強烈なるベクレル線放射!

「ウランエックス鉱粉」で71万9千おまけ


 古書市でこんなモノを買う。


ウランエックス鉱粉


 内務省大阪衛生試験所所長平山薬学博士証明
 滋賀県警察部衛生課中井技手分析証明

 強烈なるベクレル線放射
 ウランエックス鉱粉

 驚くべき治療卓効を有する
 新元素の発見(原(ママ)素系統上ラヂウムの元祖体)

 妖しさメーターの針がバリガリと振り切れそうになる。
 福島の原発事故以来、すっかりおなじみとなった「ベクレル」が、「強烈なるベクレル線」と記され、それを出しているのが「ウランエックス」と云う、胡散臭いにも程がある商品名なのである。

 「ウラン」、「X線」の言葉は、現代でもしばしば目に見、耳に聞くことはあり(『ラジウム』は影が薄くなっている)、放射能の大きさを現す単位の「ベクレル」も同様だが、「ベクレル線」と云う言葉は聞いたことがない。たかだかチラシ一枚の小ネタとタカを括っていたのだが、ネタに仕立てるためには、全く縁の無い分野の知識が無いと、手も足も出ない事を思い知る。

 『原子力百科事典ATOMICA』中のトピック「自然放射能の発見」をざっと読む。
 1896年2月、フランスのアンリ・ベクレルが、ウラン化合物から(前年1895年に発見された)X線のように写真乾板を感光させる作用を発見する。それが「ウラン線」あるいは「ベクレル線」と名づけられたと云う。なるほど。
 では、どうして「ウラン線」「ベクレル線」は死語になっているのか? 似たような線を出す物質が、ウラン以外にも存在していることが、伝記読み物でおなじみのキュリー夫人より報告され、今はその線を「放射線」と呼んでいると云うのが答えである。

 戦前のちょっとした事を、ざっと調べるのに重宝する『婦人家庭百科辞典』(三省堂から昭和12年刊行されたものが、ちくま学芸文庫になっている)を繙くと、「ベクレル線」「ウラン線」の項目は無いが、「放射線療法」は載っている。「(略)レントゲン線(エッキス光線)を主とするが、またラヂウム放射線・紫外線・赤外線・熱線なども用いられる(略)」。
 このチラシが、原子力時代の曙を物語る証人なのであることが見えてくる。

 では、この広告は何時製作されたのか?
 広告チラシに印刷日・発行日が明記されているわけが無いので、推測するしかないのだが、放射線ではなく「ベクレル線」を使っているところを見ると、『婦人家庭百科辞典』の原本が出る昭和12年よりは古いだろう。
 「大阪衛生試験所々長平山薬学博士」をキーワードにして検索してみると、1921年(大正10年)官立富山薬学専門学校に、「内務省大阪衛生試験所技師兼内務技師薬学博士平山松治校長に任命」されたとの記述が見つかる。この人が衛生試験所所長の平山薬学博士と同一人物とすれば、チラシは1921年以前に印刷されたものと云える。チラシが醸し出す古めかしい雰囲気と、後ほどふれる効能書きの所に顕著に見られるくずし文字からも、明治の終わり頃から大正の初め(1900〜1910年代)頃の製作と云うのが、総督府の見立てである。

 「新元素の発見」も、歴史の流れと見比べると面白い。「ラヂウムの元祖体」とまで書いてあると、あたかも「ウラン」と云う「新元素」が、ラジウムのあとに発見されたかのようだが、ガラスの添加剤としての利用はローマ時代まで遡り、元素として命名されたのは1789年で、単体として分離されたのが1841年だと云う。一方、小学生の頃、伝記で読んでるはずの、キュリー夫人が夫とともにラジウムを発見したのが1898年、純粋なラジウムを抽出出来たのが、日露戦争前の1902年のことである。ウランが鉛に変じる過程でラジウムが生ずるから、「元祖体」と記すのはウソではない。
 『婦人家庭百科辞典』でも「ウラニウム」の項に、「『ウラン』ともいう。元素中最大の原子量を有し、放射能があり、ラヂウムの母体と考えられている」とのあっさりとした説明がある。
 チラシが「ウランエックス鉱粉」をラジウムの同類であると主張しているのは確かだ。

 商品名と「ベクレル線」から、こんないかがわしい「放射線療法のタネ」があった! の驚きと興奮がこの文章を書かせている。21世紀の目ではチラシの存在そのもので充分なのだが、広告主が伝えようとしている、当時の「すごさ」にもう少し近寄らないと、ちょっと勿体ない。
 広告文面に「驚くべき治療卓効」と記された、その効能を見てみよう。


 根治的適応症

 神経中枢、脳脊髄等の神経系統に属する疾患
 糖尿病、神経痛、慢性関節及び筋肉レウマチス(リューマチ)
 遺尿、一般生殖器疾患、慢性子宮病及び梅毒等
 皮膚病、創傷(きりきず)、打撲(うちきず)傷、焼傷(やけど)
 慢性呼吸器(こきゅうびょう)、肺病、喘息
 慢性消化器疾患、胃癌、慢性胃腸カタル、
 癌腫、瘰癧(るいれき)、悪性の腫瘍等
 精力虚弱

 …神経・関節に筋肉・生殖器・皮膚と外傷・呼吸器・消化器と、何にでも効くと書いてある。かえって目・耳・鼻、心臓・血管に効くと書いてないのが不思議に思えてくる。「がん」に効くとは今では絶対記載出来ないだろう。とってつけたように「精力虚弱」が載っているのが楽しい。
 (古新聞・古雑誌の広告でおなじみ? の『瘰癧(るいれき)』は、結核菌により首などのリンパ節が腫れて膨らむ、結核の症状の一つ)

 適応症の羅列を見ていると、どこかの温泉の効能書きのようだ。チラシの続きを読むと…

 定価
 温浴用壱袋入 金五拾五銭 送料八銭
 同  弐袋入 金壱円   送料十貳銭
 同  五袋入 金貳円   送料貳十銭
 試用小貝袋入 金拾銭

 「温浴用」、やはり風呂に入れるのであった。乱暴に云えば「ラジウム温泉の素」(さすがに今の温泉は『がん』に効くと堂々とは謳わない)。値段をいつもの額面3千倍でやると一袋1650円。安い入浴剤ではない。

 「温泉の素」同然となってしまっては「スゴイ」とは云えず、ネタとしても弱い。方向を変えてみよう。

 この商品がラジウムを意識している事にふれた。現代ではアンティーク時計の文字盤に塗られた夜光塗料、温泉、キュリー夫人が発見した元素と云う、実態の掴みづらいモノに過ぎないが、昔はとてつもなく貴重で高価なモノだった。

 神戸大学附属図書館の新聞記事文庫でラジウムに関する記事を引くと、興味深い記事がいくつか見つかるのだが、その一つ『報知新聞』の昭和10年12月4日付記事には、

 西巣鴨の癌研究所では昨秋三井報恩会から百万円のラヂウムの寄贈を受け、更に原田積善会からラヂウム貯蔵室、放射室、研究室の建築費として十万円の喜捨があった

 とある。戦前の日本でも放射線によるがん治療が行われていた事実と、寄付金額の大きさに驚く。
 研究所の後身の「がん研究会」の沿革では「現在の数百億円に相当する」と物凄い事を書いているが、戦前3千倍で換算すれば30億円だ(それでもスゴイ額ではある)。そのラジウム百万円分が「僅かに五グラム」(パチンコ玉一個分)なのである。これを保管するために、

 大体横三尺縦二尺五寸、幅二尺の大きさで外圧は周囲十五センチの鉛板で包まれ、正面には鉛の扉がつけられ一見簡単な金に庫見えるが、その重さは八百貫、扉をあけると直径一センチ半程の鉛筒管が二百本行儀よく鉛の中に挿入されている

 ラジウム5グラムを200個に分けて収める、特殊な収納庫を「何回ものやり直しの結果漸く八ヶ月の日子と費用六千円を費して」用意したと、『時事新報』昭和10年7月1日付記事は語っている。鉄の比重が約7.8に対してラジウムは約5〜6だから、ひとまとりにすればパチンコ玉よりは大きく、ビー玉よりは小さい玉になるはずだ。
 そのラジウム様は、さきの『報知新聞』に戻ると、

 同研究所ではラヂウム療法を実際に患者に応用するために収容設備をなし現に五十人の患者が入院しているが、百万円のラヂウムを慕って希望者が殺到する有様で更に拡張計画を立てたが、なお折角のラヂウムを死蔵するのは遺憾とあって門戸を開放し、帝大、理研を初め適当と認めた学校、病院、研究所には十ミリグラム(価額約二千円)を一昼夜一円六十銭で貸付ける規定をも決定して百万円ラヂウムの合理化をはかる事となった

 「一昼夜1円60銭」現在の貨幣価値に換算(例の3千倍)して、24時間4800円でレンタルに出すことにしたのだ。「ウランエックス鉱粉」約3袋分のお値段だ(ヒマな人は、どれくらいでモトが取れるのか計算してみよう)。

 『婦人家庭百科辞典』には、「ラジウム」と「ラジウム療法」の項がある。「ラジウム療法」の方を引く。

 ラジウム並びにこれに類する放射性物質の放射線を医療上に応用するもので、主としてその放射線中のγ(ガンマー)線を利用し、通常硫化ラジウム・臭化ラジウム等のラジウム塩が用いられる。
 これを筒形・面形・布形単細管・針管等種々の容器に入れて、皮膚及び粘膜面に貼用し、或は組織(例えば癌・肉腫等)中に刺入する。またラジウム、エマナチンを毛細硝子管に充たしたものも使用される。
 ラジウム放射線の作用焦点は細胞核で、殊にその構成素たるクロモゾーレンは感受性が強い。(略)
 ラジウムは少量に放射すれば細胞を刺激してその機能作用を促進するが、大量なれば細胞の機能増殖作用を休止せしめて細胞死を招き、或は直接に細胞組織を破壊する。適応症として各種腫瘍(皮膚癌・子宮癌・喉頭癌・肉腫等)・毛細管拡張症・血管腫・淋巴管腫・狼瘡・蟹足腫等に用いられる。

 このように、「婦人家庭」を越えた詳細な内容になっているのだが、この辞典が出る2年前に、「ラジウム5グラム百万円」なんて新聞記事が出ていれば、こうやって使うモノなのヨと執筆者も気合いが入るだろう。

 ラジウムは半減期1601年と云う。人体組織に埋められたものがそのままなのか、適時引き抜いて使い廻すのか浅学な主筆には解らないが、紛失さえしなければ、幽霊が七代先まで祟って恨みを晴らしても、効き目は充分残っていることになる。
 おそらく「ウランエックス鉱粉」も、お湯を捨てなければ子々孫々その効能を楽しむことが出来るに違いないが、味のなくならないチューインガムみたいで、ちょっと気味が悪い。

 本稿を書き始めて、放射線も知らなければ放射線医療もわからない事を改めて知ったのである。
 これじゃあイカンと本屋に走り『医療の歴史 穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』(創元社)、『がん―4000年の歴史』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を買って来る。

 がんの放射線治療の歴史を読みかじってみると、X線発見の1年後の1896年(日清戦争が終わった翌年)には早くもそれによるがん治療が試みられ、「1900年代初めには、医師たちは放射線によるがんの撲滅という可能性に酔いしれていた」(『がん―4000年の歴史』)とあって、毎年の健康診断で「チーン」とやられるレントゲンは、こんな使われ方もしていたのかと感心する。
 またまた『婦人家庭百科辞典』を見ると、X線は「レントゲン線」の名で項を持ち、人体を透視するだけでなく「生物の組織を刺激したり破壊したりするので、癌等の治療にも応用される」とあるではないか。『がん―4000年の歴史』には、ラジウムの発見後、「何千倍も強力なエネルギーを腫瘍に照射できるようになった」とも書いてある。

 ラジウムの母体、「新元素」を僭称する「ウラン」と「X線」を足して2で割ったあやしい商品名は、チラシを読む人に向けて舶来の最新医療技術のイメージを放射しているのだ。最新科学の光を放っているはずのチラシの文字が、古くさい、伝統のくずし字で記されているところに、時代の縫い目ノを見てしまうのである。

 その後、原子爆弾・原子力発電の原子時代の幕開けで、ウランとラジウムの力関係が逆転したわけだが、放射能の単位まで「キュリー」から「ベクレル」に変わっている。「盛者必衰」とは良く云ったものだ。

(おまけの謝辞)
 本文にも書いたが、古チラシ一枚で簡便なネタ一つでっちあげるつもりで始めてみた所、チラシで語られている事柄について何の知識も持っていた無かった―学校で習った記憶すらない―事に、初めて気づき愕然となる。正直今月の更新は危ういところであった。
 本文でふれた『原子力百科事典ATOMICA』と、『EMANの物理学』の「素粒子論」を読まなかったら、今回のネタは成立することは無かったのである。
 新聞記事文庫のラジウム関係の記事は、名前だけは見るが今一つ実態の掴めないラジウムが、当時は黄金よりも貴重なものであった事を教えてくれ、「ウランエックス鉱粉」が「安価なラジウム」との認識をもたらせてくれた。

 この場を使い、謝意を表する次第である。

(おまけのおまけ)
 今回のネタ補強のため、神戸大学図書館の新聞記事文庫で、ラジウム関連記事を見ていたら、こんな記事もあった。

 一グラム二十万円のラジウムを人造
 待望の“生産機械”理研で完成!実用化への大躍進
 (『東京朝日新聞』昭和11年9月1日付)

 何の話かと読んでみると、理研の「サイクロトロン」が、この年の10月には完成すると云う内容なのだが、記事見出しにあるように、人造ラジウムがすぐにでも量産されるかのような受け取られ方をしている。
 記事には「この研究が予期通りに成功の暁には多量の『人工ラジウム』の供給によって臨床医学にはもちろん、強烈な透徹力により軍艦用材、鋼鉄板等の打診にも応用されその用途は無限に拡大され大きな福音が齎されるであろう」とあり、ラジウムが夢の元素だった事が伺える。