冬が来る 餓死が迫る

「餓死対策国民大会」チラシ


 真夏には、「冬場震える方が、まだマシだ」と思い、冬が来れば「道ばたで寝ても凍えない夏の方がナンボかマシだ」とエアコン買えばスッパリ解決するような事を、10年以上繰り返している。

 『労働安全衛生法』の規定に基いた、『事務所衛生基準規則』第四条によれば「事業者は、室の気温が十度以下の場合は、暖房する等適当な温度調節の措置を講じなければならない」とあるのだが、総督府の冬場の室温は、日中のわずかな時間を除き、10度を下回ることが多い。9度くらいだと「寒いなー」がいつまでも続き、8度を割り込むとPCの前に座っているのが苦痛になり、7度以下になると「寝る以外する事がない」のだ。
 事業者に対し、室温10度以下にさせぬように規定されているのは、ちゃんと納得のいく理由があるのであった。

 と云うわけで、冬場は「兵器生活」の更新をやるのも一苦労なのである。
 古本屋でこんなモノを見つけた。


餓死対策国民大会チラシ

 餓死対策国民会議

 冬が来るぞ!餓死が来るぞ!
 ・配給量の生活は墓場への道だ!

 ・世界史末(ママ)曾有ノ二千万同胞ノ餓死ヲ政府はどうしてくれるんだ!
 ・愬(うった)えようマ司令部へ!
  迫ろう政府へ!
 ・同じ運命の民衆よ団結突進せよ!

 十一月一日正午開会
 於 日比谷公園大広場
    主催 日本国民党


 弁士
 児玉誉士夫 吉田彦太郎
 佐藤栄志  大森一雄
 仁宮武夫  北島義彦


 戦後モノではあるが、弁士筆頭にある

 の名前につられて買ってしまったモノ。

 児玉誉士夫の名前は、ロッキード事件の報道でさんざ聞かされており(トシがばれるなあ…)、『悪政・銃声・乱世』は、古本を買い始めた頃に買ってもいる。しかし、押し入れに埋もれさせていたら、『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』(有馬 哲夫、文春新書)と云う、手軽な読み物が出てしまい、『悪政・銃声・乱世』は、死ぬまで読まないんぢゃあないかと思っている。

 チラシには「国民大会」の日時しか記載されていないが、『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』には、児玉が昭和21(1946)年1月25日に、戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監されたとあり(保釈は昭和23(1948)年)、また、『毎日年鑑』(昭和21年版)「戦争犯罪とその裁判」に、12月2日付で逮捕令が出ていると書かれている。収監された後で弁士に出られるわけは無いから、昭和20年11月、敗戦最初の冬を迎えた時のものと云える。

 そこで「餓死対策国民大会」をちょこっと調べて見ると、この昭和20年11月1日の集会、毎日新聞社『昭和毎日』など、あちこちで言及されてることに今更ながら気づき、わあい面白いモノが手に入ったと小躍りし、いそいそとテキスト化していたら、昭和館(調べモノで重宝しています)の過去の企画展示「戦後復興までの道のり―配給制度と人々の暮らし―」の紹介の中で、このチラシがまんま掲載されているのを見つけ、ガックリしてしまった。このネタを葬るのは悔しいので、画像を一回り大きくして掲載してある。
 元ネタはかぶってしまっているが、大会そのものの事はドーでも良いのだ。このチラシを買った最大の理由は、チラシの文面が、
 「未曾有」と書くべきところを、「曾有」としているからなのだ。

 漢字の書き間違いは誰でもやらかすことである。しかし、「書けました」「ヨシ、印刷に廻せ」とやる際に、文面を読み返しているはずだ。「未」が「末」になってしまっていても、下の横線を延ばしてやれば、ごまかしは充分効くにもかかわらず、これが何百・何千と配布されてしまったのである。

 寒さと空腹は、人の思考・行動を誤らせるものだ、と感慨にふけるのは、主筆が明日どころか今夜のメシにも困らぬシアワセな生活をしているからで、当時の日本国民党の面々は、加筆する手間も惜しむほど切羽詰まっており、生活者の多くは寒さに震え、住み家を失った人の幾人かは、生死の境にあったのである。
(おまけのおまけ)
 「大会そのものの事はドーでも良い」とは書いたのだが、ネットに出てくる「餓死対策国民大会」の記述をいくつか見る限りでは、どうも同じ元ネタを使い廻しているように思えてならない。この大会が、日本史上どれほどの意味を持っているのか、まるで見当もつかぬが、当時の新聞記事を紹介しておく。

マ司令部に嘆願書
日比谷で餓死対策国民大会


 日本国民党結成準備会では一日正午から日比谷公園で「餓死対策国民大会」を開催、同党準備委員長児玉誉士夫、都会議員大森一夫、鈴木菊太郎等の諸氏が緊迫せるわが食糧問題を二万余の会衆に訴え、政府に対し食糧緊急増産対策を要求する決議文更に日本国民大衆の名においてアメリカ国民より一時緊急借り入れ輸入を行わんとするマッカーサー指令官宛の飢餓救済嘆願書を決定、大会終了後児玉氏以下七名の都会議員に引率され千余名の大衆がマツカーサー司令部を訪問、右嘆願書を提出すると共に午後三時首相官邸を訪問

一、三合配給制の実施
二、第一次計画として、原野、平地林等百万町歩を来年三月二十日までに開墾、馬鈴薯二十五億万貫増産
三、財閥、資産階級並に一般国民より貴金属類を供出せしめこれを見返り物資として主食三百万トンを直ちに輸入せよ


右三項の決議文を幣原首相に手交した
(『読売報知』昭和20年11月2日付)


「配給は即時三合」
餓死対策国民大会の決議手交


 児玉誉士夫氏を中心とする日本国民党は一日正午から日比谷公園で餓死対策国民大会を開催した。大会終了後児玉氏等は嘆願書を携えてマツクアーサー司令部へ、一方大都一雄、鈴木菊太郎両都議等は首相官邸を訪問次の決議文を幣原首相に手交した

一、政府は国民餓死の危機打開緊急非常対策として即時三合配給制を実行すること、全国の原野平地林傾斜十五度以内の土地と戦災未利用跡地の国家借上げを行い明年三月までに百万町歩を開拓して馬鈴薯二十五億貫を増産せよ
一、財閥、資産階級、一般国民の所有する宝石、貴金属、骨董品等の即時供出を
りそれを見返り物資として二月末日までに主食二百万トンの輸入実施に努力せよ
(『朝日新聞』昭和20年11月2日付、『□』は判読不能文字を表す)

 同じイベントの記事だが、云い廻しが微妙に違っている―読売報知「日本国民党結成準備会」・朝日「日本国民党」、読売報知「マツカーサー」・朝日「マツクアーサー」―など、ネットでは「三合配給を政府に要請」した事くらいしか書いてないのだが、新聞記事まで立ち戻ると結構面白い。

 児玉は、戦時中「児玉機関」のトップとして帝国海軍のため物資の買い付けを行い、戦後の「黒幕」となる資金―鳩山一郎に自由党結成資金一千万円を供出した事が知られる―を獲得したとされる。そう云う色メガネを使うと、決議文第三項の「貴金属類を供出せしめ」云々の部分が、児玉手持ちの(現金化出来ぬ)物資を処理する口実にしようとしたのではないか、など妙に生臭くなってくるから面白い。

 なお、大会翌日の新聞トップは、「主食 配給内容を充実」(朝日)、「二合一勺は米麦で」(読売報知)と、配給の改善に関する閣議決定の記事である。しかし「二合三勺」(昭和16年4月1日の基準)実施は困難であると、松村農相の見解が載るなど、大会決議の「即時三合実行」には、ほど遠い有様なのであった。
(おまけのお詫び)
 いわゆる三大紙の一翼を担う、「毎日新聞」の記事が無いぢゃあないか! と憤る読者諸氏に対し、深くお詫び申し上げます。
  毎月更新を維持するための事情をお察し願い上げる次第であります。