戦場の「いやげ物」

「兵隊さん有難う 陣中セット」(仮称)で69万おまけ


 古本屋の目録に「兵隊さん有難う 陣中セット」なんてモノが記載されていたので注文する。
 届いたものを見ると、紙で出来た微妙なオモチャと絵はがきが一枚。

 「兵器生活」のネタにするには格好のシロモノなのでご紹介する次第。

 兵隊さん有難う
 オ国ノタメニ戦ツテ居ラレル兵隊サン御苦労サマデゴザイマス
 コノ品デ陣中ノ一時ヲオ慰メニナツテ益々元気デオ働キ下サイオ祈リ申上マス
 銃後ハ私達ガキツトシツカリ護リマスカラ御安心下サイ

 この紙切れとオモチャが一緒に入っている。
 総督府に届いたものは、本屋が用意したであろうビニール袋に一切合切放り込んであり、当時どのような体裁で売られていたのか、残念ながら見当がつかない。
 今回は、その中から戦場の「いやげ物」※を紹介する。
 ※みうらじゅん云う「いやげ物」は、もらって嬉しくない珍妙な「土産物」を指す。本稿での使い方は明白な誤用であるのだが、あえて用いるのをお断りするとともに、関係各位のご寛容を乞う次第である。
 まずは無難なところから。
 自ら「オモシロイ」と書いてあるところが情けない『動物輪投ゲ遊ビ』。

動物輪投げ遊び

 容積を喰わぬよう、一枚の厚紙に動物の輪郭となる切り込みを入れてある。「抜カ所ヲ曲ゲルト自由ニ立升」(立ちます、と読んで下さいね)とある。経年変化で色紙と裏の厚紙が分離しつつあるので、平面のままご紹介する(折るのがもったいなくて使用状態に出来ない)。

 附属の「輪」。これも厚紙で出来ている。

石鹸ぢゃあないか「輪が三つ」

 同心円になっているので、ピンクの内側に青と灰色を納めることが出来る。灰色の輪が「的」にかろうじて収まるくらいの大きさであるので、50点の象さんに入れるのが一番難しいんぢゃあないだろうか。こちらも色紙部分が剥離している。
 厚紙を折り曲げた動物の輪投げは、なるほど陣中のヒマつぶしには最適と云えよう(タバコやキャラメルを賭けるのも一興だ)。

 次は少し微妙な紙モノ。
 ロシア人みたいな名前の「スベロスキー」。


「スベロスキー」

 ニンギヤウ ヲ スキー ニ ノリ デ ハツテ タタセル。
 リヤウテ ニ ツエ ヲ モタセレバ ヨイ。

 輪投げと違い、こちらは厚紙に印刷されているだけで切れ込みもミシン目もない。ハサミかナイフで紙から切り離し、ノリづけまでやらないと遊ぶことが出来ないのだ。すべらせる場所を探しているうちに、大陸の砂塵とともに飛ばされてしまいそうなオモチャである。
 スキー場の土産物売場にあれば、正真正銘の「いやげ物」だ。
 これはかなり怪しい。

メガネ

 余興にお使い下さい、と云うことか?
 これも厚紙を切り抜いたものだ。つるのパーツも付いているので、のり付けすればかけることは出来る。

 今でも売られている「鼻メガネ」(メガネの下に付け鼻がついたもの)のご先祖様にして、俄(にわか)で使う「目鬘」のモダン・バージョンだ。
 夜中にこれをつけて歩いていたら、味方に撃たれる事確実である。
 便所に行く途中で絶対出会したくない。
 最後に取り上げるのがこれである。
 黄色のリボンを付けた可愛い女の子が抱えているのは「回覧板」だ。黄色の丸は「ナカヨシトナリグミ」(なかよし隣組)とある。黄色の丸の中、赤地に白く抜かれた文字は「ゼイタクハ」と読める。

 さて、回覧板の文面を良く見ると、


 「隣組」の歌詞が書いてある。
 この歌、手許のCD『青春歌年鑑 戦前編4』(コロムビアミュージックエンタテイメント)に昭和15年10月発売と記載されている。しかし、「回覧板」に記された歌詞は、「とんからり」ではなく「トンカラリン」と書かれている。『熱風の日本史』(日本経済新聞出版社)と云う―「美しくない、日本の私たち、近現代史に自画像が映る」の帯を持つ本―によれば、「ラジオで放送されはじめたのは一九四〇(昭和十五)年六月からだった。」との事で、このオモチャはレコードが出る前に作られた(印刷された)ものと推測できる。

 「ゼイタクハ」から丸の下に突き出しているところを引っ張ると、


 丸の中の「ゼイタクハ」が「テキダ」、回覧板は頭上に持ち上がって「一億一心」のプラカード、そして可愛いお顔は形相が一変し(『大魔神』かい!)、ついでに髪型まで変わるのだ。

 『断腸亭日乗』(永井 荷風)の昭和15年8月1日付本文いわく、「この日街頭にはぜいたくは敵だと書きし立札を出し、愛国婦人連辻々に立ちて通行人に触書を渡す噂ありたれば、その有様を見んと用事を兼ねて家を出でしなり」。欄外には朱筆で「贅沢ハ敵也トイフ語ハ魯西亜共産党政府創立ノ際用タル街頭宣伝語ノ直訳トイフ」と記されている。

 変身前/変身後を並べてみる。

 兵隊さんの不便・無聊を慰める品で「贅沢は敵だ」と訴えてドーするつもりなのか。
 戦地から家へ、慰問品を受け取った報告を認めつつ、「しょーもないモノが送られて来た」と書き記すわけにはイカンよなあ…と苦笑する兵隊さんが目に浮かぶようだ。

 この先の「兵隊さん」(『我が軍』に続いてこの言葉も復活するのか?)は、どんな慰問品を受け取ることになるのだろう。
(おまけのお願い)
 「兵器生活」読者諸氏はすでに御存じの通り、こうの史代のマンガ『この世界の片隅に』(双葉社)のアニメーション映画化が進行中である。

 映画一本作るのに多大な資金が必要なことは云うまでもない。今回、制作体制の確立と作品を周知する観点でクラウドファンディングが試みられ、2015年3月9日の開始から約二週間で、早くも目標額の2千万円を達成するとともに1900人余りの支援者を獲得している。しかしクラウドファンディング運営会社への手数料が差し引かれる事を考えると、目標達成と喜ぶにはまだ早い。また、この活動が観客動員数の裏付け―大口出資者の背中を押す力―となる事も考えると、支援者の数も、もう少し増えて欲しいところだ。

 と云うわけで、支援しようか思案中の「兵器生活」読者諸氏ならびに、どこかのリンクから本ページに来られた方に向け、この場を使って支援をお願いする。


 アニメーション映画に限った話ではないが、ある作品(商品と言い替えてもよい)の受け手は、対価を支払うことで、作者の夕飯のおかずを一品増やしたり、販売元の事業発展に寄与することは出来ても、すでに存在している作品自体を良くする事には関与できない。
 関連グッズを買い込む、映画館で何度も観る、ファン向けイベントに出る等々、受け手の行う「支援」とは、次回作への励ましだったり、費用の回収に留まらざるを得ないのが実情である。

 しかし、現在展開されている制作支援活動は、今まさに作られようとしている作品に向けられたものであるから、(クラウドファンディング運営会社の取り分を除けば)出したお金の分だけ、作品は確実に良くなる。大口出資者への圧力にもなる。何よりも作品−観客と云う一方通行に過ぎない関係が、「自分の作品」と云う一段階違うものとして捉えられるようになるのだ。

 と前向きな事を書いてはみたが、現時点(2015年3月23日)での片渕須直監督の発言は、以下の通りだ。

 ただ、それでもなお、この映画が(略)ポピュラリティを得たと実証できているわけではない。(略)そうした現実には具体的には内容を薄くすることと、映画の尺を大幅に短くすることでしか対応できず、本来思っていた内容のかなりの部分は切り捨てざるを得ないだろう。
(全文は以下参照)
 http://animestyle.jp/2015/03/23/8797/

 この支援活動に一口乗ると云うことは、日本漫画映画史上に名の残る(少なくともクラウドファンディングの成功事例として)作品に対して自分が関与出来る、めったにない機会であり、実生活とは直接のつながりを持たぬ映画に対する「銃後の赤誠」のあり方を、我が身をもって考え、行動する(何もしない、のも行動の一つである)ことでもある。

 ファンドのお金は払い込んでしまったので、これを以て「銃後の赤誠」を示す次第。
 『写真週報』の記事は、こう云う精神状態で書かれていたのだなあ…と、ようやく実感出来たような気がする(笑)。


こんな時代の映画でもある


 ファンドの募集期間は2015年5月29日まで。
(クラウドファンディングのページ)
 https://www.makuake.com/project/konosekai/
(映画の公式ツイッター)
 https://twitter.com/konosekai_movie