「日本最初の総合航空園」で62万9千おまけ
「西宮航空園」(あるいは『関西国民航空錬成場』)の案内書を、念願かなって入手することが出来た。戦時中の航空雑誌「飛行日本」「飛行少年」(大日本飛行協会)などの裏表紙広告で、名前だけは有名なところである。
阪急西宮北口駅、今は無き西宮球場の向かいにあったこの施設、地元の方が色々調べておられるようで、「西宮ブログ」には、開業日の新聞記事、敗戦後の転用先など面白い記事がある。しかし残念なことに筆者の興味は、本施設そのものには向かれておられぬので、それを幸い案内書の内容をご紹介して読者諸氏の研究の一助に当てようと思う次第。
表紙の写真は、インパクト満点な巨人機が写っている。
これは、もはや旧式機となって久しいが、大きさでは当時の世界ランキングトップクラスの九二式重爆撃機だ。日本本土から「国内陸上根拠地ヨリ船舶輸送ニ由ルコトナク直接主要作戦地ニ独立飛行シ爆撃及偵察ニ任シ得ル」超重爆撃機として昭和3年より試作設計された機体(ただし原型はドイツのユンカース製)なのだが、準制式となった昭和8年時点で、最大速度200キロ/時では鈍足に過ぎ、今では日本にもこんなデッカイ爆撃機があった、程度の存在に過ぎない。
写真を見るとプロペラの下に階段が設けてあるのがわかる。おそらく機体後方から翼の中を通って見て歩けるようになっているのだろう。階段脇には、補強の柱がある。
ウドの大木同然とは云え、幅44米もある巨人機を看板に持って来るところは、「日本最初の総合航空園」にふさわしく、少女もオッサンも興味津々だ。
案内書の裏面は、関西国民航空錬成場全景が描かれている。画の横にはこう書かれている
ニッポンで唯一の航空園が出来ました。
お父さん、お母さん、坊ちゃんも、お嬢さんも
国民のすべてが、ここで飛行機と親しんで下さい。
そして憎いベイ、エイに負けないツバサの国ニッポンを
つくりましょう。
下の広告で矢を射られているのは、おなじみのルーズベルト、チャーチル両氏。
「撃ちてし止まむ!」の標語から、この案内書が昭和18年のものと推測できる。「西宮プログ」に引かれた新聞記事には、昭和18年4月17日開場式を挙行、とあるから、この案内書は開業当時に印刷されたものだろう。一般向け施設の案内書は、開業前に製作しておくものだと思うのだが、表紙含め紙面には来場者の姿がある。サクラを仕込んだのだろうか?
表紙をあけると、見開きで
空を制するものは世界を制す!
の見出しの下、施設の内容が写真入りで紹介されている。
左上より右廻りで
ボクラも乗れるぞ
戦闘機!
爆撃機!
地上操縦練習
高さ二十米
落下傘降下
敵都爆撃!
双発軽爆機上より
航空科学館
母と子のツバサの園
学童航空遊園
気流に乗って
大空快翔
滑空訓練場
サア! 急降下爆撃だ
続け! 続け!
キュウコウカスベリ台
飛ばすぞ!
ボクラの飛行場
模型機飛行場
「錬成場」と云うよりは、通俗航空科学教育施設と遊園地を一緒くたにしたものと云える。一般人にとっての『落下傘降下』なんぞ、絶叫マシーンと何が違うのかと思う。
教育の中枢である「動く航空科学館」の内容は以下のとおりだ。
動く航空科学館
実物の双発軽爆機上より
爆撃照準投下実験
分かり易い
九七戦闘機(実物)の構造及装備解説
国民必識
防空教室
重爆撃機の行動半径
爆弾破壊力表示装置
実戦そのまま
各種戦闘実験装置
空中戦闘実況
雷撃奇襲戦
戦う航空母艦
軍艦よりカタパルト発射
君は操縦士になれるか?
航空適性検査室
協応動作試験器
注意力試験器
操縦動作試験器
瞬間露出器
空飛ぶ如くあらゆる方向に機首を向ける
地上操縦訓練機
高度○○米飛行空圧の体験
成層圏気密室
減圧実験装置
大空への道しるべ
航空相談所
実験しつつ学ぶ
空の教室
立体模型、電動装置、図表等に依る航空科学の解説
九七重爆、新鋭軽爆
発動機操作実験
成層圏室
「九七戦闘機」「九七重爆」の記述に目が行く。『愛称』ではない現用兵器の名称が、支那事変以降の一般向け印刷物に明記してあるのは珍しい。なお「新鋭軽爆」は本紙には出ていないが、別の広告から九八式軽爆撃機とわかる。
全部体験して廻ったら、トテモ一日では終わりそうもない。遠方からの来場者の多くは、不満を抱えて帰途についたのではなかろうか。どんな機械が置いてあったのか興味は尽きぬが、案内書レベルの悲しさで実態は知りようがない。
コドモが飛行機を足蹴にするのは、この頃も同じである事を知る(手前の子は無事降りられたんだろうか?)。それはさておき、「地上操縦練習」って、実機操縦席に入ってテキトーにガチャガチャやるだけ…との疑念が。
テイサツキノスベリ台
胴体の下からすべり降りるように、九四式偵察機に穴を開けたらしい。やる事が大胆だなァ…。
これはコドモ大喜びだろう。
写真左端の子供が立ち上がっているが、ここでも2−3米の高さはある。ここから飛び降りて係員に怒られた悪ガキも少なからずいたものと思われる。
通俗科学教育施設は、高尚に過ぎれば退屈になり、俗を極めればただの遊び場に堕す。作る者使う人ともに智恵と工夫の要るものだが、戦時中かつ「錬成場」を標榜していても、案内書では遊園地の性格が強く出ている。実際、『関西国民航空錬成場』の名称は、雑誌広告では月を追うごとに文字が小さくなり、かわりに『西宮航空園』の名前が前面に立つようになる。主筆自身も実は『西宮航空園』と呼ぶ。
大日本飛行協会の施設が遊園地同然では差し障りがあるのだろう、「滑空訓練・落下傘降下訓練・模型機講習所利用のみの目的にて入場の場合は前以ての申し込みにより」大人22銭・学生小児10銭(団体50人以上は大人15銭・学生小児5銭)の入場料が無料になるとある。ちなみに制服軍人・傷痍軍人・金鵄勲章佩用者は最初からタダである。
敗戦後の「航空園」がどうなったかについては、よそ様の記事(冒頭のリンクと同じです)に詳しいので、ここには書かないが、何年か前に現地に行った際、ホントにここにあったのか? と愕然とした記憶だけはある。
(おまけのおまけ)