「神経の安静」で明暗わかれる72万8千おまけ
月の前半は仕事、後半は「兵器生活」の更新に追われる毎日が続く。
世間様をアッと云わせるネタなど、そうそう転がっているわけが無い。と云うわけで、月末はいつもアタマを抱えることになる。まあ今日のメシ代・明日の家賃の算段で悩む事を思えば、自分は充分幸せなんだよなあ…と本の山を崩してみると、古書市で買った広告冊子が出て来る。
これ結構したんだよなあ…と、目を通し直す。
大都会の喧噪を描いた画面には、
Tempo!
テムポ!
Tempo!
の文字が躍る。
画像では解らないだろうが、「テムポ!」の部分だけは印刷された紙が貼り付けられている。これを真ん中で破って(もちろん買った時から破れているのだが)拡げると…
見開きの広告文面が現れる。
現代は急速なるテムポを要求する!!!
凡ては目まぐるしく走馬燈の如く廻り、商売の駆引も寸刻を争う。一刻の遅延は失墜の始め!! 成功の秘訣は一刻を争い、又一分をも争わざる可からず。
時は金
されど焦燥の時代に処して、君が更に必要とするものは神経の安静である。即ち頭脳の冷静と精神の統一とは 君をして常に性急より免れしめ、又決して判断を誤またざらしむ。精神の冷静は利得のチャンスを作ると同時に、実際上の利得をも意味す。
然らば問う…
「君の処せんとする人生の道は如何に?」
左か 或は 右か
直訳調でわかりにくいところもあるが、生き馬の目を抜く現代社会―70年以上前の―で成功するには、「神経の安静」が必要だと訴えかけ、左右の選択肢が示されているのだ。
「左か」、「右か」の部分を折り畳むと、都会の朝、通勤風景の絵が現れる。
「右」絵の下で、ブルーブラックの服を着て茶色のカバンを抱え、帽子を取って会釈するヒゲの人物と、「左」絵のやはり下、コートのポケットに手を入れ足早に歩く男が、それぞれの道を行く主人公だ。覚えておくように。
(左)
就労前から
其の日の仕事に取りかからぬうちから、君の神経は様々の試練を受け始める。
―会社への途中―
ツマラヌ事が気にかかれば、頭脳は乱れて褸のようになり、焦燥の極は前途をすら極度に悲観する。
人亦顧みて「神経衰弱」の君を笑い、街上既に危険は身に迫る。
(右)
快刀乱麻
今や快活明敏の人となって、出勤の道すがら、冷静なる頭脳から正確細密に、其の日のビヂネスの計画を樹て、会社に在っては機敏に事務を処理裁断し、斯くて其の日其の日を健実に進む。
何んと効果の覿面なるよ!!
どうやら「左」は「神経衰弱」の人の生活が、「右」では何の「効果」かはわからぬが(笑)、明朗快活な生活が展開されて行くらしい事が伺える。
「神経衰弱」
今日ではトランプゲームにその名を残すだけの言葉になっているが、主筆が中学生か高校生の頃に読んだ国語の副読本には、芥川龍之介は神経衰弱で自殺したと書いてあった記憶がある。
当時の通俗辞書『家庭百科重宝辞典3』(『婦女界』昭和7年12月号附録)を引く。
神経衰弱(衛)一に文明病といわれている位で、時代と共にこの症状に悩む人は増加する傾向を示している。その原因も多方にわたっているが、その主なるものは、身体並に精神の過労である。試験前の過度の勉強或は家事に就いての心痛の余り、極度に精神を刺激する時は、この病気に侵され易い。(略)尚生殖器神経衰弱症というのは、手淫、房事過度によって起るものである。
【症状】(略)精神症状として現れるのは、物に対する穿鑿癖、懐疑癖、過度の潔癖、記憶障害、注意集注不能、決断不定、思考力減退、意志薄弱、脅迫観念等である。(略)
生理的には時々眩暈を感ずる。(略)光線に対しても感覚過敏となり、視神経が疲れ易く、よく長時間の読書に堪えることが出来ない。飽き易いといわれるのも、このためである。(略)
戦前の「ココロの病」である。「文明病」とは良く名づけたものだ。
【注意】
この広告は「神経衰弱」のままではイケナイ、と読む人に思わせるために作られているものであるから、いわゆる「今日の人権意識と照らし合わせ」ると、これは云いすぎぢゃあないか? と感じられる所が以下頻出する。
そう云う記述が苦手な方は、無理に読まれなくても良い。主筆には、俗に云う「資料的価値」云々で紹介する以外の意図はまったく無い。
また一枚閉じると会社でのひとコマが、左右それぞれの展開を見せる。
(左)高価な代償
不規律は君の統一なき精神の為めで、社員からも一挙一動を注目せられ、結局君が得る処のものは、
失錯と過誤と
災難と損失。
是れ皆、「神経衰弱」に原因するものとすれば、何んと高価な代償ではあるまいか。
(右)冷静と堅実
落付いて処理や命令を伝える。
之には社員達も君が冷静、堅実となれるに驚くであろう。
冷静と堅実とは能率増進上の必要事で、能率の増進は必ずや君に成功を齎(もた)らす。
左では主人公が何かしくじったらしく、工員が担架に横たわり救命措置を受けている。右の主人公はオフィスの一画で部下にテキパキ指示を与えている。
左右まったくの別世界のように見えるが、「右」文中に「君が冷静、堅実となれるに驚くであろう」とあるから、広告の商品を使用した結果、成功への道を歩みつつある事がわかる。
「左」には「社員からも一挙一動を注目せられ」と書かれている。心を病むと他人に監視されているような気持ちになると聞く。しかし、忙しい時は人目なんぞ気にしてもいられない。そもそも職場で社員同僚の挙動言動をいちいちチェックしている(それ自体が仕事である場合は除く)人がいたら、単に仕事をしてないだけではないかと思う。
次は大事な会議の場だ。
(左)支離滅裂
正十時!!
会議の時刻は刻々と迫るも、これという腹案は未だ成らず。
焦りに焦って作っては見たが、支離滅裂して条理は立たず。
是れ又しても君が「神経衰弱」の仕業。
会議室には一同君を待ちて久し。
―講演開始―
冒頭よりまごついて言う処を知らず、君が精神の散漫は遂に人の軽侮を買い、一同君の不甲斐なさにいたく失望す。
(右)綽々たる余裕
君は今、当該問題の局面者である。
静かに案を練って準備は充分出来上り、而も綽々として余裕は尚充分にある。
全幅の考慮を計画の上に注ぎつつ、落付いて語り出す君が講演は、人をして謹聴、魅惑せずには措かぬであろうし、聴く者も亦、君に一大拍手を送るであろう。
プレゼンテーション失敗の原因は、「準備不足」の一言に尽きる。
聞き手が抱える問題は何か? それを解決する手段は何で、それを不足・誤解なく伝える資料になっているか? 説明者は内容を理解出来ているか? 想定される質問への備えはあるか? 等々やるべき事は多く、それでいてうまく行かない事も多い(解決策―売り込むべき商品―に魅力が無いことだってある)。
その裏側に「神経衰弱」がある場合もあろう。二日酔いかもしれない。ハナから手を抜いている事だってある。
会社が終われば宴席である。
そもそも、心の晴れぬ人が宴席に出るのか? と云う疑問があっても良さそうなものだが、そこは広告の強引さ、情け容赦なく左右の対比は続くのである。
(左)宴席では
心配と恐怖は、君が主人役の招宴にも起る。
それは君の神経質が、いつも宴会の明るい気分を毀すのを、君自身で知るからである。
宴席では君は人を避けて歓談を交えず、黙然と一隅に坐を占めて憂鬱の気分を眉宇の間に漂わす。
(右)練達の社交人
疲れた其日の劇務の後で、晴やかに集う一夕の宴、歓談にダンスに…。
その日の疲労した心身は、カラリと癒され、いつの間にやら君は練達の社交人となり、何れの会合でもなくてはならぬ中心人物となるであろう。
気分の沈んでいる人に宴会を仕切らせちゃあいけません(笑)。
義理とか打算で何となく出てしまった宴席で、「オレハナンデココニイルノダロウ」と思う事はある。一人ぽつねんとしてしまうと本当に落ち込んでしまうので、「中心人物」の声が聞こえる所まで近づき、ご高説を賜るようにした方が良いだろう。
宴もたけなわではありますが…。
お開きになり、帰宅して風呂の一つも浴びてしまえば、あとは寝るだけだ。
冊子も佳境に入る。「左」と「右」の人相の違いを見よ!
(左)夢魔の襲来
不眠の苦しみは君克く之を知る。
転々床中にむき悩めば、ありし日の出来事は夢と化して君を襲い、少時の仮睡にすら着衣は汗に濡れ、健康者には見られぬ神経の痙攣さえも現れる。
極度に疲労して、翌日仕事に取りかかるも、ボンヤリとして何事も全く手に付かぬ。
(右)爽やかな目醒め
何ものにも代え難き休養を、熟睡の一夜が君に齎らす。
翌朝早くも活気は全身に溢ぎり、馬力を懸けて一日中働き通すも、劇務は最早君には茶飯事のみ。
爽快な気分で毎夕君は家路へと急ぐ。
左右の明暗がビジュアル面でも露骨に表れたところでいよいよ結論に至る。
重ねて云う。これはある商品を売らんがための広告である。
したがって、それを享受する者にはやりすぎなくらいの栄光が明示され、背を向ける者には容赦なき罰が下されることになる。
ここまで内容を紹介してきた以上、結論部分を伏せるわけにはいかない。
(左)ああ悲惨!!
神経衰弱者、注意散漫者、焦燥不安者の日程は正に斯くの通りである。
彼等は熱病患者のような眼と陰鬱な顔貌とで其日其日を過ごして行く。
気むづかり家で会社では皆から恐がられ、不適任者として会社からは疎んぜられ、一切努力の甲斐もなく憫れ事業は失敗を重ね、焦慮すればする程、魂の抜殻同然の君には、精神の統一や頭脳の安静がモダン生活に必要な所以すらわからなくなる。
此時此際、一服のアダリンは神経の興奮を鎮め、精神を緊張し、睡眠を深く爽快とする。
アダリンには不快の後作用はなく、連用しても習慣を起さない。
然らば君は処生上何れの道を歩まんとするや?
(右)人生の勝利者
冷静の神経と明敏の頭脳もて、張り切った一筋の糸のように、弛まず、緩まず、其日其日を熱心に働く君は、多くのあわれな神経衰弱病者を眼下に抜き、事業は益々振い、人は愈々君を敬う。
かくて君は人生の勝利者となったのであるが、此の大成功、虎の子と謂えば、それは……
アダリン
であって、君に常に
冷静なる頭脳……と
横溢せる精力……と
健康なる睡眠……
とを授けたのであった。
アダリンは全然無害で、連用するも習慣を起さない
実業生活に必枢の冷静と正確、及び事務的効果を齎らす精神の統一は、
世界的に有名な…………
アダリン
の営為する独特の作用である。
これは(読者諸氏も感づかれていたと思うが)「ココロのお薬」の広告なのであった。「アダリン」飲めば人生の勝利者、飲まねばみじめな敗残者への道が待っていると、不眠・不安を抱えている人を半ば脅しているわけだ。
冊子の裏は「アダリン」の広告が描かれている。
独逸バイエル社
神経衰弱、神経性不眠、心悸亢進症、ヒステリー、精神不安、百日咳発作、動脈硬化症 性的障碍、及び船車暈予防等には……
理想的催眠鎮静剤
アダリン
アダリン錠包装(各0.1瓦)30錠入 10錠入
(各地薬店に販売、詳細説明書進呈)
バイエル・マイステルルチウス薬品合名会社
神戸局郵便私書函一〇七番
だいぶん前に「ヒロポン」の広告で一本ネタをこしらえている(それが2001年10月と云う、はるか昔であった事実に驚愕している)。あれも乗り物酔いに効くような事が謳われていて驚いたものだが、これも「動脈硬化症」、「性的障碍」にまで効き目があると云うのだから、昔のクスリ広告は盛りに盛っていたものだとつくづく思う。
さて神経・精神に作用する薬と云えば、副作用や乱用の心配をしなければなるまい。この「アダリン」広告冊子には堂々と「全然無害で、連用するも習慣を起さない」と書いてはあるが、実のところはどうなのか?
『家庭百科重宝辞典1』(『婦女界』附録昭和7年)にはこうある。
アダリン(衛)催眠剤及び、神経亢奮の鎮静剤として用いられる。中毒すると危険だから、用量を誤らぬこと。又、連用すると習慣性となって幾ら量を増しても効かなくなるから、時々適当な他の催眠剤と換えること。
服用を続けるのはよろしくないとある。
手元が狂い、刃物で指先をちょっと切ると痛みとともに血がにじむ(切りすぎるとにじむどころでは無いから注意しませう)。麻酔で痛みを感じなくなっていたとしても、やっぱり切れば血は出るのが人間の肉体である。「痛み」は無くとも傷(『痛み』の原因)は、依然目の前に存在し続ける。
神経の安静を得ることで仕事は上手く進み、人望はあがると広告は云うが、それは仕事がうまく行ったという結果があればこそである。仕事の不安は仕事に慣れることでしか解消しないし、人生の不安は自分の人生・生活を肯定しようと云う意思があって、ようやく霧散し始めるものだ。
クスリに頼るより、休養を取り、美味くて滋養のあるモノを喰った方が良いと主筆は思う。
「アダリン」の連用がたたり、辞書にあるように効かなくなったらどうなるか?
ある日を境に、広告冊子の「右」が「左」に変わるのである。もう「虎の子」は役に立たない! 営々築き上げた成果・信頼が失われる。これこそ悲惨の極みであろう。