「国防能力標準」で77万おまけ
国防に自信がありますか?
答えの内容はさておき、自分自身が国防の当事者意識を持って答えようとする人は、自衛官や防衛省職員などに限られるだろう。彼らでも、「あなた自身の"国防能力"に自信はありますか?」と問われたら、当惑を隠さず(『セカイ系』の主人公ぢゃああるまいし)、自分の任務を果たすだけです、とはぐらかすに違いない。
国防は国がやるもの―個人と直接つながるモノではない―現代人の感覚はそうなのだが、時代・世の中が違うと、国防の責任は個人にまでキッチリと落ちて来る。戦前の「国民皆兵」や「民防空」がそれである。
大日本青少年団本部発行の『青年』昭和18年12月号に、「君は国防能力に自信があるか」(久保田武夫、肩書きは本部錬成局女子部長)なる記事がある。
表紙(ラクガキされてます)
戦争の激化により、学生の徴兵猶予が撤廃されて「学徒出陣」となり、「国民皆兵の実が文字通り実現する世の中」が到来。遠からず兵隊となる青少年が、身に付けておくべき身体能力を紹介し、その獲得を求める趣旨である。それを「国防能力」と呼んでいる。
「国防」と云うと、軍備に限らず、外交から産業の維持、農水産物の生産、エネルギー資源の心配と、ひとりでドーコー出来る問題ではないのだが、ここで求められるのは"兵士としての土台"。この冊子の読者―あすの兵隊―に、広い視野は不要と云うわけだ。
以下、例によってタテヨコ変換、仮名遣い変更等を施し、適時ツッコミを入れつつ記事全文をご紹介する。
君は国防能力に自信があるか
立派な兵となる土台
国民皆兵の実(じつ)が文字通り実現する世の中になった。兵として御奉公する以上、立派な兵として上官から注目され、戦友からは尊敬せられるようになりたいのは、皇国青少年として誰しも同じであり、又、戦場に出て敵米英撃滅に邁進し、実力を十二分に現して我等の戦友、同僚、先輩の仇を酬(むく)い、且つは郷土の人々に輝かしい武勲を唱われ家名を挙げたいことも同じであろう。それはどんな困難にも屈せず撓(たゆ)まぬ体力を具え、上官の命令に絶対に服従し、僚友相扶(りょうゆうあいたす)けて八紘為宇の肇国の大精神を具現せねばやまぬ立派な精神を持ち、兵として必要な技能を兼ね備えた兵となることである。
戦局の悪化を、「国民皆兵の実が文字通り実現」と、うまく云い替えている事はさておき、御奉公に際して
「上官から注目」
「戦友からは尊敬」
「家名を挙げたい」
などと、天皇陛下のため死をも厭わぬ「立派な兵」にしては、えらく利己的、かつスケールの小さな"意欲の源泉"が記されています。のみならず、それが「皇国青少年として誰しも同じ」と全面的に肯定されていて正直驚く。まァ職場の上司に目をかけられ(付けられるとマズい)、同僚に「アイツはデキる」と思われ、手柄のひとつも立て表彰されると読み替えてみれば、なるほど結構な話だと納得できましょう。明示はされないが、そのためには"要領"が肝要だ。
本文に戻る。
軍隊に入隊すれば誰だって立派な兵になれると思っている人もあるだろうが、青年たるものは宜しく入隊以前に立派な兵となる土台を築き上げておき、軍隊へ入ってからは仕上げをして頂く位の考えでいなければ、現在の機械化された複雑な兵器を駆使しての戦闘に役立つ一人前の兵にはなれないのである。つまり入隊以前の毎日の生活が立派な兵となる礎(いしずえ)を固める大切なものなのだという考えがなければ、いか程青年学校の先生方にやかましく云われて教練を受けても、先生方の熱心に報いるだけの兵になれないということなのだ。
青年学校に限らず、中学校以上で行われる軍事教練も、軍隊での教育期間の短縮(コスト削減)の側面がある。兵となる土台を前もってつくっておくに越した事はない。
しかし、記事をよーく読むと、入隊前に身体能力をあるレベルまで仕上げる必要があると云う。「機械化された複雑な兵器を駆使」させるための教育に時間を割かないと、「一人前の兵」が作れないと暗に云っているのだ。
自動車はもとより、下手をするとラジオも家にない(電灯だけが唯一の電化製品の)生活をしている人が、通信器からトラックや航空機などの面倒を見る可能性がある。そもそも複雑な兵器(機械)は軍隊で初めて触れるモノだから、専門教育に特化したいわけだ。国語教育に文学は無用だ、大学での一般教養をやめよう、小学校からプログラミング教育が必要だ、など昨今騒いでいるのと近い。
では、入隊以前の生活で、青年はどうすれば良いのか。
毎日の生活を一人前の兵としての修練だと考えるとして、諸君の前に一定の標準が与えられ、諸君は常にそれを念頭において自分から修練を重ねる覚悟がなければならない。
大日本青少年団本部では前に述べた日常生活を修練化するために、諸君の念頭に常に掲げておく標準として、国防能力標準を既に考案し、これを検定として実施することに努めている。諸君の団の指導者である方々にはお願いがしてあるのだが、一応ここに標準を掲げ、説明を加えることにする。
「日常生活の修練化」!
大日本青少年団本部が、こんなこともあろうかと「標準」を作り、検定を行っていると云うのだ。青少年は、これを達成すべく日々修練しなければならない…。
そして1ページまるまる使い、「国防能力検定標準」の表が掲載されている。
画像では見づらいので、表をつくりなおして掲載する。タテ書きをヨコ書きにした関係で、数字の表記など直してあるが、それでも読みやすくはない事をお詫びする次第。
国
防
能
力
検
定
標
準少年 級別/種目 体力 銃剣道 行軍 射撃 水泳 通信
伝令自転車 初級
初等科3、4年生50米疾走:10秒
走巾跳:2米70
短棒投:16米
(300g)
臂立伏臥屈臂:15回
(台上)10粁 百米以下の歩測及目測 泳ぎ得ること
呼吸休止:20秒以上仮名字信号:発受信 中級
初等科5、6年生百米疾走:19秒
走巾跳:3米20
短棒投:20米
(300g)
臂立伏臥屈臂:20回
(地床)15粁:
5時間照準鑑査(距離10米):小採点環の直径15粍
2百米以下の距離目測:誤差20/10050米泳(又は5分泳)
呼吸休止:25秒以上手旗現字通信:発受信
字号暗記上級
高等科1、2年生厚生省制定体力章検定級外乙合格
百米疾走:18秒
2千米走:11分
走巾跳:3米50
手榴弾投:25米
運搬(50米):25瓩15秒
懸垂屈臂:3回
基本動作
構え
前進後退
直突(空間)
連続刺突(空間)20粁:
5時間照準鑑査(距離10米):小採点環の直径10粍
4百米以下の距離目測:誤差20/1003百米泳(又は十分泳)
呼吸休止:30秒以上手旗現字通信:発受信(1分間十字)
手旗字号通信:発信乗車し得ること 青年 初級
本科1、2年生厚生省制定体力章検定級外甲合格
百米疾走:17秒
2千米走:10分
走巾跳:3米80
手榴弾投:30米
運搬(50米):30瓩15秒
懸垂屈臂:4回基本動作(対教官)
構え
前進後退
直突
連続刺突(空間)
突入刺突(空間)軽装
32粁:
8時間
(1時間4粁の速度但し1時間は6粁行軍)照準鑑査(距離10米):小採点環の直径7粍
6百米以下の距離目測:誤差20/1005百米泳(又は15分泳)
十米潜泳(又は呼吸休止35秒)手旗現字通信:発受信(1分間15字)
手旗字号通信:発受信
簡単なる語句の正確なる伝達(概ね50字)
距離百米(並)4粁:15分
(平坦地)上級
本科3、4、5年、
研究科生厚生省制定体力章検定初級合格
百米疾走:16秒
2千米走:9分
走巾跳:4米
手榴弾投:35米
運搬(50米):40瓩15秒
懸垂屈臂:5回基本動作(対教官)
構え
前進後退
直突
連続刺突(空間)
応用動作(対教官)
打撃(右)刺突
突入刺突(仮標)
試合
軍装4瓩負担
軽装8瓩負担
40粁:
10時間
(1時間4粁の速度但し2時間12粁連続行軍)照準鑑査(距離10米):小採点環の直径5粍
千米以下の距離目測:誤差20/100千米泳(又は25分泳)
20米潜泳(又は呼吸休止40秒)手旗現字通信:発受信(1分間20字)
手旗字号通信:発受信(1分間十字以上)
簡単なる語句の正確なる伝達(概ね50字)
距離2百米(急)30瓩重量負担
4粁:20分
ごらんのように、少年・青年の2部があり、少年の部に初級・中級・上級を、青年の部に初級・上級を設けている。
少年の部は、現在の小学3年生〜中学1,2年生にあたる。国民学校「初等科」(尋常小学校の後身)3〜6年生と、国民学校「高等科」(高等小学校の後身)あるいは青年学校の普通科が対象だ。青年の部の「本科」「研究科」は青年学校のもの。今の中学3年生から徴兵適齢の19歳、20歳あたりまでとなる。
検定項目は「体力」「銃剣道」「行軍」「射撃」「水泳」「通信伝令」「自転車」があり、少年/青年の級別に合格レベルが明記されている。
体力のところに記載されている、「厚生省制定体力章検定」は、昭和14年から実施している体力テストだ。
数え歳15〜25歳の青年男子に、「国防力の充実、産業力の拡充等の国家的目的」によって定められた体力標準(100メートル走・2千メートル走・走幅跳・手榴弾投・運搬―米俵を担ぎ50メートル運搬する・懸垂)を充たしているかのテストを行い、合格者に徽章を授与するもの。初級以下の標準は表にある通り。
国防能力検定は、体力章検定を対象年齢面で補完し、内容をより軍事面に拡大したものと云える。なお、「臂立伏臥屈臂」は"腕立て伏せ"のこと。何と読むんでしょうね(汗)。「懸垂屈臂」は鉄棒を使ってやる"けんすい"。
「体力」は周知のこととして特に言及はされず、残りの標準が説明されることになる。
まず標準によってためしてみよう
「表」に見られる通り、少年を三つの級に分け、青年を二階級に分けてある。その中、入隊前の青年として当然備えていなくてはならぬ最低標準は一番下の欄、即ち青年上級のものであり、青年初級、少年上、中、初級はそれに到達する梯子段(はしごだん)の、下の階段である。
青年上級に属する青年即ち青年学校三年以上入隊以前の年齢の青年は上級の標準を常に念頭に揚げ、僅かの時間をもこれに宛て修錬するのであるが、自転車に乗る時、遊泳する時、洗面する時、銃を取扱う時、日常道路を歩く時、生活の如何なる場面に於てもこの標準と照し合せて行くことが必要である。
青年上級に属する者の標準を一つ一つの種目について説明すれば、体力に於ては厚生省制定体力章検定の初級以上に合格する力を具えていなくてはならぬ。銃剣道、行軍、射撃は軍隊に於ける三つの大切な要素である。
行軍に8時間だ10時間だと"標準"が示されているが、それをいつ試してみろと云うのだろう。「生活の如何なる場面」でも意識しろと、云う方は口だけ動かしてりゃあいいんだから結構な話だ…。
体力章検定の初級くらい持ってないとダメ、と書いてはあるが、当時の青年がみなそれを満たしていたわけではないはずだ。
「軍隊に於ける三つの大切な要素」を含む、項目の説明に続く。
銃剣道は青年学校の時間に練習すると共に、お互い同志がお互いの欠点を直し合って、出来るだけ多くの時間を注ぎ込むようにしてゆくべきである。特に前進、後退及び直突に於ては一点の難もないくらいにしておかねばならない。
行軍はここには軍装の場合と軽装の場合だけを揚げているが、何を持たなくても、歩く場合は普通一時間五粁位の速さで歩けるように気をつけるべきである。
射撃は本来三八式歩兵銃で実包射撃(じっぽうしゃげき)をして演練するのが射撃の訓練として考えられることであるが、射撃で一番大切なことは、射撃の姿勢を正しく保つこと、目標を照準する場合、どれが一番正しい照準かがよくわかり、同時に正しい照準が身につくことである。
現在の射撃に於ては、青年学校で訓練せられている通り一挙動据銃(きょどうきょじゅう)ということが云われ、肩付け、照準から撃発まで五秒以下が標準とされている。その訓練の基礎として正しい照準を身につけるために照準鑑査ということをやるのである。これは少し説明を加えぬとわかり兼ねると思うので、面倒をいとわず書き記すことにする。
用意するもの。三八式歩兵銃又は教練銃(もし止むを得なければ真直ぐな棒に歩兵銃と同様な距離をもつ照星と照門とを付けたものでもよい) 鑑査的(かんさてき)(図のように中心に細孔をあけた直径二糎の黒円板に柄(え)をつけたもの) 鉛筆(尖端を尖らせたもの) 白紙(一辺約十五糎平方のもの、一人一枚の割)
銃を砂袋等を利用して机、又は台の上に安定させ、銃の向こうの壁に白紙を貼り付ける。
検定を受ける者は、銃を白紙の中心に向けて置く、検定の係は白紙を貼った壁の側に立ち、白紙の上に鑑査的の柄を持って円板の方を出す。検定を受ける者は「上」「下」「横」などと呼んで円板の下際が正しく自分の照準線に一致させるまで呼び続け、正しく照準が出来た時、「よし」と呼ぶ。検定係は、細孔に鉛筆の尖端を入れて黒点を白紙に印す。次に検定係も検定を受ける者も同様の動作をして三つの黒点が出来るまで続ける。その三つの黒点の上に予め用意してある小採点環(しょうさいてんかん)(セルロイドに文廻しで五粍の直径の円を描いたものでよし)をあてて、三点がその円内にあれば合格、一つでも外に出れば不合格という判定を下す。これは青年上級の例を挙げたのだが、その他の級は小採点環の円の直径を変えさえすれば、他の動作は同じである。
次は据銃(きょじゅう)であるが、正しい「伏せ」の射撃姿勢をとることが第一、次に正しく照準をすることが第二、そして五十回以上その動作が繰返されることが第三。これは据銃に必要な臂(ひじ)の力をつけるためのものである。
次の距離目測は予め測定しておいた距離を目測し、誤差20/100までを合格とする。例えば八百米の距離目標ならば六百四十一米以上九百六十米までの答えを出したものは合格ということになる。
水泳は、千米の距離を時間にかまわず泳ぎ、或は距離のとれない河や沼、池でやる時は二十五分間泳ぐことが必要である。泳ぐ型はなんでもよい。二〇米潜泳に於ては、身体の一部が水面に出たり、水底にある縄、竹、木等を補助として潜泳した場合は不合格である。
通信伝令に於ては手旗現字通信(イ、ロ、ハを赤白の手旗で書く方法)の発信と受信、手旗字号通信(所謂モールス信号で白旗を用いてトンツーを書く方法)及び口頭伝令が出来なくてはならぬ。
小銃を肩にあて、頬につけ、引金を一段絞り、呼吸をとめる、左目を閉じる、銃口を目標にあわせてズドンとやるまで5秒以内と、別の記事に記されている。
射撃の善し悪しを、銃を撃つのではなく、照準の正確さで推し量ろうと云うトコロが貧乏臭いのだが、さきの記事に、「新設日なお浅い興亜専門学校が教練銃の配当がなく試合迄一発の実包も発射しなかったが、明大から借りた銃を以て全国大学高専の第四位の優良成績を得た」とあり、「武道の型」をバカにしてはいけないな、と感じ入ってしまう。
「通信伝令」の手旗は、「赤揚げて白揚げないで赤下げない!」など、後年はギャグのネタになる。
鍛えに鍛えよ
旺盛な体力及び銃剣道、行軍、射撃、自転車はいうまでもなく必要だが、水泳、通信伝令がなぜ必要か、青年学校でもやっていないではないか、という質問があるかも知れないが、大東亜の広い地域で海を考えぬわけにゆかず、舟に乗る以上泳ぐことを考えぬことも出来ない。又防毒面をかぶる必要や毒瓦斯を避けて走るような場合呼吸を出来るだけ長く停止出来ることが必要であり、広い地域の戦争には通信もある程度読めなくてはならぬし、確実な伝令は平常とても必要であるがその中復唱、復命を日常生活に徹底させることが生活の訓練として必要欠くべからざるものだから取り入れたのである。
青年学校の教練で信号などをやっていないのは それだけの時間の余裕がないからであり、現代の青少年は自分でそれを修錬して、いやが上にもお役に立つ用意を毎日の生活、団の生活の中でしなくてはならないのだ。
以上は極くあらましの説明であるが その詳細は本部発行の国防能力検定実施要項を読んで貰いたい。ハガキで請求があればお送りする。尚 検定を実施して単位団長から都市団、府県団を経由して本部に合格証書を請求されればこれも授与することになっている。
「海ゆかば水漬く屍山ゆかば」と口に歌ってはいても、毎日の私生活が御奉公の道に叶っているかどうかの反省もなく、まして入隊以前に兵としての基礎を築き上げておこうという覚悟もない青年は、今の時局に一人もいないであろうが、反省あり、覚悟がある以上は国防能力標準によって 大いに鍛えてもらいたいものである。
水泳・潜泳は、輸送船が沈められた際に生死を分ける能力であり、ガスマスクを着け終わるまで息を止めていられる保証にもつながると云う。通信は、部隊が散り散りばらばらになった後でも、情報の途絶を防止させようとする意思が現れているようだ。「体力章」が定められた昭和14年当時より、戦場に出て兵の本分を果たすまでのハードルが上がっているのだ。
青年学校でも教えていない事まで"標準"にしていることに驚く以前に、教える側に「時間の余裕がないから」、「自分でそれを修錬」することを要請する、指導する側の姿勢に呆れてしまう(手が足りないのは分かりますがなェ…)。
修練を要することまで自学自習させると、ヘンな癖がついてしまうんぢゃあないか、とも思ってしまう。それを矯正するコストの方が高くつきました、となれば笑い話では済まない。
"反省も覚悟もない"青年、と書かれるのだから目につくくらいはいたのだろう。
「国防能力」を獲得した(できなかった)青年たちが、この先どうなったかを想像すると、やり切れないモノがある。