進物! 水引(みずひき)娘

夏バテか、ネタ尽きか? 59万までほんの少しおまけ


 「商店界」昭和8(1933)年8月号掲載の広告である。

 私は竹秀の水引でございます

 どなたにも
 結びよく気持よく
 たぐいなき
 色のよさ品のよさ
 不なれでも
 粉の落ちぬのが特長


 御店名捺印お申込に限り 水引の説明書
 「私の身の上話」送呈


 と、ある。
 結納の飾りや、祝儀/不祝儀袋の、それなりの値段のものを買うと袋に巻いてあって、内袋にお金を入れる際、崩してしまわないよう気を遣う、「水引」の広告だ。
 ふつうの生活をしている限り、祝儀/不祝儀が毎日続くような事はないので、主筆も出来合いのモノで済ませてしまうのだが、「主婦之友」昭和10(1935)年新年号付録「奥様百科宝典」なんて本を開くと、正月の鏡餅は、

 (略)海老やほんだわらを、橙(だいだい)の軸に水引で引っかけるようにして結びます。

 と解説されていたりするので、昔は一家の主婦が、自ら水引を結ぶ事があったものと推察される。主婦が結ぶのなら、女中もやらされるだろう、商人がやるのは当然のことである。
 と云うわけで、「結びよく」「不なれでも粉の落ちぬ」と、業者が宣伝に努めることになる。

「お中元の用意」水引が懸けてある



 この広告、娘さんが、「私は竹秀の水引でございます」と名乗りをあげている。「竹秀の水引をお奨めします」、と語っているのではない。彼女は「水引娘」なのだ。

 街を歩けば皆振り返る…ほどの美貌では無い。しかし、ウチの店で働いて欲しい・お嫁さんにしてもよさそうな・息子の嫁に来て欲しい、と思う程度くらいの安心感はある。
 女性をモノに例え―これは真逆を行っているが―器量良し=モノの品質も良い、と暗示をかけるやり方は、現代の観点なら異議申し立てがありそうだ。しかし、広告対象者である商店主の大部分が男性であり、婦人参政権も無かった当時は、別段問題になることは無い。
 人の善悪・生活力の有無は、外見だけで解るものではない。「水引娘」の見た目で水引の善し悪しが解るはずも無いのだが…。


水引娘

 表現技法の擬人化は、今では珍しくもない。
 女店員風(若奥様風にも見える)の地味な「水引娘」は、現代ならば、裸身に水引を纏った姿で登場するくらいの事も、ニッコリ笑ってやるだろう。


21世紀型水引娘
(心の眼で見て下さい)

 水引の解説書に、「私の身の上話」と名付けるところも巧い。
 …と、70数年後に広告を見た、物好きな主筆は高く評価―擬人化広告が、戦前から存在していた事を示す史料としても貴重だ―する次第なのだが、当時の世間はそうでも無かった、ようだ。

 同じ「商店界」昭和9(1934)年4月号掲載の広告だ。広告スペースは同じ―掲載代金も(諸物価変動と呼応はしても)変わらないはずだ―であるが、体裁はこんなに違う(一部改行を改めた)。

 竹秀は 
 正しい印刷物  完全な紙工品を
 良い設備  優れた技術で作ります
 この設備と技術は 
 また良い商店用品をも 造り出します
 商店用品とは
 水引 のし紙 上覆紙 折のし等
 お店の品物に 添って体裁を調える
 小売店必需の 品々です
 『商店用品の栞』送呈


 広告主が訴えたいところは、一通り記載されているが、野次馬的に見れば平凡でつまらぬ広告の見本に留まっている。

 「贈り物によって、その人の教養が解るといわれる」とは、「奥様百科宝典」の言葉である。広告も、売り込むモノ・サービスのみならず、広告主の器(うつわ)―センスと云うには、商業広告制作業者の手が入り過ぎている―も、ひそかに伝えている。
 「兵器生活」もまた、主筆の程度を暴露し続けているのであった…。

(おまけのおまけ)
 本邦における擬人化と云えば、教科書でもおなじみの『鳥獣人物戯画』―主筆もそうだが、通しで見た人は案外少ないように思われる―や、『百鬼夜行』絵巻などで、古くから使われるテクニックと云える。しかし、無生物を、人間の姿そのまんまにしてしまった(人間そのものを描けば良いのだから、安易と云えるが、そこに至る発想は凄い)ものは、江戸時代の黄表紙が嚆矢になると、個人的には思っている。


「御存知商売物」より

 北尾政演(山東京伝)「御存知商売物」(ごぞんじのしょうばいもの)は、黄表紙を始めとする、当時の出版・印刷物―商売物―が、「人間」の姿で登場する作品だ。
 この図は、当世はやりの「青本」―『黄表紙』(中央で煙管を使っている)―が、吉原遊郭で遊んでいる場面(の左側)である。
 立っているのは「錦絵」―多色刷り版画、いわゆる『浮世絵』―で、きらびやかな花魁。太い眉の男に抱きつかれている女の子は「十六武蔵」―当時のゲーム(の盤面)―の禿(かぶろ・遊女見習い兼、花魁の世話をする)。太眉セクハラオヤジは「義太夫のぬき本」―義太夫節のある段を抜き出したもの―で、「青本」が呼んだ芸者(芸人)衆の一人。「てめぇも十六むさしと云うから、もう毛が生えたろう」と云う、名セリフを吐いているところ(笑)。

 岩波書店の「日本古典文学大系59」より引用。「義太夫ぬき本」のセリフは、現代かな遣いとし、一部を漢字に改めた。図の人物の説明に、この本の註・解説を利用していることは、云うまでもない。