おごるもの ひさしからず

戦時中の『標準いろはかるた』で68万5千おまけ


 古本屋の目録に、戦時中のカルタが出ていたので(安くはなかったが)買う。


『標準いろはかるた』

 箱には、

 従来のことわざかるた(犬棒)かるたには 難解な文句や新時代に則し(ママ)ないものが多々ありましたので そう云うものをすっかりはぶいて 昔から云い慣されていることわざの中から良いもののみを撰んでかるたに作りました。
 ことわざかるたの標準になるものと信じ 標準いろはかるたといたしました
 今回始めての試みとしてことわざの解説を付けましたから お子様方のよい勉強になる事と思います


 誇らしげに書いてある(例によって仮名遣い等改変している)。
 「ことわざかるたの標準になるもの」と、時代を超えて使えるモノを自負してはいるが、


 「今日では差別的と解釈される表現」(毎日ワンズ『挙国の体当たり』凡例)
 「今日では不適切と思われるもの」(ちくま学芸文庫『婦人家庭百科辞典』凡例)
 「今日の社会的規範に照らせば差別的表現ととらえられかねない」(河出文庫『ロッパ食談 完全版』巻末編集コメント)などと断罪されるモノも、中にはある。

 この札の「解説」をひく、

 目が見えなければへびが、おってもこわくありません、ほんとうのことを知らないと きけんなことがあります

 あの言葉はこう云う意味だったのかと、目からウロコ。

 ことわざ自体が今でも用いられていても、このカルタが印刷されたのは昭和18(1943)年9月の戦時中である。ついた絵が、時代を超え現代でも通用するものであれば、ある意味凄いカルタであるのだが、そう云うモノを「兵器生活」主筆が、わざわざ大枚叩いて買うわけが無い。

 目録には、この札が掲載されていた。


おごるもの ひさしからず

 おごるもの ひさしからず
 ぜいたくをしたり、えらばったりしていては、しまいにはしっぱいします、けんやくをし、しっそなせいかつをしましょう

 今の「富裕層」の人に説いて聞かせたい解説だ。この言葉は人の世が続く限り古びることはない。しかし、何故絵札がコレなのか?
 「驕れる日本軍 久しからず」としか見えないので、ネタにするべく買ってしまったわけだが、「竹槍では間に合わぬ」と新聞に書いた記者が、懲罰の意味で徴兵された事件(昭和19年2月)まであった当時を思うと、あまりにも根性が入りすぎている仕業だ。ここは世界の富を独り占めにしている米国を懲らしめている図であると、無難な解釈をしておく。
 しかし、ナゼ日本兵…。

 ふじゆうを つねと思え
 ふじゆうなことがあっても これがあたりまえのことだと思えば けっしてつらいものではありません

 基本的にはその通りだ。
 しかし、失政のツケや経営の無為無策(方向違いの『対策』もだ)のツケを押しつけ「不自由を常と思え」などと口走っていると、いつか日本の兵隊さんが懲らしめに行くと思う。

 死してのち やむ
 やり出したことは どこまでもやりとげましょう、死ぬまでやめないと云う元気が大せつです

 この二ヶ月ばかり月の前半休み無しで働いていたので、こう云う語句を見ると、少し腹立たしい。
 絵札は、「軍神」広瀬中佐の「杉野は何処」を描いたものだが、結局部下を見つけられず、短艇に戻ったところを撃たれているのだから、「死ぬまでやめな」かったわけでは無い。絵札としては木口小平の方がふさわしいと思う。

 たることを知れ
 まず 天皇陛下のおかげでりっぱにいきてゆかれることを思い 兵たいさんたちに、かんしゃしてふそくを云わずにくらしましょう

 パン・ウドン・イモの絵で、なんで「足ることを知れ」なのか?
 「米飯」が無くても「代用食」があるのだから文句を云うな、の意味だ。敗戦後に、「朕はタラフク喰ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」なんてプラカードが出てくると、誰が想像できただろう。
 ことわざ自体は不変でも、解釈は時代の有り様を反映する事もあると云う見本。

 ぜんは いそげ
 よいことは いくらはやくしてもよろしい、よいことだと思ったらすぐにおこなうようにいたしましょう

 西欧列強の殖民地にならぬようにしよう、と云う「善」が近隣民族の恨みを今に残したり、総力戦に堪えうる軍隊を備えようと云う「善」が、軍隊どころか国を破綻させた例もある。
 もちろん、ここで云う「善」は、そう云う性格の事では無いのだが、なんで羽根の生えた擬宝珠みたようなモノを描いてしまうのか…。
 善事をビジュアル化するのは案外と難しい。

 (お)わりがだいじ
 どんなことでも やはりはじめたら を(お)わりまでやりとげましょう、とちゅうでやめてはなりません

 これも解釈に苦しむ絵札である。
 何故エッフェル塔にハーケンクロイツの旗で、「終わりが大事」なのか。ドイツがフランスまで戦争を止めておけば、日本は米国と戦争なんぞしないで済んだものを…と暗に文句を垂れているように感じられてならない。あるいは、パリを戦場にしてでもフランスが徹底抗戦していれば…と云う事なのか。

 めぼしい札をこのページに貼り付け、いつもの与太を書き加えて呑んで寝て起きふと思う。
 もしや、絵札を描く際に「お」と「を」が取り違えされているのではないか?


 おごるもの ひさしからず
 ぜいたくをしたり、えらばったりしていては、しまいにはしっぱいします、けんやくをし、しっそなせいかつをしましょう

 フランスが驕った国かどうかはさておき、質実剛健な国と見られていたナチス・ドイツに首都を取られたのは事実だ。「終わりが大事」よりはしっくり来る。
 であれば、


 (お)わりがだいじ
 どんなことでも やはり(ママ)はじめたら を(お)わりまでやりとげましょう、とちゅうでやめてはなりません

 まさしく「撃ちてし止まん」ではありませんか!
 米英を屈服させるまで、何年でも戦い抜こうと云う決意の現れが、いろはかるたの中にまで。
 しかし負け戦になったら深手にならぬ前に、途中でやめるに越したことは無い。なびかぬ異性に執着するはストーカーの始まり、無理を通せば押し切られた方は面白くなく、長く深く根に持つものだ。

 と云うわけで、子供向けに作られたはずのカルタでさえも、時を経ると「なんでこうなるの」な難解なシロモノに変貌するのである。
(おまけのおまけ)
 同じ目録に出ていた別のカルタも、抽選で当たってしまったので買わざるを得なくなる。


 敗戦のドサクサの中、三日で作り倒したような『国際英語かるた』(会話編1)。
 これは違った意味で面白いのだが、ネタの倹約のため、中身の紹介は別な機会でやることにします。