事件だ!実験だ!

ウェヴの実力ってヤツを見せてもらおーじゃあないか


 興業大入りを祈念したはずの、「マイマイ新子と千年の魔法」が大変な事になっている(2009年12月8日現在)。

 試写を見て、良い映画だけど、大ヒットは難しいだろうなあ、と関係者のいないところで口走ったことは認める。しかし、こうまで世間様に知られず、劇場が満員になったのは監督・出演者の舞台挨拶があった回だけだったんじゃあなかっのか? と思ってしまうまで苦戦するとは、想像も出来なかった。

 興業がふるわない理由は、いろいろ想像できるが、この映画の良さを、広い世間に向けた言葉で説明する人が、あまりにも少ないことを第一にあげておく。
 自分自身を振り返っても、現代(『昭和30年』と云う、50年前だが)と千年前の、二つの世界を交錯させつつ、子供同士の心が通い合うさまを丁寧に描き、観客に『慈愛』の情や、自分の子供時代を想い出させて涙させる映画を、人様に説明し、お勧めするための言葉を持っていないのだ。

 人様に説明できる言葉を探して、この映画を見た人は、二度三度と劇場に足を運び、良い映画であることを広めて廻る−ここまでは、成功するビジネスモデルの一つのパターン通りなのだが、残念ながらその先で行き詰まっている。単純な話で、世間の話題になっていないため、片渕監督ファン、アニメマニアの中で円運動をしているだけなのだ。普通の週刊誌や新聞の映画評で、この映画の記事を見た覚えがありますか? 町の本屋に並んでいるアニメ雑誌の表紙に映画のタイトルが書いてありましたか?

 帝都での公開は最早終息に向かいつつある…。
 観客は、広告屋が大金と職能を賭けて作った宣伝を見て、映画館に行き、帰りにお茶の一杯も飲んで、おしまい。映画の興行スケジュールに、観客が注文をつけることなど、思いもよらぬ所業である。
 ところが、ウェヴの普及で、市井の人が不特定多数に発言できるようになったおかげで、映画の上映期間を延ばしてもらおうじゃあないか、会社員が鑑賞できるよう、上映時間にも気を使ってもらおうじゃないか、と考え、行動に打って出た人がいる。観客は、映画に対してそこまで身体を張らなければならないのか? と驚き、ネットで署名をやったところで相手にされるものかいな、と自分自身は効果の程には疑問を持っている。しかし、これはこれで面白い事じゃあないか? と考え直してみる。

 世の中を動かしている、なんて云う実感を抱く事なんか無い。先の選挙で自民党は野党に転落させてはみたものの、世間が明るくなったとは思えないし、「兵器生活」を10年やって増えたのは紙屑の束ばかり。マンガ映画の一本の上映期間が延びた、劇場が増えた、なんてことは(映画の作り手・送り手を除けば)些事そのものである。しかし、些事ゆえにうまくいかなくても提唱者以外は、深く心痛めることはなく、成功すれば儲けモノ。『社会現象』まで盛り上がればしめたモノ。歴史を振り返れば、立派な輸出産業だ、新たな文化の創生だともてはやされている、ニッポンのアニメ産業の隆盛も、こう云う道筋を辿ってきたのではなかったか?

 と云うわけで、これは一本の映画云々の話に留まらず、古い云い方をすれば、大マスコミに対する『闘争』であり、ウェヴを使った民主主義の(実に健全かつ安心な)実験にまで発展する活動に『化ける』可能性がある。その一点を以って、活動主催者サイトにリンクを張り、読者諸氏の参加を呼びかける次第なのである。

 『フリーライター 廣田恵介に残された愛と冒険の日々。』の該当記事 

 「学生運動」を始め、「ヤマト」「ガンダム」に間に合わず、悔しい思いをするしかなかった若い人も、これで老後の自慢話が出来る、と云うものです。
(おまけ)
 この活動が、うまく当たれば痛快ではあるが、広告宣伝費が少ないばかりに、こう云う事態に直面してしまった映画宣伝スタッフの方々を思うと、気の毒でならない。「いい映画を多くの人に観てもらうためだから仕方ありませんや」と、ここは耐えていただき、それによって得られるはずの興業収益の積みあがりを祈るばかりであります。

さよなら ジュピター