筆記試験は廃止!

中等学校入学選抜『口頭試問の受け方答え方』で75万8千おまけ


 本の”理想的な生涯”を思う。
 読み手に隅々にまで目を通され、著者の考え・書かれた事物の背後に、隠されたモノにまで想いを馳せられるだけでなく、読者当人の人格陶冶に貢献し、永く手許に置かれ(本の山に埋もれず)、折に触れ読み返され、読者の生涯にわたって添い遂げられれば、まあ合格だ。
 持ち主が有名人になれば、死後、記念館の一つも建てられるだろう。”書斎(復元)”の机上に、生前の”愛読書”として陳列されて見世物になるか、”手沢本”として古書市場に高値で売られ、コレクター氏の書架に輝けば、云うことはあるまい。

 本自体は、ガラスケース越しの”美術品”として人に見られるのと、場末の古本屋の百円均一棚にまで落ちぶれつつも、誰かの手に取られて読まれ続けるのと、どちらを望むのだろう?


 本が情報の容器である以上、その中身は、未来永劫の命を持つもの、半年一年で捨てられても惜しくない物、読めば精神の毒となるモノ様々だ。入試の参考書・問題集などは、その時限りの典型だ。買ってもらって嬉しくなく、自腹で買っても読みたくない。机にはすぐ読めるよう置いてありながら、一度も開かれない本は、そうそうあるモノではない。


『口頭試問の受け方答え方』


 今回ご紹介する、『今度改正施行される 口頭試問の受け方答え方』(文部省前図書監修官補 大野政虎、東雲堂、昭和14年11月20日発行)も、試験が終われば用無しになる本だ。今持っていても、昭和14(1939)年にタイムスリップでもしなければ使い道はない。
 しかし、見方を変えれば、コールドスリープしていた昭和14年が、平成30(2018)年に目を覚ましたのだ、とも云える。
 口頭試問のマニュアルは、12歳の児童が持っているべき”常識”すなわち、学校―国家と云い替えても良い―が望ましいとする”徳性”を試験前に叩き込むためのツールだ。そこに何が書いてあるか、興味を持たないわけにはいかない。

 まずは例言を一通り見よう。毎度のタテヨコ変換等、表記を改めている。

 一、本書は文部省の訓令によって、昭和十五年度から改正施行される中等各種学校入学選抜方法の一として行われる口頭試問と身体検査とに応ずる小学児童の自学自習に供えるために編纂したものであります。

 一、本書は全体を前編と後編と続編とに分け、前編には口頭試問の受け方に就いて、其の心得を懇切に説明し、後編には口頭試問の答え方に就いて、人物考査・一般常識・時局等に関する試問及び参考試問の四項に分け、更にそれぞれの事項によってわかり易く分類してあります。なお続編に於て身体検査についての心得や注意や参考になる事柄が延べてあります。

 一、各試問は、一頁を上下の二段に分け、其の上段には問題を掲げ、すぐ其の下段に答え方の標準を示してあります。

 一、試問の段(上段)の中、小さい活字で上下に”かっこ”(原文傍線)のつけてあるのは、その前にある試問の言い換え又は形をかえて出したものであります。

 一、身体検査は、各学校によって検査の仕方が一定していませんから、本書には一般の身体検査の仕方について一通りの説明をしました。

 昭和十四年十一月 著者しるす

 この本が、中等学校(旧制中学、戦後は高等学校になったところが多い。義務教育ではない)の入学試験のやり方が、「昭和十五年度から改正施行」されるのに合わせて作られたマニュアルであることが宣言されている。何が、どう変わったのか?
 本書前編「試問の受け方」の冒頭にはこうある。

 毎年三月に繰返される中等学校の入学考査! いわゆる入学試験地獄。この言葉を聞くだけでも、其の苦しみが思いやられます。それ程、今まで入学考査は、幾多の児童を苦しめて居ったのであります。然るに、今度文部省では其の弊害を認めて、かような考査の方法が改正されることになったのであります。従ってこれから皆さんは、今までのような試験地獄に苦しむようなことは無くなるわけでありますから、これは非常に喜ばしいことなのであります。

 「入学試験地獄」がなくなると云う。それは喜ぶべきことだ。とは云え、希望者全入ではなく選抜されることは従来と変わらない。どう変わるのか?

 しかし、小学校から中等学校へ進もうとするには、限りある中等学校へ多数の志望者を収容することが出来ませんので、各種中等学校では、文部省令によって、その入学志望者の在学する小学校長から、入学願書に添えて提出する児童報告書いわゆる内申書(本書の巻末に載せてあります)といって、其の児童の一年から六年までの学業成績・身体の発育状態・特別性向などを記入した書付によって、一応入学志望者を選抜するのでありますが、単に其の内申書だけでは、各小学校によって学力の程度が違い、従って成績即ち学力も甚だしい差違があるので、之だけによって入学者を決定することは困難でありますから、自然簡単な口頭試問や身体検査を課せられることになったのであります。

 入学試験地獄を産み出す学力試験(ペーパーテスト)はやめて、小学校から送られる「内申書」、「口頭試問」(面接)、「身体検査」だけで児童を選抜しようと云うのだ。なお、それでも優劣が付けがたい場合は、抽選で決着させるとしている。

 今の目で見れば、ドー考えても無茶な話である。幸い、本書附録「中等学校入学者選抜の方法について文部省当局の方針」に、当時の新聞記事(『東京日日新聞』、『東京朝日新聞』ともに9月28日付)が再録されており、文部省の大村清一次官への一問一答が記されている。

 『東京日日』記事は、「要は体位向上の見地から準備教育を根絶しようという点にある」ことが強調されている。
 記者からの「優秀な模範学校がなくならぬか」の懸念に対しても「準備教育の弊害を除くためにはそれもやむを得ぬ」と持論を譲らない。”準備教育”とは、中学入試対策のこと。受験産業が未発達のため、ここでは小学校で行われるものを指している。

 同じ一問一答が『東京朝日』の記事になると、妙に内容が細かくなっていて面白い。

 或る女学校の健康調査をやったら、近視の七十%は五、六年の準備教育が原因だったというし、私の経験でも、或る赴任地で子供が商家とお屋敷町の児童の多い小学校に入った。そしたら其の学校では準備教育中心で、丁稚や小僧になる商家の児童は一向構わない。小学校教育の本質からみて文部省としては許せない事だ。又或る府県では視学が準備教育の取締りに行ったら、冬の夜、教員が一人の児童に見張をさせて他の子供達を「逃がした」という。

 ”準備教育”に怒り心頭の発言をしている。
 「見張り」をつとめるのは、卒業すれば丁稚・小僧となる児童、つまり中学受験に縁のない子供だ。
 例外は認めないのかとの質問には、

 準備教育の弊害甚しい六大都市にはどんな事があっても廃止して貰う。その他の府県はどっちでも弊害がないなら本省の方針に従って貰う。つまり認めない方針だ。又官公私立実業学校も皆学科を廃止して貰う。

 とニベもない。
 内申書に情実―成績の色つけ―が入るのではないかの質問に対しては、

 明春一年だけは或いはあるかも知れない。然し、情実で入ったものは中学へ来て実力の上からすぐ判ってしまうだろう。そして翌年から中学はその小学校長を信用しなくなるだろう。情実をどうしても止めないという教員は、国民教育の上から責任を取って貰わなくてはならない。

 最初の1年目はいろいろあるだろう事には敢えて目をつぶるが、以後、制度をねじ曲げる教員には断乎とした態度を取ると凄む。
 地方(小学校)の智力低下の懸念には、

 今の時代は役に立たぬ知識が多すぎる。寧ろ知識整理の時代だと思っている。この新しい歴史的情勢に対し、人物錬成、体位向上が必要なのだ。逆に云えば、今度の通牒の精神はここにあり、今は青白きインテリを必要としないと思うのだ。

 こう回答する。支那事変勃発からすでに丸二年と8ヶ月が経過し、欧州でも戦争が始まった時期であることを思うと、「体位向上」、「青白きインテリ」不要発言は意味深だ。

 「平凡な人間を大量的に作ればいいというのか」の、厭味な―記者の殆どは中学の「入学試験地獄」を通っているのだろう―質問にも、「中等学校まではそれが目標でいいんぢゃないか」と答えている。次官は「子供は未完成品であり、将来性があるのだ」とも述べている。児童に対する善意はある人なのだ。

 結局、選抜制度改正は、どう進展したのか?
 改正を受けて出されたマニュアルに、その結果が書いてあるわけがない。とは云え附録には、10月初めに行われた、全国の学務部長を集めて改正趣旨の周知をはかった会議の記事も載っている。
 「結局は各校の判定に」、「内申書に拘泥せず実力調査をする事もある」と、実行レベルに落とし込む際に、見直し/骨抜きが行われたようだ。
 「学力実力の差異は(略)中等学校側でよく調査のうえ(略)判定しても差支えない」、内申書・口頭試問・身体検査の枠外で、学校独自の手法による判定を認めるまで軟化している。しかし、「筆問筆答は暗記力に頼り、自然準備教育を誘発する虞れがあるから絶対にやらぬこと」と、”準備教育”つぶしは諦めていない。 
 口頭試問の中身に立ち入る前に、内申書にどのような事が書かれるのかを見てみよう。


「内申書」様式

 欄外に「考査番号」を記入するところがあり、
 学校名・学年・在学/卒業・氏名・生年月日と満年齢(ヶ月まで)の基本情報を書き込む。

 「家庭状況」は、祖父・祖母・父・母それぞれの有無、父の職業、母の職業―「官吏、商業等と記せずして、具体的に記入」―、兄の状況、姉の状況を書く欄―学生の場合は学校名を記入―があるが、弟妹は「弟妹数」を書き入れるだけ。そして「主として躾をする人」、児童現住所、現住所から志望学校へ通学に要する時間を記載することになっている。

 「身体状況」は、「尋五学年」と、「尋六」の一学期、二学期(高等小学校在学者は、高一・高二)それぞれの欠席日数。視聴の異常(眼については、片目・近視・遠視・乱視・斜視・色盲・トラホーム)、心臓(強健・普通・故障)、脱腸(有・無)、呼吸器、病歴、其の他の疾病、発育概評(甲・乙・丙)を記す。

 「学業成績」は、修身、国語(読方・綴方・書方)、算術、国史、地理、理科、図画、唱歌、体操、裁縫、手工の成績。高等科から受験する人は、家事、実業を含め―履修した学課のみ―、各々10点評価を行い、その合計得点も記入する。

 「性向概評」は、


性向概評(上半分)

 志操 堅固ナ方・普通(年齢相応)・堅固デナイ方
 誠実 真面目ナ方・普通・不真面目ナ方
 勤勉 勤勉ナ方・普通・ナマケル方
 協同 協同的ナ方・普通・個人的ナ方


性向概評(下半分)

 親切 親切ナ方・普通・不親切ナ方
 従順 従順ナ方・普通・反抗スル方
 統率 指導的才幹ノアル方・普通・統率性ノナイ方
 人柄 良イ方・普通・悪イ方

 の8項目について記載するのだが、記入上の注意を見ると、「志操」は「質実剛健、正義観念、忍耐力等」について見るとある。
 概評の「普通」は、年齢相応を示すものだ。実際の記入は、単なる三段階ではなく、下の例のように


「最も良き人柄の例」



「普通よりも稍よき人柄の例」



「普通の悪しき方人柄の例」

 各段階は、上中下の区別をつけることが出来る。ゆえに一つの性向は9段階評価となる。

 この情報と、口頭試問(面接)に身体検査の結果から、総合的に合否を決める。それでも迷うようなら抽選してしまえと指導するのであるから、父兄も当惑するが、中学校側はたまったモノではない。(続く)

(おまけのおまけ)
 口頭試問の中身まで紹介すると冗長になるので、次回に廻すことにする。

 学科筆記試験廃止はうまく行ったのだろうか?
 今の「日能研」の電車広告を見れば、うまく行かなかったんだろうな、と想像できるのだが(笑)、『現代教育史事典』(東京書籍、2001年)を見ると、「43年に口頭試問で簡易な筆問筆答を行ってもよいとされ、44年には大都市で筆答試験の形式が復活した」とある。戦争激化でロクに授業も行われなかったと、当時の児童・学生の回想では語られるところから推察すれば、選抜も同じようなモノだろうと思っていたが、試験は一生の大事と云うことか。
 実は1927年にも学科筆記試験の廃止が行われており、29年には元の木阿弥になっていたのであった。

 と云うわけで、この先、受験生が試験場で一斉に回答用紙に向かうことは無くなるかもしれないが、学科試験そのものが廃止になることは期待しない方が良いだろう。

 ちなみに、旧制中学の試験問題がどんなモノだったのかを知りたい奇特な方は<『旧制中学入試問題集』(武藤康史、ちくま文庫2007年)と云う面白い読み物があることをお知らせしておく。明治後半から昭和初期までの試験問題とその解答、その年に入学した著名人が紹介されている。
 たとえば昭和7年だと、宮澤喜一・梅棹忠夫・川喜多二郎などが、昭和11年なら吉行淳之介・淡島千景・司馬遼太郎・山田風太郎・佐藤愛子などが中学入学を果たしていることがわかる。
(おまけのおわび)
 一文を完結させぬまま、公開してしまう。日頃、買った本の誤字に文句ばかりつけていながら、意味の通らぬ文を人様のお目に見せてしまい、恥ずかしいことこの上ない。
 印度総督府一同、伏してお詫び申し上げる次第であります。