事実は小説のネタなり

巡査が歌手になって(もうすぐ)71万3千おまけ


 小説は読まないことにしている。
 「こしらえられた」人生の断片の中に真善美を読み取る前に、自分の生活にそれを見つけるセンスを養うべきと思っているのが一つ、ひとさまの苦悩煩悶後悔懺悔をカネと時間を費やしてまで垣間見たくないと云うのがもう一つの理由だ。
 後付けの理由に過ぎない。今まで読まなかった事実を認めたくないのと、今から読み始めるのが(その選択も含め)面倒に過ぎるゆえの言い訳でもある事を否定するつもりは無い。

 人様が「面白い」と云うモノは気にはなる。文章を読むこと自体は嫌いではない。子供が酒やビールを「苦い」と退けるようなものなのだろう。お酒も呑めば楽しく後を引き度を超せば依存症に至る。だから、なるべく小説は読まないことにしている。

 『週刊文春』の文庫本新刊紹介コラム(書き手は坪内祐三)に出ていた、川崎長太郎『泡/裸木』(講談社文芸文庫)を買う。



 オビの文句がスゴイ。

 思い人を
 小津安二郎に
 獲られ、
 必敗の
 闘いに挑む、
 長太郎の
 純情小説集。
 (念の入ったことに、背にも『著名映画監督と三文文士の闘い』と記されている)

 川崎長太郎の名前は、雑誌『SPA!』の坪内と福田和也の連載対談に何度も出て来るので、気になっていたのである。本屋に行ったら置いてあったのでツイ買ってしまった次第。

 幸薄い生い立ちの芸者と、作者の分身である冴えない男とのやりとりを綴った短編が、昭和9年から14年までに発表された9編と、昭和27年に書かれた1編が収録されている。
 この芸者がオビに云う「思い人」で、彼女と語り手=主人公の間にあるのが、名声今なお褪せぬ、映画監督小津安二郎(作品では仮名)なのである。
 同じ出来事が、作品ごとに語り口や使われ方を変えて現れてくる。同じ話じゃあないかと激怒しつつ読み進めれば一編ごとに異なった印象を与えてくれるのだ。ウデを上げたなあと感心しつつ読み終える、面白い編集の作品集だ(小説の善し悪しなんざ解りませんよ、私は)。
 その一編、「玩具」(昭和10年3月発表)を読んでニヤリとする。
 そこが今回のネタになるのだ(例によってタテをヨコにし、本文のルビはカッコでくくってある)。

 「この間こんなことが新聞にでていたわ。あの、その人巡査なんだけど、お風呂行く度、あなたの好きな鉾を収めてやいろんな流行歌を唄うのね。小さな声で唄うんだけど迚(とて)もうまいんですって。その人の唄に感心した人が、番台に名刺を置いてその人にうちへ遊びに来るようことづてして行ったの。名刺には東京のある音楽学校の先生という肩書が書いてあったのね。おまわりさんが何の事かとたずねて行くと、先生は声楽家になるようにすすめて、いよいよ稽古を始めたが迚(とて)も癖のない唄い方なので、その先生大喜びで藤原義江よりうまくなるって触れ回っているんですって」

 この小説を読んだ人は何千人もいるだろうが、発表当時は別にして、この部分の元ネタがわかった人間は自分くらいなモノだろう、そう思ったのだ。「ニヤリ」とは書いたが正直云うと手を叩いて大笑いしたのである(馬鹿だねぇ…)。

 それが載っているのがこの本だ。



『民謡新民謡全集(附)最近の流行歌謡集』

 何年か前、入った本屋で木戸銭がわりに500円で買った、『講談倶楽部』(大日本雄弁会講談社)昭和10年8月号附録、「民謡新民謡全集(附)最近の流行歌謡集」だ。タイトルまんまの冊子なのだが、その中に「花形流行歌手名鑑」と云う記事が載っている。

 その中にあったのが、



小野 巡(おの めぐり、写真は下段)記事

小野 巡 (本名 章高(あきとみ)
 本年二十六歳。山梨県出身。横須賀重砲兵連隊除隊後、警視庁巡査を拝命、淀橋署に勤務中、非番日に近隣の銭湯に入浴中時々歌を唄っているうち天才を認められ、昭和九年十一月歌手の生活に入る。『祖国の護り』『生命線節』等評判高い。趣味は映画、旅行、卓球(ピンポン)等。

 警官が風呂屋で歌っていたのをスカウトされて歌手になる! 昭和戦前はそんな時代でもあったのだ。「横須賀重砲兵連隊」と云う経歴もシブい。

 小野巡、ウィキペディアではこう書かれている。デビューした時代が時代ゆえ、昭和初期の中産階級の生活を謳歌する平和な歌を持てず、今では忘れられた歌手の一人と云える。
 手許の懐メロCDをひっくり返すと「涯なき泥濘」が収録されていたのが出て来たので聴き直す。川崎長太郎の小説では「癖のない唄い方」とあるが結構クセはある。これを最初に聴いた時もそう感じたのを数年ぶりに思い出してしまった。
 これだッと喜び、今月はこれで一本やっつけてしまえとネタ作りに取りかかるが、小説の記述と雑誌附録がどこまで関連しているのか不安になってくる。これは「新聞」を読みに行かねばなるまい。

 と云うわけで、都立中央図書館に出張り、データベース端末で記事を探す。縮刷版を読みに国会図書館まで行かなくて済むようになったのがありがたい。
 検索する時期は昭和9年11月発行、キーワード「巡査」で毎日・朝日・読売の各社データベースを廻してやると、なぜか毎日だけ(一番ヨイショせねばならぬと云うのに)「該当ナシ」になってしまったので、愕然としてしまう。朝日と読売の記事日付をもとに、前後1日ずつ毎日の紙面を見直してみるが、それらしき記事は見つからず、毎日ではボツになったのかと思うことにする。
 日を改め、今度は江戸東京博物館の図書室に行く。ここには『都新聞』のマイクロフィルムがあるのだ。

 手に入れた主要2紙+1紙の記事を読み比べる。ニューソースは同じはずだが、新聞ごとに違いるのがわかって面白い。
 共通しているのは、淀橋署の警官が銭湯で歌っているのを耳にしたレコード会社の作曲家が、その声に惚れてスカウト、テストに見事合格して「小野巡」としてデビューする運びとなった、と云う大筋のところ。『朝日』『都』はちゃんとした「記事」の体裁になっているが、『読売』だけは「話の港」と云うコラムでの紹介と扱いも違っている。

 最初に紹介するのは、一番詳細に書かれている『朝日新聞』昭和9年11月27日付記事だ。事実関係を押さえるだけならこれだけで充分だと思う。
 毎度のタテヨコ変換等の細工をしてお目にかける次第だ。



 浴槽の声楽家が
 レコード界の寵児に
 小野巡査が「鉾を収めて」転身
 その名も『めぐり』

 淀橋暑のお巡りさんが、非番の午下がり、付近の銭湯でふと口誦んだ民謡『鉾をおさめて』のバス(原文強調)が同じ湯槽(ゆぶね)につかって聞いていたビクターの作曲家細田義勝氏に認められ一躍民謡界の寵児としてレコードの檜舞台へ乗り出すことになった、この街の歌手は淀橋署管内柏木一丁目交番勤務小野章(あき)高君(二五)で去る廿四日正式に辞職、芸名もなつかしいお巡りさん生活に因み『巡』の字をとって『小野めぐり』(原文『めぐり』のヨコに黒丸)の名をかかげ小唄勝太郎と共に満洲をうたったレコードで初お目見得することになった

 …この街の歌手が世に出るまでにはビクターの作曲家である細田義勝氏が一年間にわたるこの天才発見の隠れたる労苦が秘められている

 昨年十二月初旬昼の事である、細田氏が淀橋区百人町二ノ二六〇の銭湯鏡湯に行くと湯槽につかった一人の青年が低調で口誦んでいる『鉾をおさめて』のメロディをふと耳にとめた、浴槽の中を流れる音質の好さに細田氏がうっとりとしている中、己の運命の糸が早くもたぐられているとも知らぬこの青年はこの一節を歌い終るとそそくさと出て行ったが

 …その後姿を見送って首をかしげた細田氏、玄人ではないと直感して、それからは毎日の様に午下りを選んでは湯に行った、しかし話しかける機会もなく遂に相談したのが番台の女中二人、『自宅に遊びに来て下さい』と書いた名刺を取次いでもらう事にして待つ事半月、やっとこの青年が細田氏の自宅を訪れたのは去る七月下旬だった、早速二階に招じてピアノに合わせ歌ったのが『江戸子守唄』『国境警備の歌』『桜音頭』の三曲

 …このテストで愈々乗り気になった細田氏は同会社の中山晋平氏、音楽部長村越國保氏、長田幹彦氏等の尽力を得て去る九月十七日テスト盤吹込みは行われた、その日の中に正式入社の契約が取り交わされ、警視庁へは同社文藝部から懇談して、ここに街の歌手は一躍レコード界に乗り出すことになった訳である

 運命を可笑しがる
 …小野君は山梨県中巨摩郡百田村字上八田の生れ、八田小学校を卒業したばかりで学歴は全然ない、小学校時代、唱歌が好きだったというだけで、軍隊生活を送り砲兵上等兵として除隊になってから、昨年八月五日警視庁巡査を拝命、十一月三十日から淀橋署勤務になっているもの
 交番で深夜の立番中など、街のラウドスピーカーで聞きかじりの民謡を口誦んでは天才を磨いていたという、お巡りさんから芸術家となった同君、廿六日夜はまだ淀橋署の警察寮で友人四人との割部屋でニコニコしながなら
 自分ながら自分の運命が可笑しくって仕様がない、田舎の村にいて退屈だったからお巡りさんになっただけだが、折角警官になっても泥棒を捕える様な腕もなし、ぼんやりしている中に、今度は歌い手となってしまった いつまでも警察寮にもいられないから二十八日は付近のアパートへ引越しますよ
と語っている

 中山晋平氏は語る
 細田君からその話を聞いて居ましたが九月会社で丁度その人の吹込テストに出喰して試聴しました、大変うまく特に低い声が綺麗です、あの節回しならきっと認められると思います


 「浴槽の声楽家」!
 江戸川乱歩の小説かと思わせる見出しが素晴らしい。歌声が「バス」なのも風呂だけに良い。
 小説にある「鉾をおさめて」(当時の『民謡』が今と異なる使い方をしていることがわかる)、「番台に名刺」がこの記事にも出ており、小説に語られる巡査のモデルがこの人である事は確かなようだ。
 小野巡査が、田舎にいても退屈だからと警官になってはみたものの、と将来の展望を持っていなかった心境を語っているのが、なんとも「現代的」である。

 「アパートへ引越し」は、今読めば何の感慨もないが、当時の感覚なら「鉄筋建てのマンション」くらいにはあたるだろう。安月給で知られるヒラ巡査の身にすれば大出世と云える。
 なお、「淀橋区」は今の東京都新宿区の西側(『ヨドバシカメラ』の淀橋でもある)。総督府も淀橋区にあるので、多少は土地カンのある所でこんな出来事があったのかと嬉しく思っている。


 演芸記事に定評があると云われる『都新聞』の同日付記事はこうなっている。



 厳めしい佩剣を棄てて
 流行歌手に転向
  銭湯でのうなりが機縁で
  朗らかな小野巡査

 サーベルを棄ててマイクの前に立ち、レコードの歌手になると云う変わったお巡りさんの華やかな転向物語がある、主人公は淀橋署外勤淀橋区柏木一丁目交番の小野章高(二五)巡査
 山梨県中巨摩郡百田村上八田のお百姓小野泰敬さんの弟で後備歩兵上等兵だが、昨年十月五日上京して警視庁巡査を拝命、同十一月三十日淀橋署勤務となったもの

 淀橋区東大久保一の三三八警察寮に止宿する同巡査が、昼間の劇しい務めから解放されて近くの銭湯にのんびり汗を流し乍ら陶然と唄う声がいつしか評判となって来たが、或夜「鉾をおさめて」を唄っていたのを、その余韻弱々の美声に聞き惚れて「こいつは物になるぞ」と考えたのがビクターの作曲家(住所があるが略す)細田義勝氏だった、そこで九月十七日日本橋区今川橋のビクター吹込所でテストを行うこととなり「江戸子守唄」「国境警備の歌」「さくら音頭」と次々に歌わせたところ、アルトの声音はいずれもなかなかの出来で、試験官の耳を驚かせなんなくパス、本月廿四日辞表を出しいよいよサーベルと制服の厳めしい生活から、今度はぐっと砕けた流行歌手の新生活へと転向することとなり、芸名も巡査の「巡」をとって小野巡と名乗って華やかな舞台を踏むこととなった

 昨夜細田氏の家で同氏と前祝の一杯をやった小野巡査は更に喜びの酒杯を傾ける為か何処かへ姿を消して了った 細田氏は語る
 風呂で小野君の声を聞いたのはずい分前からで、初めて聞いた時はまさかお巡査(ママ)さんだとは思いませんでした、その後懇意になって度々話し合う様になったのですが、九月のテストの成績は大変よか(ママ)って私も世話の仕甲斐があって喜んでいます

 当時の文脈ならば、共産主義を捨てる事を第一の意味とする「転向」を使う所が面白い。
 銭湯で歌っていたのは、雑誌附録では単に非番の日、『朝日』は昼下がりなのだが、この記事では「或夜」と書かれている。「砲兵」が「歩兵」になったのは、記者の聞き間違いだろう(『後備』もそうだ)。『朝日』記事よりかなり端折っているが、大意は同じだ。しかし小野巡査本人の談話を取り損なっており、記者はデスクに叱られたに違いない。

 ここで注目するのは、『朝日』には書かれていない小野家の事情だ。家庭の話が出る場合、戸主の名が記されるものだが、それが巡査の兄になっている。昭和9年当時25歳だから除隊・帰郷したのを昭和5年頃と見れば、昨年(昭和8年)秋の上京まで間がある。除隊後は実家で農業に従事していたものが、兄が家督を継いで以来、当人には面白からぬ事があったのでは…と勘ぐらざるを得ない。
 「ぼんやりしている」と本人が語る巡査生活が、『都』紙では「劇しい務め」と記されているギャップも楽しい。


 最後に『読売新聞』の同日付「話の港」を挙げる。



 お巡りさんが流行歌の歌手に出世(?)したという朗かなニュース―これは淀橋の専売局前の交番に立っていた小野文(ママ)高(二五)という美声のお巡りさん
 ―銭湯で得意のノドを鳴らしているのを某蓄音機会社の専属作曲家に惚れられて数日前、その会社で『江戸子子守唄』と『国境警備の歌』をテストした結果、是非専属にと、その場で契約が出来、小野クン、さらりとサーベルを投げ捨てたというワケ
 ―当のテナー、もうすっかり歌手然として『別に練習したワケではないですが生まれつき声がよいのです、銭湯ではただ口ずさんでいただけなンですが響きがよかったんでナ、田舎では随分歌いましたよ、まあ巡査よりよいか悪いかやってみてからですナ』といい声で所感を述べたが、もうアパートへ引き越す段取りにまでなった
 ―巡査からだとあって小野巡(めぐり)と名乗ってはどうかといわれているがこのテナー、修業の鍵は交番の立番中に蓄音機屋の店先から聞えて来るやつを習い覚えたとあり学校は小学校を出たきりだそうだ

 「朗らかなニュース」と書いているが、微妙な書きぶりだ。名前も間違えている。この記者、ちゃんと取材をしたのだろうか(笑)。

 音楽の授業で声の高さにテナー(テノール)、バス、アルト等ありますと習ったものだが、一人の新人歌手を紹介する記事が3つあり、その全てが異なっているのは、事実を報道する新聞の使命に照らしてドー云うことかと思う(YouTubeに小野巡の歌は何曲かある。気になる人は確かめてみよう)。


 小説「玩具」の文章が、この出来事、特に『朝日新聞』記事をもとにして書かれたことは動かしようが無い。しかし記事にはない、小説独自の記述がある事も見えてくる。「芸者」が記事をうろ覚えで語ったのか、小説家が少しばかり工夫を施したのか。
 「藤原義江よりうまくなる」とまでは、さすがに新聞には書けないだろう。

(おまけのおまけ)
 ネタ作りの合間に古本屋に行くと、『新興流行歌傑作集D』なる冊子が売られているのを見る。これも何かの参考になるかと手に取りウラ表紙を見ると、こんな広告が載っていたのでツイ買ってしまう。



『レコード歌手入門』広告

出た! 歌手志願者への最高指針、売行がもの言うその真価

 上原敏述・太田畔三郎編著 菊判百頁 上刷紙質特装上原敏写真入

 レコード歌手入門

 定価一円 送料九銭

 「私が世に出るまで」という上原敏さんの体験を語る。それだけでも「一円」では安いと評判です。申込殺到、売切近し。
 楽壇レコード歌手こぞって賛辞

 見よ! 読め!
 而して輝く栄冠に邁進せよ!

 著者太田畔三郎氏は前松竹、新興の音楽監督、現在ポリドールの新進作曲家であり、人気王上原敏さんのピアノ伴奏者としてレコード界のあらゆる内容に精通せる方として定評があります。

 こんな人々はぜひ共本書をお読み下さい。
 一、自分は果して歌手としての資格があるだろうかと迷っている人
 二、歌手になりたくもレコード界につてを持たない人
 三、あたら有望の材を持ちながら指導者のない人
 四、レコード歌手として田舎で独学せんとする人
 五、吹込の要領、マイクの位置を知りたい人
 六、レコードやラジオの試験を受けたき人
 七、歌手はどの位収入があるかを知りたい人
 八、現在第一線歌手はどうして勉強したか知りたい人
 九、譜の読み方を学びたい人
 十、どうしても歌手で身を立てたき人

 右の外本書には現在各社の人気歌手、霧島昇、樋口静雄、松島歌子、鹽まさる、小野巡、櫻井健二、三門順子等と云う独学者が世に出るために如何にして独学したかと云う苦心談、其他歌手入問としてあらゆる事が親切丁寧に述べてあり本書一冊であらゆるレコード界の事情がわかります

 この本の現物が本屋に置いてあったら、「出たッ」と多少高くても買っていたこと請け合いだ。幸い「スーパー源氏」で探しても出てこなかったので、安心して広告だけで話を進めることが出来る。

 この冊子の奥付には、昭和14年10月の発行とある。支那事変勃発からすでに2年が経過し、ノモンハンで日ソの衝突があり、第二次世界大戦が始まった(9月)時期に、

 「レコード歌手入門」

 である。
 「兵器生活」を続けていて、戦時中なのに! と読んだ資料にのけぞる事がたまにあるが、これもその一つと云える。いや、自分の中にある「戦時中」のモノサシが未だ粗すぎるのだ。日常生活の(遠い)一部に戦争がある時代―遠からずやって来る―を想像しなければならない。
 近所のお兄さんおじさんが、召されていくのを横目に見つつ、それでも歌手を夢見る少年少女(青年男女)が存在していたのだ。昭和15年以降に歌手になった人は存在するのだろうか?

 広告文面には独学者の一人として「小野巡」の名前も載っている。
 表紙はこんな感じだ。


『新興流行歌傑作集D』表紙

 昭和20年代の「カストリ雑誌」を少しばかり清楚にしたような画だ。紅い口紅、マニキュア、そしてパーマネント、のち日本婦人にあるまじき装いとして批判されるものばかりである。
(おまけの迂闊)
 この記事をほぼ書き終え、てにをはの調整をやりつつ、すでに誰かが「小野巡査」の記事を紹介してたりはしてないよな、と念のため調べてみると、朝日新聞社のウェヴサイトに元記事が掲載されているではないか!

 先に知っていれば、テキスト打ちの手間が少し軽減されたものを(涙)…。