盥は古代の遺物

洗濯改善をうったえる76万6千おまけ


 コインランドリー、ありがとう。

 一人暮らしを始めた日。手伝いの友人たちも引き上げて、いよいよ朝寝坊して怒られず、夜更かしして厭味も云われない、本もプラモも買い放題、自由ではっぴーな生活が始まる。
 しかし、そこには大きな落とし穴があった! それまで人まかせにしていた洗濯を、自分の手でやらねばならなかったのだ。

 帰宅して着替える。流しにバケツを置いて水を張る。ワイシャツを水にザブンと漬け、2、3度揉み、ゆすいで絞って拡げて外に干す。浸ける・洗う・絞る・干すの繰り返しで、「自由な夜」は、寝るだけの時間にほぼ等しいことに愕然となる。(手洗い)洗濯が、こんなに手間だったとは…。
 一人暮らしを始めた最初の週末、溜まった洗濯物を抱えコインランドリーに行き、電気洗濯機とガス乾燥機の偉力を痛感する。電気洗濯機が「三種の神器」ともてはやされたわけだ。

 この先、人類のエネルギー事情が悪化して、電化製品の使用が許されなくなる時、最後まで動いているモノは、電気洗濯機でなければならない。

 荻窪の古本屋さんで、『最新 家庭洗濯とクリーニング 附洋服取扱法』(五十嵐健治、東京家事研究会)を買う。


箱と本体

 日本のクリーニング業の草分け、白洋舎の創業者の本だ。大正13(1924)年6月の刊行。関東大震災の翌年である。
 中身は、表題そのまんま。家庭での洗濯法と、ドライクリーニングの解説書だ。

 目次は以下の通り。
 一 洗濯器具の改良
 一 洗濯法の改良
 一 洗濯物干し方の改良
 一 色物の洗濯法
 一 毛メリヤスの洗濯法
 一 白い絹毛の洗濯法
 一 洗濯石鹸の話
 一 子供洋服の洗濯法
 一 洗濯の準備
 一 洗濯の実習
 一 洗濯物の仕上げ方
 一 クリーニング法
 一 クリーニング工場の設備
 一 洋服の仕上法
 一 汚点(しみ)抜法
 一 麦わら帽子の漂白法
 一 漂白秘法
 一 朱子の毛羽を治す法
 一 簡易防水法
 一 洋服取扱法

 95年前の生活知識は興味深い。しかし、自分のやってる洗濯なぞ、全自動洗濯機に洗剤入れて回すだけだから、ここに書かれていることが今でも有効なのか、もはや再現不能な技術(わざ)なのか、判断できない。
 というわけで、技法には立ち入らない。

 注目するのは、「洗濯の改良」だ。
 幕末の「開国」、明治の「維新」で西洋の文物・考え方が日本社会に流れ込む。西洋人に劣る体格を「改良」するため、肉食が奨励される。洋服を着る、刺青・男女混浴が野蛮な慣習と捉えられるetc…。そう云う文脈で語られる、「洗濯の改良」とは?

 「はしがき」には、こうある。

 一 本書は京都市社会課、愛国婦人会、大阪毎日新聞社婦人見学団等に於ける著者の講演を整理したもので、要するに時代遅れの盥式洗濯法を合理的の方法に改めてゆきたいというのが其の主張であります。

 「時代遅れの盥式洗濯法」!
 昭和時代の郷愁とともに語られる、タライと洗濯板での洗濯を、時代遅れと斬って捨てる。どこが時代遅れか不合理か。
 例によって縦書きを横書きにし、仮名遣い、漢字を改めている。当て字が多いので、ひらがなにした所もある。なお、ルビは( )での表記とした。

洗濯器具の改良
 家庭の仕事の中で炊事と洗濯は重要な仕事であって、年々生活の向上に連れて、注意されてまいりました。
 しかし台所の設備や料理の方面は可なり研究されもし、又研究の機関もありますが、独り洗濯に至っては一向に幼稚なもので、これというほどの改良も進歩もいたして居りませぬ、中には新しい洗濯機などを備え付けている方もないではありませんが、概して一般に昔ながらの跼(しゃが)み洗濯で、古代の形式(かた)を其儘踏襲しているに過ぎないのであります。

 要するに洗濯盥は擂鉢と共に随分歴史の古いもので、おそらく古代の遺物と申してさしつかいなかろうと思います。この盥式洗濯は現代の生活と余りにかけ離れた、非科学的で、非衛生的で、又非経済的で、どの方面から見ても、後生大事に国宝扱いにしておくほどの価値がありません。

 ここで「国宝扱い」と語っているのは、もちろん「改良」の目線で見た、嫌みであり揶揄でしかない。
 非科学的・非衛生的・非経済的とは、酷い言い方であるが、西欧的でない・遅れている・グローバル・スタンダードでない、と云う、昨今の語り口にも通じる。
 本物の「古代の遺物」は文化財として保護される。この本が出て90年を経て、今や盥洗濯も、「生活遺産」として保護されるべきモノになってしまった。
 本文に戻る。

 盥洗濯の不便と弊害を除いて、もっと合理的な洗濯方法に改良していくのは私共の責任でありましょう。改めていうまでもない盥を抱え込んでしゃがんで洗濯するのは甚だ無作法なもので、容姿を貴ぶ婦人の姿勢として感心ができません、殊に瓦斯電気を応用した台所の片隅で、しゃがんで洗濯しているのは如何にも不調和でありませんか。

 仮に此不体裁も家の中の仕事で人目に触れないからよいといえばそれまでですが、しゃがみ洗濯は時間がかかって、忙しい時代にこのくらい不経済なやり方はありません。
 立っていて働くと気軽に何事でもできますが、折り曲げた脚に十何貫という体重を支えて、永い時間しゃがみ込んでごらんなさい。痺れが切れる足腰が痛くなる、それから自然億劫になって、用事が便じません。そして、唯手先で働くのみですから、一向洗濯の能率もあがりません。
 それのみならず、盥式の洗濯は直接衛生によろしくない。湿気の多い地面に長時間しゃがんで居るので先ず脚気によろしくない。唯さえ冷性の婦人方には婦人病を招く虞がある、胃腸を圧迫するから消化不良を起こしたり又痔疾の原因ともなります。殊に妊娠中の方にはよろしくありません、恐るべき結果を来した例も沢山あります。これほど分かりきった弊害のあるやり方を、今日まで続けて来たというのは全く習慣の力で、恐るべきものであります。

 しゃがみ洗濯の弊害がしつこく語られる。
 見た目の格好悪さ(股を拡げないと手が届かない。着物の裾をからげ脛を出さないと濡れる)に、手先作業による非効率(力を入れることができない)、はては足腰、胃腸、妊婦の流産に至る健康面の危険までが指摘される。

 時代はもうそういう不合理なやり方を許しません。これが立っていて働ける洗濯器ならば、身体が自由に使えて気持ちよく洗濯ができますし、力が指の先のみに限らないで、全体に入りますから仕事が楽で捗ります。又汚い水の四方に散る心配はなく思い切り働けます。ブラシをかけるにも汚点(しみ)を取るにもゆすぐにも少しも億劫でない、汚れが早く落ちて清潔(きれい)にあがります。中途で用事ができてもすぐに便じ、万事がどんどん調子よく運びます。

 当節のように忙しい世の中に、洗濯に一日かかるようでは、他に何もできません。私は朝鮮に往って朝鮮の婦人方が弁当持で一日がかりで洗濯に没頭していなさる有様を見て、あんな風に生涯を洗濯の為に費やすようでは、家庭の働きは何もできない。朝鮮の亡びた陰には斯うした欠陥もあったのだなと熟々(つくづく)感じました。

 しかしながらこれは朝鮮の話のみでない、日本でも同じことで、どちらでも洗濯は家庭の重荷になっています。毎日の生活に欠くことのできない大切な仕事が、億劫であり、荷厄介であり、重荷であるようでは、どうして生活の向上など望み得られましょう。これは全く盥式洗濯法の余弊でありますから、大いに方法を改良して、短い時間に洗濯ができ、重荷にならずに却って愉快であり寧ろ運動不足の日本婦人の体育に資するような立派な仕事にしてゆきたいものであります。

 話は朝鮮婦人にまで及ぶ。文字通り「しゃがみ洗濯亡国論」である。
 「洗濯は家庭の重荷」、「どうして生活の向上など望み得られましょう」、このモノ云いは、長時間通勤にも通じる。思えば、主筆が一人暮らしを決心したのは、片道2時間の通勤に耐えられなくなったからであったのだ。
 余談が過ぎた。

 それにはどうしても先ず、盥を廃し之に代わるべき立っていて洗濯のできる器具が必要であります。そこで私は兎も角も左図の様なものをこしらえて案を立てて見ました。勿論完全ではありませんが、之ならば立っていて洗濯ができますから、非常に便利なものであります。


 これを仮に改良盥と名づけました。
 改良盥は第一に立っていて洗濯ができます。第二には洗濯板の動かないような装置になっていますし、又適当な傾斜に嵌めこんでありますから、思い切って揉むことができ仕事の能率があがります。第三には石鹸容器
(いれ)がついていますから、便利であって其の中がかけご式にできていて洗濯石鹸の溶液を無駄にするのを防ぎます。第四には洗濯板で揉みながら、汚れや汚点(しみ)を発見した場合に、すぐに回転式の板の上で、ブラシなりササラなりで擦る趣向になっています。第五には回転式の板を外の方へ下ろせば洗濯物の置場となり、第六には蓋がついていますから、石鹸の溶液の中に洗濯物を浸して蒸すに便利であり、第七には干上がったものに火熨斗をかける台となり、第八には台枠が全部取外して箱の中へ収めるように出来ていますから。持運びに便利であります。
 兎に角斯ういうようなものを拵えて使えば、必ず今までの盥式洗濯の弊害を除くことができ、無駄のない洗濯が行われます。


(手前に見えるのは石鹸箱)


(ブラシがけをする図)


(火熨斗−アイロン台として使用)

 「改良盥」。
 "文化盥"とならなかったのは、考案者が現状を深刻に捉えていたからだろう。
 『実用家事(上)』(甫守ふみ、晩成処、昭和9年訂正再版)に、「盥 跼んで洗濯するのは衛生上及び労作能率等の上から是非改良したい。手頃の台或いは立式改良盥を用いて楽な姿勢で洗えるようにするとよい。」とある。

 『主婦之友』昭和10(1935)年新年号附録、「奥様百科宝典」は、中流家庭の主婦向けに編集された、生活マニュアルだ。


「奥様百科宝典」の箱(雑誌附録なのに!)

 当然、洗濯についても項がある。しゃがみ洗濯批判の記述はないが、洗濯姿勢を考慮した「使ひよい洗濯場」が紹介されている。


浴室の床から二尺の高さに台と洗濯桶を設置

 左側にある桶の底には「ゴムの栓」つきの排水口があり、トタンのパイプを通して「外へ流」す。「入浴の序でにその日の汚れ物の始末をして、日中洗濯に時間を費やさない」とする、「能率的な主婦の工夫」のある洗濯場だ。



地下室(電灯設備アリ)に、人造石の洗濯槽(左右二分割)を設置

 片側を洗いに使い、もう一方で濯ぎをするように考えられていて、「改良盥」より工夫がされている。しかし、蛇口を4つも付ける必要があるのか?



木製の洗濯槽、内側はトタン張り

 見た目は「改良盥」風だ。「風呂場、洗面所などの片隅に取りつけても便利」とある。

 市販の洗濯槽もあった。


三越で8円で市販されていた木製の洗濯槽、内側はトタン張り

 こう云う設備を用意できる家庭が、いかほどあったのだろう。

 その一方、『最新 住宅読本』(平尾善保、日本電話建物株式会社出版部、昭和13年7月刊行)には、驚くことに洗濯場についての記載が無い。
 便所台所門塀庭と項を立て、材料なども細かく紹介している、楽しい本なのだが、洗濯場をどう設計するか、どこに設置するべきかを語らない―施主の関与する事でない―ところに、洗濯の不思議な立ち位置を想う。
 昭和30年代初頭―高度経済成長以前―までの洗濯イメージが、本書で排斥している「しゃがみ洗濯」である意味は重い。
 本文に戻る。

 家庭用洗濯機械は欧米に於いては迅(はや)くから使用されて居りますが、近来は電気を応用したものが一般に行われてまいりました。家庭用の電気洗濯機械は敷布十枚位一度に洗えます。動力は電燈に差込むような装置になっていて至極便利です。しかし昼間送電のないところでは用いることはできません。

 近頃我国に於いても種々(いろいろ)な洗濯機械が発明されました。其中で第五図のようなものは、稍(やや)実用向でありましょう。
 此機械の中に、湯又は水を直径の四分の一に達するほど容れ、粉末
(こな)石鹸を小さい盃に一杯ほど投じ、洗濯物を其の中に入れて蓋をなし、上の歯車に把手(ハンドル)を差し込んで回転すれば、手を濡らさないで洗うことができます。約十分ほど左右に回転してから、横の栓を抜いて、石鹸液を容器(いれもの)に取り置き、今度は清水を機械の中に注いで二三回濯ぎ、濯ぎ終わらば水を抜いて、把手を下の歯車に差し込んで、急に回転すれば遠心力で絞れます。此式の機械を用いれば冬の寒い時分にも、冷たい水の中に手を入れないで洗濯ができます。第六図は工場用の洗濯機械を家庭向に応用したもので多人数の家族若しくは寄宿舎、旅館等に用いて便利なものです。


(新式家庭洗濯機械)



(家庭用手回洗濯機)

 すでに電気洗濯機の存在が語られ、肯定的に捉えられている。もっとも、昼間送電がなければ使い物にならない(家庭の電気需要は、夜の照明くらいと考えられていた)制約をあげ、次善の策として、手回し式の洗濯機を紹介している。ここでのメリットは「冷たい水の中に手を入れない」というところ。工場用洗濯機械の応用は、大人数の洗い物がさばけるところを謳っている。

 『実用家事(上)』では、「回転式洗濯器・脱水器 電力を利用した自働式のと人力を以てするのとあるが手働式のは労力に於て効果は少い」と本文にある。しかし、欄外には、「回転式洗濯器等は家庭に於て箇々に使用することは経済上困難であるが共同に購入して使用するようにすれば其の便益は少くない」と記している。
 『家庭百科重宝辞典4(セ−ニ)』(『婦女界』昭和8年新年号附録)の「洗濯用具」は、ズバリ「便利なのは洗濯機を使うことである」の一文がある。それに続けて、

 洗濯機械も種々あるが、軽便なスピード洗濯機は、挿絵の様な家庭洗濯機で、ハンドルを手で動かすだけで、冷たい思いをせずに、らくに上手に洗濯が出来、値も安い(大8円小6円80銭)。電力使用の攪拌式ソーラーA型洗濯機は、国産の優秀な洗濯機だが、高価で一般家庭には向きかねる(一個250円)

 と語っている。


『家庭百科重宝辞典4(セ−ニ)』より

 洗濯機を紹介する人は、現物を見ているのだろう。あれはラクに洗濯ができる、との認識は昭和ヒト桁時代、既にあったのだ。
 こう云う便利な道具を知っていても、しゃがみ洗濯・手洗い洗濯を続けざるを得ない、当時の主婦には同情するしかない(『女中』にやらせている者も少なくなかったろうが)。


 洗濯機が、自身の家庭内労働が軽減されるものと見るか、使用人を置く費用が倹約できると考えるか、高い機械を買うより、やっぱり炊事・洗濯・掃除から、子守りに家長のセクハラ対象と、いろいろ使える「女中」の方がお得と考えるか、各人各様としか云えない。


 戦争で、電気洗濯機の普及が滞ったのは事実だろうが、なかったらなかったで、洗濯の機械化は「持てる者「と「持てない者」に分化して、「自家用洗濯機」、「共同洗濯機」なんて言葉が出来ていたかもしれない。

 コインランドリー、ありがとう。
 20年もお世話になるとは思わなかったけど。この先もよろしく。
(おまけのギモン)
 陸軍の兵営では、広い流し台を使い、立位で洗濯していた―『写真で見る 日本陸軍兵営の生活』にいくつも写真がある―のだが、兵隊が除隊して所帯を持って、妻が「しゃがみ洗濯」をするのを見れば、何かしら感じるトコロはあったのではないかと思う。