正体不明の木製筆箱で75万3千おまけ
帝国日本を盤石とするには、”国家総力戦”に堪えうる国力の涵養が必要だと、アタマの切れる軍人が色々と策動(満洲事変)したのは良いけれど、ウカツにも戦争を始めてしまい(支那事変)、いよいよネジ巻いていかなきゃあと、いろいろ施策を打ってみたものの(国家総動員法・産業統制・大政翼賛会など)、うまく行かぬは英米が悪いと”逆ギレ”し(大東亜戦争)、国が滅びてしまった…と云うのが、自分の見立てである。
そのおかげで国民生活は窮屈になり、生活物資はとかく不足して…と教科書的記述は続くわけだが、それだけでは、どう暮らしていたかイメージしづらい。そこで回想録から、小説・マンガの物語、役者による「ドラマ」が需要/供給され、当時の文物が「ネタ元」として注目されるに至る。博物館・資料館の価値がそこに見出されるのだ。
こうまとめると、わが「兵器生活」が高尚な仕事をやってるように感じられる読者諸氏もあろうが、なに当時の記事を読むが楽しく、現物が残っているに驚くだけのコト。
今回も笑って読み捨て願い上げ奉る次第。
古道具屋で、こんなモノを買う。
桐空軍模様吹付筆箱(仮称)
セルロイドの筆入れが並ぶ中、ぽつねんとあった木製の筆箱だ。安いものではないが、これでネタが一つ、現物だから余所様の文章をキーボードで打ち直す手間も省ける(笑)。
蓋を開いてみる。
蓋を開く
中はガランドウ。仕切りの類はまったく無い。エンピツの芯が当たって黒くなったところがあって良さそうだが、そう云う汚れは無い。未使用のまま店に流れてきたようだ。
横から、下から見る。
経年変化か蓋はピタリと合わさらぬ。側面にも青色を粗く吹き付けてある(塗料を倹約しているのだろう)。
嵌合部を拡大してみる。
本体の一部を拡大
蓋がずれないように、板一枚留めてある。釘は使っていない。
フタをしたあと、ベルトか紐で上下を結わえておかないと、カバンの中に鉛筆をバラまいてしまうだろう。出来たばかりの時は、しっかりと閉まるようになっていたのかもしれない。
模様をじっくり見る。
双発機の模様
三機編隊を描こうとしたと云うより、一機の型紙を適当に動かして色付けしているように見える。一機欠けてるのは、あまりにも近すぎて画のバランスが悪くなるからだろう(実機ならアクロバット飛行か接触の領域だ)。
この飛行機が四発―B29を模した―モノだったりすると、ミリタリテイストの文房具どころか、銃後日本人の商魂のしたたかさを示す資料になってしまい、別な意味で価値が出る(笑)。
風呂カマドの焚き付けになってもおかしくないモノが、現存している物珍しさ(とネタ欲しさ)に買ってしまったが、その当時、品物としてもらって嬉しいモノかは、正直なトコロ微妙だ。もう少し丁寧に色づけしてもらいたいと思う。美のない生活は駄目だ。
昔の記事や広告をネタにする場合、文章を一字一句(タテをヨコなどはするが)、キーボードでの打ち込みが必要で、この手間は馬鹿にならぬ。「現物」の場合、その手間は省け見栄えもあるから(置き場所を考えなければ)結構づくめなのだが、それがいつ、商品として製造・流通・使用されていたかを語るのが、極めて困難になってしまう悩みがある。
筆入れの原料でもあったセルロイドは、昭和16年に「セルロイド生地統制株式会社」、「セルロイド屑統制株式会社」が設立され、民生品が出回らなくなったと云う。この、断片的に過ぎる知識で、この筆箱はそれ以降に製造・販売されたものと推定は出来る。しかしそこから先、これが昭和の17年製造か20年製造なのかを語れるのは、作り主・売り主・持ち主(骨董屋に行く前の)当人と、彼らが残す文書しかない。それらが失われてしまった以上、この筆箱は「昭和前期」、50年先なら「昭和時代」の十把一絡げで博物館の倉庫行きが確定だ(主筆の死後)。
そう云う現実に立つと、書籍の奥付にある発行日―現行の新刊書籍のそれは厳密とは云えないが―や、商品カタログの「何年版」などの記述は、地味な存在ではあるが、それが今のものなのか、親や祖父母の代のモノなのかを、ハッキリと示す大事な指標であることに気付く(ゆえに奥付の無い『貸本マンガ』を史料とするのは難しいと思う)。
(おまけの余談)
骨董市で、戦時中に作られた陶製のパイプを買ったことがある。
両切タバコや吸い殻を再利用するのに使えると思ったのだ。口に入れるモノなので洗ってみると、水が管の中を流れていかないように見える。おかしいな、と咥えて息を吹き込んでみると…中が塞がっているよ! 釉薬が多すぎて中の詰まった不良品だったのだ。泣き寝入りである…。