中華料理も国策順応

次週上映案内で75万6千おまけ


 古本屋を見つけて入る。
 探しているモノ、珍しいモノ、面白そうなモノがあれば、サイフの中身が許す限り喜んで買う。
 しかし、売場をひと通り歩いても、面白そうなモノが見つからぬ時がある。手ぶらで外に出るのは店に申し訳ない/店に入った時間が無駄になるのはイヤだ/何も見つけられなかった自分が不甲斐ない…。そんな理由で売場をさらに二度三度と歩き廻り、よけいに時間を無意味に費やし続ける現実に堪えられず、古い文庫か新書の一冊を木戸銭代わりに、ようやく店を出る。
 古書市に出ている”紙モノ”を漁っていても気分がノってこないと、買う必然性の無いモノを、安い/いつか役に立つ/サンプル、などと理屈をつけて―こう云う理由付けだけは巧くなったと思う―なんとなく買ってくる。
 そうしたモノは、正統な欲望の下で買ったモノの魅力に勝てぬから、部屋の肥やしどころか、存在すら忘れ去られてしまうのだ。買ったワタシも買われたモノも(日銭の入った店はさておき)不幸である。

 今回紹介する映画館の上映案内は、ネタに使えるのではないかと云う理由で購入したモノだ。しかし積極的な意識でそうしたのではなく、先に述べたような気持ちで手にしたモノであることを、あらかじめ読者諸氏に告白しなければならない。


道玄坂キネマ次週上映案内

 東京は渋谷にあった映画館、「道玄坂キネマ」の次週上映案内の「NO.62」だ。
 色あせが進んでいて何が写っているのか判然しないが、よーく見ると、左には白マントの男性が立ち、右に跪いている女性の手を取っている場面であることがわかる。


グレート・ワルツ

 熱望に応え名画再び銀幕を飾る清冷の秋
 巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
 グレート・ワルツ

 ヨハン・シュトラウスを主人公にした、1938年の米国映画だ。「名画再び」とあるから、この映画館が封切館ではない”名画座”であることがわかる。さてこの上映予定、いつ発行されたものなのか?
 中を見ると「洋画は道キネ」のコピーに松竹マークが描かれている。また1階席35銭、2階席50銭など記されている「告知板」には、”松竹直営”と書いてある。松竹が洋画を上映するのかと、無知な自分は驚くが、『松竹と東宝 興業をビジネスにした男たち』(中川右介、光文社新書)を読むと、松竹は経営の苦しくなった劇場を買収して成長したことが書かれている。この劇場その一つなのだろう。
 下記の図版にある姉妹館の「松竹映画劇場」では、”実演”(映画上映ではなく、ナマの芝居や演奏を舞台で見せる)をやっており、ここが松竹の渋谷地区映画館の主力なんだろうと推察できる。


姉妹館上映作品

 その松竹映画劇場の「女人新生」と「虹晴れ街道」は、ともに1939(昭和14年)9月28日公開と一般社団法人日本映画製作者連盟の映画データベースにある。ちなみに渋谷劇場「桑の実は紅い」は同年9月14日公開、「結婚天気図」は同年3月1日公開だ(こっちは新作と旧作の二本立て興行なのですね)。

 よって、案内の発行は昭和14年9月となる。表紙に「NEXT WEEK」とある「グレート・ワルツ」上映が「28日より」だから、9月21日には劇場窓口に置かれていたものと結論づけられる。
 この年の9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まっている。銀星座の予定に早速「欧州戦乱速報ニュース」が入っている。誰がこの戦争が5年以上続くと思っただろう。

 「日本に於けるキリストの遺跡を探ぐる」が、どう云う内容か気になるが、深入りはしない。
 ここまでが前説、予告編である(シネコンの”上映開始時間”と”本編開始”までの間は長すぎると思いませんか?)。
 今回ご紹介したいのは、この上映案内に掲載された広告なのだ。


「五十番」広告

 頃信仰の不動明王曰之『秋は収穫の時 食欲の秋なり 汝等よろしく食を適正に摂り身を練い、心を鍛りて新東亜建設の大業に貢献すべきである』と

 月は望み既に薄し 三ヶ月絃月にこそ其の趣き掬すべきもの多し、人も若く希望に満ち、心直にして人の言を寄るに純なる時、信あり登用せらる。やや長じて世間ズレし自負のみ多き時失敗あり 老大国英国の如きやや之に幾し、心すべきにこそ。

 那四億の同朋も我が新東亜建設の大理想に協力することに必定である。日満支ブロックは民族融合の第一歩、乾坤の大道である。
 大和民族を中心に吾々は大融合体を形成せねばならぬ。

 レには先ず我々の健康保食だ 長期建設には第二国民の体位向上も当然である。五十番の支那料理を腹八分に摂取して栄養摂取! 先ず健康! 国策に順応する所以でもある。

 支那料理なら 渋谷 五十番
 円山町弘法師通り

 「日満支ソ」(日本・満洲・支那・ソ連)の頭文字から4つの文章をヒネり出し、店の宣伝に落とし込んである。支那事変2年目に入ったところの時局反映広告だ。
 「日満支」は広く使われた言葉なので、その頭文字をひねってみるのは、小才のある人なら誰でも手を出してみようと思うところ。そこに赤色危険思想の総本山「ソ連」(今のロシア、と註釈を入れなきゃあならぬとは…)を足したところが工夫だ。

 不動明王が食欲の秋を告げ、それは新東亜建設に結びつけられる。新興国家”満洲国”とその後見たる帝国日本は、月の盛りを過ぎつつある大英帝国を尻目に、中国民衆と手をたずさえて大建設に取りかからねばならぬと訴える。大和民族―日本人―を中心にした「支那四億の同朋」の協力、民族融合の大事業だ。この美名の胡散臭さは大和民族を「アングロサクソン」、「コミンテルン」など、適当な言葉に置き換えてみれば、大きなお世話だと云うことが心底ご納得いただけるだろう。
 大上段に構えたところで、「我々の健康保食だ」と下世話に落っことす。ウチの店が出す、栄養満点の中華料理で健康維持、と云うだけの話である。料理屋があえて「腹八分」と書くのが凄いところだが、それが「国策」と結びつくと、中華丼にウスターソースをじゃぶじゃぶかけられたような気分になる。

 支那事変の展望が見えぬまま大東亜戦争に拡大して、都市の食糧事情は悪化する。
 第一線の兵士が飢え、あとに続くべき第二国民は「欠食児童」と呼ばれることになる。開国以来の悲願、日本人の体位向上は、その子・孫の世代―「第三・第四国民」―でようやく果たされる。それは多分、中華料理の功績ではない。

(おまけのおまけ)
 渋谷区 円山町会・公式ページにあった古地図に「道玄坂キネマ」はあった(赤く囲ったところ)。


まだ東横百貨店も地下鉄も無い地図

 図中央の三角形のところが今の109があるエリアになる。そこから現在のBunkamura方向に行ったところに、映画館はあった。残念ながら「五十番」は地図では確認出来なかった(『カフェー玉の井』なんて店はあるのだが)。
 この地図、井の頭線(昭和8/1933年開通)、東横百貨店(昭和9/1934年開業)も載ってない。と云うわけで、震災復興期、大正末から昭和初期のものではないかと推測する。

 本屋に行くと、『新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図』(赤岩州五、草思社)と云う本が置いてあるので買ってきて(今回の元ネタが500円足らずで、この本は税別2000円。完全に赤字だ)、渋谷のページをパラパラと眺めると、上記の地図に似たモノが載っていて、それは昭和3(1928)年10月(刊行か『現在』かは不明)だと云う。


『盛り場の歴史散歩地図』

 戦前の「円山町弘法師通り」の場所は、この本でもわからない。しかし、井の頭線神泉駅近くに「弘法大師 右神泉湯道湯」と刻まれた、明治19年建立の石碑が現存しており、このあたりではないかと思う。


石碑

 「五十番」も、いくつか掲載されている渋谷の戦前地図を見る限り確認は出来なかった。ところが、昭和37年の地図では「恋文横丁」近くに「中華五十番」とあるのを見ることが出来る。戦争で焼け出されて復興したのではないかと、勝手に思っている。