防空恒久策として都市の徹底的改造を呼びかける67万9千おまけ
日本が先の戦争で受けた、空襲被害の大きさには様々な要因がある。
大国アメリカに戦争をふっかける無謀、大量のB−29(とその護衛機)を本土上空に飛び回らせるに至った各方面での敗北と、それらに対抗し得る防空戦闘機の不足と云う「軍防空」の失敗、住民自身による初期消火を前提とする「民防空」への過度な期待などが挙げられる。
その際見落としてしまいがちなのが、日本の都市が火災に弱い―木造家屋が蝟集していた―と云う冷徹な事実である。
この国防上の弱点に、当時の人が気づかぬわけがない。
例えば支那事変勃発前の昭和12年6月に出た、子供向け軍事啓蒙書『われ等の空軍』(大場彌平、大日本雄弁会講談社)では、
殊に日本の都市は、紙と木の寄木細工のようなものだ。焼夷弾でも落とされたときは、四方八方に飛火していよいよ危険である。
若い諸君は知らないだろうが、大正12年の9月1日のあの大震災のときの東京市民の慌てぶりを思い浮かべてみれば、くどくど言わなくてもよく分かることだ。
日本の都市に潜む危険が、関東大震災の記憶と連なって語られている。災厄が空から降ってくるとあっては、心配にならざるを得ないところだ。
それから5年の月日が流れる。すでに支那事変が大東亜戦争の一部に成り下がった昭和17年8月、帝国陸軍の防空スポークスマン・難波三十四中佐が、「国防科学叢書」の一つとして出した『防空』(ダイヤモンド社)の中では、
一般の家屋を始め、公共用建築物の大部は、所謂紙と木から成る木造であって、目貫通りでは素人目には一見近代建築の如く見えるものが相当あるが、其の実は木造であって、概観丈けを胡麻化した、所謂天麩羅建築が沢山あるのは遺憾である。
依然として「紙と木から成る」建築を嘆いているのだ。
天麩羅建築の一例
これは『新建築』昭和16年12月号掲載の「大日本防空協会会館」である。「防空精神、知識、施設の普及、宣伝を役目とする」組織の会館にして、なんと木造二階建て(地下の『防護室』はコンクリート造)なのだ。モルタル下地塗りタイル貼りなので、パッと見には木造には見えない。「天麩羅建築」―「看板建築」もこれに含まれる―とは良く云ったものだ。
難波中佐の言に戻ろう。
都市の脆弱性は我々が日常屡々体験し見聞しているのである。火災の多いことは世界第一であって、毎年約二億円のものが消失烏有に帰している。(略)大中小の火災が続出し、甚だしきは一落雷に起因して企画院、大蔵省、厚生省等の中央諸官庁が一夜に灰燼となったことは、世界には遺憾ながら類例がない
震災によらずとも、通常の火災でさえ後を絶たないと嘆息している。昭和15年の時点で、中央官庁さえも、火災を逃れることが出来なかったのだから、根のふかぁーい問題なのである。
このようにネガティブに語られる日本の都市ではあるが、それでも防空法制の整備の後を追うように、昭和14年4月より防空建築規則が施行され、隣地境界線又は幅員4メートル未満の道路中心から、3メートル内にある木造建物については、モルタル、塗壁、漆喰、耐火木材等による防火構造が要求されるようになる。しかし、外側を防火改修して得られる効果は、せいぜい延焼防止に過ぎないことは、「木造モルタル二階建てが全焼し」云々の建物火災報道に接した際、「モルタルぢゃあしょうがないよね」、と反射的に思ってしまうことでも明らかだろう。
当時の日本人が、都市の脆弱性を嘆くだけで、小手先の家屋改修と家庭防火群の錬成、遅ればせながらの建物疎開だけで事足れりとしていたら、今の日本人として情けないこと限りないのだが、恒久的な防空都市建設を叫び続けた人もいた。
東京工業大学教授の田邊平學センセイである。
盟邦ドイツの「防空都市」を紹介し、日本でも防空都市・不燃都市の建築を行うべきだと主張した人だ。この人が昭和18年3月17日に、日本経済連盟会・日本工業倶楽部共同で開催された講演の速記録が、今回のネタである。
例によってタテヨコ変換に始まる、いつもの表記変更をやっている。
『防空恒久策として都市の徹底的改造を断行すべし』
内容は、「一、主張とその動機」「二、ドイツの防空と都市改造」「三、徹底的都市改造の必要」「四、『不燃都市』建設断行の必要」「五、東京市改造計画案」「六、徹底的都市改造具体化の方策」「七、結語」からなっている。
田邊平學の主張はこうだ。
我国都市防空百年の大計を樹立実践せしめんが為には、重要諸都市の徹底的改造を断行し、特に完全なる不燃都市を建設する要あり。仍て即時これが計画の樹立並に実行着手を要望す
防空を力説する人の多くが、指摘のみに留めている「紙と木の都市」を、「燃えない都市」に作り替えよと云うのだ。それも即時にである。計画の樹立と実行着手が並記されている所に、危機感と切迫感の大きさが伺える。
冒頭「一、主張とその動機」の中で、彼がこのような主張をするに至った経緯が語られている。
(略)まだ筆者が学校を出たばかりの時にドイツに留学して居り、偶々ベルリンで火事に出会ったことがあるのである。(略)火事はというと、煉瓦造五階建てのアパートの二階のある部屋が燃えて居るのだが、消防隊が駆け付けたかと思うと忽ち其処にあった水道の消火栓にホースを繋いで、消防夫の一人が窓から飛び込んだ。飛び込んだかと思うと、それまで窓から盛んに吹き出て居た煙がすーっと引いてしまう。もう鎮火だ。
この火事の際に隣近所の者が誰一人荷造りをして逃げようとするのでもなく、唯静かに上階の者は煙が入らないように窓を閉めて居るだけである。
殊に自分が驚いたのは、消防夫が消火作業をやっている最中に、一人の老婦人がバスケットを下げて悠々とホースを跨いでその建物の一階にある八百屋で買い物をして何かバスケットを満たして帰って行く姿を眺めたことである。
「これが本当の耐火建築だ」と深い感銘を受け、「日本の建物も火事で燃えている最中に買い物が出来るようなものにしたい」、「そうさせねばならぬ」の信念を持って今に至ると述べている。
彼がこのような信念に基づいて発言している事を覚えておいて欲しい。国内で火災による被害の報道に接すれば、こんな感想を述べるのである。
映画館の開演中に突然の火災が起こり、何百人かの人が死んだという、(略)非常口が開かなかったことが、惨事の原因であると書いてあった。が、誰もその原因として、建物が木造であったということには触れて居らぬのである。(略)アパートが焼けて、大勢の人が死んだという事件が起こった場合にも、(略)非常階段がなかったからであるとか、二階に寝て居ったのが悪いのだというようなことが書いてあったけれども、これ亦その建物が木造であったということに就て誰も触れて居らぬのである。
(略)先年大蔵省や企画院の建物が一夜の落雷で以て焼けてしまったことがある。(略)色々な説明があった様であるが、これ亦誰一人として建物が木造であったという問題に触れた者もなければ、これを指摘した人も居ない、(略)一番大きな原因が、総ての日本人の盲点に入って了っている。これは或はもう我々は火事というものは必ず家が焼けるものだという風に一つの諦めになって了って居るのではないか(略)これはとんでもない大間違いであると思うのである。
なるほど、盲点と云えば盲点だ。しかしこの論法で行くと、飲酒運転で歩行者をはねるのも、スピードを出し過ぎ何かに衝突して死んでしまうのも、「自動車を運転しているからだ」と云うことになる。
この人、関東大震災当時はドイツにおり、現地で「大阪から仙台まで只の一軒も立って居る家がない、三百万人以上の人が命を失った」との報に接し、驚愕・落胆するのだが、その時読んだドイツの科学雑誌の中に、「聡明にして且つ果断なる日本人は、必ずや近き将来に於いて その建築物の全部を耐震耐火にして且つ耐久性を有する鉄筋コンクリート構造若しくは鉄骨構造に改めて、世界に範を示すに至るものと確信する」とあるのを見て、そのページを持ち帰るほどの感銘を受けたと云う。
「一、主張とその動機」は、こう結ばれる。
関東大震災から丁度今年でまる二十年になる。我々は顧みて果たして忸怩たるものがないであろうか?
続く「二、ドイツの防空と都市改造」は、昭和16年、文部省の命(建設防空学の資料入手のため)により再び訪れたドイツでの見聞が語られているが、ここは端折って、「三、徹底的都市改造の必要」に移る。
戦時下のドイツ、イタリアを見て「建築防空の世界的水準」のレベルを見極め、帰路はアメリカ経由で帰国したその目で、国内の都市を見るにつけ「憂慮に堪えない」所が感じられるとした上で、都市計画のあり方が語られる。
雄渾無比なる規模、構想の下に進められつつある大東亜戦争の大作戦に呼応し、大東亜共栄圏の建設に関して立案実施せらるべき一切の計画は、従来の島国的小策を廃し、飽くまで雄大高邁なる大策でなくてはならぬ。都市計画も亦当に然りである。
戦争の規模は確かに雄渾無比(末期のことはさておき)ではある。しかし大東亜戦争が支那事変処理の失敗によること―白シャツの墨ハネを取るかわりに、シャツ全体を黒く染めるような―を思うと、雄渾無比な構想とは云えないのだが、陸軍中堅将校連中の、「国家総力戦に耐えうる国家を作る」活動が、紆余曲折の末にここに至ったのだと考えれば、壮大な構想に基づくのだと強弁出来ないこともない(東京裁判や『15年戦争』と見なす考え方はそうだ)。
田邊センセイは、共栄圏の盟主たるべき日本の現状をどう見ているか。
我国諸都市の現状は、これを防空上の一項目たるに過ぎぬ「防火」の一点より見るも、(略)防空上至大の欠陥を有する実情にあるを見出して、真に寒心に堪えないものがある。勿論断片的には種々の計画もあり、又応急的には各種の施策も進められているが、その相互間に総合性が乏しい。殊に恒久的計画というものに至っては皆無に近しい感がある。
寒心に堪えぬ現状、総合性の無い施策、そこで「総合的恒久計画」の必要性が訴えられる。
徹底せる総合的恒久計画の樹立こそ、真に急務中の急務である。一切の応急処置は、予め用意さられた根本計画の線に副って進められるべきものである。
道路一条の工事も、住宅一戸の改築も、この徹底せる恒久策の実現に向かって一歩一歩を進めるように取り運ばれて行かなければならぬものと存ずるのである。
戦時下万一敵機の来襲を受けて被害区域を生じた場合にも、焼跡に今までと同じようなバラックが再び立並ぶようなことがあってはならぬのである。その焼け跡は予て用意されていた周到な計算に基づき恒久策実現の一端として、或は耐火建築を建てさせるように指導するとか、必要に依ってはこれを空き地としてその儘保存するという風にして、果断且つ迅速に処置されるようでなければならぬ。又仮令今次の大東亜戦に直ちに役立たずとも、必ずや来たるべき次の大戦がある。
戦後の東京では、「復興都市計画」が策定されるが、それは骨抜きにされ、結局焼跡にはバラックが建てられ、駅前などにヤミ市が立ち並び、掘割は瓦礫捨て場と化してしまう。「恒久策」どころではない。
田邊が、昭和18年3月の時点でもう次の戦争を見ているのは、ちょっと怖ろしいところだが、
大地震は七十年か百年に一回起こるというが、戦争は過去の歴史が示す通り、十年に一回は必ず繰り返される。来るべき次の大戦に備えて 絶対不敗の態勢を将来永く期し得べき完全防空都市の実現を計ることが国防上特に重要にして、欠くべからざる所以を痛感して已まぬ次第である。
1894年日清戦争、1904年日露戦争、1914年青島での日独戦争、1928年済南事変、1931年満洲事変、1937年支那事変から1941年大東亜戦争と、10年に一回とは行かぬものもあるが、大震災よりも戦争の方が頻発すると云う、モノの考え方もあったのだ。
続ける。
都市の徹底的改造を計画、実施せんが為には、先決問題として大東亜共栄圏の全地域に亘る国土計画の樹立、特に産業立地の急速なる決定と、その実施が要望される。この場合、国土計画に就ては「防空」という点を十分に考慮する必要がある。
こう述べたところで、ドイツの国土計画の進め方について語る。
ドイツでは国土計画・地方計画・都市計画共にそれぞれ計画並に実施を掌る 専門の官庁乃至委員会があるが、これ等の機関は(略)他の一切の掣肘を受けないことは勿論であるが、(略)少しも今の戦争ということに煩わされずに一意専心、徹底的な研究に没頭しつつある。而してその研究結果は直ちに実行に移される。戦時下直ちに実行しないものも無論ある。そういうものに就ては戦後に於て 直ちに着手が出来るように慎重に研究計画し、綿密に準備されつつある。
(略)ベルリンを中心としたブランデンブルグ州の地方計画委員会では、この州内に設けられるべき各工業都市の図面が全部出来上がっている。(略)「一体これが実現するのはいつか」と尋ねた所が「恐らくそれは三十年後か五十年後であろう。ものに依っては百年後のものもあるであろう」との答えなので「それではとても君は見られまい」と言った所が「自分で見よう等とは思っていない。だが若しこういう図面が今出来ていなければ、今日新設したい、拡張したいといって来る工場に対して、出鱈目にこれを許すことになり、挙句の果ては収拾すべからざることになる。若しこの図面が出来て居れば(略)この計画図に合わせるように指導して行く。そうすれば(略)工場が小さい針で刺すが如くにこの地図を埋めて行き、軈て何年か後にはこの図面通りのものが出来上がってしまうのだ。日本でも恐らくそうやっているのだろう」と聴かれて、筆者は返答に窮したのである。
外国で、百年先をも見据えた計画が策定されている所に感心して、日本もかくあらねばならぬと云うわけだが、現代の日本で、産業構造の変化により、干拓や、ダム建設の目的が失われたとして、事業の是非が争われている事を思うと、恒久的な計画とは難しいモノであるとの感を強くしてしまう(一旦無意味とされた計画でも、前提が変われば、切実に必要になる可能性もある)。
防空の視点では、マドリードを訪れた際、現地武官に云われた言葉を引いている。
日本では最悪の場合ということを考慮に入れず、少しでも安全の公算があれば、その安全な方の気休めで万事を行っていく弊がある。防空に関する問題だけは、従来の日本的なやり方でなく、是非とも徹底的な策を強行して欲しい
このあたり、昨今の原発再稼働問題など思い浮かべながら読むと、なかなか面白い。
いろいろと寄り道があった所で、いよいよ都市大改造の根本方針が語られる。
第一、木造建築の即時厳禁である。少なくとも都市の中枢部の相当大なる範囲に亘って実行したい。それと共に恒久的計画に基づいて、これに代るべき不燃都市を建設して行く。
これには一定の年次計画、例えば二十年乃至三十年計画の下に現在の木造建築物を取払い、代うるに耐火建築を以てする。
取払うということが若し面倒であるならば、投げて置いても木造建築は三十年も経てば寿命が来る。故に木造建築を即時厳禁という以上は、新築は勿論、改築・増築・大修繕も禁止する。斯くすれば、強いて取払わなくても三十年後には自滅すると考える。そしてこれに代えるに耐火建築を以てする。この際建物の階数の必然的増大に伴い、道路は幅員を増大し、公園・広場等の緑地或は空地も獲得される。(略)速かに断行するならば、都心の重要部より始めて、漸次外周部に及ぼす。一案としては当該地区の居住者を 予め用意せる数箇所の理想的な模範住宅に移転せしめて、改造を進めて行く。
早速「木造建築の即時厳禁」である。住人との建て替え交渉が面倒なら、滅ぶべきものが勝手に滅んだあとで堂々と耐火建築に建て替えてしまえば良いと云う、築40年を越えた総督府(一応『防火建築』)にケンカを売るような論である。ある地区の住民全部を、よそに設けた「模範住宅」に移して再開発をやるのだから、紳士的な「地上げ」だ。
第二は、大都市内外に於ける工業規制とこれに代るべき工業立地である。(略)地方計画的に工場を分散せしめ、その付近に木造住宅を許可すれば、都市内に木造建築を禁止しても、住宅難の起こる虞はなくなる。
日本全土から木造住宅を一掃する、と云う気は無かったので、ちょっと安心している。
第三は、大都市内外に於ける学校規制(少なくとも高等専門学校以上の学校は大都市の内部には造らせない)とこれに代わるべき学校建設地域の指定並びに発達助成である。
第四は、重要諸施設の分散の断行である。
第五は、新計画に適応すべき交通諸機関の整備及び改廃統合である。
第六は、都市の内外に対する新住宅政策の実施である。
これらの多くは従来屡々提唱されているところであって、第一の「木造建築即時厳禁」(不燃都市建設)以外は必ずしも今初めて出た問題ではない。既に部分的には実行に移されつつあるものもあろう。又計画中のものもあろう。併し乍らその実現は余りにも遅々としており、確乎たる総合的計画が軌道に乗って進行しつつあるものとは何としても認め難いのである。(略)従来攻究立案され乃至は実行され来りたる一切の計画乃至事業をこの際根本的に再検討し、白紙に還元して徹底的に計画を樹て直し、第一歩より再出発する勢いを以て進まなければならぬ秋であると確信する。
「総合的恒久策」の必要を叫んではいるが、その本音は都市部の「木造建築即時厳禁」の実行である。
なぜいつまでたっても不燃都市か実現しないのか? 材料が軍用に押さえられているからだ。戦争の目的は大東亜共栄圏を建設するためと云われ、かつ百年かけてもやり遂げねばならぬ大事業だと喧伝されている。それだけの大事業になぜ不燃都市建設が入っていないのか?総合的な大計画が存在しないからだ。計画さえ出来上がれば…そう云う思いが強く感じられる。
(しかし、認可した人間だけしか成功を疑わぬ計画と云うモノもあるよ)
「四、『不燃都市』建設断行の必要」は、民防空遂行上の問題にからめて、鉄筋コンクリート建築による耐火建築の必要が叫ばれる。
焼夷弾こそは周知の通り、我国木造都市に対する最大の敵である。
(略)我国の如き木造都市に対しては、如何なる種類の焼夷弾が今後投下されるか、予測難い。殊に将来に対しては、現在考慮されている限りの総ての焼夷弾に対して策を講じて置く必要があると信ずる。(略)
焼夷弾の脅威を述べた後、そこいらの防空啓蒙本には見られぬ言葉が出てくる。
国民の旺盛なる防空精神の涵養、防火訓練等の人的要素の重要なことは今更論を俟たぬ。消防機関その他消防施設を充実すべきことも勿論重要である。併し、都市自体を今日のように燃え易い危険な状態に残して置いて、防火を専ら人力に依らしめようとすることは、余りにも人力に対する負担が過重である。
こういう都市を持っておっては軍防空の責任や負担もこれが為に著しく過大となり、都市防空に必要以上の力を注がねばならぬ不利があるのではないかと考える。
故に将来の対策としては、飽くまでもその根本を衝いて、大火災発生の虞なき完全な不燃都市の建設に向かって全力を注がなければならぬ。併せてその対策は単に燃えないというばかりでなく、人命防護の目的をも或る程度まで達成し得るものでありたい。
ここで「一、主張とその動機」で紹介された、ベルリンで遭遇した火事の経験が生きてくる。現在の民防空では「人力に対する負担が過重である」と、他では見られぬ主張をする背景は、まさにこれである。
待避壕から炎の中に飛び込んで消火にあたらなければならぬのも、隣組総掛かりでバケツリレーを展開するのも、放っておけば家が燃え、隣家が燃え、近所一帯が丸焼けになってしまうからである。
消火活動(とその準備)に当てるマンパワーを、生産増強に振り向ける。焼けたら立て直せば良い! くらいの風呂敷を拡げていれば、この論も受け入れられたかもしれない。
結局の所は、マドリード駐在武官の危惧していた「安全な方の気休め」(実際は、まだ危険が発生していないだけなのを『安全』と思い込むことにして、と云うべきか)に終始してしまったのである。
不燃都市の実現にあたっては「当然現在建築学が推奨する第一級の耐火構造たる鉄筋コンクリートを採用すべきである」と云い切っている。
それを「理想に過ぎず」とする意見は、「目前の小事に囚われて国家百年の大計を誤る」と一蹴。「我国は宿命的なる木造都市を有し…」「木造建築物は吾々の生活と切っても切れぬ関係を有し…」など、「木造以外のものに対しては振り向いて見ようともしなかった」事は、「大きな誤り」と斬り捨てる。現在不燃都市となっているドイツでも、昔は木造建築だったものを、14〜5世紀に法令で禁止したことを語っている。日本では応仁の乱で京都が焼け野原と化していた頃の話である。
論調は熱を帯び、「都市は軍備である」とも云う。
都市は将来に於ては正しく軍備の一部であり、或は軍備以上のものである。軍艦を造るのと同じ重要性を以て都市は武装さるべきものである。飛行機・戦車を整えるのと同じ緊急性を以て都市防空の強化は実施されなければならぬ。(略)我々の決心が一日遅れれば遅れるだけ、我が国の都市と欧米諸都市との武装の差は顕著となるばかりである。(略)我々は一刻も早く理想案に近い恒久策を樹立し、これが実現に向かって万難を排して邁進しなければならぬ。
幸いにして建築学上の対策は既に出来上がって居るのである。「鉄筋コンクリート構造」即ちこれである。而も鉄筋コンクリートたるや、単に「火災」に耐え得るに止まらず、「爆弾」に対する抵抗も相当大きい。(略)昨今上空にばかり気を取られ聊か忘れられ気味にあるのではないかと案ぜられる「地震」に対しても安全であることは既に識者の知る通りである。(略)学術的に価値を十分に実証された 斯くの如き優秀な建築構造の存在を知りつつ、これを都市武装に実施せざるは明らかに誤りである。極言すれば、現代科学を冒涜し、悔いを百年に残し、「宿命的木造建築」の名の下に、我々の子孫をして未来永久に劫火の危険と爆弾の脅威とに身を曝さしめんとするものである。
策は既にあり。要は英断あるのみである。
不燃都市を実現させるためなら、どんな事でも云ってやる、書いてやる信念がひしひしと伝わってくる。都市も軍備である以上、戦時を理由に都市改造に資材を供給させぬ当局は、「非国民」かつ「民族を死地に誘う無知蒙昧の輩」であると云わんばかりだ。
木造の建物を墨守せんとする者、その他この説に反対せんとする者は、或は言うであろう。「我夙にこれを知る。而も我国の経済力これを実現せしむるの能力なきを如何せん」と。
これは能力がないのではない。実行せんとする意志がないのである。意志がある所、道は必ずある。
若し十年計画で成し能わずば二十年を以てすれば宜い。二十年にして猶成らずば、藉すに三十年の歳月を以てすれば宜いのである。要は「成さんとする決心」と、「即時の着手」と「千挫不撓の努力」である。「成す能わず」して為さずば果たしていつの日に成るであろう。
周到なる年次計画の下に、着々として進めば、目的は必ず達成し得る。現に関東大震災に因って焦土と化した彼の東京が、先人達の努力に依って兎も角今日の状態にまで到達したではないか!
耐火建築が増えぬのは経済力の問題だと、さかしらな意見を云う者には、やる意志がないだけだと一喝する。少しずつでも今すぐ始める、関東大震災から(一応の)復興をとげた先人を見習え。もはや精神論である。しかし、それには理由があるのだ。
尚 万一これが未完成の状態に於て、再び戦争の勃発する場合を案ずる者があるかも知れぬが、その顧慮も無用である。
都市の建築物中に一割の耐火建築が完成しておれば、防火防弾的に正しく少なくとも一割の価値の増進があるのである。若し五割が完成して居れば正しく五割は武装が強化されるのである。これを脆弱な木造の儘に投げて置くのとは到底同一の談話でない。況んや不燃建築物は国家の財産である。これに投じる費用は決して無駄なものでも贅沢なものでもない。これに反して木造建造物は火に対して殆ど無価値に近い。ゼロは幾ら積んでもゼロである。
わずかの耐火建築であっても、それが防火防弾性を持っている限り、そこにいる人と財産は残ると田邊センセイは考えている。耐火建築は資産なのだ。資産形成の第一歩は、今日の貯金である。始めなければ資産形成の本を何冊読んでも、ゼロは永遠にゼロだ。「兵器生活」も、書き始めなければ当月の更新は出来ず、誰にも読んでもらえない(毎月更新しているのに読者は増えないが…)。
とどめの一言は
切羽詰まれば米英両国を相手にしての戦争さえも可能となるのである。我国の民度が許さぬとは決して申せないと思う。
平學先生は、対米英開戦には絶対反対だったに違いない。
不燃都市実現のためには、大東亜建設の大義を持ち上げ、ドイツの防空建築を称賛し、木造原理主義者を罵倒し、よりによって、米英両国に戦争をしかけた事までも例に引き、切羽詰まれば何でも出来ると獅子吼までする。
この熱意、実家が火事で焼けて苦学でもした経験が疑われるくらいに強い。こう云う人が「マッドサイエンティスト」に転じるんぢゃあないだろうか…。
このヒト、鉄筋コンクリート建ては未来永劫不朽であると信じているフシがある。
ところが昨今、年数を経た鉄筋コンクリート建てマンションでは、建て替えをめぐる見解の相違―建て替えた住人VS当初から暮らす老い先も見えてこのままで良い住人―で紛糾するケースもあると聞く。世界遺産入りを目指す「軍艦島」にある、日本最古クラスのコンクリート製集合住宅も倒壊の可能性が認められると云う。耐震性に問題を抱える公共施設は鉄筋コンクリート製であり、団地の建て替えもあちこちで進められている。取り壊しの手間、瓦礫の処理を考えると、むしろ焼いてスッキリ木造建築と云いたくなってくる。
「そりゃ設計と施工の問題だ」と、田邊センセイは平然と仰せられるような気がしてならない。
(おまけの後記)
「五、東京市改造計画案」「六、徹底的都市改造具体化の方策」「七、結語」はどーなった? と思われる方も多かろう。
「五、東京市改造計画案」は、もう少し勉強してから紹介した方が、自分も面白く、読者諸氏も楽しめるネタになりそうなので、あえて割愛する。
「六、徹底的都市改造具体化の方策」は、
(一)強力なる「一元的」組織の完成(国土計画・地方計画まで含めた『国土省』の如きものが望ましい)
(二)「研究機関」の整備と活用
(三)「実行」の法令による徹底
(四)「宣伝」並に「教育」の普及徹底
と四項目が挙げられているが、具体性に欠けるものに過ぎず、「七、結語」は「要は英断と実行とにある。(略)焼野原になってからでは間に合わぬ。」と先に述べたことを繰り返しているだけの事なので、詳細に語る必要はない。
田邊平學が訴えた事は、結局受け入れられることなく、空襲の惨禍を経て日本は敗戦の日を迎える。空襲を生き延びた彼は、昭和22年4月発行「明日の都市」(相模書房)の冒頭で、
我国は都市計画なき国であった。少なくとも科学的都市計画のない国であった。
燃料にも等しい木造家屋の雑然たる堆積と、狭隘曲折せる街路の交錯と、無統制なる人口の過大集中によって、防災上は勿論、保健・交通・経済・能率・美観等の上から、我国の諸都市は世界の文明国に絶対に類例を見ぬ最悪の状態にあった。
僅か半歳の戦火によって、東京を始め一二〇に及ぶ全国の大小都市が、一挙にして壊滅したのも、「科学なき都市」として、いわば必然の運命だった。
と記すことになる。
(おまけのおまけ)
10年くらい前、総督府の近所で休日の昼間、ぼや騒ぎがあったことがある。
向かいと隣の家から、水まき用ホースで放水していたが、水量がまったく足りず、自分もアパートから消火器を持ち出すなどして、近所総出で消火活動をやった。幸い、風呂ガマ点検用の扉が焼けただけで大事には至らなかったのだが、ここで燃え広がったらウチの本が危ない! と焦っている最中に、その家の住人が二階から降りてきて騒ぎを他所に何処かへ出掛けて行ったのを見て唖然とした事を思い出した。
消火器は一本あった方が良いです。