代用品「戸車」で66万6千おまけ
「兵器生活」では、古雑誌、古書、「紙モノ」と称されるチラシ類―世間さまから見れば「紙屑」である―をネタとしてご紹介している。
「紙屑」同様、世間様から持て余されているのが「ガラクタ」である。この、「骨董品」と名乗るにはちょっと微妙な物品―換金価値のあるモノは「お宝」なんて持ち上げられますが―に興味がないのかと問われれば、そんな事はない。
とは云え、本はネタの元ではあるし、ちゃんと積み上げてさえおけば、天井につかえるか床が抜けるまでは、ナンボでも買ってくることが出来るのだが、ガラクタの類は、丸くって四角くて三角な三次元の物体であるから、テキトーに積めば崩れる、踏んづけたら怪我をする(ブツは壊れる)など剣呑なところがあり、何よりも古本を置く場所を喰われてしまう。そう云う理由があって、興味はあるが、ちょっとばかり敬遠しているところはある(同じ理由で好きなプラモデルも買わなくなって久しい)。
しかし、ガラクタ類は写真を載せておけば、文字をさほど打ち込まなくても物体自体が何かと語ってくれるので、本業多忙でテキストを打ち込む余力も無い時、我が身を護る楯にはなるのだ。
と云うわけで、今回は骨董市で買ってきたのは良いが、持っているだけでは何も生み出さないガラクタを投入して、今月を乗り切る次第である。
骨董市で買った、代用材料の戸車だ。車輪も軸も、一切合切が樹脂製である。
一個がカン入り飲料に毛の生えたような値段だったのでツイ手が出てしまったのだが、店のオヤジが、一箱まとめて買えば○円で売るよ、とささやくので、
付ける戸も無いのに1ダース揃いで買ってしまった。
古本の「函つき揃い」とくれば値が高くなるものだが、割安になって、それでも古本市で買ってる紙屑一枚より安いのだからイヤんなる。
「4個あればローラースケートが出来ます」とはオヤジの弁だが、そんな真似をやったら、真面目なガラクタ道楽の人たちから袋だたきにされてしまうので、それはちょっと出来かねている。
ここに代用戸車のチラシをドンと出してやれば、「兵器生活」のメンツは維持できるのだが、残念ながら世の中そこまで良く出来上がってはおらぬ。コンナモノを買いましたでオワリにするのは、いくら本業多忙を理由にしても、読者諸氏にあまりにも申し訳が立たぬので、以前に買った戸車も、この機会に紹介して記事の分量を水増ししておく。
木のワク、木の軸に磁器の車輪をはめ込んだモノ
これは全木製の戸車
戸に付けた後では下側になる面から見る
戸に留める側から見ると、こんな感じである
この「戸車」であるが、どうやって使うモノなのか、念のため現行品―今回のため、使い途が無いのに買ってきた―の説明図を載せておく。
現用戸車の取付説明書より
残念ながら住宅の引き戸の下に埋め込まれているので、使用中のところを見ることは出来ない。
古住宅玄関の一例
このような家の戸にはめ込まれているものとご理解いただければ充分だ。
ご自宅の玄関が引き戸であれば、取り外して見ていただくと、「俺は主筆が絶対に見ることの出来ぬ景色を見ておるのだなあ…」と無駄な優越感に浸れること請け合いです。
現在市販されている、鉄製戸車(中央)と並べて見る
支那事変遂行のため、戸車に鉄が使えなくなったことが、これら代用品登場の背景にあるわけだが、樹脂製戸車の軸は樹脂―昔のプラモデルみたいに軸の両端を焼き潰して抜けないようにしてある―のせいか、カラカラと車がよく廻るものの、鉄の軸ほど長持ちするかは怪しく、木をカツンと差してある木製戸車の方は、戸につける前にもかかわらず、すでに車の廻りが渋い。こんなモノ使いたくないなあと云うのが戦後生まれの感想である。
これらは、鉄が使えぬのなら、別な材料でこしらえてしまえば良いではないか、と云う発想に基づいている。見てくれは従来のものと同様―樹脂製のヤツは良く出来ているし、木製の方だってカーブの付け方なんぞ無駄に凝っている―ではあるが、実用品としての実力は怪しい。鉄が使えぬ制約を強いられたならば、安易に代用資源に置きかえるのではなく、むしろこれを契機に、従前の戸車に替わる革新的新製品を考えるのが、企業家のつとめであろう。
などと本稿をこしらえつつ、よそ様のページを漁ってみると、ガラス製戸滑器(さえきあすか氏『ガラクタ共存記より)なんてモノがあった事を知る。
子供の頃、ピラミッドの建設現場まで、平たくて四角い板状の何かを敷いて、その上を大勢の人が巨大な石を引きずっていく想像図を見たことがあるが、摩擦の少ないモノを間に挟む意味で、戸滑器も同じ考え方によっていることになる(古代エジプトの叡智に学んだ、わけじゃああるまいが)。
人様のページに紹介されているモノの方を持ち上げるとは、「人の褌で相撲をとる」まんまで恥ずかしいのだが、知恵の使い方として、戸滑器の方が面白いのだから仕方がない。