レビューと航空の密かな関係

陸軍航空本部 西原勝少佐とタカラジェンヌの時局対談


 「空の日」(9月20日)の前身、「航空日」の第一回目が官民総力をあげて挙行されたのは、昭和15(1940)年9月28日のことである。

 羽田飛行場での「航空ページェント」、模型飛行機の大会などが知られているが、2014年に創立百年を迎えた宝塚歌劇団(当時は『寶塚少女歌劇團』)も、10月度の大劇場月組公演(9月26日〜10月24日)でレビュー「航空日本」を上演することとなった。時局迎合と云えばその通りなのだが、オリンピック・万博を返上―さすがに紀元2600年奉祝は自粛しなかったが―までして続けている中国との戦争が、3年を経過しても先が見えぬご時世でもあり、仕方がなかったと云う所だ。

 宝塚少女歌劇団の機関誌『歌劇』昭和15年10月号は、「航空日制定記念 航空日本特輯号」と銘打って発行されている。


「メカと美少女」ではなく萬代峯子とDC3「桂号」

 宝塚ファンでもない主筆が、何で斯様な雑誌を買っているかと云うと、陸軍航空本部で、一般国民向けに軍(もちろん『陸軍』)航空の啓蒙活動を行っている、西原勝少佐(当時)と、劇団員(タカラジェンヌとルビがふってあるつもりで読んでいただきたい)の対談が掲載されているからなのだ。

 と云うわけで、今回は「航空時代」と題された対談を全編復刻紹介する。
 記事の表記では、疑問符・感嘆符のあとにまで律儀に「。」をつけてあるのだが、読む人が違和感を覚えるので、そのあたりも含め、例によって仮名遣いなど改めてある。
 10ページ(本文無関係の広告含む)にわたってダラダラと続く対談なので、適時切れ目を入れ主筆の所感―与太―を差し挟んである。
 なお、以下掲載してある写真のうち特記なきものは、すべて『歌劇』10月号から取ったものである。
航空時代
 出席者:
 陸軍航空本部 西原 勝少佐
 宝塚少女歌劇団 佐保 美代子、汐見 洋子、難波 章子、鶴 萬亀子
 内海 重典(『歌劇』編集部)


西原少佐とタカラジェンヌたち

 女性陣に囲まれ、ご満悦なのか緊張しているのか、写真からはつかみ所の無い西原少佐。出掛ける前には羨ましがられ、戻った後ではさんざ上司同僚から冷やかされたに違いない。

 無敵(帝国領内)の権勢を誇る、「帝国陸軍」からの客を迎え撃つタカラジェンヌ達は、写真左から順に、リラックスしている佐保美代子(『航空日本』の主たる配役では『踊る男』)、軍人が横にいるからか堅くなってる汐見洋子(『航空日本』の配役には名がない)、少佐をはさんで鶴萬亀子(つる まきこ、と読む。『山岡』)、ソファからはみ出てしまっている難波章子(『歌手』)である。
 この五人の中で、西原少佐が一番小さく見える。

 写真には写っていない、司会を務める『歌劇』編集部の内海重典は、のち演出に転じて、戦後の舞台を支えることになる。


佐保美代子(右は『満潮』と云う演目での姿)


難波章子(左は『満潮』のもの)


鶴萬亀子(『歌手』の扮装か?)


内海
 本年より九月二十八日を航空日と制定されましたので、それを記念して、この十月宝塚にても「航空日本」というレヴュウを上演致します。で、先ず航空日制定の意義というところから話して戴きたいと思います。

西原少佐
 航空日にはこっちから云えばたいした意味はないが、宣伝から云えば、詰まり民間から云えば、その日は航空に関係したことをやって、航空のことを知るという意味で決められたのです。小学校では講演とか、そういうことがあるし、君等もその日は早く起きて話を聴いたらいいだろう。宝塚ではレヴュウをやるそうだが、航空に関係したものを方々でやって貰いたいと思う。

佐保
 その日は特別に飛行機が沢山飛ぶのですか。

西原少佐
 出来るだけ沢山飛ばそうと思います。そう云っても全部飛ばす訳にはいかないが、各地方に出来るだけ飛ばすようにしたい。
 ―だが、レヴュウと航空とはどういう関係なのだろう。航空とレヴュウで共通に使っている言葉があるが、知っているかね。謎々みたいだが…。


佐保
 インチキなのと違いますか?(笑声)

西原少佐
 一番初めに「ア」と付く。

汐見
 さあ。(と考え込む)

内海
 アクロバットですか。

西原少佐
 そう。レヴュウでアクロバットというのはどういう意味?

内海
 軽業みたいなものです。

佐保
 ダンスではないけれども、曲芸―。

西原少佐
 飛行機ではアクロバシィと云う、宙返りはダンスのにはどんなのがある?

佐保
 トンボを切ったり…。

西原少佐
 うしろへ?

佐保
 そうです。

西原少佐
 前は?

佐保
 前でも横でも…。


 手を使わないでやったり、いろいろあります。

汐見
 あれはその専門があります。

内海
 飛行機のアクロバシィは相当技術が要るのでしょうね。

西原少佐
 飛行機のアクロバシィは、君等のダンスよりやさしい。横にひっくり返ろうとするなら、こう(手真似で)ぽんとやれば出来る。唯直すのがむづかしい。―アクロバットは一部のものだけにやらせるのかね。

内海
 ほんの一部です。

西原少佐
 やって見て出来そうな人に…。

内海
 昔はやって居りましたが、身体が非常に悪くなるらしいのです。

汐見
 怪我をすることがあります。

佐保
 余程小さい子でないと骨が堅いから駄目なんです。

西原少佐
 子供の頃からやるのか。

内海
 子供の頃から酢を飲んでやらなければいけないのでしょう。支那人はそうですね。―アクロバットと飛行機を結び付けられるとは考えなかった。


 宙返りやいろいろ曲芸する意味では同じですわ。

 司会者が、レビュー「航空日本」をやる理由である「航空日制定の意義」を尋ねているのに、「たいした意味はない」と、西原少佐の余計な一言が光る。
 続けて、所詮女優なんぞ自堕落な生活をしているんだから、朝寝ばかりしているのだろうとばかりに「早く起きて話を聴いたらいい」と追撃に出るが、自分から振った「謎々」の反応を見ているうちに、彼女たちも高度な身体操作能力を持っているのかと見直したようで、以後対談は和気藹々と進行していく。

 「酢を飲んでやらなければ」、歌劇団の人間がそんな発言をして良いのだろうか?

 緊張がほぐれたところで、話は飛行機のことに移る。

佐保
 きのう羽田で桂号の機械を見て吃驚したわ。

西原少佐
 あの位のことで吃驚してどうする!

佐保
 あんな複雑なのないわ。ギヤアだけ自動車と同じね。


 ちょっと大きい人なら、あの操縦席には入れないでしょう。

西原少佐
 そんなことはない。

佐保
 せまいわ。

西原少佐
 だから三時間四時間飛んだら腰が痛くなる。

内海
 昔の幼稚な時代の飛行機は、どんな機械でどの程度飛んだものですか。

西原少佐
 そういう講演をしても詰まらんよ。堅くなりすぎるからね。

佐保
 私達航空に関する知識が少ないのだから、航空レヴュウで飛行機のことを知ることはいいことね。

西原少佐
 君達は飛行機は飛んだら墜ちるとは思わないだろうね。

佐保
 唯一心配するのはお天気ね。

西原少佐
 飛行機に乗って天気で困るのは雪と凍ることだ。翼がね、マイナス二度から十度位の雲の中を通ると凍る。これだけで後は完全に設備をすればどうもない。

内海
 完全に飛ぶには二年位かかりますか。

西原少佐
 まあ一年半か二年だろう。

佐保
 下でお稽古して、初めて飛んだ時はどんなにこわいやろう。

西原少佐
 そんなことはない。練習機は二つになっている。二つ操縦席がついていて、先生のやるように動かせばいい。拙かったら直してやる。それで一ヶ月位練習する。そうして大体自分で飛べるようになってから、初めて一人で飛ぶのだが、その時は非常に嬉しいものだ。鼻唄―と云っちゃいかんが、大きな声で軍歌を歌ったりする。誰にも聞こえやせんからね。この時は初めてなので一生懸命にやるから着陸も巧く出来る。だが一週間位経つと又ぼかんぼかんとやる。それからアクロバシィ、特別飛行になり、次に練習機から他のむづかしい飛行機になる。そうして戦技をやって、四、五ヶ月訓練されて一人前になる。それまでにはどうしても二年、急いで一年半かかる。しかし、そんなものは空中戦闘に行くと、墜とすより墜されるかも知れない。

内海
 日本で最初に飛んだ人は…。

西原少佐
 徳川大尉。今は中将で、男爵になって居られるでしょう。もうやめて伊勢に居る。徳川大尉なんか知らんだろう。

佐保
 その方が最初ね。

西原少佐
 三十年前に飛んだ。フランスから買って来て・・・。

汐見
 そんなに古いの。

西原少佐
 まだ生まれてなかったろう。

佐保
 勿論生まれてなかったわ。

内海
 どこからどこへ飛ばされたのです。

西原少佐
 大正三年だったか、私が尋常三年の時に来た。徳川が来たというので、その頃新宿にいたが、うちから十銭貰って、青山に見に行った。歩いて行ったのが、行って見ると、飛行機が壊れてぺしゃんこになって居る。何んか着陸の時にそうなったのだろう。


 どんな飛行機でしたか。

西原少佐
 まあ遅い飛行機で、自分で設計して造ったものだ。今の一番下級のグライダーでも昔の飛行機よりはよく出来て居る。自分で設計して職工を使ってやったんだが、ちょっと風が強いと前に進まん。後ずさりする。それで分解しちゃう。もとはそういうことでよく壊れたのだが、今はそんなことはない。

難波
 一番初めに飛行機の出来たのはどこですか。

西原少佐
 ライト兄弟だ。儂が生まれる一年前だ。明治三十六年。その時ライトというのが発動機を付けて上がったのだ。それから六年経って四十三年には日本で飛んで居る。

汐見
 割合に速かったのね。

西原少佐
 欧州戦争の始まる前までは日本はよく進んで居ったが、欧州戦争が始まってから他の国が進んだので、日本は遅れてしまった。

内海
 日本で急激に進歩したのはいつ頃ですか。

西原少佐
 余り進歩していなかったが、今度の日支事変が始まってからずっと進んで居るでしょう。その前に準備したのが出来上がって居るから…。

 飛行機と、その歴史についての問答である。機械の大きさ・複雑さに驚く若い女と、それに呆れるオッサンとのやりとりは定番と云える。
 ここでも司会の内海氏が、「昔の幼稚な飛行機は」と―事前に筋書きくらいは作ってあるのだろう―持ちかけているのに、少佐からは「詰まらんよ」とあっさり返されてしまう。女の子が話しを振ると文字数が何倍にも膨れ上がると云うのに!

 ここの質疑を読むと、飛行機の歴史が西原少佐(ここでの話から、この時36歳と推定される)個人の思い出話に変換されている事に気付く。ライト兄弟の初飛行の翌年に生まれたのを良いことに、自分の人生を飛行機の歴史として語ってしまうのだ。
 10銭持って新宿から青山まで歩いて行ったことで、当時の飛行機見物の木戸銭が判ったが、会場に到着した時すでに飛行機が潰れていた場合、残念に思うのか、残骸のタダ見が出来ると喜ぶか、微妙なところではある…。

 一人前の航空兵になるには2年、しかしその程度では「墜とすより墜されるかも知れない」と語る所は、まだ続く支那事変、ノモンハン事件での人員の損耗が念頭にあるはずだ。ただ鼻の下を延ばしているだけの人では無い。

 日本航空の急激な進歩に関する発言は、そのまま素通りしてしまうわけには行かない。
 この頃の現用機は、九七式戦闘機を中心とする陣容であるが、後に「隼」の愛称で公表されるキ43―名付け親は西原少佐と云われる―、「鍾馗」キ44、「屠龍」キ45、「新司偵」キ46など、この先の対米英戦で活躍あるいは苦戦する機体が鋭意試作中なのである。
 日本航空の「進歩」は、タカラジェンヌたちの想像する一歩先までカタチになりつつあり、軍はさらにその先を見ているのである(このへんは、学研『日本陸軍機パーフェクトガイド1910〜1945』を読むと面白いです)。
 ここで出席者の誰かが、「兄の机に置いてあった『空』と云う雑誌に、1940年型の戦闘機は双発であるべきだ、ナンテ投稿があるのですが…」と口走っていたら、「ここだけの話だが…」以下○○だらけの記事が出来上がったに違いなく、「兵器生活」主筆として実に惜しいと思っている(笑)。

 余談が過ぎた。
 飛行機の知識と飛行機映画の話に移る。

佐保
 飛行機の知識と云ったら…。

汐見
 ぜんぜんないわ。

佐保
 うちは映画位だわ。

汐見
 この前文化映画で「飛行機は何故飛ぶか」という…。

西原少佐
 あれを一遍見て分かったかね。三遍位見なければ分からないだろう。

汐見
 とてもむづかしい。

佐保
 今おっしゃってた雲の中で翼が凍りつくのは「翼何んとか」というので見た。

西原少佐
 「コンドル」ぢゃない?

佐保
 日本には飛行機の映画がないのね。

内海
 あってもチャチだね。

西原少佐
 飛行機でいいのがあったよ。

内海
 何かありましたわ(ママ)。

西原少佐
 そういう学術的に云うのではなく、金語楼の「プロペラ親爺」とか…。

佐保
 飛行機でいい映画はないかしら。

西原少佐
 ありますよ。今度見て下さい。

佐保
 私達映画を見て一番教えられるわ。

西原少佐
 松竹に「爆撃」という文化映画があるでしょう。女学校の生徒が遊びに来て、―名前を云うと怒られるからよすが、その女学生に「爆撃」を見せてこの映画は女にはむつかしすぎるから、二回や三回見ても分からないだろうと云ったら、それで口惜しがって見て、分かったと云って居った。

佐保
 分かるわ。

西原少佐
 その「爆撃」というのを見た?

汐見
 見ない。

佐保
 東宝の文化映画?

西原少佐
 松竹―。あれは水平爆撃だけだな。急降下爆撃はない。東宝で今度「燃ゆる大空」ていいのが出来る。アメリカに負けないような…。

内海
 それから十月に宝塚でいいのが出来ます。(笑声)

西原少佐
 「燃ゆる大空」はいいのが出来る訳だ。三年がかりだからね。あれでいいのが出来なかったら、航空映画はもう駄目だからやらしてやらん。

 西原少佐のギャグが空振りしているのが可笑しい。「東宝の文化映画?」と返すところは、東宝=「東京宝塚」である事を、西原少佐は知らないんぢゃあないか? などと思いながら読むと味わい深く感じられ、その東宝が送り出す「燃ゆる大空」を、少佐がおおいに宣伝している所が面白い。
 「いいのが出来なかったら(略)やらしてやらん」とは、軍の思い上がりだッと血圧の上がるところだが、対談の流れで出た発言のせいか、不思議と腹が立たず(映画製作者が聞いたら冷汗三斗どころの話ではないだろうが)、むしろ「燃ゆる大空」って、そんなに良い映画だったかなあ…などと思ってしまう。
 幸い? 東宝はその後も「翼の凱歌」、「加藤隼戦闘隊」(ともに『隼』のプラモが欲しくなる名画)と、陸軍の協力(指導)のもとで飛行機映画の「いいのを」作り続けることになる。

 話は現実世界に戻る。

内海
 列国の飛行機の強さと日本の空軍を比較して、如何に国防上空軍を充実しなければならないかということを話して下さい。

汐見
 この頃空軍のことに就いて訊きたいという気持は充分にあるわね。

西原少佐
 新聞や何かで大抵分かるだろう。

佐保
 ノモンハンの戦闘のこともずっと読んで居たわ。

難波
 新聞記事ぢゃ実戦の味が判りません。

西原少佐
 実戦だって新聞に出ているのと変わりはない。


 その壮烈さは想像がつかないです。

西原少佐
 それぢゃドイツの話をしようか。今日聴いたのだが、矢張り爆弾に音をつけるらしいな。爆弾を落とすと、ヒュウとサイレンのような音がして、それから地上に落ちる。普通のは音がした時にはどこに落ちている。それを爆弾は音をしながらどかんと来る。だからヒュウとサイレンの音を持って来て、如何にもそばに落ちるように思わせる。それで頭を引っ込めるが、他に落ちているのだな。

汐見
 パラシュート隊というのがありますね。

西原少佐
 あれも君等の方でやらなければいけないね。

内海
 弾薬を持って降りるのですか。

西原少佐
 弾薬も持って降りる。輸送機に十人か二十人乗って行くのだが、降りる時には、前に爆撃機が行って、その付近をやる。敵が逃げた所へ行ってパラシュートで降りる。これも映画があった。

汐見
 この間見ました。

西原
 どこで?

汐見
 ニュースで―。

西原少佐
 東日に「落下傘部隊」というのがあるが、あれはドイツから買って来た映画だよ。

佐保
 日本にはパラシュート隊はないのでしょうか。

西原少佐
 ないとははっきり云えない。そこが問題だ。

汐見
 陸から攻めるよりは早いわね。

西原少佐
 敵が居って陸から行くのが困難な場合がある。パラシュート隊は、橋なら橋を占領する場合、橋の両側にぱっと降りて行って、橋を確保して、そこへ戦車を通すようにする。何もない所へ、ぱらっぱらっと降りて戦車を通すようにする。もう一つはここに堡塁があると、その中に落とす。これは真ん中に下ろして、それから大砲に向かって行く。それで占領したのもある。これは「キング」に出て居る筈だ。写真を貸したから…。

佐保
 そんなの勇壮だわ。

難波
 空中から地上に降りるまでに大分時間がかかって、その間にやれる(ママ)ことはないですか。

西原少佐
 一秒で四メートル下りられる。その次には加速度がつくからだんだんと早くなる。だから時間はウンと早くなるから百メートル位の所から降りるのだから、敵もそうそこまで走って来られない。又敵はあらゆる所に居る訳でない。肝腎な所に居るだけで他にはそういない。飛行機はどこでも自由に降りられる。そこがいい所なんだ。攻撃で勝つというのは、これだけ(手真似)防御線を敷いてあると、攻撃はそのどっか一ヶ所にやる。平押しには出来ない。ここをどかんとやる。パラシュートでやるのもそれだ。今度のパラシュート隊がやったのは、橋梁の占領、堡塁の占領、それと飛行場の占領だ。ここに飛行場があると、先ず飛行場を爆撃して、この辺に(手真似)パラシュートを下ろす。或る程度降りると、他の飛行機が降りる。それで完全に占領してしまうから、もう他から来ても大丈夫だ。敵前上陸ということが、この頃では敵中着陸にまで進んで来た。

汐見
 今度初めてそういうことをやったのですね。

西原少佐
 敵中着陸は南昌であったでしょう。あれは一人で降りて飛行機を燃して来たのだけれども、所謂パラシュート隊で大勢でやったのは今度が初めてだ。

 司会はあくまでも職務(筋書き)に忠実たらんとしているのに、少佐は「新聞や何かで大抵分かるだろう」とニベもない。その中には自分が書いた記事、語った記事もあるから、新聞くらい読んでおけの意味と受け取れるが、単に「燃ゆる大空」について、もう少し語りたかっただけなのかも知れない。

 「新聞記事ぢゃ実戦の味が判りません」難波章子は云うが、それがテレビでも、ネットの中継でも、自分の身にまで引き寄せて想像しなければ解るまい。たとえそれが我が身の上に起きたことであっても、当人の人生に及ぼす影響の大きさ、人類史上での位置づけなど、その時点では知る由も無いのだ。
 しかし、彼女の発言を非難するつもりは無い。これは当時の国民大多数の声でもあり、現代の我々―何十年か後、「どうしてあの時…」と云われる事に(たぶん)なる―が発する声でもあるのだ。

 よそごと、ひとごと、まだ先のこと、などと日々の些事に追われているうち、のっぴきならない状況に陥るのが世の常であるが、戦争の拡大と戦局不利により、対談から2年半後の昭和18(1944)年3月に、宝塚の大劇場は閉鎖されてしまう。彼女たちが戦時下で窮屈な暮らしを強いられた事は云うまでもあるまい(戦時下の宝塚歌劇については、新潮新書『タカラジェンヌの太平洋戦争』(玉岡 かおる、2004年)と云う読み物があるので、ご興味のある方はご一読されたい)。

 西原少佐は、盟邦ドイツの話に転じる。
 仕入れたばかりと云う、爆弾の話には食いつきが悪く、逆にパラシュート隊の話をねだられている。日本には無いのかと訊かれて「ないとははっきり云えない」と答えるのは、正直で誠実と云えるが、スポークスマンとして問題はあるまいか?

 次は敵中不時着からの生還話である。

佐保
 ノモンハンで敵中着陸してしまって、どうしようかと思っていたら、自分の戦友が着陸して来たので、それに乗って逃げて帰ったというのを新聞で見ました。

西原少佐
 それはノモンハンで随分あった。一番面白いのは、爆撃機で二人乗りと称するものだったが、それが不時着した。今度はそれを助けに行った飛行機が敵の戦闘機に攻撃されてやられてしまった。一機は上でやられて不時着し、その次のは助けに行ってやられてしまって、人間が四人残ったわけだ。そうすると又一機助けに来てくれた。もう敵の影も見えなくなって、それにみんな乗ろうとしたが、人数が多すぎて入らん、しょ(ママ)がないので、中隊長が、お前等先へ帰れ、俺は後で待って居る、と云い出した。中隊長が残るのならみんな帰らぬと頑張り出した。ところが爆弾を入れる所がある。そこへ一人入り込んだらいいというので、爆弾を下ろしてそこへ入れて、そうして帰って来た。帰って来てみんな降りたら、五人(し)かいない。一人どこかへ忘れて来た。よく考えたら爆弾の所に入っているのに気がついた。それで慌てて爆弾の蓋をあけたらずだんと落ちて来た。

汐見
 危ない!

西原少佐
 地上だから大丈夫だよ。

難波
 肉弾だわね。

西原少佐
 爆弾みたいに落っこって来た。

佐保
 戦闘機でたった一人で飛ぶのがあるでしょう。一人で爆弾落としたり、あんなの沢山出て居りますの。

西原少佐
 出て居ります。今度の「燃ゆる大空」に戦闘機で助ける所がある。それは一人不時着したのを、一人が助けて帰るのだが、巧く出来て居る。

汐見
 それはお芝居になって居りますの。

西原少佐
 芝居になって居ります。―唄というのは何遍位歌ったら覚える? 直ぐ覚えるかね。

佐保
 直ぐ覚えます。

内海
 譜を渡されて、譜で一回歌って、その次は歌詞をつけて歌って、それでお終いです。

西原少佐
 どういう訳か、儂はなんぼ聴いても覚えぬ。

佐保
 矢張り専門で、商売商売ですわ。


 飛行機の運転は私達は直ぐという訳に行かないですものね。

 笑い話を持って来るところに少佐の人柄が表れている。
 「歌を覚える」くだりは、プロ同士がそれぞれの職業の特技を認め合う、心温まるところだ。
 結局タカラジェンヌは何遍歌って覚えるのか良くわからない(少なくとも、歌わない限り覚えないような気する)。これで少佐のレパートリーが少しは増えたのだろうか?

 飛行機の「運転」が出たところで、自動車との比較となる。

佐保
 自動車が運転出来ると憶えるのが早いでしょうね。

西原少佐
 機械は同じようなものだが、後は違う。自動車は危ないし、むづかしい。他の人に打衝けるからな。飛行機はずっと上がってしまえば、後はのんびりして居る。昨日君達見て来たろう。メーターが沢山付いて居る計器盤てのを…。あれを見なければいけない。雲の中に入ると計器ばかりで合わせる。計器で正しい位置を計って、後は曲がったりした時直して行けばいい。下手な者がやると曲がったりするが、計器飛行はボロ飛行機で訓練する。夜飛ぶ時、天気のいい日なら上がってしまえば見えるが、曇っていると真っ暗だ。或る程度感じでやってるが、ああいう時に計器を用いる。

佐保
 空の上は広くて衝突がないからいいわ。下で自動車だと…。

西原少佐
 自動車は人を轢くだけで自分は怪我しない。飛行機は打衝けたらもろ共だ。

佐保
 飛行機はどこをやられると一番致命的でしょう。

西原少佐
 人間でしょう。

佐保
 機械では…。

西原少佐
 タンクでしょう。それから発動機―。

佐保
 翼は…。

西原少佐
 それほどでもない。

佐保
 全然なくなっても…。

西原少佐
 なければいけない。

汐見
 映画で、片方の翼が折れて、片方の短い翼で帰って来るのを見ました。

西原少佐
 斉藤機は打衝ってへこんだけれども、向こうは滅茶苦茶になった。向こうはE十六号だから金属製ぢゃないからね。又あの時は打衝り方もよかったのだろう。

佐保
 矢張り操縦して居る人を狙うのがいいのですね。

西原少佐
 この野郎!と狙うのだな。

 飛行機が「必ず墜ちる」と云われていた頃、自動車は「必ずぶつかる」モノと広く認められていたらしい。ぶつけも中の人はケガをしないと思われていた事には、驚きを禁じ得ない。

 佐保美代子との飛行機の弱点をめぐる会話も、陸軍機の防弾装備が海軍より先行していた事に意識を向けると興味深い。
 (翼は)「全然なくなっても」発言に、航空啓蒙の前途多難さを痛感させられた西原少佐のはずだが、こう云うボケには慣れているのだろう冷静に返し、「人を狙うのがいいのですね」とくれば、「この野郎!と狙うのだな」と応じている。

 話が物騒な方向に動き始めたのを察知した、司会は即座に軌道修正に入る(ご苦労様です)。

内海
 将来の飛行機の夢物語を一つ話して頂けませんか。

西原少佐
 それは君達の方が旨いだろう。

佐保
 女流飛行家は役に立ちませんか。

西原少佐
 困ったことを聴くね。

難波
 女子空軍なんかどうですか。

西原少佐
 男が足りなくなれば飛行機を運ぶ位の役には立つかも知れん。まあ後方の旅客機の一部に使うとか、そんなものかな。


 女の力では無理ということはないのでしょうか。

西原少佐
 女は、今の男が全部使えるという時は使わない方がいい。矢張り事故を起こすからな。操縦するということは或る一つのことに注意しなければいけない。横から来たらぱっとやらなければならない。その点に女は欠陥があるのぢゃないのか。全然いけないとは云わない。一部の希望者に操縦をやらせたり、グライダーをやらせるのは結構だ。宝塚の君達がやるのは結構だよ。

汐見
 現在何人位居るのでしょうか。

西原少佐
 今はとめて居る。非常時だから軍に役立つ人間以外はやっちゃいかんということになって居る。

佐保
 結局女は旅客機に乗るだけですか。乗って知識を得るという程度ですか。

西原少佐
 儂はやらせたい意見だが、もう少し待たなければいけない。―読売にパラシュートの女が居るね。あれは君達見に行ったか。


 まだ見ません。

西原少佐
 行ってらっしゃい。あれはいいぞ。

佐保
 余程度胸が…。

西原少佐
 度胸はいらんよ。上がったらもうしようがないからな。度胸も糞もない。あれは落下傘を明けた(ママ)儘で放つのだから大丈夫だ。


 何米位の上空からですか。

西原少佐
 五十米から六十米―。

佐保
 そんなら平気よ。でも自分で傘を開かなければならないのはこわいわね。

難波
 あれは自分で数をかぞえてやらなければ駄目なんでしょう。私「パラシュート」の文化映画を見ました。

 あっさり身内に裏切られる内海氏である。
 女流飛行家の活用/女子空軍の可能性を尋ねるのを、無邪気なものとしてではなく、有閑階級向けの享楽の片棒を担ぐ「職業婦人」が、世間に認められたいが故の真摯な声と受け取ると、「結局女は…」の発言がグッと重みを増す。
 西原少佐の「もう少し待たなければ」発言が、その場を取り繕うだけのもので無かった事を祈る。

 「読売にパラシュートの女」云々は、二子玉川の遊園地にあった落下傘塔を差している。陸軍・海軍の空挺隊員がお忍びで訪れていた事で有名であるが、料金始め実態は解らないことばかりだったりする。

 内海氏、めげずに未来の空の話を振り直す。

内海
 十年後の空は想像がつきませんか。

西原少佐
 レヴュウ界の十年後はどうかね。

佐保
 飛行機にもゴー・ストップなんか…。

西原少佐
 ゴー・ストップと云っても、飛行機は空中で止まらんからな。

汐見
 止まっちゃってオートヂャイロ式になって…。

西原少佐
 それは非科学的だよ。

佐保
 空中で止まれるといいのだけれども…。


 止まるようになったら便利ね。

佐保
 飛行機が沢山一遍に空を飛ぶようになったら事故が多いでしょうね。

西原少佐
 沢山だったらコースを決めればいい。まあ多くなれば事故は多いだろう。十年後はビルディングの上に発着場が出来て、エレベーターで上がって行って、朝東京を発って夕方までに大阪から帰って来られるだろう。お母さんが病気だから関西まで見舞に行かなければならないという時に、朝東京を発てば、夕方の楽屋入りまでには十分間に合うように帰って来られる。そうなれば乗って行くかね。

汐見
 厭でも応でも行きます。

佐保
 今は飛行機は高いものね。

西原少佐
 あなた方が高いと云っちゃ困る。

佐保
 汽車より高いわ。

西原少佐
 それは無理だ。

佐保
 もっと発達して安くなれば、みんな乗るわ。

西原少佐
 安くならない。あれでも随分補助して居る。

汐見
 当分駄目ね。でも乗りたいわ。

西原少佐
 天気が悪いと、今日は天気が悪いからやめだとなるのぢゃないか。

一同
 イヤー

 少佐の返し方は、何とも人が悪い(笑)。
 空中に「ゴー・ストップ」(信号機)があり、オートジャイロ式航空機―自転車のような一人乗り―が溢れかえっている様を想像すると、「10年後」と云うよりも、19世紀末に描かれた未来図になってしまうのだが、航空路がキッチリと定められ、管制されている今の空は、見えない信号機があるようなものだし、遭難現場からの救出、事故やイベントの実況のためヘリコプターが、空中に停まって仕事をするようになっている事を思うと、飛行場の場所だけが予想と違ってしまったのかが口惜しく感じられる。

 話は時局的な方向に戻る。

佐保
 空襲の場合、日本の家屋はどんな惨禍を受けるかということをお話して下さいません?

西原少佐
 焼夷弾でやられると燃えるが、あれは火を拡げないことが第一だ。将来は或る地点を区切って防火壁的なものを作ることが必要だ。そうかと云って、日本の家屋をみんなコンクリート立てにすることは生活上よくない。余程特別なコンクリートならいいけれども、日本は湿気が多いから、コンクリートだと身体に悪い。一番いいことは慌てないことだ。焼夷弾で燃えるのは仕方がないから、その一軒なら一軒だけにして、後は燃やさないようにする。女の子はそんな時キャッキャッ騒ぐものだが、成るべく子供などの面倒を見るようにするのだな。雷様というと女は慌てるのだからね。

佐保
 バケツの中に砂を入れていますが、あれで消えますか。

西原少佐
 もう少し余計に持って来なければね。ガソリンや油のついて居る所はそれで消える。しかし焼夷弾は消えない。これは燃え切るのを待つより他はない。だから他へ移ったのを消さなければいけない。焼夷弾にもいろいろある。小さいのもあるが、散って海のようになるのもある。落ちた所からぱっとこっちへ来るのもある。焼夷弾を消そうというのは無理で、消えた時に他へ行かないようにする。

 タカラジェンヌが、空襲されると「惨禍を受ける」認識を持っている。西原少佐が、「焼夷弾を消消そうというのは無理」と、後に喧伝されるのとは異なる見解を持っている所に注意されたい。そもそも空襲される前に先制攻撃すべきと云うのが、軍防空の基本的考え方である。焼夷弾が落ちた後の事は、軍の気にするところでは無いのだ(もちろん軍の施設は別)。

 国防から見た航空機の必要を語り、ダラダラ対談は締めくくりとなる。

内海
 では最後に国防上航空機の必要についてお話し下さい。

西原少佐
 結局飛行機で考えなければならないのは、飛行機は速い。逆に考えれば、地球が狭くなった。世の中が狭くなった。だから例えば今ロシアのモスコー付近に沢山の飛行機があるとすると、直ぐそれが東京まで響く。今日発って明日来るという訳にはいかんが、それがちょっとして居る間に極東に来て、東京に来る。アメリカに沢山あるのが、アラスカを廻って直ぐこっちへ来る。或はロシアを廻って日本へ来る。日露戦争の時にロシアの艦隊がバルチックから廻って来た。ロシアがあすこまで来たことはたいしたことなんだが、ああいうことは飛行機なら直ぐ出来る。どこの国でもその持っている飛行機がこっちの相手になる。又一方ロシアにいい飛行機がなくて、アメリカにいい飛行機があれば、北を廻ってロシアに行ってしまって、ロシアのものとなって出て来る。だからそういう点は一日も油断ならない。それからテンポが速いでしょう。ちょっとでも遊んでいるようなことがあったら、直ぐ遅れをとる。向こうがああなったから、こっちもこうなろうというのでは間に合わない。それに日本は今まで遅れていたから倍以上にならなければならない。ぼやぼやしていてはいけない。

汐見
 今一番充実しているのはどこの国でしょう。

西原少佐
 今の所はドイツでしょう。

佐保
 数に於てはフランスが一番多かったのでしょう。

西原少佐
 それは十四、五年前です。フランスという国は民主主義、自由主義で、そんな詰まらん予算はと削ってしまって、そうこうしているうちに何も出来なくなった。逆にドイツは禁ぜられていたが、一九三五年―今から六年前に初めて空軍を組織して、この六年間でこれだけのものを造った。もっともその前二十年間も研究はしていたけれども…。だからみんなも航空に関心をもって、みんなでよくするようにしなければならない。

内海
 航空の知識も実際に舞台に出たら段々分かると思うのです。演って居るうちに自分の知識にしちゃいますから。

佐保
 家庭に居る方は本当に知らないわね。

西原少佐
 知らないのは無理もないさあ。

内海
 それぢゃこの位で、どうも有難うございました。

 航空機の進歩による、空からの脅威が強調されている事がわかる。
 北朝鮮のエライ人になったつもりで世界地図を思い浮かべると、日本本土から来る、沖縄からも来る、アメリカの空母が近海まで来そうだし、中国もロシアも味方してくれるか怪しい…などと考えてみると、当時抱かれていた危機感の大きさがわかる。
 アメリカの飛行機がロシアに廻って云々は、多国籍軍が中東某国を制圧した際、近場に進出していた事を念頭に置くと理解しやすいだろう。

今日、「飛行機のいいの」はアメリカから買うしかない事を西原少佐が知ったら、「戦争に負けたんだから無理もないさあ」と突き放すのだろうか?
 「航空日」協賛のレビューを準備し、陸軍のスポークスマンとの対談もやって(対談の後には一席設けていると思う)国策協力の意を示す『歌劇』なのだが、


 廃刊のことば
 本誌は宝塚少女歌劇団の機関誌として号を重ねる事、茲に二百四十七号、その真宝塚少女歌劇に関する写真記事を通じて、演劇趣味と教養の涵養に資するべく真摯な努力を続けてまいりましたが、今般、時局に鑑み、本号を以って自発的に廃刊する事となりました。
 つきましては、長々本誌御愛読の方々の為に、日頃の御愛顧の御礼を申上げると同時に、戦時下にあって益々諸兄姉の御健勝御奮闘の程を、お祈り申上げます。
 昭和十五年九月二十五日
  宝塚少女歌劇団出版課

 この号をもって「廃刊」となってしまう(敗戦後に復刊)。
 あわせて『宝塚グラフ』の「発展的解消」も報じられており、裏側には色々事情がありそうだが、それを詮索する余力は無い。 
(おまけ)
 せっかくなので、「航空日本」の梗概を載せておく。

 第一場
 旭日輝き、天馬は天翔け爆撃機は列をなし待機している
 「空ゆかば雲染む屍」
 航空日本の威力を示す序幕


 第二場
 「翼強ければ国強し


 第三場
 遠き太古より汚れを知らぬ我が神の国日本。
 我等は祖国日本を護らねばならぬ、防空!防空!防空こそ我々の務めだ!


 第四場
 防空演習! 敵機は何時来るか判らない。平常の訓練が必要だ。
 一糸みだれぬ活動こそ最も強き日本の力である。


 第五場
 国の護りは我が家の護りから、家庭部隊を完全にしよう。


 第六場
 今日の少年達の空に対する関心を描いたもの


 第七場
 航空知識を学ばねばならない。模型飛行機を造ろう、そして勉強しよう、
 少年達は雄々しき空の戦士にあこがれて楽しく唄う。


 第八場
 空爆の出発!大君に捧げ
(し)命だ。出発に際して隊長に誓う飛行兵の雄々しき覚悟。
 隊長は云う、空の丈夫よ、祖国の為にいざ征け。


 第九場
 映画


 第十場
 荒鷲慕う三人娘の唄。


 第十一場
 妖雲を打払い堂々と飛ぶ荒鷲の踊り。


 第十二場
 雲を縫って飛ぶ日本機、突如現れたる敵機、敵機は力つき火を吐いて落ちる。
 やがて美しい虹が出る。


 第十三場
 萬歳(『まんざい』)により航空発達史。

 第十四場
 舞台はMC20号の内部。民間航空の重要性航空機の安全性を説明する。
 落下傘部隊が乗り込んで来る。



朝日新聞社使用のMC20(『世界の翼』昭和16年版掲載)


 第十五場
 落下傘部隊の歌、愛国機献納の歌、舞台より模型飛行機を客席へ飛ばす。


 第十六場
 立ち並ぶ日章旗、中央の地球の上には金の荒鷲が立つ舞台。
 航空日本よ行手に幸あれ。



金の荒鷲・玉津真砂

 MC20型で民間航空の重要性を説明したあと、落下傘部隊がヅカヅカ乗り込んで来るとは凄い話だが、旅客機は爆撃機に容易に転用できるとの視点で民間航空の振興を語る言説もあるくらいだから、これくらいでは驚くにはあたらぬのだろう。

 客席に飛ばした模型飛行機が、そのまま「お土産」になるのか、帰り際に返すのか、「映画」の中身ともども気になってならない。
(おまけのおまけ)
 鶴萬亀子嬢とDC3(の尻尾)。使わないと惜しいので載せておく。