氷がなければただのハコ

氷冷蔵庫チラシで75万4千おまけ


 総督府にクーラーはありません。

 春はその必要を感じず、初夏はこのまま今年も乗り切れると思い、梅雨明け後から8月いっぱい、クーラー入れれば良かったと死ぬほど後悔し、9月になれば何とか逃げ切れそうだとホッとして、”喉元過ぎれば熱さ忘れる”。結局、何も変わらず歳だけがひとつ増えていくのです。

 暑いです。
 外が35度、36度になれば部屋も同じく体温なみの暑さとなり、夜中朝方でも室温32度を下回ることはありません。外に出るのがイヤさに、台所に転がっているカレーヌードル(BIG)を空腹に堪えかね食べたら、「ひとり我慢大会」になってしまいました。顔に流れていたのは、汗だけではありません…。

 こんな環境で、まっとうな書き物は出来ません!
 と云うわけで、手持ち資料の中で、多少なりとも涼味を感じられそうなモノを引っ張り出してみる次第です。


スター冷蔵庫価格表

 「スター印冷蔵庫」の1955年度版の価格表です。
 読者のみなさんが思い浮かべる電気冷蔵庫ではありません。「ウチのは氷屋さんが毎日氷を入れてくれる式」(映画『マイマイ新子と千年の魔法』)の冷蔵庫です。上の”氷室”に氷を入れておくと、下の貯蔵室に入れた飲食物が冷える仕組みになっています。クーラーボックスのご先祖様と云うことになりますね。


『実用家事』(上巻、甫守ふみ、晩成処、昭和9年)


 『婦人家庭百科辞典』(ちくま学芸文庫、原著は昭和12年刊)の「冷蔵庫」の項は、「業者間では通例特に大型のものだけを『冷蔵庫』といい、他は一様に『冷蔵器』と呼んでいる」とあります。しかし昭和9年の家事テキストの図でも「冷蔵庫」表記ですから、ただの業界用語だったのではないでしょうか。


 これは「銅張冷蔵庫」。片側開きの1号、観音開きの2号型の写真があります。1号5,900円から10号44,500円まであります。



 木製冷蔵庫は1号B型8,700円から8号までありますが、値段が出ているのは6号A型27,300円までです。


 製品特徴を見てみましょう。

 @スター冷蔵庫最大の特徴
 氷室内及び排水口・底部等最高の技術と特殊銅板にて製作して居ります湿気に依る「腐レ」の心配は無く従って冷蔵庫の寿命も数倍永持ちします

 A金具及び「パッキング」
 優良メーカーの最高級品使用により外部との断絶は完全であります尚使用金具は「クロームメッキ」仕上の極優美品です「パッキング」は長期使用に耐える「ゴムパッキン」を使用致しております

 B絶縁材料及び装置
 精選せる炭化こるく粒及び防水紙にて完全絶縁が出来ております従って氷の消耗は極めて少なく経済的です

 C排水口
 排水口よりの暖気侵入を防ぐため「プラスチック」液封装置を施して居ります

 D金網及び其の他
 明るく清潔感のする美しくびん立ての出来る白色特殊焼付に依る金網を使用し又棚受も「プラスチック」製のものを使用しておりますので内部の清掃には何かと便利で御座います

 価格表のデザインを眺めておりますと、「1955年」を「1935年」に書き換えても違和感がありません。「クロームメッキ」が売り物なのはカメラと同じですね。
 それでも戦後だなと感じられるのは、「プラスチック」です。この一語と値段の高さだけが、これらの冷蔵庫が、戦後のモノであることを担保しているのです。

 さきに引いた辞書には、

 通常箱形をなし、外部は楢、栓、檜板等でつくり、内部は杉板等の亜鉛板張とし、その中間にコルクまたは石綿(主筆註、アスベスト)(下等品には鋸屑・炭粉等を用いる)を詰めるが、この外上等品になると、外部を木製、内部を琺瑯引鉄板製、又は外部を鋼鉄製、内部を琺瑯引鉄板製等とし、中間にアスファルト、フェルトなどを使用したものがある。

 と本体材質について記してあります。「銅張」と「木製」はどちらが高級で、「炭化こるく」は絶縁体(断熱材)として上等だったのでしょうか?

 価格表には「御使用の手引」が載っています。戦前―明治終わりから―から存在しているモノでありながら、”使用法”が付いているところに、”冷蔵庫”が、まだまだ特別な存在だったことを物語っています。

 御使用までに
 A 食器・石鹸で冷蔵庫内を暖湯にて洗い清めてお拭き下さい

 B 最初の二、三日は冷蔵庫が冷え切るまでに氷は稍々多量入れて下さい。其の後は一日一回の氷の補給時に前日の氷が少し残っている程度で結構です

 御使用中は
 A 余り熱いものは入れないで下さい。温度の相違に依り露が出て風味を損ないます。多少とも暖かいものを貯蔵なさる時は其容器に白布を覆うて防いで下さい
 
 B 生魚を貯蔵する時は其の上を小氷塊で覆いますと其新鮮さを永く保つ事が出来ます

 御使用後は
 御不要の時は初め内部を十分に掃除した上、二、三日扉を開けたまま風通しのよい処で陰干しにして下さい。それから新聞紙又はハトロン紙で包装し出来るだけ湿気の少ない場所を選び保存願います

 家庭の”冷蔵庫”は蚊帳のように、季節が来たら納戸から取り出して、不要になったら―「不要になる」と云う感覚が信じられないところですが―「しまう」ものであったのです。しかし性能を発揮させるのに2、3日「冷気運転」が必要とは、まどろっこしい話です。

 せっかくの機会なので、氷冷蔵庫についてもう少し知識をつけていただきましょう。『婦人家庭百科辞典』からもう少し引きます。

 使用上の注意
 一体冷蔵庫は底部が一番冷たく、上部になるほど温度が高くなるから、比較的持ちのよい牛乳・バター等は上の棚に入れ、次に生の野菜・果実等、最低部に最も腐り易い牛・鳥・魚・肉類を貯蔵すべきである。
 使用中は月2、3回内部をよく掃除すること、氷についている鋸屑(おがくず)のために排水管が詰まることがあるから氷はよく洗って使用すること、扉の開閉毎に内部の冷気が逃出すから扉の開閉をなるべく敏速にすること、貯蔵室には露滴(しずく)が落ちて物の味が変わる怖れがあるから温かいものはなるべく入れぬようにすることなどの心得が必要である。

 云うまでもありませんが、氷は溶けます(水は排水口から出ていきます)。これを使い続ける限り、毎朝氷を入れてあげないと貯蔵品は傷み、それを食べれば大変なことになります。
(おまけの推奨本)
 2005年に出た、『冷たいおいしさの誕生 日本冷蔵庫100年』(村瀬敬子、論創社)と云う、たいへん楽しい本があります。

 副題の通り、日本に冷蔵庫が紹介されてから、80年代後半の単身者向けデザイン家電製品のひとつとしての”オシャレな冷蔵庫”に至るまでの歴史と、その折々に求められた機能―家庭に向けてもっとも遡及されたのが、タイトルの「冷たいおいしさ」です―を、記録読み物から当時の冷蔵庫カタログまで、さまざまな資料を紹介しながら綴った本です。

 明治期に始まる天然氷の販売、「冷蔵庫」は、”Cold Storage”(冷蔵倉庫)の訳語として登場、業務用からレジャー用まで様々あった氷冷蔵庫、電気冷蔵庫とガス冷蔵庫、冷凍食品の濫觴「冷凍魚」普及の苦心など、読めばビックリで、自販機コンビニおよそ日本人の行動範囲のどこかしら常にある―総督府には冷蔵庫もありません―、「冷たいおいしさ」の有難味を、キィンと味わえる読み物です。
 こう云う本を読みますと、たった一枚のチラシを喰い延ばし、今月の更新を乗り切って安堵している我が身が心底恥ずかしくなります。

 この本、出た時買っているのですが、本の山に埋もれてしまって見つかりません。探す方が大変なので、今回のために図書館で借りて読み直しました。

(おまけの余談)
 『家事界の知嚢』(小松崎三枝、中興館、新国民理学叢書8、昭和2年訂正8版)に、こんな図がありました。


冷蔵保温庫

 外部は木材を用い内面に石英粗面岩を張り其上を耐水耐久性の塗料で塗ったもので、冷蔵と保温と兼用し得る、冬季は「たどん」一個で一昼夜以上保温力を有する、夏季は氷を用いること普通冷蔵庫と同一である。

 厳寒の地では、冷蔵庫が”温蔵庫”として使われている、と云う自分には真偽不明な話があります。これは冬場に炭団を(おそらくは底の方に)入れれば”逆クーラーボックス”になる「冷蔵保温庫」です。気の利きすぎたソバ屋で、炭火を埋めた桐箱に”焼海苔”を入れて持って来るのがヒントになっているのかもしれません。

 涼味ある話をやっているはずが、最後が炭団になってしまいました。太陽のせいですね…。