫かテレビのどちらかを処分しないといけないなあ…と、悩んでおります。