『皇国現下の思想粛正準則』で71万おまけ
下北沢の古本屋でこんな本を買う。
『皇国現下の思想粛正準則』
(大陸国策研究所刊、昭和16年9月発行・非売品)
述者の綾川武治(1891−1966)は、大正〜昭和の国家主義者(右翼)である。
木下宏一『近代日本の国家主義エリート 綾川武治の思想と行動』(論創社)のオビは、「時に学者として、時にジャーナリストとして、右派的な言説を絶えず社会に発信し、帝国日本の国家ベクトルを論理的に正当化する思想活動を営み続けたエリート国家主義者」と紹介している。
おもな著書に、『満洲事変の世界史的位置』―事変を欧米白人の東亜侵攻に対する有色人種の反撃と捉え、「人類史上比類稀なる神聖意義を有する事実」、有色人種による新文明史創設の1ページを飾るもの―と位置づけた本や、共産主義運動を批判する『共産党運動の真相と毒悪性』、「思想戦」への備えを説く『近代思想と軍隊』『将来の戦争と近代思想』などがある由。
そう云う人の語る「思想粛正」なんぞ、おおよその見当はつきそうだから普通の人は読まない。読めばゲッソリする内容だ。しかし「右翼」のモノの考え方と、その語り口(罵詈雑言なのだが)の面白さに惹かれ、あえて紹介する次第である。
幸い、『近代日本の国家主義エリート』では、本文の一部が引かれている程度で、冊子自体の言及がなされているわけでもない。
例によって、縦書きをヨコとし、漢字・かな遣いを改め、改行・句点替わりの空白挿入など、読みやすくするよう手を加えてある。
冒頭には『皇国現下』の情況―大政翼賛会発足(昭和15年10月12日)をめぐる混乱とその原因―が述べられている。
一、臨戦下思想悪化の妄状
今年一月下旬から二月一杯を実際の開期とした第七十六議会は、思想問題が喧々囂々を極めた点に於いて、議会開設以来初めてのことであると言われました。
恐らく前古未曾有の共産党全国的検挙が行われた昭和三年三月十五日事件の当時も、また治安維持法が大正十四年制定せられた際も、また昭和三年同法が改正された時でも、それ程真剣に繰り返し繰り返し論ぜられたことはなかったのであります。
然らばどうして第七十六議会が、前古未曾有という程、思想問題を真剣にまた多分に論ずるということになったのでありましょうか。
第一は、昨年九月成立した大政翼賛会が、所謂新体制の中核体として、帝国議会に取って代わるものと考えられた程、国民の間に重大視されたに拘わらず、その人事は所謂愛国運動者を旧体制者流として排斥して、仮面転向の憎むべき赤色共産主義者に外ならない昭和研究会(後藤隆之助氏主催)一味、産業組合関係者等を以て幹部陣を構成するという乱態を極めたからであります。
従って大政翼賛会を思想的に論難する声が、囂々として起こったのであります。
第二は、戦時政策として当然採用されなければならなかった統制経済なるものが、思慮なき若い官吏や、新奇や革新を衒う言論家によって、彼等の信奉してやまない凶悪マルクス主義の実行でもあるかに吹聴されたからであります。
今こそ正面切ってマルクス主義を主張出来ないけれども、矢張り密かに信じているマルクス主義はこれこの通り真理を含んで居るではないか、その通りに実現せざるを得ないではないかと、彼等の嘗ての確信なり主張なりが正しいものであったということを誇示したいのが、未公宣(頬被り)転向者流共通の真理であると謂わねばならないのであります。
そうした不用意無思慮の言説から、統制経済に対する誤解を巻き起こし、議会に於て相当激烈な論争となったものと見なければなりません。
第三は、従来思想悪化の根源となっていた帝国大学のマルクス主義教授等が、今尚一掃されず残存し、而も彼等は帝大教授の看板で露骨に凶悪思想を宣伝して居るからであります。
時も時この国家の超非常時に、国家戦力を内部から去勢弱化しようとする 凶悪思想宣伝を敢えてするとは何という国賊行為でありましょう。それは常識ある国民なら誰しも考え付かざるを得ないのでありますから、この大学教授其他の学校教師の思想問題が、帝国議会で論議されるということは当然すぎる帰結であります。
即ち第七十六議会に於て、所謂思想問題が前古未曾有に論議されたということは、議会が故(ママ)らに問題を作って、論議せんが為めに論議したというのでなく、事実日本国家内部に今尚思想悪化の状態が存在していたので、その事実の状態が、帝国議会に反映して、激烈な論議となって現れたという外ないのであります。
第二次、第三次の近衛内閣が、内閣内の最高機関として、思想対策協議会なる、今迄にない重大機関を設置して居りますのも、如何に今日の思想問題が重大性を帯びて居るということの証明であります。
二、憂国思想家等『皇国現下の思想粛正準則』を作成
斯様な思想悪化の状態が、この日本国家にとって死活の分岐点とも考えられる 今日の超非常時局下に於いて、依然として存在する許りでなく、益々その傾向を甚だしくするという有様が、丁度大政翼賛会発足当時の、昨年の九月末頃、最も顕著に現れて参ったのであります。
それは昭和研究会という隠れたマルクス主義研究団体であったものが、大政翼賛会という大規模の機関の中に入り込んで、公々然社会の表面に立とうとしたのでありますから、これ位危険極まることはないのであります。
そこで既に大正中期の頃から、凶悪マルクス主義討滅の為めに 相携えて戦って来た国家主義思想家の一団は、寄々集まって現下必要に迫られて居る思想対策を研究して来たのでありますが、昨年の九月三十日、第一回の会合を日比谷松本楼に開いて、愈々思想戦線に乗り出すことに決定したのであります。
翌月第二回の会合で、会名も『皇国学徒懇話会』と決定し、その翌月の第三回の会合で、民間思想対策として、『皇国現下の思想粛正準則』を作成、広く各界に頒布し、思想粛正の徹底に資せんことを決定したのであります。かくて、爾来三回の総会、六回の小委員会を開いて、今年の四月に至って、この思想粛正の準則が完成するに至ったのであります。
近衛文麿による「新体制」の実行機関となる「近衛新党」が、昭和15年10月に大政翼賛会として成立した事は、昭和史読み物に必ず書かれている話だ。しかし、翼賛会が出来たとあってもすぐに仏印進駐だ、東条内閣成立だ、対米交渉だ戦争だと歴史の流れ方が激しすぎ、大政翼賛会の発足時に色々あった事など気に留めてなかったのである。
「近衛新体制」が目指す、ナチス・ドイツのような一党独裁の政治体制と、「資本と経営の分離」を標榜する統制経済政策は、憲法違反の「近衛幕府」、「赤」と右翼と財界が猛反発をしたため、近衛は15年12月に平沼騏一郎―「国本社」を主催した右翼政治家―を入閣させて反対派と妥協・事態収拾を図り、運動は骨抜きとなる。本冊子に云う、第七十六議会で思想問題が大々的に論議されたのは、革新派主導の新体制運動への、右翼・現状維持派からの揺さぶりなのである。
その一方ではしれっと、統制経済は、「当然採用されなければならなかった」と書いているのだ。
『実業之世界』昭和15年12月号より
(この頃には反対派―このマンガでは親米英派―との妥協を考えていた事になる)
その結果、「経済新体制確立要綱原案」作成に携わった官僚が検挙され、大政翼賛会も16年4月に改組―発足時の幹部(マルクス主義者と批判を受けていた)が辞任―となり、「事実上戦争協力のための政府の外郭団体(『昭和史講義』(ちくま新書)第12講『近衛新体制と革新官僚』)」として再スタートする事になる。
本冊子は、近衛新体制運動に対する右翼の勝利宣言であり、そこに至る道筋を振り返ったものでもあるのだ。
ここで云う「思想粛正」とは、大筋はマルクス主義の撲滅を意味するのだが、真面目に読んでいくと民主主義者をも含む、「反国体思想」の持ち主を社会的に抹殺し、さらにはそれを放任した者も断罪すべしと云う、『週刊金曜日』が驚愕するような提言が記されている。それが大真面目かつ個人を名指しまでして執拗に書かれているため、今の目で読むとタチの悪い冗談にしか思えない。
冒頭部には、「今この『皇国現下の思想粛正準則』の作成に関与した皇国学徒懇話会員を挙ぐれば以下の如くであります」と、約5ページにわたり96人の会員名がその肩書きとともに記載されている。いちいち書き写すのは面倒なので略すが、良く見ると
会員の一部
天皇機関説批判から「国体明徴宣言」に至るきっかけを作った菊池武夫、この人がいないと盛り上がりに欠ける蓑田胸喜の名が見える。そのほか大倉精神文化研究所を作った大倉邦彦(東洋大学学長)、イサム・ノグチの父親、詩人の野口米次郎(慶應義塾大学教授)、戦後は大日本愛国党党首として、辻説法を続けた赤尾敏(建国会理事長)などの名がある。逆に載っていそうな笹川良一の名前は見えず、このメンバーがどう云うところで結び付いていたのか(逆に距離を置いたのか)と合わせ見れば、また面白いのだろうが、それは「兵器生活」の仕事ではない。
「思想粛正準則」本文に入る。
これは「第一 精神的大逆罪」に始まり、「第二 マルクス主義の凶悪叛逆性」、「第三 国民的処置―社会的制裁の強化」、「第四 時局便乗の高氏派跋扈の危険」、「第五 転向仮装者の凶悪危険性」、「第六 潜伏マルクス主義の検出方法」、「第七 転向者使用の官庁責任」、「第八 思想官憲の失態と其責任」、「第九 帝大学風刷新断行の急務」、「第十 緊要なる思想審査機関の開設」まで10項目にわたるもので、条文に続いて「註釈」が記されている。
第一、精神的大逆罪
皇国臣民にして皇国の国体を誹謗し、否認し、若くはその変革を宣説する者に対しては、国家及び国民は、之を精神的大逆罪を犯せるものとして処置せざる可らず。就中それが学者、記者、官吏、議員、大政翼賛会職員、産業報国会職員等、国民に対し多大の宣伝影響力を有するものなる時、特に重大視せざる可らず。
【註釈】
皇国の国体とは、上に皇室を戴き、下万民これを扶翼し奉るという、日本国家根本の組織を指すのであります。多くの外国学者が、日本国家の隆運は、決して国民個人の質が優秀なるが為めではなく、国民が皇室を中心として結び付いている 即ち国体の力に出るのであると結論して居るのでありますが、われわれが考えても事実その通りと断定せざるを得ないのであります。然りとすれば、皇国の存亡は、実にこの国体の運命如何に繋がって居るのであります。而して皇室の安厄は、直接又は間接に我が皇国の存亡に影響を及ぼすこと論を俟たないのであります。
そこで我が法典に於ても、皇室に対する罪を第一位に置いて、その犯罪の重大なることを明らかに示し、また国民一般も これを通俗の称呼に於て『大逆罪』と申して、最も憎むべき犯罪として互に相戒めて居る訳であります。けれどもこの刑法第七十三條―第七十六條に於いて規定されて居る 『皇室に対する罪』と申すのは、皇室にあらるる方、皇族にあらるる方の御個人に対し奉り、危害を加うるの行為、不敬行為を為したる者に対して課する罪でありますが、治安維持法に規定されました『国体を変革する』という意味は、我が皇国国体の根源根本である皇室の御地位を、国家組織の上から、永久になきものにせんとし奉ることでありますから、その犯罪の凶悪不逞なる点に於いて、実に刑法第七十三條の大逆罪以上に 憎むべき怖るべきものであると言わなければならないのであります。
ところが、従来の治安維持法に規定されてありました犯罪というのは 『国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者』と限定されて居りましたので、個人で国体に対する叛逆行為を行った者に対しては、何等これを処置する法文がなかった訳であります。そこで、第七十六議会に於きまして 個人の場合もこれを罰することが出来るように改正されたのでありますが、一般に法律は実際の行為となって現れたものを対象として規定して居るのでありまして、精神的罪悪と目される行為に及ばないのでありますから、私共は、一般国民の心構えとして、我が皇国の安危存亡に重大関係ある国体の問題に対し、これを『誹謗し』、『否認する』言動から、今回の治安維持法の改正によって規定されるに至った国体変革の宣説行為に対して、倶に天を戴くことの出来ない精神的大逆罪であるとお互いに警戒せねばならぬと考えるのであります。
国体を誹謗し、国体を否認する言動は、既に精神に於いて国体を喪失して居るものが、個人として国体を破壊する行為であり、国体変革運動の準備行為と言わなければなりません。国体変革を他人に向かって広く宣説する行為に至っては、最早論議の余地がない程明白なる不逞叛逆行為であります。
これ等の言動なり宣説なりが、地位も名もなき市井の一個人の為す所であるとすれば、その影響は何等社会に害悪を与うるという程度に達しないでありましょうが、それが、大学教授などの学者、社会に広く普及されて居る新聞雑誌の記者、国民に信用と威力を持つ官吏、国府県市町村の各種議員、また最近国家機関として台頭して来た 大政翼賛会や産業報国会の役員なり職員なりといった種類のものの言動である場合は、市井の一個人よりは遙かに大なる影響力を持つのでありますから、その国家社会に与うる害毒は、怖るべきものであるといわなければなりません。
殊に、こうした宣伝影響力の多い地位に居るものが、国体に対する不逞言動を敢えてする場合は、そうした言動に出てはならない地位にある者が、その地位を利用して宣伝し 故意に国家破壊の行動に出るのでありますから、その動機に於いて悪むべきものがあるといわなければならないのであります。この意味に於いて、こうした地位にある者の国体に対する不逞言動は、国民として特に警戒し、また厳重に処置せねばならないのであります。
「国体変革」の言動は「大逆罪」も同然であると云う。右翼なら当然ともいえる主張だが、ここでは特に「学者」「記者」「官吏」「議員」「役員」「職員」という、社会に対して影響力を持つ者の言動を警戒し、「不逞言動」があれば厳重に処置せよとしている。
「不逞言動」を取り締まる法律として、治安維持法があったことは教科書にも書いてある。冊子には「個人で国体に対する叛逆行為を行った者に対しては、何等これを処置する法文がなかった」とあるが、昭和3年6月29日の改正時に「情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者」の条文があるので、この指摘は正しくない。ここで云わんとしているのは、昭和16年3月に全面改正された治安維持法が、
「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」(第一条)
「前条ノ結社ヲ支援スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」(第二条)
「第一条ノ結社ノ組織ヲ準備スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者」(第三条)
に細分化? され、それぞれの「結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者」が、罪に問われるようになった事なのだ。つまり、共産党関係者と無関係であっても、共産党を支持する言動を取れば、「共産党再建準備委員会(仮)支持者」として検束出来てしまうのだ。検束されれば、日夜を問わぬ親身かつ懇切丁寧な取り調べが待っている(もちろん厭味で書いている)。
戦中の言論弾圧事件として有名な「横浜事件」は、この「改正」がなければ発生しなかったかもしれない。
戦後になってこんな本も出ました
続いて、「国体変革」運動がよって立つ、マルクス主義への批判が述べられる。
第二、マルクス主義の凶悪叛逆性
マルクス主義は、生命の自然、人類の天性を無視せる唯物論に基く機械的平等思想より私有財産制を否認し、唯物史観に立脚して歴史の一貫性を否定する革命主義より国家の廃絶を意図するものなるが故に、理論上必然的に皇国の国体を変革する思想契機を有するものなり、故に苟くも之を信奉し宣説するものは勿論、暗に之を容認し支持する者と雖も、第一項の見地より最も厳粛に処置せざる可からず。
【註釈】
一、マルクス主義の正体と其根本原理
マルクス主義は、我が日本に於ては、非常に精密な深遠な理論によって組立てられ、真理性の極めて多い経済原理であるかの如く宣伝されて居ったのでありますが、それは労働運動や不平家の集団が行う社会運動に都合のいい理論というだけであり、決して人類の理論心に訴えて全般的に肯定の受け得られるるものでは絶対にないのであります。それはマルクスという猶太人(世界的不平家集団)が、その不平鬱憤を晴らすために世界現状顛覆の為めの理論として作られたものということが出来るのであります。
マルクス主義の根本理論といわれて居るものは
一、唯物弁証法
二、唯物史観
三、余剰価値説
四、階級闘争説
五、社会革命説
とに分けることが出来ます。
今その諸説の内容に対し、平易なる批判を試み、その如何に見え透いた邪説理論であるかを剔抉すれば以下の如くであります。
ここからマルクス主義批判が事細かく始まるのだが、中身は割愛して小見出しの紹介に留める。
二、唯物弁証法の間違い
三、唯物史観の誤謬論理
四、階級闘争説の事実無視謬論
五、余情価値説の詐術論理
六、社会革命説の自己矛盾
七、マルクス主義は国家廃絶が目的
八、マルクス主義の大逆性明白
「間違い」「誤謬」「事実無視」「詐術」と批判言葉の見本市のような見出しの下に持論が展開され、「大逆性明白」の判決が下されている。
マルクス主義の目指す究極のところが、共産制の実現と、それに伴う従来の国家消滅にある以上、当時の日本のあって危険思想として処断されるのはやむを得ない所だろう。しかし、「労働運動や不平家の(略)都合のいい理論」と斬り捨てるだけで、資本主義の病理の存在がこの思想を生み出し、日本を含む世界各地で受け入れられた事について反省が語られてないのが解せないところだ。
マルクス主義の見方では「徳治国家とか、道義国家とかいう形態を考えることが出来ない」と批判しているが、当時の日本社会がそうであったのかと、述者は本当に思っていたのだろうか?
いよいよ本題になる。
第三、国民的処置―社会的制裁の強化
今次治安維持法の改正は、この見地より為されたるものなるを認むべきも、其の立法精神より現行出版法新聞紙法を急速に改正すると共に、その敏活強力なる適用を期せざる可らず。而して当局官憲の司法行政的処置は、公正なる国民輿論による社会的制裁と随伴し補足せらるべく、此の意味に於て真に威力ある国民精神総動員運動の急速展開を要す。
【註釈】
思想問題が喧しく論議された第七十六議会では、当然必然に治安維持法の改正案が提出され論議の的となったのであります。而して従来結社に関係した行為だけを罰したものを、今度は結社に関係なく国体変革に関する言動を敢えてした場合、個人的であっても所(ママ)罰されることとなったのであります。
けれども国体変革を目的とする思想言論は、新聞雑誌其他出版物の上に現れるのが常例でありますから、これで取締を厳重にしなければ、治安維持法の徹底を期する訳に行かないのであります。例えば新聞紙法で発行禁止を命ずるには裁判所でなければ出来なくなって居たり、出版法では発行した月日から何年と計算する時効の規定があって、仮令有毒文書が尚書店の店頭に販売されて居るとしても、時効が切れて了って居れば、何等処罰されないというような不都合極まる事案が、従来何回もあったのであります。この点については、治安維持法の改正と相伴って改正が行われなければならないのであります。
併しこうした司法的処置も、国民側の公正なる態度による 社会的制裁が加えられるのでなかったならば、到底所期の目的を達することが出来ないのであります。治安維持法違反の犯罪があったとしても、国民の側ではその犯罪に対して非難攻撃を加えるという態度に出ない場合、或はその犯罪に同情してこれを賞揚するという態度に出た場合、治安維持法の重大意義が失われるという結果に陥らざるを得ないのであります。
されば、司法的の処置と併行して国民の側から、厳重なる社会的制裁の方法が講ぜられ、その犯罪に関係したものは、二度と国民の面前に立ち現れることの出来ないように、精神的の重圧を加えなければならないのであります。
我が日本に於ては、殊に古代から国民の社会的接触が頻繁であって、従って社会的制裁の力も強く働いて居ったのであります。殊に中世から武士道精神が形造られるようになったので、その社会的制裁は厳重を極めたのであります。家屋の構造も開放的で密閉主義でなく、国民の相互干渉の伝統が形成され、個人の自由を極度に尊重する欧米の社会道徳とは甚だ異なる特徴を持ったのであります。例えば途上で出会した知人同志お互いに『何処へ行く』『何の用で』などと何か訊問でもするかの如き問答を取り交わし、而かもこれを以って何等の悪感を起こすことなく相互に好感を受けて相別れるのであります。また義理人情を重んずることも、日本独特の民風であります。これもまた社会的生活に於ける規律を意味するものであり、日本国民はこの規律を重んずるが為めに、身命を賭することを辞さなかったのであります。
こうした伝統を持った我が日本に、明治以来欧米の個人主義が流入し来り、一方環境上個人主義的生活を形成せしめる都会が発達し、両々相助けて、我が日本国家を支持発展せしめ来った社会的干渉乃至制裁の伝統を破壊しつつあったのであります。併し我が日本の国力民族力の強さは、勿論国民性に出ずるとは謂え、この相互に美徳を賞揚し悪徳を憎嫌するという社会慣習によって補成増拡されて来たのであります。この点から言っても我が日本に、社会的制裁の力を復興強化しなければならないのであります。殊に事は我が国体に関する重大問題であります。国体に関し誹謗したり否認したりする者に対しては、直ちに詰責し戒飭すべく、マルクス主義支持容認の態度を示す者に対しては、直ちに叛逆者国賊たることを公宣し、国民的警戒を集中さすべく、我々は凡ゆる努力を傾注しなければならないのであります。
「社会的制裁の強化」―「村八分」のススメである。
「二度と国民の面前に立ち現れることの出来ないように、精神的の重圧」を加えよとは、国家公認で「いじめ」をやれと云う事に等しい。
戦後、都市人口はますます増加し、家屋構造は個室を伴うものに移り変わって「個人主義的生活」こそが日本社会の標準とも云えるようになっているが、一方ではインターネットの普及・SNSの隆盛が、個人的心情の吐露に過ぎないものまでも「見える化」させるようになり、新しいカタチの「社会的制裁」が行われるようになっている事に注意すべきだろう。
「地位も名もなき市井の一個人の為す所」が、「一個人」のカタマリに批判されて、ネット世界どころか実社会からも制裁される事件は、もはや珍しいものではない。
マルクス主義を危険思想と断じ、国民各位には彼らへの「社会的制裁」を勧め、本文は今も尚、危険思想の持ち主は生き残っているとの警告を発する。
第四、時局便乗の高氏派跋扈の危険
第一次大戦末期より漸次跳梁し来りし反国体派思想系列、即ちデモクラシイ『民本』『民政』主義者、赤化マルクス主義者、無産政党員等は、今や皇国内外の情勢を看取し、従来の主義主張を自己に不利とし、滔々として時局便乗の転向を策し、或はファッショ、ナチスの外観を装い、或は進んで国体明徴の言辞まで弄するに至れるも、彼等は建武中興時代の足利高氏及び其の党輿と異なる所なく、国家にとりて危険之より甚だしきはなし。政府は是等転向派に対する措置に慎重を期し、些の誤りなからんことを要す。
【註釈】
前回の世界大戦末期頃から、我が日本に於ては、反国体派の運動が眼立って挑戦的になって来ました。
彼等は、先ず帝国大学と基督教会とから出て、流行新聞雑誌にその活動の舞台を求めたのであります。
彼等は欧米文化に心酔し、欧米文化を以て世界最優秀であると確信し、我が日本の伝統的文化形態の一切を以て、悉く欧米より劣等であると判断し、我が日本をして欧米化せしめんと努力したのであります。そこで、彼等には、欧米に発生した如何なる思想、如何なる学説も、悉くが崇拝し信奉すべきものと考えられ、デモクラシー、社会主義、マルクス主義、無政府主義等々の、我が国体とは相容れざる政治上の指導原理をも、全く無批判無選択に輸入すべくこれ務めたのであります。
一方当時の国際情勢は、デモクラシーと労働組合主義を擁護支持しつつあった国際連盟が、兎も角も世界を指導する地位にあったし、また蘇連邦と国際共産党(コミンテルン)とは、頻りに共産主義の宣伝を放って世界各地の革命動乱を煽揚するにこれ努めて居ったので、その影響が我が日本にも波及して来て、我が国体とは絶対相容れないデモクラシー、共産主義、無政府主義の思想までが、流行新聞雑誌の上に時に得顔に跳梁して居ったのであります。
彼等の我が国体に叛逆し、我が国策を妨礙し、我が国運を阻止し、我が祖国と国民同胞とを外国に売り渡さんとまで企て、その為す所、実に言語道断というの外はなかったのであります。
吉野作造、美濃部達吉、尾崎行雄、大山郁夫、長谷川如是閑、海老名弾正、浮田和民等は民主主義デモクラシーを呼号して我が国体に挑戦し、英米仏等の国際連盟派諸国に款を通ぜんとし、堺枯川、安部磯雄、山川均、荒畑寒村、佐野学、高野岩三郎、櫛田民蔵、大内兵衛、河上肇、福田徳三、末広厳太郎、平野義太郎、鈴木文治、大森義太郎、蝋山政道、三木清、北沢新次郎、平貞蔵、加田哲二、三輪寿壮、麻生久等は、流行新聞雑誌を利用し、頻りに社会主義共産主義を宣伝し、各国社会党若くはソヴェート連邦と共同戦線を張り、祖国日本打倒に狂奔するという暴状を呈したのであります。
而かも彼等の、それらの不逞凶悪なる行動に出たのは、如何なる動機からであるかと調べて見ますと、十人のうち九人までは、皇国国体の根本が如何なるものであるかに関せず、世界的最新思潮に乗ることは、大衆の喝采を受け識者の注意を引くことになり、従って世間的に早く認められることになり、それによって何等かの支配的勢力を獲得することになるのでありますから、相争って不逞凶悪行動に出たというのが事実であります。
彼等の或ものは、言論界思想界に早く名声を馳せんとする売名欲に駆られ、或ものは、社会運動界に早く幹部となって移り行く社会の先頭に立たんとし、或ものは、無産政党にあることが最も早く衆議院議員になれるからと考え、孰れも形の変った立身出世主義の権化となり、自己一身の卓出栄達をこれ図るという、利己主義も甚だしい賤劣極まる動機から、皇国国体に対する叛逆不逞行為を敢てするに至ったのであります。
彼等は、昭和六年九月十八日満洲事変が勃発して、皇国日本が前古未曾有の国際的難局に立った際でも、尚その野望満足の為めの叛逆行動をやめず、労働争議の数、昭和九年一千九百件、昭和十年一千九百件、昭和十一年二千件、昭和十二年は六月までの上半期だけで一千四百五十件を算するという有様で、満洲事変、国際危局、支那の排日などという国難重畳も、彼等にとっては、何等関心の的とならなかったのであります。
然るに突如として昭和十二年七月七日、支那事変が勃発し、今度こそは、一国の安危に係わる大事変となったので、さしも支配欲に駆られ新栄達主義に燃えていた彼等と雖も、遂に方向転換せざるを得ざるに至ったのであります。
けれども、彼等の方向転換所謂転向なるものも、決して今迄の考えが悪かったと改悛しての転向ではないのであります。彼等は、二三検挙に会って受刑したものもありますが、大多数は裁判所の公文書の上に悔悟改心致しましたと形式だけでも改悛の情を表したものでなく、ただ時勢が移り変わったので、従来の思想の儘では書いた原稿も売れず、糊口の資にも窮することになり、また思想取締を厳重に受けて何時検挙に会うやも知れぬ不安もあり、この自己の甚だしく不利なる立場を脱却せんが為め、従来とは全く反対の国家本位民族本位の立場を取り、臆面もなくファッショ、ナチスの外観を装い、全体主義を唱え、国体明徴を叫ぶに至ったという徒輩であります。
彼等は、本心の根底から悔い改めたのではなく、ただ時局が転換したので、これに便乗して、新しい時勢に即応して、従来の素志である支配力を獲得せんが為めに転向したのでありますから、また時勢が変わったなら、必ずその時勢に適応した便乗振りを発揮するに相違ないのであります。然らばこれ全く建武中興時代の足利高氏、赤松資範、塩谷高貞、大友左近其他諸国の恩賞目的の武士どもと同然であって、憎みても憎み足らない徒輩と目すべきであります。足利高氏は、また持明院統の皇統を支持して、皇室に対する忠誠心だけはあったと言われるのでありますが、民主主義、共産主義よりの転向者等は、組織的に国体を否認したもの共でありますから、皇国にとり彼等程危険極まるものはないと謂わなければならないのであります。従って政府は、これ等時局便乗の転向者どもに対する措置は、厳酷慎重を期し、国民も彼等に対する警戒は、念に念を入れて遺憾なきよう致さねばならぬのであります。
「準則」をまとめあげた国家主義思想家たちが、マルキストのみならず、民主主義者をも敵視していることが伺える。
彼らの動機を不純なりと断罪する文章を読むと、憂国の国家主義者たちが「流行新聞雑誌」から相手にされずに、言論界・思想界の後衛に抑え込まれている―売れない媒体での執筆に甘んじ、社会改革の先頭にも立てない―僻みと嫉妬を抱えている事が(『兵器生活』を15年続けている主筆には、イタイ程)解る。そのためか、転向を声明し、あるいは国家主義的言動に走った者を暖かく迎え入れるのではなく、「時局便乗」として排斥の手を緩めないのだ。
さらには、「転向者」には踏み絵―自己批判及びマルクス主義への積極的撃滅行為―をさせろと主張する。
第五、転向仮装者の凶悪危険性
一度マルクス主義を信奉したる者にして真に転向したる場合には、必ず懺悔告白の真情を披瀝すべく、而してその禊祓贖罪の内的動機により、マルクス主義そのものに対する体験的学術的の自己批判を示さざる可らず。単に転向を誓い表面マルクス主義を主張せざるに至るとも、進んで之を積極的に撃滅する態度に出でざる者は、真の転向者と認む可らず。機縁情勢の如何に依りては、再び其の凶悪素質を露呈するに至るべき危険性を包蔵する者として、官民協力して之を厳重に監視するを要す。我等は特に保護観察所の方針と機能とに対し甚深の注意を促さんとする者なり。
【註釈】
前項は主として、時局便乗の、改悛不公宣の、頬被ぶり転向者が、国家に取って如何に危険なる存在かを述べたのでありましたが、本項に於ては、真正なる転向者は、如何なるものでならぬか、転向が真正にして誤りなきものであるが為めには、如何なる実証を示さなければならないかを説明したのであります。
真に転向した者である場合には、今迄はまことに悪かった、どうしてそんな悪思想に感染して行ったか、またどんな凶悪行為を敢てしたか、こうした悪かった事実内容を懺悔告白して、真心から改悛したということを人に示さなければならず、また真に改悛したとすれば、その罪を『みそぎはらい』しようとし、その罪の『つぐない』をしようとする心を起こさなければならないのでありまして、こうした心からは、どうしてもマルクス主義が何故に悪い思想であり学説であるかの点について、自分の体験から学術的に批判し説明しなければならないのであります。詰り、真に転向したものならば、自ら進んでマルクス主義の不逞凶悪なる所以を明らかにし、学術的に非難攻撃の態度に出なくてはならないというのであります。
例えば裁判所で判検事に取調べられて未決囚に居ることが苦しくて、転向致しますと口頭の表面だけで誓ったり、また体裁繕い、表面誤魔化しの為め自分は転向したのだと公刊の図書雑誌などに意見を発表し、その以後マルクス主義は言わなくなったとしても、進んでマルクス主義は凶悪なものであるから、これを人類社会から絶滅してやらなければならないと、攻撃掃蕩する態度に出るのでなければ、それを真の転向者と認めることは出来ないのであります。そうした連中は、マルクス主義に対して狡猾陰険なる沈黙をまもるというだけであって、唯だ官憲なり社会なりの非難攻撃を免れる手段を取っているだけであって、機縁が与えられ、情勢が変化すれば、また再びその以前の凶悪素質を表面に現して、社会攪乱、国体破壊の不逞運動を起す危険性を隠し持って居る者に違いはないのであります。狡猾沈黙の彼等に対しては官民は協同して特別慎重なる警戒を加え、殊に保護観察所は、こうした部類の狡猾なるマルクス主義潜伏信奉者に対して、特別なる方針を樹て、十分なる機能を発揮して貰いたいのであります。
転向者したのであれば「行動で示せ」と云うわけだ。
本文とは無関係だか、懺悔をまとめた本
しかし、今まで「準則」に書かれてきた事を振り返ると、転向者がどれだけ自己批判をし、マルクス主義を批判し尽くしても、国体を誹謗した前科は残る。転向しても時勢によってはどう転ぶかしれたものではないと、警戒される事には変わりがないのだ。自分たちは、国家主義者と云う安全圏にあって云いたい放題する、いささか陰険なやり口である。
裏切り者を敵の矢面に立たせるのは常道ではあるが、彼ら自身がひねり出す(だろう)力に頼らざるを得ないと云うのは、国家主義者たちの言論が力及ばないと云うことでもある。
卑近な例をあげれば、禁煙を決意するならタバコの害を語るのみならず、喫煙者を徹底的に非難しなければ、「仮装禁煙者」として隠れて喫煙しているんじゃあないかと疑われ続けねようなものなのだ。
続いて「潜伏マルクス主義の検出方法」が紹介される。
第六、潜伏マルクス主義の検出方法
皇国の国礎に対し執拗に凶悪なる毒刃を擬せんとして已まざる潜伏マルクス主義者、偽装転向者等は、今日公然露骨に国体変革を唱えざるに至れるも、マルクス主義が民主主義と共に、帝国大学より発現し、一般新聞雑誌の支持擁護に依りて、国民常識化せられるるまで浸潤普及せる歴史的事実に鑑み、潜伏マルクス主義者、偽装転向者等の所謂『人民戦線』的活動は言うに及ばず、マルクス主義思想の魅力圏または其の無意識的影響下にある保菌感染者等が、現下日本社会の各階層に亘りて遍満せるは、否定す可らざる真に悲しむべき事実なり。この凶悪マルクス主義思想症状の検出に就いては、特に思想の表現たる言説の用語文体に注目すべし。例えば『私有財産(資本主義)制度の廃止』『利潤の廃止』『歴史的必然』『第三の段階(秩序)』『発展的解消』『全く新しき』云々、また『揚棄』の語を用いて、矛盾対立概念を幹旋する『弁証法』的思想表現を示す者は、意識的または無意識的のマルクス主義危険思想抱懐者と認めて厳重に警戒し検覈するを要す。
【註釈】
我が皇国の国体に対し如何に陰険凶悪なる行動をつづけてやまない潜伏マルクス主義者、偽装転向者等であっても、この国難直面臨戦態勢の皇国の現状からして、公然露骨に、国体変革を意図すること明らかなるマルクス主義宣伝にどを振り回せば、忽ち国民の袋叩きに会い、改正治安維持法に問われることになるのであるから、彼等が狡猾機敏であればある程、決してそんなことをやろうとする筈はないのであります。
そこで表面ではマルクス主義の凶悪思想は、大分減少して衰えたように見えますが、併しながら、マルクス主義は、民主主義デモクラシーと一緒に、一国文教の最高学府たる帝国大学から真っ先に国民に向って説かれ出したのであり、また一般に普及流行して居る新聞雑誌が、国民をアッと言わせる新奇思想を提供すれば、国家国民がどんなに毒悪なる影響を受けようと構ったことではないという、彼等独特の営利一点張りの立場から、頻りにこのマルクス主義言論を紙上に揚げ、マルクス主義者を英雄化するにこれ務めて居ったため、マルクス主義思想は、菊池寛氏もいったように国民常識となったとも考えられた程、普及湿潤して居るのであります。潜伏マルクス主義者や。偽装転向者等は、最近まで『人民戦線』的活動を続けて居り、またマルクス主義と自分では自覚してはいないが、色々の社会的雰囲気から、マルクス主義に感染してその保菌者となって居るという分子が、日本社会の各階層に亘って、充満して居るということは、残念なことではありますが、疑うことの出来ない事実であります。
そこで私ども国民として大切なことは、こうしたマルクス主義保菌者を放って置けば放って置く程、祖国そのものに害毒を与え、日本国民としての活力を弱化去勢されることになるのでありますから、一日も早くこれ等マルクス主義保菌者をハッキリと見付け出し、これ等を誘導して日本思想に復帰させ、日本国家への奉公に協力させることであります。それには、どうしても、このマルクス主義感染保菌者を、その症状によって、明白に突きとめ、これを警戒してその害毒を受けないようにすることが必要であります。
然らば、マルクス主義病毒感染者の、特有なる症状は、如何なるものでありましょうか。それは、思想の表現である用語に現れて居るのであります。唯物弁証法、唯物史観、マルクス価値説、階級闘争説、社会革命説等のマルクス主義原理を信奉して居れば、マルクス主義特有の用語が口頭なり文章なりに現れざるを得ないのであります。それ等の中、最も多く普通用語の如く用いられて居るのは、次の諸用語であります。
1.私有財産(資本主義)の廃止
これはマルクス共産主義の経済部面に於ける最大標語であり、唯物史観でも、経済価値説でも、階級闘争説でも、社会革命説でも、その行き着く最後の目標は、皆この資本主義廃絶の一点に集中するのであります。
2.利潤の廃止
マルクス価値説では、労働者が資本家から受け取る賃銀以上に生産すると、その賃銀以上の差額が利潤となって資本家に掠奪される、その利潤は、また余剰価値とも呼ばれ、階級闘争の原因となる社会的不正事実であると言われて居るのであります。マルクス主義の最後目標は、社会的不正義なき共産主義理想社会を建設するにあるのでありますから、利潤の廃止がまた重大目標となって居るのであります。
3.歴史的必然
マルクスの唯物史観は、生産手段の変化によって、社会組織が人間の意志と関係なく変化して、次ぎの段階に進む、資本主義社会が崩壊して共産主義社会に進んで行くというのでありますが、こうして人間の意志と関係なく、人力を以て如何ともすべからざる勢いで、歴史が進行して行くことを指して、歴史的必然というのであります。マルクス主義原理の中で非常に多く用いられる常用語であります。
4.第三の段階(秩序)
唯物弁証法で、既に第二項(註・本稿では小見出しのみ紹介)で述べた如く、例の『正』『反』『合』という形式を踏んで、社会進化が進行するというのでありますが、この『合』に当たるのが、第三段階というのであります。それは、第三の秩序といっても同じであります。ともにマルクス主義特有の用語であります。
5.発展的解消
或る現象、或る団体が、自らを解消するのであるが、それがそれ自体の一層の発展となるという意味をいうのであります。唯物弁証法に関連した用語でありますが、労働運動、社会運動の戦術用語ともなって居るのであります。
6.全く新しき
これは、新しさの魅力を利用し革命熱を鼓吹する為めに用いられる言葉でありますが、事実の問題として『全く新しい』と言われるものはないに拘らず、民衆煽動には都合のよい用語でありますので、殊更に用いられるのであります。
7.揚棄(止揚)
これは止揚とも訳されて居るのでありますが、原語は、ドイツ語のアウフヘーヴェン(上に揚げる)であります。ヘーゲル弁証法に用いられる述語で、甲と乙との争いがやまって丙となる、即ち甲と乙が発展的解消して、丙という状態に高揚されるという意味であります。
この外にも色々の言葉がありますが、以上のような用語で、物を言い物を書く人は、大体に於てマルクス主義の凶悪的影響を受けて居る者と認めて、警戒を加えなければならないのであります。
新聞雑誌などに論文を載せて、脚光を浴びてきた人達を名指しで批判し、社会的制裁―言論人としての抹殺につながる―だけでは思想粛正は不十分であると、ここでは「保菌者」発見に役立つ(余計な)知見を披露している。当人はまったく意識していないにもかかわらず、ここで挙げた言葉を使う者まで危険視することは、かえって国民各層への疑心暗鬼を産み出し、日本国民としての活力を弱化去勢するのではないか、と云う振り返りが無いから、「正しい人たち」はタチが悪い。
「7」の説明で、「発展的解消」を堂々と使っているのはご愛敬。言葉狩りには手を出すものではない。
さきの「社会的制裁」では、その具体的内容は記されてないが、以下に述べられる就職の制限は、これに該当するだろう。雇う側にも釘を刺しているところが用意周到である。
第七、転向者使用の官庁責任
官庁学校若くは言論機関等に於ては、凡そ転向者と称する者は之を用いざるべく、万一之を用いる場合には、第六項に言える如き厳密なる検覈を加え、先ず自己批判的なるマルクス主義排撃の思想戦に動員することより始むべし。若し夫れ官庁等に於いて『人民戦線』的偽装転向者を用いたる場合は、其の責任者にも今次改正治安維持法を擬律すべし。
【註釈】
官庁や学校や言論機関や(ママ)は、国民大衆を指導する重大機関でありますから、そういう機関には、思想学説に於て、我が日本国家に叛逆して居ることが明白である マルクス主義を信奉したという程の者は、その心事に於て、仮令転向した者であっても、断じて用うべきではないのであります。
国家国民に対して、一度は裏切って売国行為に出たのであります。そうした精神的前科者を採用して責任ある地位に付けるとなると、何時また同胞を売り国家を売る極悪非道行為を敢てするか解らない危険がある許りでなく、そうした怖るべき人非人の行為をやったという憎むべき心事を有する者は、到底官庁、学校、言論機関等の、国民に対して多大の影響感化力を有する機関に置くということは断じて許すことの出来ないことであります。
若し最大譲歩して、どんな職場で使うとするならば、厳重に人物審査をして、徹底的に転向したという実証を得た上、彼等のために懺悔告白ともなり、贖罪禊祓ともなるマルクス主義撃滅の思想戦に動員して活動せしむべきであります。
我が日本に於ては、ドイツやイタリアの如く、未だにマルクス主義思想が、清算され切って居らないのであります。国民一般が、マルクス主義思想などというものは、全く真理性がなく、国内攪乱、革命誘発の為めに用いられる謀略理論にしか過ぎないのだという通念を持って了えば、そこでマルクス主義思想は、最早何等の魅力も煽揚力も持たず、路傍の石の如く棄て去られ、茲に思想的清算が完了することになるのであります。それには我が日本の思想程度に於ては、盛んにマルクス思想の嘘八百な点であるとか、憎むべき人非人行為を煽動する思想であるとか、各方面から叫び立て、また理論的に木葉(ママ)微塵に駁撃する体系を立てる等の方法に出るのでないならば、到底マルクス主義を克服し盡すことは出来ないのであります。それには、真に心からマルクス主義の非を悟って転向した思想家群を動員してこれに充てることが最上策と言わなければならないのであります。
然るに官庁側が、こうした用意周到の手段に出ず、第六項に述べたようなマルクス主義症状の厳重検出も行わないのみならず、『人民戦線』(蘇連邦が主唱した民主主義派との共同戦線)の陰に隠れてマルクス主義的野望を逞しうせんとする、偽装転向者を採用するというようなことをしたならば、それこそ、その官庁の責任者に対し、国体変革運動者へ支援を与え共犯せる者として、今回改正された治安維持法を、早速適用してこれを処断するのが当然であります。
転向者は「精神的前科者」として、官庁・学校・マスコミには入れないと云う。その一方では、日本でのマルクス主義清算が終わっていないとし、転向者によって「理論的」に木っ端微塵にする「体系」を立てるべきとも云う。
しかし、彼らが想像し得なかっただろう、ソ連の崩壊や、中国の改革開放による経済発展の例を思うと、マルクス主義の克服は、理論ではなく、国民生活水準の向上(社会的不正義の軽減)と云う実践でしか実現はされないのではないかと思う。
繰り返しになるが、述者には、明治維新による資本主義化の中で発生した社会不安の存在を看過したがゆえに、マルクス主義思想の跋扈を招いたという考えが感じられない。
興味深いのは、マルクス主義者を断罪しながらも、同じような国家改造を天皇を上に戴き(その威光で)実現しようとする、国家社会主義者の一部(たとえば赤松克麿)に対しては、口をつぐんでいるところだ。
今でも軍部・官庁に入り込んだマルクス主義者の陰謀により、日本はアメリカとの戦争に追いやられたと云うモノの考え方をする―北一輝を「共産主義の劣化コピー」とまで云う―人があるが、社会主義的政策の指向=マルクス主義/コミンテルンの陰謀、とまとめるのは短絡的に過ぎる(社会主義思想の方がコミンテルンより古い)。
残念ながら、戦前日本の国家社会主義を平易にまとめた本を知らないので、何かあるのだな(述者、綾川武治は北一輝のもとに出入りしていた時期もあった)、と云うだけに留めておく。
転向者の処置に次いでは、過去の出版取締についての批判と今後の提言である。
第八、思想官憲の失態と其の責任
官庁の図書検閲、思想取締又は図書推薦等に於いて、思想内容の正邪善悪の判別を誤る時は、その禍害の及ぶ所実に広汎にして深刻なり。万一民主主義マルクス主義等国体背反の思想を宣説せる文書を放任し、推薦し、或はまた真正なる国体明徴の見地に基く反マルクス主義・反民主主義強調の言説を阻止するが如き失態措置に出でたる場合には、間接に国体背反の思想の普及を助長するものとして責任を取るべきものとす。
【註釈】
官庁は、国民指導の責任者として一切の国民生活に関与し得るのであって、その措置如何は直ちに国家の運命にも大影響を及ぼすという力を持って居るのでありますが、殊に国力の根本問題である思想問題に関する措置如何については、その影響する所、怖るべきものがあるのであります。
思想指導の積極的方面は、広義の意味での教育であり、消極的方面は、検閲、取締であります。本項は、積極的方面の図書推薦と、消極的方面の検閲、取締とを取扱い、思想行政(図書行政を含む)の最大急所を指示したものであります。
大正六、七年の交から、支那事変が勃発した昭和十二年の夏頃までというものは、マルクス主義其他反国体的反日本的の図書が、書店の店頭を賑わし氾濫して居ったと言って差支えないでありましょう。
満洲事変勃発後二、三年経って、マルクス主義の新刊図書が厳重に検閲されて殆ど出なくなったのでありますが、その以前の誤った検閲方針によって 店頭に流れ出たマルクス主義の図書が依然として放置されて居ったのであります。最近は何等かの手段で、これ等有害図書を一掃したようでありますが、何と気の着くことが遅かったものでありましょう。官庁が反国体図書を氾濫させるなどということはあり得ないことと思われますが、大正六、七年の頃から、二十何年かの間そうした状態であったのですから、国家の損失禍害怖るべしといわなければならないのであります。
そこでどうしても思想行政の正道に還って貰わなくてはならないのであります。それには、思想の物的表現である図書に関する行政を正さなければならないのであります。
その第一は、民主主義マルクス主義等国体背反の有害図書を 断じて社会に流布させない心掛けを官庁側に持って貰うと共に、一方そうした図書を許可し推薦するという態度に出たならば、その当事者は当然責任を取って貰わなければならないのでありますが、更に進んで 真正な国体明徴の精神からマルクス主義民主主義撃滅を強調するために出版されたる図書や、或はまた同じ目的を以てなされたる言説等を阻止するが如き態度に出たならば、それはマルクス主義民主主義の援護者であり、国体背反の思想を支援助長するものとして、当然責任を取って貰わなければならないのであります。
現在「有害図書」と云えば、風俗壊乱を問われる書籍・雑誌を意味するが、不穏思想を流布宣伝するモノも、安寧秩序の紊乱を企図するものとして、そう称されるのであった。
今までの文脈を見れば、これも当然の主張となるが、あえて一項目設ける必要があるのだろうか? と思うのだが、ここは「マルクス主義民主主義撃滅を強調するため」の出版物が、刊行を阻止された事を批判しているようだ。実際に阻止された事例があるのかを含め、残念ながら私は材料を持たない。
自分たちは正しい事をしているのだから、何を書いても許される、許さなければ当局であっても「アカ」の手先も同然だという、困った態度と云える。
出版に続いては、「皇国の思想参謀本部」と国家主義者が位置づける、帝国大学刷新についての提言である。
第九、帝大学風刷新断行の急務
以上の如き思想粛正の根源的方策が、教学刷新の断行徹底に俟つの外なきことは既に朝野輿論の一致せめ所なり。然るに歴代内閣之を口に唱うるのみにて実行を怠避し、或は着手しても不徹底に終りたる結果、国民思想の紛乱昏迷実に今日の妄状を露呈するに至れり。これ畢竟するに、最高学府として皇国の思想参謀本部たるべき帝国大学の法・経・文学部五十年来の非日本反国体学風の禍欠の致す所、いま国家総力戦の遂行に万遺憾なからしむるべく、思想国防の完璧を期すべき時、帝大学風刷新の断行徹底は、最早断じて猶予するを許されざる緊切の重大要務なり。
【註釈】
思想指導方策の積極的方面が、広義の教育にあること、前項に述べた通りでありますが、この教育が我が皇国に於ては、遺憾ながら明治以来その方針を誤り、最も多くの国幣を費し、最も大なる指導力を持つ帝国大学に対し、殆ど政府の統制力を加えずこれを放任して置いたため、国策上損失を受けたことは非常に大なるものがあるのであります。
大正六、七年の交から日本に跳梁した凶悪無比の共産党運動なるものも、その根源は帝国大学に発したのであります。帝大新人会なるものが、この種凶悪運動の先鞭を告げたものであり、河上肇、吉野作造、美濃部達吉、高野岩三郎などの奉共容共の先駆者は、帝大教授であったのであります。次いで櫛田民蔵、大内兵衛、森戸辰男、平野義太郎、大森義太郎、山田盛太郎、有沢広巳、大河内一男等のマルクス主義教授助教授が帝大に現れ、東北、京都、九州等の各帝大の法文学部にも新人会出身者が、吉野作造、美濃部達吉等の斡旋によって送り込まれ、石川興二、西山重和、波多野鼎、向坂逸郎、佐々弘雄、石浜知行、風見八十二、山内一郎、粟生武夫、新明正道、服部英太郎、瀧川幸辰、恒藤恭等のマルクス主義教授助教授が出現したのであります。
其他反国体反日本的教授としては、末広厳太郎、河合栄治郎、矢内原忠夫、横田喜三郎、田中耕太郎、山田文雄、舞出長五郎、宮澤俊義等も有名であります。こういう反国体的反日本的教授等が、国家の優遇を受けて居るということ自体、彼等の良心の有無を疑わせるのでありますが、政府当局としても怠慢の誹りを免れないのであります。
政府が国体明徴問題を取り上げたのは、昭和十年二月、岡田内閣でありました。然るに政府の声明が不徹底だというので、各方面の要求があり、再三声明の繰り返しが行われた程でありますが、それにも拘らず、天皇機関説の元凶美濃部達吉教授を処分することに躊躇し、同一系統の金森法制局長官、一木喜徳郎男等も、金森長官の辞職も時機を逸し、一木男の枢相辞職は二・二六事件後まで引延ばされたのであります。従って国体不明徴の根本原因を成す帝国大学などには、少しも手を触れようとしなかったのであります。
それというのが、政府当局殊に文部当局が、長い間自由主義政治思想、天皇機関説思想に浸潤され切って居ったから、その教を受けた、その尊信している帝国大学に手を触れることが出来なかったからであります。かくして、満洲事変で世界全部を敵とするかも測り難い危局に当面しても、それでも尚且つ依然として混沌たる思想状態を繰り返して居ったわけのみならず、共産党被検挙数はますます増加するばかりであり、帝国大学の共産主義学説の講義は継続され、帝国大学から満洲事変を侵略主義帝国主義だと公言する非国民的教授―矢内原忠雄、横田喜三郎等―が続出するという暴状が続いて居ったのであります。
支那事変後の今日に於て幾分改善されたかの情勢が見られるようになりましたものの、今日尚各帝国大学に不逞凶悪マルクス主義思想を信奉講説する教授が残存して居るのみならず、今日の臨戦事態となっても尚マルクス主義を援護する容共教授が蟠踞して、依然日本国内の一敵国の観を呈して居るのであります。
臨戦態勢を調えることを焦眉の急として居る我が日本としては、どうしてもこの際、皇国の思想参謀本部とも称すべき帝国大学の学風刷新を徹底的に断行して、以て思想国防の完璧を期すべきであります。乍併、それは単に臨戦下の応急対策ではなく、国家不変の大計をこの時期に於て確立することに外ならないのであります。
右翼の個人攻撃が、執拗であることがイヤというほどわかってうんざりする(書き写していると尚更だ)。しかし、今日もっぱら「やられた側」を主役として記される「右翼の攻撃」を、「しかけた側」から振り返った記述と考えれば、これはこれで面白いモノといえる。
大学が「思想参謀本部」と云われた時代(どこまで一般的だったのかはさておき)があった事に驚きを禁じ得ない。
結びは、「思想審査機関」設立の提唱だ。
第十、緊要なる思想審査機関の開設
企画院、情報局、総力戦研究所の過去現在に於ける実続機能、また国民精神総動員運動の失敗より大政翼賛会の改組に至る迄の経緯に徴し、更に以上各項の指摘要請に照して、此際政府は、官界・学会・言論界の指導監督を厳にし、累積宿弊の根本的改革に関する思想対策に就いて、従来の月次措置を排し、更始一新、国体の信に徹せる有為有能の学者思想家を網羅して、調査献言の機関を新設し、以て思想粛正の基準を明徴にし、其の実施実効を期せざる可らず。
【註釈】
最後の結論として、本項は、思想対策乃至思想調査の機関を新設し、思想粛正の基準を明徴にすべきことを、政府に献言して居るのであります。
今日迄の思想対策の欠陥は、大部分自由主義政策に累されて来たのでありますが、今こそ先ず良心に立ち帰り万事を考え直す時ではないでしょうか。今迄は、思想上の良心、生活上の良心から、余り離れすぎて居りはしなかったでしょうか。国家に叛逆する意図を包蔵し、鼓吹し、宣伝しながら、その国家の高禄を喰んで恬然として居るという態度は、生活上思想上の良心なき破廉恥行為といわなければならないのであります。前項に述べたマルクス主義帝大教授等は、皆この人非人に属するのであります。而かもこの点に於て最も責任を問われなければならないのは、こうした帝大教授等を放置し飼養して居った政府当局殊に文部当局であります。教授等は、何故にこの国家の優遇を辞退し、少なくとも民間私立大学の講義でも受け持つという態度に出なかったのであるか、政府乃至文部当局は、思い切って叛逆思想を抱懐する教授等をサッサとその職から去らしめないのであるか、実に常識から言っても、不可解至極言語道断の限りであります。
何故、常識ですぐ解ることが解らないで、早速解決せらるべき事件が解決されないで、複雑怪奇のままで放任されて今日まで立ち至って居るかというに、それは、『思想上の大義名分』が明徴して居らないからであります。今日こそ愈々この重大事を、国家的にも国民的にも、即刻実施実行すべき時であります。それはどうしたらよいでありましょうか。
先ず一方に於て官界・学会・言論界の指導監督を厳にし、当然に帝国大学其他の教学刷新を断行し、これと併行して、国体信仰に徹底して居ると同時に、思想批判力に於て有為有能なる学者思想家を網羅して、思想対策機関を開設し、政府に対して常に献言させることにするのであります。
それがなかったために企画院や情報局の為す所が思想的に疑われたり、また国民精神総動員運動が、極めて曖昧模糊裡に葬られたり、また改組前の大政翼賛会が、革新の名に於て陰険偽装転向者を多数抱き込んで非難の的となり、遂に改組せざるを得ざるに至ったというような、この非常時に余りに勿体ない勢力濫費を繰り返して居ったのであります。この超非常時の為めにも、また国家永遠の大計の為めにも、思想対策機関の開設は、目下緊切の急務であるといわなければならないのであります。
述者を含むであろう「有為有能の」国家主義者に国家の優遇を与えるために、「思想対策機関」を新設しろと云うのが結論か! と書くのははさすがに云いすぎか。
しかし、反国体思想の持ち主と断罪される帝大教授連に向け、「少なくとも民間私立大学の講義でも」云々とある裏側には、自分たちが私立大学での講義を余儀なくされているのだと云う屈託はあると思う。
冊子にある「皇国学徒懇話会」会員に、現役の帝国大学教授は一人もいない(ただし『前東北帝国大学総長 井上仁吉』、『前東京帝国大学教授 建部遯吾』、『前九州帝国大学教授 諸岡存』の名はある)。
『思想上の大義名分』がないため、大政翼賛会改組のような「勢力濫費」を招いたとあるが、いかようにでも解釈の出来る、あるいは実行性のないモノが出来るのがオチのような気がしてならない。
なにか混乱があると厳格な規則の制定を求めたり、公権力の介入とを願う向きがあるが、いざルール決めの段になって、見解の相違が浮き彫りになり揉める話は珍しくない。
この冊子の、マルクス主義者(自由主義者も含まれる)を、社会的に抹殺せよ! と云う主張、それを受けた戦時中の言論封圧を、今の眼で見れば「そんな事やってる場合か?」の一言に尽きる。
中国と事実上の戦争を4年近く続け、この先ソ連あるいはアメリカとも戦争をするかも知れない時に、国内で「思想戦」をやろうと云うのだ。思想家・言論人の間で行われているだけなら、実害も限られたものだが、それによって使える人材までも思想的理由で追われてしまったら、かえって国力を損なうことにならないかと心配になってしまう。どちらかが武器を取れば内戦である。そうならなかったのは、この提言が「近衛新体制」へのゆさぶりをかける程度のモノだった事を物語るわけだが、「赤」と断罪された側もまた、愛国・報国の人であった事を見逃してはなるまい。反体制的ゆえに犯罪とされる行為も、彼らなりの正義に基づいている事は心の片隅に置いておくべきだろう。
紹介した文章は、個人名(故人も含む)を挙げて攻撃している。しかし、その活動が個人の栄達を目的としたものだと非難はしていても、品性が下劣であるとまで云わないクリーンさに驚く。もちろん、公娼制度があり、蓄妾もあった時代であり、後ろめたいお金は双方受け取っていたったであろうから、品性については寛容にならざるを得なかったとは考えるべきだろうが、述者らは、下品な人格攻撃に走らずとも、「精神的大逆罪」の一言で敵対勢力を叩き潰せると確信しているのだ。
俗に言う「大逆罪」は、かつての殿様・領主(華族)よりも偉い、「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざる天皇に対する罪である。江戸時代、領主に刀を向け、弓を引けば、一族揃って罪に問われるものと認識されていただろう。それ以上の大罪に擬せられるのである。その精神的ダメージの大きさは、一国の首相・大統領を暗殺しても、犯人だけが罪に問われる―警護責任者等も職務の手落ちを責められるが―21世紀の今日、もはや想像不能に近い。
戦時中、国策に非協力的とされる人たちを批判する言葉に、「非国民」と云うものがあったが、「赤」―大正時代には、宮武外骨が確信犯的に雑誌表題使ってはいるが―は、この頃ではそれ以上に忌み嫌われる言葉であったと推測出来るのである。
「国体」が戦前のまま護持されていれば、外国人旅行者が持ち歩く日本のガイドブックには、日本人に向けて絶対使ってはならない言葉として「赤」を載せているに違いない。
こんな事が云えるうちはまだ良かったのだ
『実業之世界』昭和15年12月号より
(おまけのおまけ)
これを書くにあたり、読み直したり、あわてて買い込んだりした、主な本は以下の通り。これら以外にもアタマの片隅で発酵して文章を書かせたモノもあるのだろうが、いちいち思い出していられないので略す。
『昭和史講義―最新研究で見る戦争への道』(筒井清忠 編、ちくま新書)
近年の「歴史を単純化するお手軽昭和史本」の「氾濫」は、昭和史が「幾重にも逆説の重なった複雑なプロセス」であることの認識をさまたげ、「ある方向に動員されやすい人間を作るだけだろう」との危機感から、最新の正確な研究の情況と成果」をわかりやすく、コンパクトにまとめた読み物。
『大政翼賛会への道 近衛新体制』(伊藤隆、講談社学術文庫)
原本は中公新書で出ていた『近衛新体制』。本稿をまとめるにあたり、結構な値のついた原本を古本屋に買いに行ったものの、店頭には置いと云うので泣く泣く引き揚げた翌日に、文庫になっているのを知ったもの。
古本屋さんには気の毒なことをしたが、その値段以上の買い物はしている(図版に使った本二冊がそれだ)。
『昭和二十年』(鳥居民、草思社文庫)
昭和20年1年間の出来事を、上は重臣から下は勤労奉仕の女学生まで、書き残された記録をつなぎ合わせて再現しようとした「巨大ノンフィクション」。この本の文章には、なんらかの元ネタがある、と云う事にアタマがクラクラしてくる。
「昭和20年」を再現する読み物ではあるが、近衛文麿の「回想」としてこの頃の話も出て来る。
『近代日本の国家主義エリート 綾川武治の思想と行動』(木下宏一、論創社)
元ネタ『皇国現下の思想粛正準則』を語った人の評伝。小作農家の一人息子でありながら、周囲の支援と自らの勤労―休学して炭坑労働に従事―で帝国大学を卒業した人を「エリート」と称するのに違和感はあるが、その前半生を知ることで、「マルクス主義者」に対する敵意の根底にあるもの(左翼運動をリードしたのは炭坑労働をする必要のなかった『エリート』たちでもある)を掴めたような気がする。