その実、カネだけ出してもらいたい70万おまけ
満州事変が、戦前日本を妙な方向に進ませた要因の一つである事は、「東京裁判史観」を打破すべく寝食を惜しんで活動しておられる人であっても、認めざるを得ないだろう。
「15年戦争」と呼ばれる戦争の時代―ここを起点に、日中戦争(日華事変・支那事変)、太平洋戦争、そして敗戦に至る―と語られるが、歴史年表を見ると
1931(昭和6)年9月18日、満州事変勃発
1932(昭和7)年1月28日、(第一次)上海事変勃発
1932(昭和7)年3月 1日、満洲国建国
1933(昭和8)年2月24日、国際連盟にて日本軍撤兵勧告案可決
1933(昭和8)年3月27日、国際連盟脱退の通告
1933(昭和8)年5月31日、塘沽停戦協定成立
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1937(昭和12)年7月7日、盧溝橋事件勃発(北支事変に発展・のち支那事変、日米開戦後は大東亜戦争の一局面に)
このような時間軸となっている。近年では停戦協定の成立を以て事変は集結、支那事変とは別に取り扱うべきとする考え方も目にするようになっており、昭和8−12年の存在を考えると、「兵器生活」15年の自分自身もそちらを支持するようになっている。
陸軍の出先である関東軍が大元帥陛下の預かり知らぬ所で、勝手に武力を発動させたのだから、満洲国建国どころか関東軍首脳全員が解任・処罰されてもおかしくは無いのだが、悪事の発生を認めることは、責任問題への発展をも意味するし、対外的にも体裁が悪すぎるのも事実である。
時の第二次若槻内閣は不拡大を宣言したものの、そもそも陸軍内部で、今後の戦争が国家総力戦になる以上、中国大陸の資源を自由に使えるようにしておかなきゃあ国防は全う出来ないよね、と云う考えが確固としてある以上、「コンプライアンス違反」をやっている自覚はなく、確信犯でやっているから軍隊も停まらない。
満洲は日本の勢力下で「独立」、帝国日本は国防確立の第一歩を踏み出し、1929(昭和4)年の世界恐慌の影響から抜け出す事も出来て、一見結果オーライなのだが、国際社会の信用は落ちて国際連盟脱退に至り、支那民衆の恨みは依然残る。国内では「非常時」が喧伝され始め、陸軍も満洲をいざ勢力下に収めてはみたものの、国防の完成を期すにはもう少し中国側にはみ出した方が良いと華北切り取りの欲を出す。満州事変と支那事変は切り離せるとは云ったものの、戦争の準備期間を設けただけだと云われれば反論出来ない。
古本屋でこんな紙切れを買った。
慰問読物の整備
満洲事変が収束をした後の1934(昭和9)年初めに発行されたチラシである。紙面中央に赤字で「慰問読物の整備」と大きく書かれ、
勇士の最も渇望せらるる新しき読物を贈りましょう
のスローガンが掲げてある。
内容は、満蒙に駐在する兵隊さんに、「新しい」読み物を寄贈するよう呼びかけるものなのだが、その語り口が面白いのでご紹介する次第である。例によって仮名遣い、文の切れ目など手を入れてある。
勇士の最も渇望せらるる新しき読物を贈りましょう
強民即強兵、真の非常時はこれからです
国家非常時の重責を双肩に満蒙の天地に活躍なさるる勇士を犒(ねぎら)いましょう
非常時の日本は畏くも 皇太子殿下の御誕生と共に国を挙げて歓喜の渦中に皇紀二千五百九十四年(西暦一九三四年)を迎えまして御同慶に堪えない極みであります、斯く国の礎は愈々鞏個(きょうこ)に成って参りますが非常時は容易に解消致しません、而巳ならず国民の斉しく銘肝して居る所謂一九三五−六年の重大時機は目睫の間に逼って居ります、
総力戦に堪えうる高度国防国家確立の第一歩として起こしたはずの満洲事変・満洲国独立が、かえって「非常時」を作り出してしまった事を率直に認めているようで驚く。
「真の非常時」の意味する「所謂一九三五−六年の重大時機」とは、1935年に日本の国際連盟脱退が発効することで、
・委任統治領(南洋諸島)の返還が求められる
・満洲問題が蒸し返され中国への返還を迫られる
可能性が考えられていた事を云う。
もちろん、素直に応じれば「危機」にはならないが、ともに正当に獲得した権利(利権)だから手放す云われは無いと云うのが日本の主張であるから、応じるわけには行かない(それが出来るのなら、連盟を脱退する事もなく、米国と戦争することも無かったかもしれない)。そうなると多国籍軍(笑)が実力で回収に来るのではないかと喧伝されていたのだ。
さらに1936年は海軍軍縮条約の期限切れを迎える。素直に更新すればまたもや対米英劣勢を強いられるのは必定で、海軍力がますます不利になると、こちらもあわせて喧伝されたもの。
これに応じるかたちで軍事費の増大が行われ、1934(昭和9)年の一般会計支出に占める軍事費の割合は38%、1935(昭和10)年には40.3%に達している。
此の秋に方り東亜全局の安危を背負っているものは 独り祖国日本で国内所有機関は所有方面に向って此の難局を打開すべく邁進せられて居りますが 就中其の一大根源たる国防の基礎をなす 満蒙生命線確保の任にある軍部当局の不断の御辛労は事変勃発以来二年有半 些の安逸なく断乎不変の方針の下に事を処し 為めに隣邦満州国も愈々帝制の実施と共に堅実の発達に向い世界各国注視の的となっています、併しながら日満両国が相携えて極東平和の彼岸に到達するは尚遼遠のことであります、
従って今後幾年暗雲が低迷するか計り知れない世態に向かって 軍部当局は上将帥より下一兵に到る迄克く非常時と世界の動向とを理解し 一致協力黙々として任務の遂行に全精力を傾注して居られるのであります、斯かるが故に内国民が事変発生以来の後援は精神的に物質的に所有方法と手段を尽くして実施せられたことは実に驚異的のものがありました、
国内関係各位は打開の手を打ってはいるが、当分「非常時」は継続するとの見解を示し、一般国民が事変勃発以来物心両面で軍を後援してきたことを述べる。
しかし、近頃は国民の関心が低くなっているのではないか、と以下に続くのである。
処が近時は非常に減少し下火となったことは争われない事実と成って現れて居る様に承って居ります、之も自然の趨勢已むを得ないことでありましょう、併し皇軍の勇士は事変勃発頭初も今日も何等異なることなく国境接攘地帯より満蒙の天地を舞台として兵匪と戦い艱苦と欠乏に堪え祖国愛に燃ゆる純情を捧げて生命線確保に御奮闘なされて居るのであります、
翻って稽(かんが)えまするに勃発の頭初は些の事件もかなり誇大に新聞紙上に掲載せられて 驚きの眼と同情の念を喚起して居たものが 現今はより以上の大事も報道せられず世人に知れ亘らざる事件、犠牲が幾多あると承って居ります、之より観察すれば寧ろ現今に於ける情況は頭初を凌ぐものが多々あることが拝察せられます、
此の間に一意奉公の誠を尽くして居らるる諸勇士を慰むるの方法は 勿論当局に於かれては十二分の考慮を払われて精神、物質両方面何等懸念する処は無いとは承っていますが更に慰藉の方法を廻らし稍々恒久性のある慰安設備を調え 陣中の勇士を犒(ねぎら)い申上ることは最も有意義のことであります、
「勃発の頭初は些の事件もかなり誇大に新聞紙上に掲載せられて驚きの眼と同情の念を喚起して居た」
「現今に於ける情況は頭初を凌ぐものが多々あることが拝察せられます」
この記述の真偽の程は浅学非才につきわからないが、満州事変の発端が自作自演である事を思うと、意味深長な言葉である。当局に対する異常とも云える気の使いようが面白い。
恒久的施設は当局が遺漏なくやってくれるのであれば、一般国民は何を以て勇士をねぎらう(今の生活でこれほど縁のない言葉も無いなあ…)のか? 新聞・雑誌などの「慰安読物」なのである。
夫れには常に陣中に新しき読物を御送り申上ることです、元来陣中読物に就ては従前も屡々陣中文庫なるものが 各方面からの御後援で随分豊富に提出せられ又現時に於いても幾分宛は実施されて居りますが 其の多くは古書籍、或いは相当月遅れの雑誌、又は新聞等の読物で 毎月連続的に又は日々の新刊読物を閲読することは割合に不可能事とされて居ります、可能のものでも諸種の関係上僅少のものが相当の時日を経過して提供せられて居る様ですが 之を各勇士の総意を忖度し自己の読物欲に照して稽(かんが)うるときは思い半ばに過ぐるものがあります。
その「慰安読物」も、実態は古本、「相当月遅れの」雑誌が多いと語られる。「自己の読物欲に照らして」それで良いのかと詰問されると、返す言葉もありません(笑)。
之を償い御満足を与うる為には 国民の熱誠ある御後援によりて左の方法に依ったならば 日に日に新たなる慰安読物(主として雑誌、新聞)を送ることが可能であります。
此の後幾年続くか恐らく一九三五−六年の危機は去りましても 依然として祖国日本の非常時局は益々重要性を加えて行くものと思われまするが 此の間に処して国防線上に営々黙として活躍なさるる勇士の為めに 上下各方面挙って御賛同の上冗費を節して応分不断の御後援を捧げられますれば 勇士の喜びは之亦思い半ばに過ぐるものがありましょう 以上声を大にして内国民の熱誠ある御声援を煩わす次第であります。
以下に述べる方法によれば、最新の読み物を国防の第一線に立つ兵士に提供出来ると云う。非常時局はまだまだ続くと思われるから、一つ何とか…と云うわけだ。
「冗費を節して応分不断」実にいい言葉だ。
御後援ノ方法
一、読物ハ諸種ノ関係上其ノ種類ノ選定、時期、数量、配布先按排、統制等ハ軍当局ニ一任スルコトガ最モ妥当デアリマス。
二、御後援ハ多少に不拘左ノ事項ヲ含ム御申込書弐通ヲ当会ヘ御送付ヲ願イマスレバ軍当局ト連絡御指示ヲ仰ギ配送申上マス。
御寄贈先軍部区分。御後援金額。御住所氏名(会社名、団体名ノ場合ハ代表者名モ附記ノコト)。責任者記名調印。尚数年、数ヶ月ノ分割、継続御後援ハ毎逐月ノ金額ヲ特ニ明示セラレタキコト
三、当会ハ右申込ニヨリ其ノ壱通ヲ軍当局ニ提出シ御指図ヲ受ケ納品後納品証明書ヲ徴シ御申込金額範囲内ノ請求ヲ申上マス。
四、軍当局の御指図ニヨリ同一申込者ノ配布総部数ガ五百部以上ニ亘リマスモノニハ毎部、左ノ捺印ヲ施シマス故ニ特ニ御希望ノ名記ガアリマスレバ御申込ノ節御指定ヲ願イマス。
一例
五、御寄贈先軍部区分ハ左ノ通リデアリマス
在満陸軍ハ 関東軍司令部
在満海軍ハ 駐満海軍司令部
国境接攘地帯朝鮮側陸軍ハ 朝鮮軍司令部
関東軍御指定
慰問読物取扱
読書奉公会
満洲安東中央通一丁目
代表者 難波武勇
振替奉天一二五番
読み物の内容、数量、配布先まで「軍当局ニ一任」とあるので吹く。
危険思想に風俗紊乱、世の中「悪書」扱いされる本は尽きぬし、チラシの発行者が軍当局に向ける気遣いの異様さを思えば当然かもしれぬが、発行者が「関東軍御指定慰問読物取扱」を名乗っている事に思い当たると、要は『軍に一任、業者(チラシ発行者自身)に丸投げ』の資金集めではないかと思ってしまう。
その意図はさておき、当局の「御指図」でそのつど新聞雑誌を買い入れるのであれば、なるほど「相当月遅れ」の雑誌は減ることにはなる(辺境の地に廻る頃には『相当月遅れ』となるのは免れない気はするが)。
寄付に限らず何かのために「お金を集める」場合、なるべく全額を前払いにして集めるだけ集めようと云うのが人情のはずだが、ここで提唱している仕組みは、
1.寄贈したい人が負担可能額を申告
2.奉公会は集まるであろう金額を算出、軍に申告
3.軍は予定金額の範囲内で必要な新聞・雑誌の種類・冊数、納入先を奉公会に指示
4.奉公会は新聞・雑誌の類を仕入れ、軍に納入する
5.奉公会は寄贈者にあてて納品証明書を付けて請求
6.寄贈者の支払い
正真正銘の後払いなのだ。初回の分は版元/取次からツケで取り寄せられる勝算があったと云うのだろうか? おまけに一口分で500部以上になると、一冊一冊寄贈者名を記した印まで押してもらえると云う(寄贈者当人が現物を見る事は多分ないだろうが)。現代のサラリーマンから見れば、資金回転など相当の事務改善の余地がありそうだ。
日本国内に向けて(『内国民』の語がそれを物語る)提唱されたこの活動、どれだけ反響があったのかを知るすべは無い。
チラシの末尾はこう結ばれている。
銃後の後援として不断の御慰問を続けましょう
(おまけのおまけ)
敗戦70周年と云うことで、いろいろな読み物を読んでいると、やはり陸軍が国防に遺漏なきよう思案し、八方手を拡げ尽くしたあげく、国を滅ぼしてしまったように思えてならない。
本邦周囲形勢図(昭和9年)
これは、『日本歴史地図』(三省堂、昭和9年修正4版)掲載の「本邦周囲形勢図」と題された地図である(満洲国を『最親善国』に色分けしているのが笑える)。
陸軍が満洲を、海軍が南洋諸島を抱えていれば、国防のベクトルは見事に南北(あるいは北と東)に割れ、一本化は難しいと思わざるを得ない(結果として帝国海軍ともども南洋諸島が先に駄目になった)。
明治維新の原動力の一つが、清国同様に西欧列強の喰い物にされる危機感だったと念頭に置いてこの地図を見れば、日本がロシア(地図では『ソヴィエト連邦』になっている)との緩衝地帯として、朝鮮半島を勢力圏に置きたかった―日清戦争の原因となる―事がわかる。半島を維持するには、一度は手に入れかけた遼東半島(朝鮮半島付け根の西側)と満洲からロシアを排除したくなる―日露戦争の背景―のも止む無しと思ってしまう。
しかし、その危機感とは結局のところ「士」が「農工商」のレベルに落とされるものに過ぎず、それを共有出来たのは、各藩を統治していた武士に限られていたのではないか? と云う疑問を最近持つようになってしまった。日本は外に出なくても何とかやっていけたんぢゃあないか、日清戦争をやらなくても済んだのではないか、と考えてしまうのだ。
とは云え、外国人がどう日本を喰いモノにするのかは、労働力(奴隷)にする・田畑をつぶし単一換金植物栽培を強制する・キリスト教を国教化して寺社を取り壊す・年貢が大幅に上がる等、農工商まで武器を取って抵抗するレベルから、将軍様や大名が青い眼になる程度の変化に留まり、周辺有事に軍役を課せられる程度なソフトなものまで、様々なパターンが考えられる。
このあたりを色々考えてみるのも面白いのだろうが、浅学非才以前の状態なので、参考になる本の2、3も読んでみたいものだと云うあたりに留める。
余談が過ぎた。
この歴史地図帳には、「東亜に於ける帝国勢力消長概見表(自日清戦争至国際連盟脱退)」と題された面白い表もついている。
日清戦争から(当時の)現在までを、
「臥薪嘗胆時代」(日清戦争・三国干渉から日露戦争)
「戦後経営時代」(ポーツマス条約〜韓国合併〜満蒙五鉄道に関する公文交換)
「権益伸張時代」(日独戦争※第一次大戦参戦〜巴里講和条約)
「権益凋落時代」(尼港大虐殺事件〜満州事変)
に区分けし、表中に「赤暈」で国防力の消長(陸軍省調べ)も表している。この表を含む『日本歴史地図』は、「中学校・師範学校・高等女学校・実業学校歴史科用」(現在の高等学校レベル)として文部省検定済なので、当時の(望ましい)時局認識と見て良いだろう。「権益凋落時代」の認識があればこそ、満州事変と連盟脱退が支持されたのである。その先は満洲国が発展することで今まで以上に権益が伸張し、「日満ブロック建設時代」、続いて「東亜新秩序時代」、「大東亜共栄圏時代」を迎える筈であったわけだ。
(おまけのおまけのおまけ)
今回のネタは笑うところに乏しい自覚があるので、古書市で買った紙屑からひとつ
『新案特許 永久不変の金玉』(勿論、男子が股間にブラ下げているアレではなく、国旗の上にある、金色の珠のこと)。
大きさが「中」、「大」、「特」になっていて、「小」が無いのがミソである(笑)。
トップページのアクセスカウンターが、70万をようやく超えたので、奉祝の旗を立てた次第でもある。