"陣中占いセット"で76万3千おまけ
若い頃、雑誌の占い欄に一喜一憂していた。
高田馬場の予備校の帰りには、毎週のように、新大久保駅ヨコの神社で「おみくじ」を買い、よさげな事が書いてあればひと安心、「学問 危うし全力を尽くせ」と書いてあろうモノなら、目の前が真っ暗になったように感じたものだ(その結果は、記すに忍びないので略す)。
会社員になり、中年のとば口に立ち、いろいろあって、「吉凶気にする前にやる事やれよ」、と性根が入れ替わり、占い・おみくじの類は、そんなモノかと読み飛ばせるようになって、今に至る。
骨董市で、こんなモノを見つける。
必ずあたる 陣中占い
「陣中」と云うのだから、兵隊さんに向けたものだろう。慰問袋に納められるべきモノが、誰かのもとに残され、骨董市の店先に並べられたわけだ。
パッケージの裏側には、
パッケージ裏面
これさえあれば
陣中の大易者
運勢、願望、縁談、待人、身の上、何んでもかんでも不思議な程
ピタリとあたる
兵隊さんのマスコット
こんな宣伝文句が連ねてある。値段も、何時ころ作られたものなのかも判らない。
ハッケージを開くと、中にカードが何枚も入っている。
パッケージを開く
使い方が記されている。
先ず文字のカードを神さまを念じながら充分に切ってから それぞれの画のカードを上に当てがえば 知りたいことが すぐに現れます
「文字のカード」は、このようなものだ。
文字カード
有難味があるような無いような、いわくありげな言葉がランダムに書かれている。上から下まで文字面を追っても、ちゃんとした文章にはならない。
そして「画のカード」を見ると、
画のカード(順不同)
正月の縁起物みたいな画が描いてあり、"使い方"に記載されていた「運勢、願望、縁談、待人、身の上」が記されている。
画像で"白ヌキ"になっているところは、紙が切り抜かれており、「文字カード」の上に、これを置けば、下の文字だけが読めるしかけになっているのだ。
文字の「1番」に、画のカードを一通り当ててみよう。
まずは「運勢」。
運勢
進んで大いに吉と知るべし 人におくるな(遅るな)
さいさきが良いですね。
続いて「願望」
願望
願事 ととのうべし 望事 人に言よりて調う
さすが"1番"のカードだ。すばらしい。
そして「縁談」。
縁談
思い思われても遅き故叶わず 時節を待て
ありゃ?
今度は「待人」だ。
待人
他の人に止められて 来ぬものと知れ 悪し
ガーン!
最後に「身の上」となる。
身の上
時に応じて行うは 大いに良し 又 人の為めにする事等よし
なるほど。
「文字カード」ひとつでも、知りたいこと(画のカード)を替えれば吉凶がうまい具合にまざるように出来ているのだ。
戦場に送られ、明日をも知れぬ日々を過ごす兵隊たちは、どれほど占いを頼りにしたのだろう? その手の話を見聞きした記憶が無い。こんな商品がある以上、ニーズはあり、兵隊ならざる人達にも、占いを気にする者があっただろう事は想像出来る(その一方で、暦にある吉凶の記述が"迷信"だと排斥された話は、出版物"発禁"に関する本で読んだ記憶がある)。
実際のトコロがどうだったのかは、もはや歴史の闇である。
(おまけのおまけ)
『占いをまとう少女たち 雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ』(橋迫瑞穂、青弓社)を読む。
1980年代、90年代の「マイバースデイ」記事から、少女たちが受容/活用した「占い/おまじない」の位置づけ・役割を考察する本だ。
80年代の「占い/おまじない」には、「学校での人間関係に正面から向き合う努力をすることが人間的な成長をもたらすというメッセージが込められていた」とあって、目からウロコが落ちる。
(おまけのおまけの占い)
せっかくなので、自分の運勢を占うことにした。
これに「運勢」を当ててみる。
文字カード
運勢
本日の運勢は 進んで大いに利の有(る)日なり
夜の22時半に「本日の」と出ても、宝くじ売場も競馬場も閉まっている。
今度は「願望」だ。
願望
望事は時を経て叶うべし 喜事東より来る
これは嬉しいですね。忘れたころ、何か良いことがあるのでしょう。
「運勢」「願望」が良い文の時、イマイチなのが「縁談」なのだが、50過ぎて来る縁談なんかあるわけがない(笑)。よって何が書いてあっても驚くことはない。
縁談
この縁は余りに良過ぎて 後に悪しと知(る)べし
「良過ぎて」と来ましたよ。
かしこきあたりから話が降りてくるとでも云うのか?
戦地のつれづれであれば、どこかの女学校から、送られてきた慰問文にあった住所をたよりの"文通"が相当するのだろう。
支那事変で戦争が終わっていれば、そんな話が掃いて捨てる程、日本全国津々浦々に発生していたに違いない。