「衣服が語る戦争」(於:文化学園服飾博物館、2015.6.10〜8.31)が面白いので応援?おまけ
文化学園服飾博物館で開催している「衣服が語る戦争」展が面白い。
衣料と戦争の関係について考えてもらおうと云う展示だ。
金持ち坊ちゃんの七五三用に、ホンモノと同じ生地を使い、子供用に小さくした軍刀(中身が入っていたんだろうか…)まで吊っている、昭和初期のお子様軍服があれば、その一方では母ちゃんが夜なべして、藁で編んだ「金モール」を縫い付けた、創意工夫の神サマが宿ったとしか思えない、明治の軍服を再現しようとした子供服もあったりする(付喪神になってるんぢゃあないだろうか)。
近年注目されている、戦前のミリタリ柄の着物から、戦争映画やドラマでおなじみの国民服、どこまで普及したのかサッパリ判らぬ婦人標準服など、当時の衣服がズラリと並んでいるのは壮観だ。しかし、おおかたの見学者からは刺身のツマ扱いされるような、その頃の日本で出版された服飾雑誌にも、興味深いものがあったりする。
「踊る人形」ではありません
会場にあった、当時の雑誌にあったものである(会場は撮影禁止なので、別なところで入手したコピーをあげておく)。人間らしい絵がチマチマと描かれており、図右下で黒くつぶれたところには「電車内乗客上肢下肢姿勢採集」と書いてある。
カッコを横倒しにして伸ばした線は電車の座席、下に丸で囲われた文字は「地」(地下鉄)、「市」(市電―まだ『都電』ではない)、「省」(省線―戦後の『国電』、民営化された際『E電』に改めたが、誰も使わなかったため、首都圏を走るJR電車の総称は無くなり、今では『山手線・中央線・総武線などの電車』と云わなければならない)である。
左下の囲いには、
数字ハ推定年齢
シ ―新聞紙
フ ―風呂シキ
大フ―大〃
荷 ―大荷物
カ ―カバン
ザ ―雑誌
ガ ―学生
● 男
○ 女
の凡例が書かれている(凡例の『●○』は原本でも印刷がつぶれて判別出来ないため、『○』印上の『ムスメサン』から推測)。
この図の書き方は、「考現学」ぢゃあないのか? と驚き、見開きにされた展示品の右側にある記事本文を読んでみると、書いた人の名前は分からぬが、そのまんまネタに使える記述があるではないか!
この雑誌のタイトルと発行年月をメモして帰宅、会場の展示物を借り出すわけには行かないので、某所図書館に雑誌現物があることを確認し、記事のコピーを取ってきたのである。
と云うわけで今回は、その記事「戦時下姿勢の正しさに就て」(『被服』昭和17年3月)を紹介する。
記事を書いたのは、吉田謙吉。今和次郎と組んで『考現学』を始めた人だ。本職は舞台美術家―築地小劇場での舞台デザインを手がけ、戦後も活躍した―であるが、昭和初期の大衆文化が紹介される際に良く見かける、川端康成『浅草紅団』など本の装幀、芝居のポスターも手がけている。
戦前のモダン都市文化をカタチ作っていた人は、戦時中に何を書いていたのか?
例によって、仮名遣いと読点などを調整している。
戦時下姿勢の正しさに就いて
服装と姿勢
敢えて国民服婦人標準服と云わず、決戦態勢下に於て、国民の服装に対して、その倫理性が云々される事は当然の事だが、服装そのものと共に、その服装を纏っているところの姿勢そのものの倫理性に就て考えられる事も亦当然の趨勢であろう。如何に正しい服制が定められようとも、それを纏う骨であるところの姿勢そのものが、倫理性に乏しいとしたら、畢竟精神なき風俗であり、況んや戦時態勢下の風俗としての在りかたとして正しいとは云えないであろう。
戦時の国民生活に於ては、あらゆるものの正しさがもとめられるが、風俗の正しさも亦その屈強の一つであるだろう。而して、その風俗の正しさを構成するところのものは、正しい姿勢と正しい服装だという事が出来よう。
ところが、巷間往々にして、風俗の正しさは服装の正しさにのみあるが如くにされているが如くである。勿論姿勢の正しさも、種々な場面に於てその倫理性を検討されている事ではあるが、それは服装の正しさと共に論ぜられず切離されて云々されている観がある。即ち正しい姿勢が正しい風俗の構成として取り上げられている事の方が少ないのである。
のっけから解りづらい文章に躓く。服装の「倫理性」とはどう云うことなのか。再三読み返してみる。
まとめれば、「決戦下の生活は、正しい精神、正しい姿勢、正しい服装が三位一体となって行われなければならぬが、姿勢にまで注意を払う人は少ない」。これだけの事を、服装を書き出しにしているから解りづらい文章になってしまっているのだ。
戦前日本国民の「正しい」の教典、『国体の本義』(昭和12年)は、
「我等の祖先及び我等は、その生命と活動の源を恒に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我等の歴史的生命を今に活かす所以であり、ここに国民すべての道徳の根源がある」
と述べている。この「道徳」のもと、「分を通じて本源に立ち、分を全うして本源を顕す」ことが、「正しい」国民生活のありかただと云うわけだ。ここまで遡ってしまえば、服装にも「倫理性」が強く求められてしまうことになる。
しかし、総力戦下の国民生活に要求すべきものは、生産活動の能率を上げる(少なくとも下げない)事ではないかと思う。「正しさ」の実行状況をチェックし、それを強制するために人手を割き、国民生活を萎縮させるのは本末転倒と云うものだ。「休まず、遅れず、働かず」の言葉もある通りだし、受験生から娯楽を取り上げれるだけで勉強に励むかどうか、自分の胸に手を当てちょっと考えてみればすぐ解る(笑)。
「巷間往々にして」以下は、今も根強く存在している生活指導の考え方だ。服装に乱れのある者だけが「いじめ」をするのであれば、世の教師はもうちょっとラクが出来るだろう。
本文に戻る。
国民服と姿勢
国民服にしても、だから私はその普及に際しては、単に生地や型の普及でなく、戦時国民生活に於ける正しき風俗として、その風俗構成としての服装の正しさに於て示されてゆく事であり、然かも同時にあらゆる場面に於ける着方の正しさまでが、出来る限り示されて欲しいのである。着方の正しさが示されるという事は、畢竟その場面に於ける姿勢の倫理性が同時に示されねばならぬからであり、風俗の正しさの構成がハッキリと示されてゆくからである。
今日国民服の普及につれて、決戦態勢下以前に於ては一部に於いて稍々鋭く国民服の着方の場面に於ける倫理性について云われた事である。国民服を着用してのいぎたない姿勢はほろ酔い突破の姿勢云々であった。これらは儀礼より深い場面に於て国民生活の風俗面としての服装の正しさとして示されているならば、よもやと思われる場面であるに過ぎない。
筆者は、「從来背廣服其ノ他ノ平常服ヲ著用シタル場合ニ著用スルヲ例トス」(国民服令)る「国民服」(男子用である)の普及活動に対して、「正しき風俗」を具現化するために、「あらゆる場面に於る正しい着方」が示されるべきだと主張する。これは国民の立ち居振る舞い、生活の所作全般のマニュアル化を要求するに等しい。いくら当時の日本でもそりゃあ無理だろう。
ところが、この人は白いルパシカ―ロシアのシャツ―に憧れ、後の美術学校時代に赤いルパシカを制服の下に着ていたと云う、個性と着るモノが直結していた洒落者なのである。身近な事でさえ判断出来ずに、些細なことにまで法令の制定―公権力の介入―を願う人間ではない。
そう云う所をふまえて文章を読み直すと、所詮「国民服」なんて、『大日本帝国臣民のコスプレ』衣装なんだから、臣民として想定されるシチュエーションを示してもらわないと演技が出来ないじゃあないか、となる。上からの「お仕着せ」の導入に腹を立て、合わせて語られる何を示すのか不明瞭な「日本人らしさ」「正しさ」の氾濫に辟易していたのだろう。
ホントに「あらゆる場面」での「正しい着方」が制定され、お上から指導されるような日本には、戦前回帰を願う人たちだって、勘弁してもらいたいと思うはずだ。
余談が過ぎた、本文に戻る。
婦人標準服と姿勢
婦人標準服の場面に於ては、男子国民服の場面より更に広汎にわたって、その正しい着方が示されねばならないであろう。殊に婦人標準服は男子国民服とその使用目的も自ずから異なって居る事であるし、種々な着用場面が出来る限り懇切を極めて示される事を私は希望せざるを得ない。それこそ婦人標準服の服装としての正しさが強く示される事であり、同時に婦人標準服着用時の姿勢の正しさが示されてゆく事となる訳で、その正しさが示されてこそ服装が正しく定められた事の真意が広く流れてゆく事となるに違いないからである。
「婦人標準服」は、「国民服」の女性版を狙ったモノだが、伝統と格式ある和装の改良が良いのか、生活の合理化を後押しする洋装を推すのか決着がつけられず、和と洋の二本立て+活動衣(ズボンまたはモンペの改良型)として制定されたものの、強制力を持たない(『地合、色合、柄等も日本人らしい品位のあるものでさえあれば』自由とされた)ものとなり、冒頭述べたように、活動衣―ズボンとモンペ―を除く標準服がどこまで普及したものか、正直良くわからない。
ここで云われる「真意」を、『写真週報』昭和17年4月28日第218号の記事、「新しく作るなら婦人標準服を」から抜粋すると、以下の六点―カッコ内も同記事―になる。
第一に日本婦人の服装として相応しく日本人らしい性格を表現すること。
(『大東亜の指導者である日本の婦人の服装としては当然』)
第二は質実簡素で容儀正しく真の女性美を発揚すること。
(『アメリカ映画からぬけ出したような浮華軽佻な格好は断乎排撃』)
第三には民族増強の要請に応じて婦人の保健上、最善のものとすること。
(『母親の健康ということをまず第一に考えねばなりません』)
第四に婦人の活動能率の増進上、最適のものとすること。
(『家庭生活でも或いは国土防衛の分野でも、国民皆労の線に沿っても』)
第五に現在の繊維事情からみて退蔵衣類の活用、衣料の節約等経済上、最適のものとすること。
(『輸入が絶え、軍需が激増している今日ではまだまだ忍ばねばならぬ』)
第六には婦人生活に即応させ、自家裁縫主義を徹底すること。
(『日本婦人なら誰でも自分で裁縫することは出来る』)
これらを一種類ですべて満たす服装が考案出来たら凄い事だ。
考えてみると、ある集団の性質を体現する服装と云うのは、同じ服装をしている集団の言動が、他所から見て看過出来ぬ大きさになって初めて成立するものではないのだろうか。「突撃隊の褐色服」「(中国の)人民服」がコスプレの素材になるのに対し、日本中で百万人くらいは着ていて良さそうな「背広」は、着る者をむしろ「無色透明」「人畜無害」にさせ、サラリーマンは為政者から見れば有象無象(有権者くらいには見ているか)として、その実力を見くびられているのだ。制服を着ない公務員だってどこまで身内と思っているか判らないぞ。
すでに和洋二重生活の弊害と生活の合理化が叫ばれていたのだから、「婦人の国民服」を本気で制定する気であれば、強権的に和洋どちらかにしてしまえば良かったのだ。男子にはコスプレ衣装が用意され、女子にはそれが無いと云う所に、当時の男女観が現れている。
「自家縫製」で使われる労力も、戦争経済上もったいない話だ。
本文はこう続く。
姿勢の倫理性
婦人標準服を着た場合の姿勢の正しさに就て考えられる事は、婦人標準服の正しい着方として考えられる事になるのだが、それには儀礼的な場面ばかりでなしに、あらゆる生活場面の容想に於て、姿勢としての日本的性格に立脚して考えられて欲しいのではなかろうか。
おもうに服装服飾に於ける敵性は、容易にふん砕する事が企てられても、例えばアメリカニズムの姿勢への雷撃は案外手ぬるくなされている場面に接していたりしているのである。服飾の流行が着用姿勢そのものの流行を随伴してゆく事は、風俗現象として当然の動向であるが如くである。
そこで婦人標準服着用の姿勢として、服装そのものの構成としての和洋にこだわる事なくして、戦時国民生活としての風俗の正しさとしての姿勢が今から示されて欲しいのである。
洋服を着ればさっそうさが示され、和服を着ればしとやかさが示されるという程度では、東亜共栄圏へ臨む風俗の正しさとしてはいささか心もとない。洋装であっても しとやかさは優雅な日本的として示されねばならないであろうし、和服であってもさっそうとした明朗性建設的精神は示されてよかなければならない筈である。
婦人標準服は、その服装構成そのものの倫理性と共にその着用姿勢の倫理性をも積極的に伴って行くべきであろう。婦人標準服が単なる戦時型服飾の新しさであらしめてはならない所以もそこにあるであろうし、従ってその着用姿勢に於ても従来の風俗美の視角をぐるりと変えて、一億決戦下の風俗のありかたとして示されてゆかねばならないであろう。
「着用姿勢」、つまり中身の優雅さ、明朗さ、一言にまとめてしまえば人間(個人)としての「美しさ」がなければならぬと云う事である。時局的な書き方になっているが、その考え方は今でも通じる。それが具体的に示しようのない事も、また同じである。
さりげなく書かれた「アメリカニズムの姿勢への雷撃」に目を惹かれなかった「兵器生活」読者は居ませんよね(笑)?
ここからようやく本題(すなわちネタにしようと強く感心した部分)に入る。
街頭の敵性的姿勢
ここに街頭、敵性的姿勢への雷撃を果敢に進めるとするなら、例えば、男の服装に於てパジャマの如きオーバーのベルトのだらりとした結び方、マフラーのダンディズム然たるものから、ボタンのかけ外し方に至るまでその場面たるやまだまだ見かけられる。
過般今和次郎氏が写真家団体を指導されて街頭の敵性風俗の一網打尽を試みられたと聞く。その結果はまだ知るべくもないが、おそらく捕らえられたるもののあらわれは、服飾そのものにあらわれた敵性的なるものであろうが、その敵性を表さしめたものは、やはり敵性的風俗精神でなくてなんであろう。従ってその姿勢に於ても、決して正しさが示されてはいないところのものであろう事の想像だけは許されてよいであろう。
往来でのマナーについて気づいた点(不快さ)がネットニュースやSNSの「トピックス」に取り上げられ、ヒマ人が糾弾し合って溜飲を下げる事が流行っているようだが、この記事でやっていることも同じである。やっぱり戦争は良くない。
今和次郎までが「敵性風俗の一網打尽を試み」た! なんて記述を目にしてしまうと、この先いとうせいこうも反体制文化人狩りを嬉々としてやってしまうんぢゃあないか、などとヤな想像をしてしまって、とてもやりきれない。
また「雷撃」が出て来ている。鉄槌でも一撃でもなく、「雷撃」を使っているところに対米英戦緒戦の昂揚が見て取れる。
電車内の姿勢採集
さて、茲に図示お目にかけるのは、最近の電車内に於ける乗客姿勢の採集であり、姿勢の正しきもの或は正しからざるものの得点表であり、特に正しからざるものは、その服装概略と共に表示し以て雷撃をお見舞いしたものである。
上肢姿勢に於ては、特に遠慮なく肘を張ったもの、下肢姿勢に於ては脚をうんと間(ママ)いているもの及び脚を重ね合わせたものなど雷撃を試みて置いた。脚を重ね合わせる事などその姿勢自体正しからずとは云えぬかも知れぬが、座席の前面に立っている乗客に対して愉しからざる姿勢ではある。和服でのふところ手は、少なくとも決戦態勢下に於ては、車内時歩行時を問わず、その倫理性を一応糾明されてよいであろう。序で乍らズボンのポケットに両手を突込んでのぶらぶら歩行の壮年者も、雷撃を受ける資格のある姿勢であろうし、加うるに煙草を吸い乍らの街頭歩行などは、忽ち轟沈されてしまうべきであってよいであろう。
海軍があげた緒戦の戦果に高揚して「雷撃」を使っているのは確かだろうが、記事を読み進めると、もう少し具体的な理由が推測出来る。姿勢の正しくない乗客を「その服装概略と共に表示し以て」のくだりだ。
電車の中、「敵」と考現学者は一直線上にある。彼がカメラを持っていれば、敵の姿勢は一瞬(1/15)にしてフィルムに固定されるだろう。しかし吉田謙吉が持っているのはメモ帳と(おそらくは)エンピツだ。目標を捉え、紙に固着するまで数秒はかかる。この感覚が彼をして「雷撃」と云う言葉を選ばせたに違いない。
「雷撃をお見舞いした」と記しているが、「正しからざるもの」に面と向かって注意しているわけではないだろう。現代社会に暮らす者の目の前の現象を切り取り、考察するのが考現学の仕事のはずである。当たった魚雷の水柱までは見ていないと私は信じている。
「歩きタバコ」は即撃沈、なんて事は書いて欲しくなかったなあ(主筆はニコチン中毒者である)。
『女性の風俗』(河出新書、昭和30年刊)
「歩きタバコ」はやらずとも「ポイ捨て」はやってると思う
以下に図を載せておくが、解りづらいのが心苦しいどころだ。もっとも、鮮明に見えていたとて何が描いてあるのか、パッとは判らないモノであるから、ここは平に御容赦を乞う次第である。
図1
図2
「雷撃を試みた」跡を拡大してみよう。
左端で足を組んで座る人が標的だ。くせのある字―それでも自分の字よりはマシ―なので読み違えている可能性もあるが、「50(年齢)、国民帽、黒オーバー、マフラー、黒服(?)」と読める。他にも雷撃の跡はあるが、どれも似たり寄ったりなのでいちいち挙げない。
「雷撃」された本人がこの記事を読んだとしても、自分の事だとは絶対思わないだろう。帝国海軍の「必中」魚雷もはずれることはあるし、不発で終わることもあります。
いよいよ結びである。
車内姿勢の正しさ
車内に於ける姿勢の正しさ、と云っても例えば勤労前後の姿勢としての窮屈をまでが云々されるものでは決してない。だが、一面、訓練錬成の期間中に於てのみ正しさが厳しく示されるとしても、姿勢の正しさ服装の正しさは、個々のあらゆる場面に於てさえ示されるに至るものでなければ、訓練錬成は形骸に過ぎないものとなるであろう。
かくして個々の姿勢の正しさが、例えばこの図の採集の中の如きに於てまで、ハッキリと示されるとしたなら、一億の風俗はたちまち大東亜に臨むまこと頼母(たのも)しき、正しさとして示されるに至るであろう。
刻下婦人標準服の制定に先だっては、その服装の正しく示されると共に、その姿勢の正しきありかたが特に示されて欲しいと思う所以もそこにあるのである。(終)
「姿勢の正しさ服装の正しさ」に限った事ではないが、望ましい言動が体得されるかどうかは、当人の心掛け次第である。当然肉体と精神の負荷(ラクかしんどいか)が伴う。キツくてもなお、その方向に向かおうとする力を生み出すものを、私は「趣味の良さ」と呼んでいる。
吉田謙吉は、昭和19年10月に内蒙古に演劇指導のため渡り、年があけて帰国。蒙古(蒙古自治邦)政府から、菊田一夫(『君の名は』などで知られる劇作家)を演劇指導者に招きたいとの要請が来た際、東宝との兼職が困難になる菊田に代って家族とともに渡蒙、現地で敗戦を迎える。昭和21年3月に帰国する。
昭和30年に出た『女性の風俗』(河出書房―まだ『新社』がつく前だ―刊)冒頭、戦後10年の風俗の変化について述べた文章にはこうある。
(略)かつての関東大震災直後に、今和次郎先生と創めた(ママ)考現学が、戦争中はもちろん手も足も出し得なかった状態から解放されて、再び役に立つ事になった。
ここまで書き写した文章が無かったことにされているではないか!
時局に便乗して、「雷撃」と何度も書いてしまったのが、たぶん恥ずかしかったのだと思う。
(おまけのおまけ)
吉田謙吉のこまごまとした所を書くのに『父・吉田謙吉と昭和モダン 築地小劇場から「愉快な家」まで』(塩澤 珠江、草思社)を使っている。本稿を書き始めた時点では、積極的に時局に追随してしまった人かと思っていたのだが、こんな本が出ているんだと本書を新刊本屋で買って読み、考えを改め一気に書き直している。誤読している可能性は否定しないが、こう考えた方が面白い(笑)。
原著で「蒙古政府」とあるところは吉田一郎氏のウェヴサイト内、「内モンゴル人民共和国」を参考にして補った。
『女性の風俗』は、九段下の某施設図書館で元ネタをコピーした後、神保町の古本屋で買ったもの。
『国体の本義』本文は、佐藤優の解説書『日本国家の神髄〜禁書『国体の本義』を読み解く』(扶桑社新書)より引いた。読むと右翼スイッチが入る刺激的で面白い読み物。神保町まで原本を買いに行き、原文も読んでしまう。原本買うお金があるなら、この解説書を買って読んだ方がオトクです。
この『国体の本義』を真っ向から否定するのが『「社会」のない国、日本 ドレフュス事件・大逆事件と荷風の悲嘆』(菊谷和宏、講談社選書メチエ)だ。国家なくして何の国民ぞと云う本のあとで、自立した人たちで構成する「社会」が確立していれば、幸徳秋水は殺されずに済んだとする本を読むと、右に傾いていたのが、たちどころに元に戻る(笑)。両方読んでおくと脳味噌が化学反応を起こしたような気分になれます。
国体について、夢野久作『近世快人伝』(文春学藝ライブラリー版)にこんな記述があった。
「昔の各藩の藩士が日本の国体を知らなかった……換言すれば昔の武士というものは、自分の藩主以外に主君というものは認識していなかった事である。」
「誠に怪しからぬ事」「今の人には到底考えられない」と述べながらも「大きな事実」と云い切る。国会図書館の書誌情報には原著の刊行が昭和10(1935)年とある。「時節柄、御同様まことに不愉快な史実」と続くが、「士」がこれなら「農、工、商」も似たようなものだろう。「知らなかった」と「なかった」の差は、政治信条の差でもある。
「衣服が語る戦争」展は、日曜祝日(8月2日、23日除く)はお休み。また8月9日〜16日まで夏季休館なので、お出かけの際は御注意の程を。
図録がないので、入館時に渡されるアンケートに「図録が欲しい」「図録作れ」など書いておきましょう(笑)。