「禁酒国策急施の提唱」で73万4千おまけ
私は納豆の臭いが大嫌いである。
だからと云って、自分には旅館の朝食に納豆が出たらお膳をひっくり返す権利があるとは思わない(毒でも入っていれば別だが)。牛丼屋で朝食を食う時、となりで納豆をかきまわす客を睨んだり、舌打ちもしない。
酒・煙草その他の嗜好品が、自分の身体に合わない、イヤだと思うのは、当人の生活の積み重ねに起因するのだから、そうですか大変ですねえと思うしかない。
摂取が即座に人の生死に関わったり、宗教上禁止されているなどの理由は別として、「兵器生活」主筆は、個人の趣味・性向を、いちいち法令で制限する事には反対の立場を取る。その場の気遣い・マナーの問題として片付けるのが文明国人だろうと思うのだ。
例によって今月のネタが見つからぬまま、総督府の紙屑箱をかき回すと、こんなモノが出て来る。
禁酒国策急施の提唱
「廿五歳禁酒法期成同盟」なる団体が、昭和11年10月に発行した文書だ。
読んでみると、よくもまあ色々と理屈を並べ立てたモノだなあと感心するとともに、その論の構造、列挙された事項が現代でも使われていることに気付かされるのである。
パンフレットは、「禁酒」を国策として早急に実施することを訴えるものだ。冒頭の「帝国現下の難局打開」と云うのが時代を色濃く現しているが、内容自体は、国策として今こそ禁酒すべき理由を、
経済
産業
国民所得
財政
失業問題(雇用)
健康
国防
風紀
それぞれの面から語るもので、先に述べたように、中の記述をアップデートしてやれば、今でも使い回しは
充分効くと思う。
と云うわけで以下に全文を紹介する。例によってヨコのものをタテにして、仮名遣いと一部の漢数字などを改めてある。
禁酒国策急施の提唱
帝国現下の難局打開の為め、禁酒国策の急速実施を最喫緊事とし、之が決行に向って、官民の一斉蹶起を要望す
一、経済上
我国民が一ヶ年に費す酒代は15億円と称せらる。これを他の負担と比較するに―
イ、我国民の酒類消費量は、過去十ヶ年を平均して一ヶ年一人当たり8升9合3勺にしてその価格12円68銭なれば、一戸当り(人口5人として)63円40銭となる。
ロ、これを税負担と比較すれば、本邦農家一戸当りの租税負担額は平均62円21銭にして、その内訳は
国税 12.57円
道府県税 21.72円
村税 27.92円
なれば、酒代は正に税金の総額を凌駕し、村税の2倍2分7厘、道府県税の2倍9分4厘、国税の5倍強に当る。
ハ、地方負担中の最重荷と称せらるる教育費の如きも、酒代の三分の一に過ぎず。
実に、酒代の浪費除去こそ、何者にも勝れる大衆の負担軽減、国民生活安定の方途たり。
一戸あたりの酒代が63.40円で、租税負担額(国税+道府県税+村税合計)が62.21円とあるから、酒代は租税負担額よりも多い、とだけ語って充分なものを、「○税の×倍」など妙な計算を入れているため、かえって資料をウサン臭く見せてしまっている。
二、産業上
飲酒は国民の労働能率を低下し、災害・疾病・負傷を増加し、産業振興の基礎的要件を損う。
イ、事例の一 (九州三井田川炭坑に於ける調査)飲酒坑夫は禁酒坑夫に比し、採炭能率2割1分(21%)低下、災害事故に依る欠勤2倍7分増、疾病に依る欠勤1倍7分3厘増。
ロ、事例の二 (京都帝大小南博士が大阪某造船所職工に就き四年間に亘りて為せる調査) 職工が業務中負傷をなす率左の如し。
常用飲酒者 人数153 外傷数912 受傷率45%
非飲酒者 人数265 外傷数498 受傷率14%
(註)ここに常用飲酒者とは晩酌一、二合程度以下の者をいう。
即ち飲酒職工は禁酒職工に比し、災害事故を惹起する頻度繁く、その為め受くる負傷率は実に3倍強に及ぶ。
ハ、我国に於いて、産業災害の為め生ずる労働者の死傷数は一ヶ年68万6千余の多数を算す。工場、鉱山交通運輸の各産業部門より酒害を除去し、災害を防止するは、只々産業上のみならず、社会上、人道上喫緊の大問題なり。
飲酒常用者の労働生産性は低く、事故発生頻度・欠勤率も高いと書けば、その真偽はさておき、今でも通用するところだ。しかし、受傷率の計算が何回見直しても納得出来ない。数字の入れ方を間違えているのではないか?
信憑性を高めるはずの数字があやしいと、その論までおかしく感じられそうなものだが、呑み過ぎた翌日に仕事の能率が落ちる経験は何度もあるので、禁酒までやらねばならぬかはさておき、ご指摘はごもっともと受け取っておく。
三、国民所得の上より観るに
イ、石川県羽昨郡河合谷村は、挙村禁酒十ヶ年にして一戸当たりの生産額平均2百余円を増加せり。前述三井田川炭坑に於ける禁酒坑夫は飲酒坑夫に比し各人平均(六ヶ月間に)66円83銭多額の賃銀を収得せり。
ロ、エール大学教授フィッシャーは「禁酒により国民所得能力の増加は、10%なり」と算出し居れるが、仮りに我国民の所得総額102億円(昭和五年調)が比率を以て増加したりとせば、正に、10億2千万円の所得増となるべし。
酒を呑まなければ、そのお金を別な用途に使う事は出来るのは確かだろう(河合谷村は学校の建設資金捻出のため『禁酒』をしている)。しかし、それが収入増につながるかどうかは、早急には結論出来ぬように思う。日給月給サラリーマンの世界で考えると、呑んでも呑まなくても受け取る給与は変わるまい。「所得能力の増加」イコール「所得増」では無い。
四、財政上
酒税は年々2億円内外に及びつつあるが、一面飲酒の為め国民の費やすところの金額は、直接の酒代のみにて8億6千7百余万円に及び、これに付随する浪費を加算する時は、更に夥しき巨額となるべし。この巨大なる浪費の為、他の有用物資に対する購買力は縮少・枯渇せしめられ、為に有用産業は、不当に、その発展を阻碍せられつつあり。
イ、いまこの浪費を転換して、国民大衆の健全なる購買力を酒より解放せんか、各種産業は必然的に繁盛を致し、担税力は涵養せられ、税源を拡むるに至るべし。
ロ、国民の労働能率増進に依る所得増(前述)10億2千万円に対し、現在我国の平均課税率たる16%を以て臨むも、祐に1億6千余万円の増収を得べし。
ハ、若しそれ、飲酒の為め国庫が蒙り居る失費―救済、医療、警察、司法、行刑等々に要する多大の国費の内、軽減、若しくは不用に帰するもののある事に依って生ずる財政上の利得亦尠少ならざるべし。
これは極めて今日的な話でもある(そして飲酒に限った話でもない)。「付随する浪費」とは家族へのお土産から、呑み屋の娘を口説き落とす経費、吐いて汚したネクタイの洗濯代と挙げて行けばキリが無い。しかし「健全なる購買力」とは何を買うことで立証されるのか。
昨今話題となっている、カジノを作って経済の活性化を目論む人達はバクチも「健全な娯楽」と考えているのだろう。
五、失業問題の上より
観るも、元来、酒類醸造業なる産業は、投下資本に比し、労働を需要する事の極めて少なき産業に属す。
イ、之を他の各種産業の労働者を雇傭する能力と比較するとき、米国にては1対7、英国にては1対10の比率を示しつつあり。即ち生産高百万ポンドに対し、製鉄、造船、メリヤス、家具、織物等々各種産業にありては平均5,770人の労働者を要するに、酒造業にては僅かに542人を要するのみ(英国商工局統計による)。
ハ、従って、酒造資本の増大は必然的に労働需要率の減退を意味し、飲酒に因る大衆の購買力減退と相俟って、失業の増加を結果すべし。
酒造資本が他の有用産業に転換せられ、大衆の購買力が酒より解放せらるる時、はじめて真の景気は到来し、国民生活の安定は期せらるべし。
同額の資本が産み出す利潤が、酒造も他の産業も変わらぬのであれば、従業員一人当たりの生産性が高いと見ることも出来よう。
それはともかく、昭和10年代に戦争がなければ、「真の景気」が到来して「昭和30年代」は10年前に成立していたかもしれない。
六、国民保健上
細胞毒であるアルコールは、急性・慢性両様の中毒に依り国民の健康を冒し、疾病を多くし、平均寿命を低下し、死亡率を高からしむ。
イ、飲酒量多き東北地方、殊に岩手・秋田両県に於いては、飲酒の為の死亡率最も高し。
ロ、全国に「医師無き村」は3千2百余を数う。医療費は国民生活を脅威する負担中の甚だ大なるものにして、農家一戸当たり一ヶ年の医療費24円7銭は教育費の23円90銭を凌駕す(広島県に於ける調査)。
ハ、農家負担の三割までは医療費によって占められ、農村疲弊の主因をなし居れり。
ニ、河合谷村(前述)にては、挙村禁酒五ヶ年にして早くも罹病者数半減し、死亡率は19.6人より16.7人に低下し、殊に、乳幼児の死亡率は最も著しき低減を示せり。
即ち患者数の半減は医療費の半減を意味す。国民の医療費総額を4億円とする時は、実に2億円の負担軽減となるべし。しかも、禁酒は何等特別の経費を必要とせず、効果最も適確なる国民保険の最捷径たり。
七、民族優生上
アルコールは、ただ飲用者自身の個体を損傷するのみならず、更に生殖細胞を毀損して、子孫に悪影響を及ぼし、禍害を後代にまで残す。即ち
イ、心身に欠陥あるもの、性格異常児、虚弱児、不良児等を産出し、
ロ、対病抵抗力の減衰、泌乳能力の減退等と相俟って、民族を劣弱ならしめつつあるは、各方面の統計的事実の証するところなり。
ハ、乳汁分泌不足婦の93%は飲酒家の子孫より出づ(鹿児島県に於ける調査)。
ニ、更に飲酒は、結核、梅毒、精神病等の国民病、社会病を誘致し、助長し、増悪して、民族の頽廃。変質を加速度的ならしむ。近年我国民体位の著しく低下劣悪となれるは、飲酒の風の瀰漫せるに因るもの少なからず。
項目は二つだが、どちらも健康面での指摘と云う事で現代に通じるものだ。
もっとも、昭和10年代の生活環境を考えると、栄養の偏り、寄生虫の存在、結核の猖獗、家屋の構造など長生きしづらい要因は他にもある。酒だけが悪いのか、と思う所は正直ある。
「民族優生上」と云う言葉は今日用いられる事は無いが、妊婦の飲酒は控えるようお酒の広告には小さく書いてありますね。
八、国防上
この一点のみよりしても禁酒政策の急速実施を要とす。即ち
イ、我国近年の最も憂うべき現象は、壮丁の体質劣弱となりつつある事にあり。これが改善は、遡って母体の擁護に及ばざるべからざるも、更に、胚種細胞を毀損するアルコール毒の排除まで遡及せざるべからず。
ロ、飛行機、自動車、潜水艦、戦車、遠距離砲等々精巧なる科学兵器を使用する近代戦争は、必然的に正確なる神経、敏速なる判断、長きに耐うる持久力を必須とす。而してアルコールは全然これ等と両立せず。
ハ、中華民国に於いては、「新生活運動」に於いて禁酒禁煙を鼓吹しつつあるが、就中軍隊に対する禁酒令発動の要望熱烈なねものあり。之が熱心なる主唱者たる交通兵監徐建瑤氏は、其の麾下に属する飛行隊・戦車隊・自動車隊に対し最近禁酒令を実施せりと。
ニ、軍隊は良兵良民の養成を本領とする国民教育の道場たり。然るに、未成年禁酒法及び青年学校・青年団等り訓育の影響下に禁酒の美風を保ち居りし壮丁が、衛戌地一両年在営の間に於いて飲酒の悪風に感染するもの頗る多し。
ホ、軍隊に於ける犯罪不祥事の殆ど大部分が飲酒に基因するは、統計の示す処なり。
ヘ、軍隊先ず率先禁酒を断行せんか、其の影響感化は、直ちに在郷軍人を通じて地方に及び、農村更正、生活改善の指導力、活模範となるべし。
このパンフレットに云う事の多くが、現代の禁酒運動家が説くところに一脈通じるのは、今まで読んできた通りだが、「国防上」禁酒せよとは、今では誰も云わないところだろう。「この一点のみより」と力がこもっているのも時代だ。科学兵器を駆使して行われるこれからの戦争に勝利するためには、呑んでてはいけないのだ。
軍隊に入ったばかりに、「飲酒の悪風に」染まってしまうと云う指摘は非常に面白い。
九、風紀上 保安上
酒は諸悪不善の根本起罪の因縁也とは釈尊の喝破せるところ、
イ、全国に起これる官公吏涜職事犯に連座せる者の殆どすべては、飲酒者にして、その大部分は、中学上級より高等校時代に於いて飲酒の悪風に感染せり(某政党政務調査会調査)。
ロ、内務省、鉄道省、その他各省の少壮官吏間に「酒宴が官吏を腐敗堕落に陥らしむる原因なり」として、之が排撃の運動起こりつつあり(報知新聞記事)。
ハ、近時著しき性道徳の頽廃、怪奇なる色情犯罪、異常なる殺傷事件等は、何れも当事者自身の飲酒、又は前代よりの飲酒に因る徳性の鈍麻、異常性格、悪質遺伝に原因す。
ニ、選挙の粛正の如きも、選挙時に於いては勿論、平常より、酒に絡(ママ)わる悪因縁を絶つことを以て粛正の先決要件とすべし。
汚職・凶悪犯罪・選挙違反すべて酒が原因どころか、酒は「諸悪不善」の因縁とお釈迦様まで持ち出してのお説教である。
悪事の当事者がその時呑んでいなくても、「前代よりの飲酒に因る」と決めつけるのだから、今日の感覚からは批判を免れないところだろう。
このパンフレットが「飲酒=悪」の立場から書かれている事がよくわかる(何かを批判する言説の多くはそんなモノだが)。
こうして禁酒のメリットと飲酒の罪悪を並び立てたところで、「外国はこんなに進んでいる」例が紹介される。今でも良く使われる語り口だ。
一〇、各国の対策
世界の列強は、禁酒を国策として官民協同の努力を傾注し、方法施設に於いても佶倨経営非常なる熱心を以て万全を期しつつあり、その二三を例示すれば
ドイツ
25歳までの男女青年を収容するナチス独特の国民教育機関たる「労働奉仕団」は、絶対禁酒を信条とし、青少年の酒癖根絶を期す。既に酒癖に陥りたる壮年者は矯正院に入れて治療を施す。しかも中毒高度にて治癒の見込みなきものは「断種法」を適用して、子孫の蓄殖を中止せし。
イタリー
ムソリニ首相は、施政の当初より禁酒主義を持し、酒舗制限法を布く(五ヶ年間に閉鎖せしめたる酒舗2万7千余に及ぶ)。エチオピヤ攻略に従事したるイタリー軍隊は、葡萄酒を給する事を廃したり。
ソヴィエットロシヤ
第一次産業五ヶ年計画開始と同時に工場禁酒化を断行す。コンソモール(赤色青年団)は、禁酒禁煙を「鉄の規律」として大衆指導に当る。酒類販売制限峻烈にて、モスコーのウオッカ(火酒)消費量は五ヶ年計画実施前の五分の一に減少す。
大英帝国
高率酒税の重課、販売時間制限(一日八時間半)日曜は酒舗閉鎖、市町村禁酒自決制、自動車操縦者の飲酒禁制、学校に於ける酒害教育助長等の諸施設を講じたる結果、過去25年間に酒類消費高は激減し、一人当たりの減少は、強酒に於いて67.7% ビールに於いて40%を示す。
北欧諸国
スエーデンのブラット・システム(個人別酒量統制を含む販売の公営)、ノルウエーの地方禁酒制度(郡市町村の自決に任せ既にその四分の三は禁酒地区となる)、フィンランドの酒専売(禁酒を目的とす)等々見るべき政策多し。殊に之等諸国に共通の一点は禁酒教育の為め、政府自ら多大の経費支出をなし居ることなり。
北米合衆国
連邦憲法としての一律の禁酒法は撤回されしも、各州は自由なる意志により思い思いの禁酒制度を立てつつあり。現在禁酒州6、地方禁酒自決制を採り居るもの15州、酒類販売制限をなし居るもの25州あり。即ち46州は程度の差こそあれ、何等かの禁酒立法を有す。しかも郡区を限りて禁酒をなすもの頗る多く、ニューヨーク州の如き「飲酒州」と目され居る州にありても、「禁酒郡区」は漸次増加しつつあり。
「二三を例示」と書きながら、6の国と地域―おそらくは情報が取れたすべて―を書き連ねているのが可愛い。禁酒先進国に見えてさえいれば、ファシズムもコミュニズムも問題ではないのだ。
ドイツでの重度のアルコール中毒者に対する「断種法」適用が国家的英断とされ、帝国日本の国体の脅威であるはずのソ連の事例(ホントにうまく行っていたのだろうか?)まで紹介する懐の深さはある意味驚嘆に値する。
過去の日本はどうだったのか?
翻って我国は、古来非常重大の時局に際会しては、常に国家禁酒を断行して之に対処したる伝統を有す。中にも彼の大化の改新に於いて、また元寇襲来の直後に於いて、禁酒の制令を発して、難局打開に備えたるは最も顕著なる事実なり。
こんな事があったのか! と驚く(歴史の授業で習わなかったし)。もっとも、昭和11年に「禁酒国策」を叫ぶパンレットが作られているのだから、それが一時的なものであった事は疑いようが無い。
そして結語に至る。
今や、我国は内外容易ならざる非常時に立ち、庶政一新を断行すべきの秋、凡ゆる国策の遂行も、禁酒政策の実施を基礎として、初めてその成を期すを得べく、禁酒国策の急施こそは、一切の国策に先行すべき国策中の国策たるべきを確信し、之れが決行に向って、官民の蹶起を要望する次第なり。
(昭和11年10月)
東京市神田区西神田一ノ二
廿五歳禁酒法期成同盟
電話(略)
「酔っぱらいは見苦しい」「酒の臭いがイヤ」など、個人の生理的嫌悪感に立脚した理由こそ記されていないが(禁止・容認の議論が平行線なのは、そこをないがしろにしているからだと思う)、経済、労働生産性、健康、風紀(『国防』で指摘された事項は、他のどこかに含まれる)と、ざっと考え付く限りの理由は列挙されている。
さて、国策として禁酒は制定されたのか?
支那事変長期化による、国内引き締め策として「興亜奉公日」が設定され(昭和14年8月)、その実施項目中に、「酒と煙草はやめること。」の文言は確かにある。しかし、これはあくまでも
特に戦場の労苦を偲びつつ、皇国臣民としての生活態度を反省して自粛自戒し、之を日常生活の上に具体化するため、左記項目を各地方及び諸団体の実情に即して適切なる方法に依り実行せらるる様期待する。
と書かれた文章に続くもので、月に一日、「実行せらるる様期待する」とある以上、強制力の程度は疑わしい。
その後、『写真週報』昭和15年2月7日号に、食料確保のために節酒を呼びかける記事が載るくらいであるから、禁酒国策は実現に到らなかったのである。
「戦地の兵隊さんの身を思って一日禁酒」、「主食の米を節約するため節酒」と云う発想は、さすがの廿五歳禁酒法期成同盟メンバーでも思いもよらなかっただろう。
(おまけの余談)
父が晩酌を欠かさず、それでいて酒に呑まれる人でもなかったおかげで、酒に対して悪い感情が無い。父は法事で呑んだ帰り、道に迷ったあげく線路際に寝込んでしまって回送列車に引っかけられてしまったのだが、それを理由に酒を憎む気にはならないのだ。親父とサシで呑む機会を作れなかった自分の不孝を悔やむだけである。
先月に引き続き直木三十五の話をやるべく、図書館で全集の「日本の戦慄」・「満蒙の戦慄」を借りて読み、風俗小説と見れば面白いんぢゃあないかとの発見を得るが、たぶん受けないんだろうなあ…と思うに至り、結局いつもの紙屑ネタの紹介となってしまった次第。
(おまけの参考)
興亜奉公日の実施項目については、アジア歴史資料センターの文書を参照した(A06050810300)。
(おまけの時局便乗)
今回のネタとは全然関係ないが、政府筋が唐突にキナ臭い事を云ったので、15年くらい前に書いた記事を引いておく。ミサイルが飛んでくると国民を脅すなら、これくらいの情報は出してもらわねば、国民保護を真面目に考えていると思われないぞ。