「万年電気アイロン」で74万5千おまけ
このウェヴサイトは、戦前・戦中の通俗的な兵器・軍事雑誌記事を紹介するところから始まっている。しかしウケが取れなかったのと、毎月更新のノルマを手早く果たす必要にかられ、広告記事・カタログ小冊子の「紙モノ」全般、ネタになりそうなら何でも買っちゃうくらい、この数年無節操になって久しい。
節操はないが、印刷物から逸脱するモノには手を出さないようにしている。理由は簡単、立体物はキレイに積み重ねられないし、無理に積み上げれば崩れて剣呑だからだ(本、冊子なら平積み1メートルは大丈夫である)。
ところが、そうも云ってられなくなる。
片渕須直監督が、マンガ『この世界の片隅に』(こうの史代、双葉社)をアニメーション映画にすることになり、協力を求められたのだ。
初めのうちは、手持ちの本や江戸東京博物館の図書室にある、むかしの生活に関する本から記事や図版をコピーして返答するレベルで済んでいたのだが、戦時中の歯磨き粉ってどんなモノだったのか? との問いに、答えられるだけの資料が思い付かず、ならば現物を探すまでと骨董屋の扉を叩くことになってしまったのだ(歯磨き粉の話は、監督が書いた記事があるので略す)。
今でも(探せば)「現物」が手に入る事に気付くと、買っておいた方が良いと思うモノが出て来る。絵にするんなら実物の手触りだの重軽を知っている方がウソはなく、知っていればこそ巧くウソもつけるはず。そんな考えで、「現金」「焼夷弾」「お湯を入れる陶器のアイロン」は手に入れてやろうと密かに決める。
「現金」と「焼夷弾」は骨董市に通って確保、監督のもと無事に「供出」。アイロンは見つけられぬまま映画の方が出来てしまった。
しかし、探索の過程でこんなモノを手に入れてしまう。
陶器製「電気アイロン」
後ろから見る「アイロン」
底も陶器なのだ。
「東京 万年電気会社製」
骨董屋のオヤジが、「代用品なら、面白いモノがあります…」と出してくれたもの。
これは珍しい、凄く面白いと手放しで褒めちぎってしまったばかりに、買って帰らないと収まりがつかなくなって、大枚はたくハメに陥ってしまったモノ。馬鹿だ。
マンガにも出ない(そして安くもない)モノをなんで買ってしまったのか?
実はこんなチラシを手に入れていたのだ。
「せとものの電気アイロン」
せとものの電気アイロン
実用新案第176919号
意匠登録第55228号
万年電気アイロンの特長
名実共に万年アイロンの出現
▲科学の粋の硬質陶器製として堅牢無比、万年錆たり、汚れたりする事絶対に無く、之れが特許の重要点で有ります!
▲彩色自由の蒔絵を散らして体裁頗(すこぶ)る優美全く好個の芸術品!
▲永久不変、同じ按配に滑り申し分無く且つ非常に良く効き、生地を絶対に傷めません
▲熱度は自動的に調節されて、焼け過ぎ全く無く従って焦げる心配無用、面白い様に早く熱が乗り不思議な位醒めません、而かも要する熱量は他の半分で済み一石二鳥の経済です
▲金属性(ママ)アイロンで困り抜くラシャ地等に直接掛けても生地の光る事絶無、之本器の最も誇る特長で使用の方は皆絶賛されて居ります
▲殊に本器の特長は携帯至便使用中受台要らず立置く事の出来得る重宝は本器の意匠登録としての重要点!
▲思う様に絵画、詩歌、銘、など焼付けて麗美ですので各景品・賞品・記念品・プレゼント等には各家庭の必需品ですから全く理想的良品です
▲構造簡易とて金属性(ママ)の至難の分解修理はどなたにでも簡単に出来て手間暇要りませんのは又本器の特長です
各家庭に是非一台を
発売元 東京 明治商工社営業部
定価 蒔絵入 金壱円也、白地 金八拾五銭也
特に本器は 参百個以上御注文の節は御自由に御指定通りの絵画、詩歌、店銘等の焼付の御用命に応じます 参百個以上はサービスとして特別割引致します
チラシで見た商品の現物が目の前にある。
手持ちのアイロンが壊れていた折でもあるから無駄にはならぬ、ネタにも使える(重要です)! 買う理由はナンボでも思い付くものだ。
チラシ文面を読むと、古道具屋のオヤジが云う、金属アイロンの「代用品」ではなく、むしろ「新素材」として売り出していることがわかる。一昔前なら「セラミック電気アイロン」と銘打たれるだろう。さらには素材を生かして自由に染め付けを施し、ノベリティ・グッズにも使えると云う(もらって嬉しいかは別だが)。
戦前の電化製品は高い、と云う思い込みがあるせいか、蒔絵入で1円(戦前2−3千倍換算で2、3千円)は安い。これを仕入れ値と見て儲けを乗せても、庶民の手の届かぬ値段ではないだろう。電気アイロンは二台目・買い換え需要が見込めるほど、棒給生活者家庭に普及していたと見てよいのか。
意匠登録の記録を見ると、「七、三、一八」「六、一一、二七」の日付(年、月、日)がある。商品として世に出たのがこの2−3年後としても、昭和12年より前だ。このアイロンは「代用品」ではない。
意匠登録「55228」(一部)
兵器からグラビアアイドルまで、好きなものを写真や映像で手許に置いて愛でる人は数知れない。生い立ちから為しえただろう仕事まで、諳んじられる人も少なくない。模型や「グッズ」を山と持ってる人も多かろう。
しかし、その「現物」を手にする機会は案外限られるものだ。たとえばアイドルと握手をし、言葉を交わすことは出来ても、つい持ち帰ってしまった、さあどーしたものかと悩む事は、まず無い(当人・持ち主の同意なく持ち帰るのは犯罪と見なされる可能性があります)。
「広告」と「現物」がたまたま揃った、それが嬉しいのである。
とは云うものの、いざ使ってみようと思うと、総督府にある電灯ソケットは便所と電気スタンドだけ。どちらもアイロンがけが出来る空間は無い。プラグを出してコンセントに差せないことはなさそうだが、下の写真の通り、抜く時に感電しそうでコワい。
ソケットねじ込み部分を分割したところ
と云うわけで、未だに使用するに至っていない。
「情報」と「現物」が揃って何を得たのか?
毎度のしょーもないコンテンツが一つ。「いつかネタに使える」から「もうネタにしてしまった」と価値がすっかり逆転しまった「オブジェ」。そしてブツをどこに転がしておくかの悩み。そこまでやらねばならんかったのだろうか、との「反省」である。やっぱり馬鹿。
(おまけの感慨)
映画が出来て良かった。
いろいろ賞がいただけて良かった。
良かった「ハズれないで」。
…しかし、自分のやった事がどう役に立ったのか、さっぱりわからぬ(笑)。それでも「支えた人々」になったことは素直に嬉しく思っている。