消火弾広告で74万6千おまけ
火事が怖い。
総督府に野積み山積みされてる紙屑が(いっそ綺麗に無くなってくれればいいのに、と思うことはあるものの)、烏有・灰燼に帰するのは、想像すらしたくないし、今宵の寝床がなくなるのは単純に困る。出火元だけは何とか避けたいので暖房器具は入れない。タバコも台所で吸うよう心掛けている。
近所でボヤが出た事がある。
部屋がほのかに煙たく感じられ、近所が騒がしくなって近場が燃えているんぢゃあないかと外に出ると、3軒ばかし隣の風呂場あたりが火元のようで、隣近所の人が庭の水まきホースを総動員している。その水量の少なさを見て、総督府のアパート備え附けの消火器を持ち出して、一撃喰らわしてやるがマトを微妙にはずして消しきれず、バケツの水を何度かぶつけて鎮火させたところで、消防自動車が到着したのであった。
消火器の使い方はマスターしといた方がいいなあ…と会社の入っているビルの防災訓練に出るたびに思うのだが、使ったのは結局その一度きりである。
半ば<付喪神>と化した旅館の廊下に、「消火弾」なるモノを見ることがある。ガラスびんの中に消火剤が入っていて、火元にぶっつけて消火させると云うものだ。
その「消火弾」のチラシを古書市で見つける。
資源を護れ防火報国に邁進する佐武製強力消火弾
文字ばかりのチラシを文字で紹介すると、ただでさえ少ない読者がさらに少なくなるので、「消火弾」の絵を拡大して賑やかしに使う。
赤色なのだろうか
「佐武製強力消火弾発売元 帝国防火協会関西総支部」配下、兵庫県支部名義のチラシである。いわく
火災に依る損害 年額 貳億円
日日の紙上に火災の記事絶ゆる事なく、災の中にも火事は最も悲惨にして時に貴重なる人命を失い、巨万の財宝も一瞬にして灰燼に帰せしめ、莫大な資財が焼失される事は時局下に於て寒心に堪えません、恐るべき火事もお互いの注意と防火設備の完備によって未然に防止得られます
護れ! 全国土を 恐るべき火災より
備えよ! 消火弾 一物たり共灰にすな
科学消防の精華として生れた佐武製消火弾は既に幾百回の実際出火に奏効し、其の効力は絶大なる感謝を以て認められて居ります 過去の貴重なる実績と倦まざる研究により一般消火器として最も理想にして斯界の権威たるのが佐武式強力消火弾であります
五大特長
・婦人や子供にも手軽に使え然も人畜に無害なる事
・容器がアンプール製なる為効力永久なる事
・漏電ガソリン其他油類にも効力偉大なる事
・価格は最も低廉にして維持費を要せぬ事
・焼夷弾等高熱度延焼にも効力ある事
定価 金参円 也
「焼夷弾」とあるところは時代ですね。
使い方は以下のとおり
使用方法
1)スハ火事と云う場合 火焔の最も烈しい所へ強く投げ込めば 容器が破れて中の薬液が火熱の為め不燃性瓦斯となり 猛火も一瞬にして消します。
2)投弾の際は なるべく固体物を目掛けて投げつけ 容器が破れ液が完全に火焔に掛かる様にする事
3)出火の場所が 漏電或はエンジン其他投弾に不適当の場合には 容器の上部を破壊して直接液を振りかける事
4)燃焼物が油、綿、薬製品等にて直接の投弾不適当の場合は 他の容器に割り約三倍の水に溶きたる薬液を投げかける事
5)燃焼場所が軒先、外壁、屋上等にて不燃性瓦斯の利用困難なる場合は 八倍、乃至十倍の水に溶きたる薬液をバケツ等にて強く猛火に投げ掛ける事、消火弾の容器を割りたる薬液の効力は永続しません。
「消火弾」の字面だけで、その性質を理解したつもりになっているから、あらかじめ割って出した薬液を薄めてバケツで掛ける使い方が堂々明記されている事に驚く。もちろんチラシであるから、「割れたアンプール片により怪我をする虞があります」なんて事は絶対に書いてない(笑)。
後述するが、本チラシには消火弾の事例が掲載されている。その最新の日付が<昭和15年10月24日>である事から、この紙は昭和15年末頃に印刷・配布されたものと推測出来る。帝国日本が対米英戦に打って出る約1年前だ。そこで気になってくるのは、消火弾が焼夷弾に対してどう立ち向かうかだ。
焼夷弾落下には
焼夷弾は一秒を争います、濡蓆(むしろ)にて覆い 前記の如く溶きたる薬液を濡蓆の(延焼の)虞れある所に振り掛ければ延焼を防止得られます
当局が推奨する、<濡蓆>の面子をつぶさぬよう気を遣っているようで、読んで面白いものではない。
先に述べたが、本紙には<最近ノ消火実例ノ一部>が14も載っている。
「最近ノ消火実例ノ一部」の一部
事例表題は、
光学精機製作所ヨリ発火
自動車工場ヨリ出火
オート三輪車ノ出火
隣家ヨリ出火
工場油槽ヨリ出火
フィルムノ自然発火
ガソリンヨリ工場出火
花火ニテ藁屋根出火
鶏舎ヨリ出火
醸造工場ヨリ出火
勝手元ヨリ出火
漏電ヨリ出火
自動車ヨリ出火
二階炬燵ヨリ出火
となっているので、火災原因が記載してあるように見える。しかし文章自体は「消火弾に対する礼状」の体裁を取っているため、火元が書いてある程度の意味しかない。とは云え、「花火ニテ藁屋根出火」の花火が、出征軍人見送りに打ち上げられたものだったり、「自動車ヨリ出火」が木炭自動車のバックファイア火災であるなど、<昭和15年の火災実例>と考えると、味わい深いモノはある。
「最近ノ消火実例ノ一部」の一部
以下に各事例の全文をあげる。ただし礼状日付、報告者・団体名の前に記載されている住所は略す。また本文中にある住所も一部を伏せている。文章は短いので句読点を補うことはしていない。
最近ノ消火実例ノ一部
光学精機製作所ヨリ発火
昭和15年9月5日午前9時50分蒲田区今泉町■■■番地杉藤光学精機製作所ヨリ発火シ同工場ヲ全焼シ隣接アパート「ヤヨイ荘」ニ延焼セントスルヲ貴協会ヨリ買入ノアンプール式消火弾20個ヲ投ゲ付ケタル処延焼ヲ免レタリ
鈴木相之助商店
アパートを消火弾で守りきった例。とは云え火元の工場は全焼しているし、20個も投げないと効果がないのかとかえって不安になる。ガラス片の後始末は大変だったろう。
自動車工場ヨリ出火
昭和15年10月24日午後3時頃当工場ニ於テ作業中洗油ヨリ発火大事ニ至ラントセル際帝国防火協会製造ニ係ルアンプール式消火弾2個使用完全ニ消火セル事ヲ証明ス
吉田自動車修繕所
洗浄用油火災を2個で鎮火。先のアパート延焼防止の「20個」は火元の工場が全焼するほど火勢が強かったためか?
オート三輪車ノ出火
昭和15年6月25日東京市蒲田区新宿町田島運送店オート三輪車ヨリ発火セルヲ帝国防火協会ヨリ買求メタル消火弾ニテ一撃ノ元消火セリ
「一撃」だから1個だろう。
隣家ヨリ出火
今般私事昭和14年7月22日帝国防火協会ヨリ買入レタ消火弾ニ依リ15年7月26日隣家澤田又右ェ門宅ヨリ出火セシ際早速馳セツケ消火弾ヲ猛火中ヘ投ゲ込ミタルニ忽チニシテ消火セリ 其ノ効力偉大ナル事ヲ証明ス
澤田英市
「猛火」も「忽ち」消火。ただし何個使ったかはわからない。
工場油槽ヨリ出火
昭和15年6月23日午前11時48分頃名古屋市南区鶴見通リ3丁目2033番地名古屋調質工業所内第一工場油タンク長サ18尺巾3尺深サ4尺ヨリ発火シ一面猛火トナリタル時帝国防火協会ノアンプール式消火弾21個ヲ使用シ完全ニ消火セル事ヲ証明ス
名古屋調質工業所
これはアンプルを割り、出した薬液を使ったのだろう。投げたはいいが沈めてしまっては意味がない。21個は多めに割ったと云うことか。
フィルムノ自然発火
昭和15年8月16日午後9時50分頃当工場事務所二階物置室ニ在リシ古フィルム夏期炎熱ノ為室温上昇シ自然発火シ他ニ延火セシ処ヲ発見予テ備付アリシアンプール式消火弾1個ヲ投入鎮火シ大事ニ至ラザリシハ消火弾ノ効力偉大ナリシモノナリ
右事実ナリシ事ヲ証明ス
松田工場 松田健壽
セルロイドの自然発火によるボヤ。火が拡がる前に消し止められたもの。1個使用ですめば安いものだ。
ガソリンヨリ工場出火
昭和15年6月12日午後2時頃津山市田町松田自動車修理工場ニ於テ岡第589号自動車修理中ガソリンニ引火既ニ天井ニ延焼セントセシ際予テ防火用トシテ設付アリシ帝国防火協会配給ノアンプール式消火弾ヲ使用シ大事ニ至ラズ消火ニ効力有リシ事実ヲ証明ス
津山市警防団 常備消防部 機関長 角田教夫
「警防団」(いまの消防団の前身にあたる)によるお墨付きだ。「既に天井に延焼せんとし」と書いてあるが、車の空タンクに残っていたガスが一瞬燃え上がった所を、大袈裟に書いた疑念はある。
花火ニテ藁屋根出火
帝国防火協会アンプール式消火弾
昭和15年6月7日出征軍人見送ノ為メ花火ヲ打チ揚ゲシ処当日西北風強ク現場ヨリ4丁離レシ布袋町下山政木太郎吉方藁屋根ニ花火ノ火ノ子落下連日ノ乾燥ニ火ハ見ル見ル内ニ拡ガリ正ニ大事ニナラントセシ所ヲ発見セル団員ハ数個ノ消火弾ヲ容器内ニ割リ火焔ニ撒布セシ所見事ニ消シ止ムルコトヲ得タリ茲ニ偉大ナル効力ヲ証明スルト共ニ感謝ノ意ヲ表ス 使用数11本無料補給ヲ受ケタリ
愛知県丹羽郡布袋町 警防団長 兼村常吉
これも警防団からの感謝状。
「出征軍人見送り」の花火が、藁葺き屋根火災の原因となった事が明記されていて面白い。使った弾をタダで補充してもらえたのは、原因が原因だからか。
鶏舎ヨリ出火
今般私邸ニ於テ昭和15年5月22日購入仕候消火弾ニ依ッテ購入ノ当日午前8時頃隣家大塚加三郎宅前鶏舎ヨリ発火セシ際早速消火弾ヲ持ッテ馳セツケ猛火ノ中ヘ2個投弾セシ見事ニ鎮火セリ 茲ニ消火弾ノ効力甚大ナル事ヲ実際ニ於テ証明セリ
愛知県丹羽郡西成村 警防団部長 増田善市
やはり警防団より。消火弾「購入の当日午前8時頃」発生した火災に役立ったと云う。いったい何時に購入したのやら。
醸造工場ヨリ出火
昭和15年5月19日午前9時30分頃静岡県志太郡岡部町■■■■醤油醸造業斎藤達次氏方(アミノサン)製造工場ヨリ出火シ自分ノ馳付タル時ハ屋根裏全部ニ火ハ廻リ如何トモ致方ナキガ持参シタル「アンプール式消火弾」3個ニテ完全ニ消火セリ
建坪 間口6間 奥行3間18坪 屋根亜鉛板 平屋根
静岡県岡部町警防団長 村松新司
「屋根裏全部に火は廻り」「致方なき」時でも消火弾3つで完全消火だ。広告文面とは云えスゴイ(実は焼け落ちてたりして…)。
勝手元ヨリ出火
1、アンプール式消火弾
右帝国防火協会製造ニ依ル消火弾ヲ貴社ヨリ買イ受ケ町内全部ニ所持致シ居リ候処昭和15年5月20日小生南隣近藤靴店ヨリ発火シ火焔ハ屋上ニ延ビマサニ大火ニ至ラントシタ時前記消火弾ヲ2個投ゲ付ケタル処見事ニ消火シ其ノ効果ノ絶大ナルコトヲ実験シタルコトヲ証明候
岐阜市真砂町十丁目下組 町総代 浅野孝
町ぐるみで消火弾を備えたところもあったようだ。「まさに大火に至らん」火焔が2個で消火。火は小さいうちに始末するに限る。
漏電ヨリ出火
帝国防火協会アンプール式消火弾
昭和15年4月11日新布袋町町(ママ)鶴見常十方二階ノ「スイッチ」ヨリ漏電出火セシ処発見ト同時ニ逸早ク前記消火弾ヲ近所ヨリ持チヨリ連続投弾見事ニ鎮火セシメタリ茲ニ偉大ナル効力ヲ証明スルト共ニ感謝ノ意ヲ表ス 使用数7個也
愛知県丹羽郡布袋町 警防団長 兼村常吉
花火火災の実例と同じ報告者である。近所からもかき集め「連続投弾」。一人の投擲者がホイホイ弾を受け取って投げるのか、複数で一気に仕留めにかかるのか、そのあたりはどう指導されていたのか気になる。
この町も広く消火弾を装備しているようだ。
自動車ヨリ出火
昭和15年4月13日午前7時半頃津市丸之内国道上ニ於テ当会社ノ第3346号木炭自動車ガバックファイヤノ為ニ「エンジン」ノ火ヲ発シ道路ハアスファルトデ土砂ハ無ク大事ニ至ラントスルトコロ帝国防火協会ノ「アンプール式消火弾」ニ依リ完全ニ且ツ機械ラ何等ノ損傷モナク消エタリ尚コレニ使用セル2瓶ハ無料補給ヲ受ケタル事ヲ感謝ス 右証明候也
三重交通運輸株式会社
木炭自動車も「バックファイア」していた事に感動。路面がアスファルト舗装されていて、消火用の土砂が得られなかったと語られているのも興味深い所だ。使った2つを無料で補充してもらったのは、「礼状」寄稿の礼金に違いない。
二階炬燵ヨリ出火
1,アンプール式消火弾
昭和15年1月9日午後8時頃二階ヨリ出火シ大事ニ至ラントセシ際予テ購入シアリシ消火弾ヲ使用セシニ見事消火ニ効ヲ奏シ二軒長屋ノ二階ノミニテ消火シ当小劇場ニハ何等ノ損害蒙ラザリシハ偏ニ消火弾ノ効力絶大ナリシコトヲ茲ニ証明ス
岐阜市小劇場 楽天地 柴田光治
自家ではない所に使用しているせいか、二軒長屋の二階を焼いたものの自分のところは無傷なので、「効力絶大なり」と請け合っている。
以上見た通り、火事の原因はさまざまだが、一つくらいはありそうな「放火」が無いのは、<戦時下>にそんな不届き者はいない! 事にしているからなのだろう。
火事は怖い。
火を出さぬよう気をつけていても、酔って帰って茶の一杯も淹れようとヤカンを火に掛けたまま寝てしまった事が二度ばかしある。夜中に目が覚め、空になったヤカンの下で燃えさかるコンロの火を見た時の怖ろしさは、<絶叫マシン>が底抜けに落ちていく時のようであった。
酔いつぶれて寝るのも怖い。