下駄に竹馬ハイジャンプ!

「大本営発表」の一例、あるいは失敗を素直に認めるススメ


 経営者が、あえて「高すぎる」目標を管理職に与えてプレッシャーをかける。
 従来のやり方で達成は不可能だから、革新的な創意工夫に取り組まざるを得ない。結果、目標が達成出来れば万々歳、たとえ達成できずとも、「妥当な目標設定」より高い業績が得られ、企業は成長すると云う。楳図かずおの『半魚人』みたいな経営の話を数年前、聞いたことがある。

 前年比120%出来れば上々であるところに、160%のノルマを課せられたら、人間二通りに分かれる。
 出来るわけない、とあきらめる人、とにかくやってみようと汗をかき知恵を使って仕組みを整え、相応の成果を挙げてしまう人。永遠のヒラ社員と、「末は大将元帥か」と登り詰めて行く幹部候補である。その上がりが社長だから、組織のエライ人は、「やってできた」「やればできる」と確信している人で占められ、冷静に「これは無理でしょう」と云う人・意見は排除されることになる。

 しかし、実際の組織には「出来ることしかやらない人」がおり、顧客にも都合はある。ものごと万事が計画通りに行く保障はない(なんでうまく行く前提だけで進めようとするのだろう)。
 上級管理職が「今期はダメです」と早々口に出すわけには行かない。まして部下には云えるものではない。下も絶対無理と思っていても黙って従うフリをする。
 そこで、「上有政策 下有対策」(『上に政策あれば下に対策あり』)である。
 期末前までの業績見込は下駄・竹馬・ハイジャンプの秘儀を駆使し、計画達成する報告をしておいてやり過ごし、今期最後の数字の会議で「地に足の付いた」報告をするのである。
 怒られないですむなら、それに越したことはないと思う。出来る人も出来ない人も、そこは同じだ。

 経営陣には、それ独自の事情があるので、現場が出した「最大値」(竹馬後)をミニマム値として、さらなる踏上げを現場に期待する事がある。実際の取引がない以上、数字の踏み上げは不可能なのだが、架空の取引・経費の計上に手を染め、それが堂々決算書に載れば「粉飾決算」―発覚すれば―の出来上がりにある。

 民間企業の「粉飾決算」が、どれだけマーケットと世間から非難されるかは、昨今のニュースを振り返って考えれば充分だろう(あえて実例は挙げない)。それに比べると官公庁での不適切な会計処理は、報道こそされるが、民間程の批判・制裁は受けてないように感じる。自分が払った(取られた)税金の行方は気にせず、客でもない企業の粉飾をけしからんと批判してどうするのか。

 「兵器生活」の毎月更新が「高すぎる目標」と云うつもりは毛頭無い。
 しかし毎月「面白いもの」を作るのは容易なモノではない。ネタがなかなか見つからないのも事実だ。とは云え当月の更新が出来ないのは、手形の不渡り同然だから、必死に「ぬか床」を浚ってネタだけは拾う。


『週報』419号

 御存じ情報局の『週報』である。昭和19年11月1日号。
 「艨艟」とは、軍艦の別称のこと。こんな戦局が不利に傾き続けている時期に、普段は使わない言葉が国の広報誌の表紙に特筆大書きされている。何があったのか?
 フィリピンはレイテ島に上陸を開始したアメリカ軍を撃滅すべく、われらの帝国海軍が殴り込みをかけ決戦を挑んだ「レイテ沖海戦」(10月23〜25日)である。

 その結末は、ここに記すまでもない。趣味のミリタリ本なら、戦艦大和が初めて敵艦に向け主砲を放ったくらいのことは書いてあろうが、それでも負け戦の事実までは変えられぬ。
 そう云う、”後の世の目”で見ると、「艨艟出撃」は不思議な表題に感じられるが、”連合艦隊が決戦に出るッ”だけでビッグニュースに仕立てるべき出来事だったのだ。それだけ鬱屈していたわけですね。
 こんな表題の号に載る記事が、無味乾燥な事象の羅列になっているわけが無い(笑)。

 以下、記事全文を例のタテヨコ変換などの細工を施した上で紹介する。この熱い語り口は、今時の政府公報では味わえまい。

 艦隊の艨艟決戦へ 大本営海軍報道部

 勝利か、死か、日本民族興亡の運命を賭けた日米決戦が、いま比島を舞台として凄烈なる火蓋を切ったこの秋(とき)、忍従血涙を呑んでひたすらに神機到来を渇求しつつあった我が艦隊も、ついに決然、南海の怒濤を蹴って比島海面に出撃した。一億国民がいまかいまかと熱涙を拭って待望していた帝国艦隊の艨艟が、いよいよ舳艫(じくろ)相接して出動したのである。
 しかも、ひとたび眦(まなじり)を決して艦隊を進めるや、忽ちにして驕敵を撃破し、相次ぐ戦果を齎し来ったのである。十月二十四日以来、二十六日までにレイテ湾並びに比島東方海面のフィリピン沖海戦において、我が艦隊は陸軍航空部隊の活躍と打って一丸となり、海、空相呼応して敵機動部隊に与えた戦果のみでも、だいたい次の如く八十二隻以上に及ぶ。

撃沈
航空母艦 八隻
巡洋艦 五隻
駆逐艦 三隻
輸送船 九隻以上
大型上陸用舟艇 十七隻

撃破
航空母艦 九隻
戦艦 四隻(擱坐一隻)
巡洋艦 五隻
駆逐艦 三隻
輸送船 十七隻(炎上十一隻、擱坐四隻)
大型上陸用舟艇 二隻(炎上一隻)

撃墜
約五百機

我が方の損害
艦艇
航空母艦 一隻
戦艦 一隻
巡洋艦 二隻
駆逐艦 二隻(註・ここまで沈没)
航空母艦 一隻(中破)
戦艦 一隻(中破)

飛行機 未帰還 百二十六機

 記事では敵撃沈42隻以上+撃破40隻=82隻以上(計算間違いがあるのでは、と数え直してしまった)と云う、大戦果が報じられている。わが方も少なからぬ損害を出してはいるが、数を比べて見る限り「勝った」ように見える。
 実際のところは、米軍側艦艇の損失は「航空母艦1、護衛空母2、駆逐艦2、護衛駆逐艦1沈没など」、日本側は「航空母艦4、戦艦3、重巡洋艦6、軽巡洋艦4、駆逐艦9沈没など」で、とても勝ち戦と呼べるものではなかった。
 記事はこう続く。

わが艦隊ついに出撃す
 敵は比島上陸に先立って、まず日本本土と比島とを結ぶ輸送路を遮断すると共に、わが航空兵力を減殺せんとして琉球、台湾方面に有力なる機動部隊を繰出したのであるが、しかしわが陸、海軍基地部隊の邀撃に遭い、みじめにその過半兵力を喪失して、十月十六日、一応遁走せざるを得なかったのである。
 ところが敵もさるもの、台湾海面における作戦失敗の局面は予め作戦中に想定していたのか、翌十七日に至るや、敵は別動の機動部隊をもって大胆不敵にも比島中央部のレイテ湾に向って上陸用兵員並びに兵器を満載した輸送船を伴って姿を現したのである。

 そして十七日以来レイテ湾に侵入した敵輸送船団、並びに護衛部隊に対する我が猛撃により大損害を受けたにも拘わらず、二十日、敵は遂にタクロバンに、また引続き翌二十一日にはドラッグに上陸し来たり、さらに有力なる機動部隊は比島海面に数群に分かれて遊弋し、比島重要都市に対する艦載機による反復爆撃を加えつつ、比島への本格的侵寇の機を窺っていたのである。

 「台湾沖航空戦」で大戦果を挙げたその翌日、壊滅させたはずのアメリカ艦隊がフィリピン方面に発見されたことで、戦果が”誤認”―『大本営報道部』(平櫛孝、光人社NF文庫)の記述を借りれば「いくら有利に見ても『空母四隻撃破』した程度だという結論」―であったことが確定したはずなのに、それが訂正されることなく、「予め作戦中に想定していたのか、(略)別動の機動部隊をもって」と記している。予備の艦隊まで引き連れられるくらいの兵力を持っていたら、戦争はもっと早く決着しているだろう。
 ”軍談”は続く

 この間、皇軍は陸、海軍戦闘機を放って、敵機動部隊を求めて果敢なる爆撃を加え、敵空母三隻、戦艦二隻、輸送船二隻、駆逐艦二隻をそれぞれ撃破し、大型輸送船一隻、駆逐艦一隻をそれぞれ撃沈するの大戦果を挙げたのであるが、しかし我が艦隊は依然、隠忍沈黙を続け、満を持して戦機の熟するのを待ったのである。
 しかし戦機はいよいよ熟し、勝機を掴むべき風雲は動き、わが艦隊は威風堂々比島東方海面に出動、そして二十四日未明に至るや、忽如として敵機動部隊の前面に出現、ついに日米艦隊決戦の歴史的火蓋を切ったのである。
 怒れる巨砲は一斉に火を吐き、基地航空部隊並びに艦上機の荒鷲は、敵艦を求め魚雷を抱いて相次いで悲壮なる体当たりを遂げ、水雷戦隊、潜水艦の活躍もまた実に目覚ましく、そして敵艦隊撃滅を期する海空艦隊の果敢なる挑戦に、敵は周章狼狽しつつも戦勢の挽回に努めつつある如くである。

 記事では空母・戦艦・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦・航空機、みな等しく活躍したと語られている。艦隊が活躍したストーリーを語るからには、役者には一通り見せ場がなければならぬ、と云う強い意思が感じられる。
 注意すべきは、「撃破」「相次ぐ戦果」とは云いながらも、まだ「敵艦隊撃滅を期する」の控えめな結論に留めている所である。一億国民が待ちに待っていた久々の艦隊出撃(当事者主観)で、敵艦をたくさん沈めていても(当事者判定)、勝ったとは云わない。慎重なのだ。
 そのため、続く文章も「勝って兜の緒を締めよ」式となる。

戦機を掴む秋は到来した
 米国太平洋艦隊司令官ニミッツは、台湾沖航空戦終了の後に「ハルゼー第三艦隊は、日本艦隊に待望の決戦を挑んだが、日本艦隊はついに出て来なかった」と語り、また米国海軍当局は「米国艦隊の一部は、はじめて日本海域において日本艦隊に挑戦したが、日本艦隊は決戦を避けた」と発表したが、しかし敵はいまこそ日本艦隊の正体をはっきりと見たであろう。「日本艦隊よ、出て来い」といったニミッツの招待状に対し、我が艦隊は今こそ無言の鉄槌をもって回答したのである。
 しかしこの赫々たる大戦果は、生易しいことで挙げられたのではない。銃後国民はここを十分銘記せねばならないのである。この戦果は全く皇軍勇士の体当たりの結晶であり、二十六日までに我が方も前掲のように航空母艦をはじめ戦艦、巡洋艦、駆逐艦に損害を受け、また未帰還百二十六機というような尊い犠牲を出しているのである。
 わが海軍は開戦以来すでに二年間、常に苦難と逆境に処しながら、ただ黙々として戦機の訪れるのを待ったのである。敵機動部隊のサイパン縞来寇に際し、わが連合艦隊の一部は出動したが、遺憾ながら敵に決定的打撃を与うるに至らず、涙を呑んで他日を期し、また台湾沖航空戦においては、輝く大戦果は収め得たが、戦機未だ完全に熟せず、戦局は反転して比島に移ったのである。そして大東亜戦争発生以来、最初の本格的艦隊決戦であり、世界戦史未曾有の空海呼応する大海戦が展開されたのである。

 今回の艦隊出撃の目的は、レイテ島に上陸を開始した米軍を叩きつぶす事にあったはずだが、それは達成出来ずに終わる。「無言の鉄槌」とは空振りのことではないのか、とあえて誤読をして見たくなる。
 「開戦以来すでに二年間、常に苦難と逆境」とあるが、開戦劈頭、全国が沸き立ったはずの真珠湾、マレー沖の凱歌はいったい何処に消えたのだろう。

「一機一艦」体当たりの結晶
 物量戦に関する限りにおいて、日米果していずれが勝つかを決定するものは、敵の恃む物量が、我に数倍する補給線の最大化に伴う消耗度を補ってなお且つ我を圧倒し得るか、或いは我はたとい保有物量の絶対量において敵に及ばぬといえども、しかもなお我が物量は内線作戦の利点を活用し得て、敵に対抗し得るに十分なるものを、好むとき、好むところに集中し得るかどうかという問題である。従って日本が勝つ途は、この内線作戦の有効性を活用し得るに足るだけの物量、とりわけ飛行機を保有することであり、それを造り送ることこそ銃後一億国民に課せられた責務である。
 いうまでもなく、戦場が立体化された近代戦においては、艦隊の主力をなすものは既に航空機となったのである。(今日、艦隊とは海上艦艇並びに艦載機、基地航空部隊、陸上海軍部隊等により構成されているのであり、従って艦隊決戦とは単に艦艇のみの戦闘ではなく、空母から舞い立つ艦載機も、陸上基地よりの飛行機もすべてが参加する戦闘であり、なお且つ航空兵力こそその主力たるべきものとなった)

 日本が勝つための前提=充分な数の航空機の製造と供給、それへの国民各位の協力が「責務」であると呼びかける。
 入り組んだ言葉で書かれているが、物量の総量でアメリカにかなわない事を(暗に)認め、少なくとも局面では「敵に対抗し得るに十分なる」物量を備えなければ戦争には勝てないと云っているのだ。
 こちらには内線作戦の利点がある、と強気に出ているが、「好むとき、好むところに」兵力を向ける主導権は、残念ながら敵側にあるので、殆ど勝つ見込はありません、と書いているようなものだ。
 「艦隊の主力をなすものは既に航空機となった」云々は、カッコ書き部分(原本では小さい文字を無理矢理押し込んである)を含め看過出来ない。「艦隊決戦」=「航空決戦」と、記事タイトル”艨艟出撃”を無意味にしていることになる。

 われわれは豪胆にも、群がる敵機動部隊の真只中に殴りこんだ我が艦隊の相次ぐ赫々たる大戦果を聞くにつけて、思い出すのは米内海相が今秋の議会において「我になお打つべき幾多の必勝方策あり」と述べた満々たる自信の言葉であり、また同議会の感謝決議に対し「決死必勝の妙策を練り、戦機に投じ驕敵を撃滅し、誓って聖慮を安んじ奉らんことを期す」との返電を齎した豊田連合艦隊司令長官の決死の誓いである。
 何という痛快なる戦果であろうか。何という大きな感激であろうか。しかし、われわれは絶対にこの戦果に浮かれてはならない。米内海相が「私は前線将兵の所望通りの飛行機を送ってやって、思う存分に活躍させてやりたい気持で一杯である」と赤裸に語ったあの言葉を忘れてはならぬのである。
 ガダルカナル以来すでに過去二年間、じりじりと押されて来た太平洋戦局を挽回して、日米戦の主導性を我が手に把握すべき勝機は、正にいま比島海面に発見されたのである。わが連合艦隊はすでに「一機一艦」の体当たり追撃戦を敢行している。銃後もまたこの勝機を逸せず、速かに戦力増強の追撃戦に挺身せねばならぬのである。

 戦果を強調しながら「浮かれてはならない」という。”喜ぶ”のも駄目なのか、本当は戦果なんか挙がってないんだろう、と問い詰めたくなる。
 人間、見たいモノしか見ないと云うが、当時の人は「大戦果」のトコロだけを見てしまっていたのだろうか。
 「艦隊決戦」が「航空決戦」となるだけでなく、航空機での戦い方も変わる。米内海相いう「必勝方策」、豊田司令長官の「決死必勝の妙策」、すなわち「一機一艦」の体当たり攻撃の開始を宣言し、国民には飛行機増産を(しつこく)呼びかけ記事は終わる。
 ”艦隊”主力が航空機であるとまで述べ、比島に勝機を見出した翌週の『週報』(420号11月8日付)は、何が記されているのか?
 現物は手元に持ってないのだが、「アジ歴」(アジア歴史資料センター)公開資料が自宅で読めるのである。世の中便利になったものだなあと一読すると、

神風特攻隊出撃す 大本営海軍報道部

 台湾沖航空戦における皇軍の圧倒的戦果にも拘わらず、敵は反転して比島海面に、太平洋艦隊の総力を結集して殺到し、すでに約四個師団の兵力をレイテに上陸せしめたのであって(略)しかも万一にも比島を敵手に奪還されるが如き場合発生せんか、わが本土防衛要線の一角が崩れると同時に、日本と南方占領地帯との輸送線が妨害される結果は、わが戦争遂行能力に重大なる支障を来すことはいうまでもないのである。
(略)

 主要記事は「カミカゼ」である。”艨艟”なんぞ、もうドーでも良くなっている。
 それでも台湾沖航空戦は未だ「圧倒的戦果」と書かれているが、「にも拘わらず」と、そこでの戦果が無意味となった認識を表出している。フィリピンが取られれば大変な事になってしまう危機感が語られているが、「すでに約四個師団」が上陸ずみと云うのでは、その後の戦局を知る目で見ると空しいばかりだ。

 しかしてその勝機を掴み得る唯一の鍵が航空機であるとすれば、一億国民は全力を傾倒して航空機増産にひたぶるに努めなければならぬ。
(略)

 そして出て来る「航空機増産」の呼びかけ。

 日本一億の国民がそれぞれの持場々々において、敵アメリカ国民に負けたなれば、いかに前線勇士が奮闘しようともこの戦争に勝つことは出来ない。即ちわれわれ一億国民がそれぞれの持場々々において、同じ持場における敵アメリカ人を圧倒し得たときに、日本の勝利がはじめて期待されるのである。さあ頑張ろう。頑張らねば、神風特別攻撃隊の英魂に申訳ないではないか。

 日本の勝利条件が、ちょっと変わる。
 必要な場所に必要な飛行機を送る、いわば数の話ではなく、国民各自がそれぞれの「持場」で、同種の「持場」を受け持つアメリカ人を(生産高/生産性で)圧倒しなければ、前線がどうあろうとも「勝つことは出来ない」―圧倒してはしめて「期待」の段階に立てる―と云い切っている。
 昨今の、”日本のホワイトカラーの生産性は欧米に比して低い”的言説を思い出すと、なかなか味わいのある文章ではないか。

 次の週(421号11月15日)でも、海軍の威勢の良いけど”勝てる”言質は取らせぬ言葉は続く

国運賭す比島決戦 大本営海軍報道部

 (略)台湾並びに比島海面の空、海戦において我が軍の収めたる戦果は、全く世界歴史に類ないほど大きなものであり、従って敵はそれぞれの戦闘において、疑いもなく深刻な打撃を蒙ったのであったが、しかしその打撃の故に、敵が比島を放擲するなどと考えるのは、飛んでもない早計である。恐らく敵は、叩かれても叩かれても、なお且つ執拗に比島奪還作戦を反復敢行するものとみなければならない。なぜなれば、敵の恃む物量は、これくらいの消耗は十分補充し得て、しかもなお且つ、我に挑戦し得るに十分なるほどに強大であるとみなければならぬからである。

 「世界歴史に類ないほど大き」い戦果を挙げていても勝ってないのなら、敵の恢復力=物量よりも、わが”戦果”そのものを疑うべきだと再三思う。書いている人も、添削する人も、声には出さぬがそう思っていたと信じたい。

 即ち、われわれは、昨年十一月上旬に六次に亘って戦われたブーゲンビル島沖航空戦において、我が軍は空母十一隻を含む敵艦艇撃沈破九十三隻という圧倒的大戦果を挙げ、引続く十一月中旬のギルバート島沖航空戦においては、空母十一隻を含む敵艦艇撃沈破三十二隻という壊滅的打撃を与えたにも拘わらず、その僅か二、三箇月後の去る二月中旬には、敵は完全に戦力を再建してカロリン、マリアナ海面に対して、極めて大規模なる侵襲を試み来った事実や、さらに去る六月中旬敵のサイパン上陸に際し、敵機動部隊はマリアナ海面において空母十三隻を含む撃沈破三十九隻以上という莫大なる損害を満喫しながら、その僅か一箇月後の七月下旬には、さらに大宮島(註グアム島)、テニヤンへと息をも継がせずに厖大なる物量攻勢を敢行し来った事実等を、われわれは眼を見開いて静かに正視しなければならぬのである。

 「圧倒的大戦果」を挙げ、「壊滅的打撃」を喰らわし、「莫大なる損害を満喫」させ、フィリピン以前で敵空母だけでも35隻を撃沈破(比島での最初の戦果を入れれば52隻)してもなお、敵の攻勢は止まない。
 「眼を見開いて静かに正視しなければならぬ」のは、敵の物量ではなく、我が渾身の攻撃が殆ど効いていないと云う事実なのだ。行間を読み解いて欲しい想いがひしひしと伝わってくる。

(略)したがって比島作戦の帰趨こそはも正に日米決戦の大勢を決定する天王山である。しかもその天王山の決戦場は、今やレイテ島の攻防を繞って比島周辺において展開されている。この故にこそレイテ方面の攻防戦は断じて勝たねばならぬ千載の一戦である。
(略)

 この言葉に乗せられ、フィリピンで陸軍は痛い目にあう。フィリピン人もまた悲惨を見る。高下駄で竹馬に乗り、高跳びをすれば、転んで怪我をするのが道理である。
 それでも「やる気」だけはアピールし続けないといけない。

 いま一億起たずして、いつの日か日本民族蹶起の秋があろう。お互いにいうをやめ、黙して全努力を傾け盡し、戦力の増強に心魂を打込まねばならぬ。勝つも負けるも、皇国二千六百年の運命を決定する鍵は、われわれ一億国民の掌中に握られていることを、われわれは今こそはっきりと認識せねばならぬ。われわれは断じて勝たねばならぬ。そして日本が勝ち得る唯一の途は、一億国民が一人残らずそれぞれの持場々々において、すべてを 天皇陛下に捧げ盡して、ただひたぶるに全身全霊をぶちこみ、全力を傾注すること以外にはないのである。

 「お互いにいうをやめ」、大いに云い合っていたのだろう(もちろん報道はされない)。加重なノルマをいかにして達成させるか、革新的な創意工夫が無い以上、従業員もとい国民各位に一層の頑張りを求めるしかない。日本の運命は、”双肩に担う”のではなく、「掌中に握られる」までに縮んでしまったのだ。

 この先どうなってしまうだろうとワクワクしながら『週報』422号(11月22日付)を見て驚く。
 今まで海軍報道部がメインの記事を書いていたのだが、この号は陸軍主導となっているのだ。

柳州潰え 桂林陥つ 大本営陸軍報道部

 フィリピンが大変なことになっているはずなのに!

(略)洋上に遊弋機動する大艦隊、その威力たるや、今さら呶々を要しないであろう。すなわち、サイパンもテニヤンもそして大宮島も、敵の誇る第五十八機動部隊猛攻の前に、次ぎ次ぎと万触の恨みを呑んで潰え去ったのをみても明らかである。
 しかしながら戦艦といい空母といい、その数いかに大なりといえども、結局それは洋上に浮かぶ船の集団に過ぎない(略)

 これはひどい(笑)! 
 三週にわたり海軍報道部が血涙で綴った記事をアッサリ放擲している。海軍報道部が激怒すること必至だ。しかも続く文章では、陸軍は支那大陸へのアメリカ侵攻の企図を挫き、日本の背後を護っているのだと自画自賛までしているのだ。

桂林の空はレイテに連なる

(略)今や彼我の武力戦、生産戦は最高潮に達し、レイテをめぐって白熱の閃光を南溟の空に映じ出しているのである。
 この機、この秋(とき)右剣は大陸において、敵の肩から斜めに一刀深く斬り込むことに成功した。敵の大陸において喪失した基地群は、瞬転してわが好個の基地群と変じ、ここに東南支那、台湾、比島を有機的に連繋する堂々の航空勢力圏は、その威容を整うるに至った
 大陸の空は海洋に通ず。桂林の空はそのままレイテに連なっている。(略)

 海軍は撃沈破した船の数を誇り、陸軍は確保した基地を以て「航空勢力圏」を打ち立てたとする。
 「空はレイテに連なって」いるだろうが、桂林は台湾高雄よりちょっとばかし北方にある。そこからフィリピンに飛ぶにはちと遠くはないか。マリアナ方面から来るだろうB29を防ぎ止めるとも一言も云わない。やっぱり安心出来ない。それどころか

 さりながら、戦いはいよいよこれからが本格的様相を呈するのであり、わが方もあらゆる面において艱難の度はますます苛烈深刻の度を加重するものと推察される。台湾、南西諸島にも再び、三度、敵の猪突的な攻撃が反復されることも予想され、内地の大都市が現在のベルリン或いはロンドン、近くは那覇の如き焦土と化することのあるべきもまた当然予期せらるべきであろう

 このように、おそるべき事が記されているのだ。
 19年11月24日より、東京もB29の空襲を受けるようになる。海軍報道部が、日本勝利の大前提として、アメリカ人以上に生産量・生産性をあげねばならぬ銃後国民の「持場」と、そこで働く者の命が次々に失われる日々が始まる。
 今の目で記事を読めば喜劇である。その結果に思いを馳せれば悲劇でもある(所詮は”k”と”h”の違いに過ぎない)。
 負ける現実を認めたくない”空気”が、これらの珍妙な文章を生みだしていることは疑いようが無く、そこに至った戦争指導者は断罪されてしかるべきである。その下僚も、ゲタ履かせ竹馬に乗せた言葉を流した事実において批判は免れない。
 しかし、これを茶番扱いした自分が、その時その場のしかるべき職制に置かれ、さあ書けスグに書けと指示をされ、「出来ません」と堂々云えるのか? 云わないと思う。国民の士気崩壊を食い止めるため、ハイヒールでも”ジャンピングシューズ”でも履かせてやろうと考えるに違いない。

 彼我の現実が見えぬまま、一途に進めば行く手は危うい。
 上は国の政権・政策から、末は晩のオカズまで、お互い健全な意見・ツッコミを入れ、ニッコリ笑って受け(流せ)るくらいの余地はあった方が良い。
(おまけ)
 富永謙吾『大本営発表 海軍篇』を、何年か前に買っている。
 「こんなこともあろうかと」読み返して補強材料に使おうと思ったのだが、久しくこの手の文章を書くことがなかったので、駄本の海に沈没させて久しく、肝心なところで役に立たない。
 そう書いてしまえば、三日後くらいに出て来るんぢゃあないかと信じている。