まがいモノ商売

ますます軍事から遠ざかる55万おまけ


 本屋さんに並ぶ「ミリタリー雑誌・書籍」「歴史の本」には絶対載らないレア−「下らない」とも云う−な情報をタダで掲載し、世間様に認めて貰おう、あわよくば栄達の階梯にしようと始めた、当「兵器生活」である。コンテンツを積み上げ、時至れば自ずから一本線が通るハズと云いながら、近頃フラフラしてていけない。

 不必要に強張った身体をゆるめてフラフラさせると、肉体本来の活力が甦り、周りの景色が変わって見える、そうなのだが、なるほどフラフラとネタ探しに走れば、面白いモノは確かに見つかる。そして今月の更新は無事に果され、「兵器生活」はどこが『兵器』なんだか、ますますワケの解らないウェヴサイトになっていくのである(笑)。
 と云うわけで、今回はサンプル購入−フラフラの大義名分である−した雑誌「商店界」(誠文堂発行)昭和9年4月号掲載記事『新版いんちき商売』(大木 及助)より一つご紹介する次第。

 インチキ洋酒
 「酒は家(うち)で良いのを飲むに限りますよ。そこらの変なカフェーやバーへゆくと―」
 と、安カフェーやバァのコックやバーテンをしていた彼の言うところによるとウィスキーをこしらえるのには、○印焼酎を一本買ってきて、それに三割ほど水を加え、又少しの工業用メチル・アルコールを加え、白砂糖を適量鍋で焦り溶かして、茶褐にこげたのを流し込み、更に少し辛味を入れてよく振盪すると、西洋の壜西洋のレッテルの貼ってある上等なウィスキーが出来上がる、というのだ。
 葡萄酒はというと、食紅と渋味のタンニンと砂糖とアルコールと水とで、簡単にできる。
 甘口の日本酒のきらいな客には、二割程水を入れて、食塩を熱湯で溶いたのを混ぜると、忽ち辛口の酒に変化する。
 インチキもこうなると、怖ろしい位だ。とてもそこらの店の安酒は呑めぬ、ということになるわけである。

 浅草仲見世の某老舗が、二万数千円のインチキ・ウィスキーを売り捌いて露顕したが、それはジョニー・ウォーカーなる、一本小売りで十二三円の舶来高級品を、タッタ六十銭でこしらえていたのである。中身がどんなものだかは想像するに難くないが、わかりもしないモダン・ボーイが、おい、ヂョニー・オゥーカーをくれ、ブラック・エンド・ホワイトをくれと、一杯一円も払って飲むのをみると、小生憐憫の情に耐えないのだ。知らぬが仏、だからである。

 「わっしら、カフェーやバァに勤めていておっかなくって、うちの西洋酒はおろか、他家(よそ)のも飲めませんよ。ええ、むろん、どこだってやりまさね。ビールと日本酒なら、それ程インチキもありませんがね。ウィスキー一斗つくると、ちょんの間に三両もうかる勘定ですよ」
 内幕を知っているから、怖いのである。その、おっかなくて飲めない洋酒を上機嫌でのんで、やっぱり酒はウィスキーに限る、ジョニー・ウォーカーのこの味はわからん奴には一寸説明できんな、などと呑んだ上、女給氏に散々チップをねだられて、意気揚揚帰ってゆく後姿に、彼はおかし涙を流した事だ、という。目でもつぶれないのが、せめてもの事であろう。 


 酒は外に呑みに行くものと決めている、自分にとっちゃあ他人事じゃあない。
 普段のとっかかりは、瓶ビールにしているから好みの銘柄が置いてないのに目をつぶれば問題はない。しかし、何人かで適当な店に行くと、「生ビール」と云いながら、「発泡酒」をジョッキに入れて持ってきてるんじゃあないか? と思うことはたまにある…メニューが防水コーティングされた紙に印刷されているような店なら、あらかじめ銘柄が書いてあるし、そう云う時はその場の雰囲気を楽しみに来たと割り切ってしまうから、目くじらたてるまでもない。

 日本酒の場合、「○○でございます」と、一升瓶抱えてラベルを見せてから、升に入れたグラスになみなみと一合+α−と信じているが、ホントに一合なのか、疑い出すとキリがない−注いでくれる店があるが、その酒が本当に自分が頼んだ銘柄なのか−ラベルを下向きにして注ぐ店員もいるし、首を後ろに廻すのも面倒だから、実のところ一々見てもいない−は、店と店員を信用するしかない。自分の家じゃあ呑まないので、味の確かめようがないのだ。
 泊りがけ旅行の時、小さい瓶−一升瓶持って汽車には乗りたくない−を持ちこむことも無いわけじゃあないが、なぜか自分が買っていく銘柄は、呑みに行く店には置いてない。

 ウィスキー! 「成人の日」「4月1日」付け新聞で、山口瞳書く某洋酒メーカー広告の文章で、サラリーマンと酒呑みの何たるかを学んだ自分である。初めて二日酔いをやらかしたのは、サントリーの「白」を兄と二人で一本空けた時のことで、意識を失いながら枕にゲロ吐きながらそのまま寝てしまい−朝、目がつぶれたかと思った−、以来「白」は口にしていない。メーカーの名誉のため付け加えれば、成人して後、友人たちと支那旅行に出たときに、免税店で酒屋じゃあとても買えない「響」を一本買い、上海のホテルの一室で仲間連中と空けたが、ありゃあとびきり旨い酒だったと今でも思う。
 一人で呑む時は、夕食も兼ねるので日本酒が多くなり、ハシゴ酒はやらない−連れがいれば別だが−ので、ウィスキーとはすっかり疎遠になってしまった。

 人が揃えた酒を呑む以上、それがどう云う方法で調達されたか、中身が何であるかなんて、気にしてられない。乗合バスやタクシーを使う時、タイヤの減りや・燃料の残りを意識しないのと同じことだ。それを疑い出したら「兵器生活」が、本当にウェヴ上に公開されていて、読者が存在しているのかまで確かめなきゃあならない。
 ここは「昔の話」「余所のこと」と割り切り、騙された人を気の毒がり、騙した側の悪知恵に感心しておくに限る。むしろ昭和9年は舶来ウィスキーが一杯1円とされていたことの方が大事だ。
 掲載誌「商店界」の定価は、普通号30銭、附録つきの特別号は80銭である。岩波文庫の星一つ20銭、日本酒の上等一升1円89銭、大工手間賃1日2円(『物価の文化史事典』)。戦前サラリーマン月収の目安は「百円」である。
 この「百円」は、「『月給百円』サラリーマン」と云う大変面白い本(岩瀬 彰、講談社現代新書)に出てくる目安で、当時の貨幣は現代の2千分の1とみているから、一杯1円のウィスキーは今の2千円。そのへんのショットバーで普通のヤツを一杯あおれば5百円、ランクをあげれば千円、メニュウの上限にあるのが2千円−それ以上は見るだけ目玉運動の無駄だ−と見れば、「まがいモノ」でさえなければ、妥当なところだ。
 しかし、カフェーの女給にはチップを出さないと−彼女はそれで食っている−店から生きて出してもらえないから、いくらか置いていく。「『月給百円』サラリーマン」からの孫引きになるが、昭和5年の雑誌記事で「銀座あたりでは、平均1円が可もなし不可もなし」と云う。これは下心の無い場合の話。

 まがいモノを作るのは、かけるコストに引き合う儲けがあるからなのは云うまでもない。しかし、この記事を参考に「インチキ洋酒」をこしらえるのは、今時の人件費ではアシが出そうだ。高級洋酒にマゼモノをする、中身を入れかえるくらいにしておくのが、ニッポンでは現実的なところだろう。
 「メチルで目をつぶす」のは、敗戦後だけの話ではないらしい。
(おまけのおまけ)
 「商店界」の広告である。

 洋酒・泡盛問屋
 泡盛一斗(45D) 拾壱円八拾銭より
 ウィスキー一斗   壱拾円五拾銭より
 喫茶・飲食店向
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 洋酒十銭スタドン(ママ)
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 『泡盛』一斗−約18リットル、一升の10倍−が11円80銭だから単純に1/10すると一本1円18銭。、「物価の文化史事典」の鹿児島産標準的焼酎は一升1円2銭(昭和11年)なので、ちょいと高級か? 問題はウィスキーで、これは一升1円15銭。国産ウィスキーの祖、壽屋の白札が昭和4年発売時、640ミリ入り4円50銭、元記事の舶来「一本十二三円」と比べると、かなり胡散臭い。
 下段「十銭スタドン」はスタミナ丼じゃあなく「十銭スタンド」、洋酒一杯十銭で呑ませる大衆立ち呑み屋と云うところだ。「一斗11円50銭」のウィスキーがなければ経営は立ち行かないだろう。「売上高の自慢より利益の道へ」が心にくい。
 資料請求に30銭も取られるが、この「営業秘伝書」、手に入れてみたくなるシロモノではありませんか!

お酒はハタチになってから