人の振りくさして我が身は棚に上げ

皇国陸軍の独逸敗因分析で77万1千おまけ


 「人のふり見て我がふりなおせ」、「反面教師」という言葉がある。人の悪い言動をうっかり真似てしまわないように注意したり、他人の失敗と「同じ轍を踏」まないよう気をつける事は、その人の年齢を問わぬ処世の要諦だ。
 しかし、他人のしくじりは所詮「他人事」でもある。自分が人様から直接に忠告・批判を受けたら、まず最初にやるのが反発である事を顧みれば、俺はアイツらとは違うとうそぶきつつも、同じドツボに嵌る可能性は大いにあるモノと思わねばならない。

 総督府の本の山が崩れ、『躍進日本と列強の重圧』(昭和9年7月28日、陸軍省新聞班)なる冊子が出て来る。


『躍進日本と列強の重圧』

 冒頭にいわく

 1914年6月28日は、サラエヴォ事件突発の日、7月28日は、世界大戦の序幕たる墺匈国(オーストリア・ハンガリー)の対塞国(サラエボ)宣戦布告の日である。
 爾来二十星霜、躍進に躍進を遂げつつある皇国は、列強嫉視の中心となり、皇国を第二の独国たらしめんとする策謀は、世界の随所に刻々と進展しつつある。之に対する国民の覚悟や如何、準備、対策や如何

 身も蓋もない云い方をすれば、国家総動員体制の確立(そして陸軍軍備の拡充)をしなければ、日本は第一次大戦時ドイツの二の舞になる!と国民を脅す時局レポートだ。
 日本を「皇国」と表記しているのに目が向く。

 目次は以下のとおり。

 一 前言
 二 躍進日本の実相と列国(本文では『列強』)の重圧
   日本商品の海外躍飛(本文では『飛躍』)
   人口増加と日本移民排斥問題
   皇国の政治的飛躍
   皇国に対する列強の策謀
 三 世界大戦前の独国の飛躍と其後の運命
 四 独国失敗の原因
 五 結言―危機突破対策

 第一次世界大戦による日本商品の輸出増大と、満洲国"建国"を「躍進」と捉え、日本商品の輸出が「ソシアル・ダンピング」だとして諸外国が行っている規制と、かつての日本の主要輸出品目とも云える「移民」の排斥、国際連盟脱退成立後(註・連盟脱退は昭和8年3月に通告だが実効は昭和10年3月から)に起こりうる制裁、宿敵ソ連の動向を「重圧」としている。
 昭和12年7月に始まる"事変"になるまで、日本が関与する大きな戦争が起こらなかった歴史を思えば、「躍進」と「重圧」の角逐そのものが戦争を誘発したとは云えない。それが帝政ドイツの崩壊に至る道筋と、どう関係があるのかが今ひとつピンと来ないのだ。それはそれ、これはこれと思ってしまう。

 とは云え、今回ご紹介する「四 独国失敗の原因」と「五、結言―危機突破対策」を読んでみると、ここで挙げられている失敗の数々は、10年足らずのうちに帝国日本がやらかしてしまう「失敗」同様であり、「危機対策」はむしろ帝国日本が「失敗」への道を行く際にとった政策に通じるものがある。
 詳細は後述するが、ドイツの失敗は、"国際世論が納得する正義がない"、"外交の失敗で孤立"、"実力を過信して勝ち目のない戦争を始めた"というところに集約される。
 そして日本がとるべき対策は"経済の統制"、"日本精神の宣伝"、"日中の提携"、"国防の充実"にまとめられるもので、「陸軍省新聞班」が刊行したものである以上、一番声を大きくしているのが何処にあるかは、云うまでもない。その後の歴史を思い浮かべながら読む限りにおいて、この記事は大変面白いのだ。
 例によってタテのものをヨコに、仮名遣いを手直しするなど改変を施してある。

 四、独国失敗の原因
 独国が英仏国側より徹底的打撃を受け、殆ど再起の力なき迄に悲惨なる敗北を受くるに至った原因の攻究は、同じ運命の脅威に直面せる皇国将来の対策を決定する上に、極めて重要なる関係を持つものである。本件に関しては既に史家の研究に於て尽されて居るが、茲に極めて常識的に見て、独国々運を傾くるに至らしめた原因を列挙して見よう。

 一、独国は、世界を首肯せしむるに足る正義に立脚する国是を持たなかった事、之即ち英国をして、独国は帝国主義、侵略主義国家なりとのデマを飛ばしむる隙を与うる原因となったのである。

 二、経済戦に対抗する為地理的関係有利ならざりし事―独国は英、仏、伊、露等の強国に包囲され、容易に経済封鎖を受くべき地理的弱点を持って居た。原料を供給すべき植民地はアフリカ、南洋等本国と甚だしく遠隔して居り、為めに、列国の経済封鎖(に)対抗し得なかった事。

 三、国防的にも地理的条件有利ならざりしこと―四周に敵国を有し、内戦(線)作戦の不利なる立場に在った。

 四、外交政略を誤り孤立に陥った事。
 盟邦として、墺匈国(オーストリア・ハンガリー)、勃国(ブルガリア)、土耳古(トルコ)等を有って居たが、英、仏、米、伊、露、日等の一流強国を、悉く敵国とした独国の外交は、拙の拙なるものと謂わねばならぬ。就中従来親善関係に在り、欧州に於て利害関係なく、当然中立を守らせ得る日本及米国を敵としたるは失敗の甚だしきものと見る可きであろう。

 五、宣伝戦の組織十分ならず、遂に英仏側の宣伝戦に敗れたる事。
 独国を侵略国呼ばわりし、戦争の責任を独国に帰し、世界を挙げて敵側に立たしむるに至った事は、其の原因の大半を宣伝戦の敗北に帰らねばなるまい。

 六、自己の実力を過信せし事。
 経済的にも軍事的にも、英国と伯仲の間に在ったと言え、一流国数個を対手として交戦するだけの実力のなかった事は、余りに明瞭であった。而も自惚れ強く、実力の正しき認識を誤った独国は、遂に大胆にも大戦の火蓋を切ったのである。

 七、一般の情勢判断を誤った事
 米国の参戦は無論、予想して居なかったであろうが、英国が斯く速かに参戦し、日本が敵側に立つことは、恐らく当初は予想して居なかったものと考えられる。況や同盟国たりし伊国の乖離をやである。

 八、作戦と外交との協調を誤ったこと。
 無制限潜水艦戦の開始の如き其の一例である。

 九、戦前の英独関係の悪化に鑑み、将来戦を考慮しての対策十分ならざりし事、就中国際関係を自己に有利なる如く改変するの着意十分ならざりし事。即事前の外交的工作に於て十分なる措置講じあらざりし事。

 十、国内に反国家分子を包含しありし事、並びに国民精神の弛緩に依り内部的崩壊を来した事。

 之を要するに近代国防の要義即、政略、外交、経済、軍事、思想等の統合的準備に於て欠陥ありし事が失敗の主因であると見なければならぬ。

 "負けるべくして負けた"感が漂う分析だ。ドイツびいきが強くなっていくと、の敗因は「十、国内に反国家分子を包含しありし事」、つまりはユダヤ人と共産主義者による「背後からの一突き」論が強く喧伝されていくが、この時期は他人事でもあるせいか、どれも説得力を持っている。
 「四、外交政略を誤り孤立に陥った事」「七、一般の情勢判断を誤った事」には、日本が英仏側に立つ必然性が無かったような書き方をしているのだが、日英同盟を大義名分として参戦したことを思うと、大戦からわずか20年たらずで歴史観が変わってしまうのかと、奇異な感じがしてならない。

 帝国日本が大東亜戦争に負けた理由は色々挙げられようが、このドイツの敗因を読むとその相似さに暗い笑いを禁じ得ない。
 「独国は、世界を首肯せしむるに足る正義に立脚する国是を持たなかった事」の主語を「日本」に替えれば、そのまま通用する。
 この冊子に出て来る「日本精神」は、「排他的利己主義を排し」「四海同朋」「一家族的和親の実現」によって、「世界人類の発展」と「恒久平和を招来」させるものだと云う。評判の悪い「八紘一宇」も出て来る。満洲国の成立と日本による庇護は正義であると叫んでいるのだが、その後の歴史を見ればその「正義」が世界を「首肯せしむるに足」らなかった事は明白だろう。
 今もなお、同じような事を喧伝し、日本社会を無用の混乱に陥らせんとするが如き同胞が少なからず居られるわけだが、80年前に通用しなかった理屈が今になって通用するものだと考える方がおかしい。新渡戸稲造が『武士道』を著し、岡倉天心が『茶の本』を出した精神に学び、西欧インテリを唸らせる論を錬るべきだろう。
 しかし、一神教と多神教(あるいは無神論)との世界観の違いは大きい。犬猫をわが子同然に慈しむ人が、わが愛犬・愛猫のよさを、ただのケダモノだと思う人に説明して納得が得られぬようなモノだ。
 こちらの思いを伝える努力は必要だが、相手が自分で無い以上、どこかに理解不能な点があることは認めて、ケンカせずに済む妥協点を見出すことが大切だ。敵と決めつけ排除するだけでは先人の轍に嵌り込むだけだ。

 帝国日本は、その後『NIPPON』発行など宣伝に努めたものの、日本シンパを育成できず「外交政略を誤り孤立に陥った」。盟邦ドイツ・イタリアは欧州にあり手助けは貧弱とならざるを得ず、海上の交通路を遮断され敗戦に至るわけだから「地理的条件有利ならざりし」なのである。「作戦と外交との協調を誤ったこと」は昭和16年末の日米交渉打ち切り・開戦の強行や、南京陥落時期の日中和平交渉の不成立が想像できよう。
 日独大きく違っているのは、「十、国内に反国家分子を包含しありし事、並びに国民精神の弛緩に依り内部的崩壊を来した事」だけだ。ここだけは巧くやった、やり過ぎたようにさえ思う。出来たのは"戦争に負けた"と口に出さない/出せないことであり、それでも戦争に勝つことも、きれいに負ける事もできなかったトコロを、読者諸氏は深く玩味しなければならない。

 さて、ドイツ失敗の轍を踏まぬため、「皇国」が取るべき対策とはどのようなものであったのか?
 五、結言―危機突破対策

 一、経済戦対策
 本件に於ては12月9日廣田外相の名に於て、中外に対して発表せられた声明書に明瞭である。
 要は、国内に於いては、産業統制、輸出統制を行い、外に対しては互恵条約の締結等によって、円満なる貿易関係の設定に努むるのであるが、邦品に対し、不当なる圧迫を加うる国家に対しては、報復関税を賦課する等の手段によって対抗せんとするものである。なお新市場の獲得に努力するの要あることは、論を俟たぬ所であろう。
 茲に注意を要するは、現下の国際経済競争は単なる平時的競争状態にあらずして、真に皇国の国運を左右すべき戦争状態に在ることである。之に勝利を得ることは絶対的条件であり、従って之が対策として、真に挙国一致的の施設を必要とし、其目的達成手段たる産業統制なり輸出統制なりを遂行する為には、茲に自ら新なる経済機構組織の必要を生ずるということである。

 二、日本精神の宣伝
 列強の対日反感は、一面皇国の驚異的飛躍に基くと共に、皇国の真意に対する認識の欠如による事も大である。
 皇国は肇国の始めより、厳として存する大理想たる、八紘一宇の精神により、排他的利己主義を排し、四海同胞、一家族的和親の実現によって、世界人類の発展と、恒久平和とを招来せんことを庶幾しつつあるものである。彼のチモシイ・オコンロイの「皇道なる名称は、世界支配の大野心をカムフラージュせんが為与えたるものである」と謂う如きは、全く我が真意を認識せざるもので、斯る蒙を啓く為、日本精神を世界に向かって宣布することが喫緊である。

 三、宣伝戦対策
 政治、経済、思想等各種の角度よりする、反日的宣伝並に策謀の進展しつつあることは、既に述べた通りであって、国防の見地よりすれば、今や宣伝に関しては完全ら戦争状態に在ると謂うべきである。
 茲に於て、前述の如く、日本精神を世界に宣布し、皇国の真意の存する所を宇内に知らしむると共に、皇国を陥れんとする宣伝に対抗し、皇国の立場を宣明し、且つ皇国自体の国民精神を作興維持し、如何なる外国の企図に対しても動揺せず、挙国一致の実を挙げ、非常時を突破するの対策を講ずる必要がある。之が為、内外に対する宣伝、啓蒙の為必要なる機構の施設を必要とする。

 四、日支提携の必要
 東亜平和の基調は、日満支三国の共存共栄に在る。而して日満両国の提携は既に成り、東亜の平和は茲に確立せられんとして居る。然るに現下の情勢は支那を右のブロックより離間せんとするに在る。
 此の運動は二方向より観察せられる。一は支那自体の一部就中国民党の誤れる政策に基づくもの、一は此の機運と満洲事変とを利用し、漁夫の利を占めんとする連盟及び列強の策動である。其の裏面に或る超国家的勢力の暗躍ある事勿論である。(略)

 五、外交対策
 当局に於て、万全の対策を講ぜられつつあるを以て茲に呶説の要はないが、殷鎰遠からず独国の失敗に省み、現在の国際情勢と将来の推移とを至当に判断し、機先を制して、必要なる手を打ち、一朝事ある場合に於いて違算なからんことを要する。而して溌剌たる外交は常に充実せる国力の支持を要し、就中強力な軍備の背景を必要とする。外交に関し忘る可らざるの一事は、皇国を繞る現下の国際情勢は、近代国防の観念に立って見れば、実質的には、経済上は勿論、政略的にも思想的にも、交戦状態に在りと見る可き状況に在り、総ての施設は此の観念の下に講ぜらる可きものであるということである。

 当時の時局を「交戦状態」と広言する真意は正直解らない。日中戦争まではまがりなりにも平穏無事な印象があるので、予算獲得の方便に過ぎないと考えるのが妥当なトコロとは思う(Jアラート騒動は何だったのだろう)。
 「一、経済戦対策」にある「産業統制なり輸出統制なり」は日中戦争の勃発を受けての紆余曲折の末ではあるが成立を見たと云える。その目的が支那事変遂行のためであることは留意が必要だ。
 「新たなる経済機構組織」だけではその性格がわかりにくいが、最後に紹介する「六、国防充実の急務」を読むと、産業の国有化を意識したものに見える。
 「二、日本精神の宣伝」は先走って妄言を書いたので長い記述はしない。「皇道なる名称は、世界支配の大野心をカムフラージュせんが為与えたるものである」の感覚を払拭出来なかった(今も出来ていない)事は猛省すべきだろう。「世界支配」など大それたことは考えていなかかもしれないが、「東亜の盟主」を自称してしまった以上、"東洋支配"の意思があったと解釈されても文句は云えない。そこを認めないと歴史認識問題の歩み寄りは難しいだろう。
 「三、宣伝戦対策」は、ここも繰り返しになってしまうが、西欧人に納得のいく理論がなければ通用しないのに、身内にしか通用しない言葉を押し通してしまったため、対外的には成功しなかったと云える。逆に国内に対しては、"国家的プロジェクト"としてテッテ的にやり、マスコミも追随したことである種の日本人像の創成に大成果を挙げることになる。
 「四」、「五」は陸軍が外交に口を(強く)挟むべきではないとの自制心が働き具体性に乏しい。とは云え、中国国民党への不信、「超国家的勢力の暗躍」(コミンテルンの陰謀!)を謳うなど、その後に続く道筋は見えている。
 注目しなければならないのは、外交目的達成には「強力な軍備の背景を必要とする」と、この冊子の裏テーマが出てきているところだ。「当局に於て、万全の対策を講ぜられつつある」としおらしい事を云いつつも「至当に判断」、「機先を制し」と注文がうるさい。

 いよいよ、陸軍当局が誰にも遠慮忖度一切抜きで云いたい事を書きまくる「六、国防充実の急務」となる。
 六、国防充実の急務
 外交は実力を伴わねばならぬということは既述の通りである。実に外交と国防とは楯の両面の如きものであって、国防なくして外交はあり得ない。
 真に東亜の盟主として名実共に重きを為し、日支提携を実現し、東亜永遠の平和、人類共存の模範をアジヤ(ママ)の一角に形成する為には、之を発言し之を遂行する為に強大なる実力を必要とする。況やストース大佐(満洲事変当時の独軍海軍大佐アルフレッド・ストース。『日本に対する強盗遠征』なる本で、日本に同情的な事を書いていたことが紹介されている)の言の如く、強盗的世界政策の我が進路を遮るものあるに於てをやである。
 ストース大佐曰く
 「日本は今や完全に隔離されてしまった。アメリカ、カナダ、オーストラリア、南アフリカ並に広漠たるシベリアは溢れつつある日本の人口に対して、侮辱的条件を以て之を拒絶して居る。日本は其の島国に於て人口過剰の苦況に呻吟して居る。節制自ら甘んずることを知れる日本国民は克く、此の状態を堪え忍んで来た。然し乍ら新しき世界の各方面に於て未だ耕されざる処女地が、渺茫際限もなく、横たわって居ることを思うならば、日本に此の忍耐を強うるということは、此の上もなき不条理であり、不法であると言わねばならぬ。日本は最早其生産を以てしては生存を続けることは出来ないのである。
 而も世界各地に於ては、人々は生産物を売り捌くことが出来ずに、餓死しようとて居る。是あらゆる商業手段の強力なる独占的支配が世界に強いた不自然にして人為的なる搾取経済の祟りである。世界大戦中、独逸の自由なる通商にあらゆる困難が加えられた如く、今日、日本国民は全く同様の立場に置かれて居る。
 日本におびただしい綿を売り渡して居る、英領印度は、今日超国家的な支配勢力の為に、日本の通商に対して其の門戸を閉鎖した。シャム亦然り。印度、(ママ)支那亦然りである。日本の通商は支那の市場を奪い去られた。吾人が見渡す限り、到る所日貨に対するボイコット状態ではないか。日本が最も勤勉に其の開発に最大の功績を尽くした所の唯一つの自由なる区域即満洲でさえ、今其開発ならんとするや、則ち之を日本の手から奪い取ろうとして居るのである。(」)
 此の一文を見て、感憤せざる日本人があるであろうか? 然し国防は戦争を為さんが為に存在するものではない。戦争を避けんが為に存在する。戦争に導かざる為、外交的に解決せんが為の背後の力として存在するのである。皇国が真に非常時を突破し、第二の独国たらざらんが為には、現実に東亜に存在若しくは到来し得べき脅威、圧迫、障礙たる総ての力に対抗し得る実力を備えねばならぬ。
 現在整備しつつある陸軍兵備は、僅かに大戦前型の装備を大戦後型迄追求せしめつつあるに過ぎぬ。従って満洲事変を契機として発生し、就中、連盟脱退及び列国の経済挑戦によって惹起せし新事態及び蘇国五年計画による新軍備に対する我が国防は未だ十分とは称し難い。就中空軍に於て然りである。
 一方海軍は今や海軍会議を前にして、再びストース大佐の所謂強盗政策の俎上に上らんとしているではないか。

 引用が長くなった。文章が切れるところ(原文では『××××』と記した行が挿入されている)で口を入れる。
 外国人(ストース大佐)の筆を借り、日本が不当な扱いを受けていると説き、憤激せぬ日本人はいない、とブチ上げる。 「国防なくして外交はあり得ない」、「(国防は)外交的に解決せんが為の背後の力として存在する」、「総ての力に対抗し得る実力を備えねばならぬ」、実に勇ましい言葉が並ぶ。
 ところが!今の陸軍は「僅かに大戦前型(註・つまり日露戦争レベル)の装備を大戦後型迄追求せしめつつあるに過ぎぬ」と一転、告白する。この先の国難を乗り切るに足る装備が無いと云うのだ。本稿では割愛した「日本商品の海外飛躍」には以下の記述もある。

 (略)我が商品の飛躍は、主として綿製品、人絹、雑貨等の所謂繊維工業及び軽工業の一部に限られたもので、我が産業が全面的に英米に追求するが如き飛躍を遂げ、又我が貿易が全般的に異常の発展をしたと考えたならば、それは大きな誤りであるということである。(略)重工業に於ては依然として英、米、独、仏等の敵ではあり得ない。又貿易に於ても、遺憾乍ら依然として加奈陀(カナダ)、和蘭(オランダ)、白耳義(ベルギー)の如き二流国の仲間たるの域を脱していないのである。

 昭和9(1934)年当時の日本の軍用機、戦車を考えてみよう。「九四式」が最新鋭兵器として出て来る頃だ。37ミリ対戦車砲や、「八九式中戦車」「九四式軽装甲車」など日中戦争から太平洋戦争まで使用されたモノはプラモデルに(ようやく)なっているが、航空機でプラモになっているのは海軍の「九四式水上偵察機」くらいなものか(ガレージキット等は除く)。海軍には戦艦、航空母艦の大艦があり軍縮会議の俎上に挙げられるほど「持っている」(この頃のカタチそのままのプラモは見かけませんが)事を思うと、陸軍が装備の強化を叫びたくなる気持ちは良くわかる。
 この冊子をよーく読んでいくと、イケイケ陸軍さんと慎重陸軍さんがところどころで顔を出しているのが良くわかる(二人以上の書き手がいるのだろう)。
 最後は当然イケイケで盛り上げて終わる。
 抑も、国防には消極国防、積極国防の二種がある。従来の如く国家財政の許す範囲に於て之と調和する国防を以て満足せんとするもの則ち消極的「気休め国防」であって、「無い袖は振れぬ」という思想に由来する。これは従来多くの国家の採用し来ったものであって、此の如き申訳的国防が国家を如何なる運命に陥らしめたかは、歴史が雄弁に物語って居る。
 白耳義(ベルギー)が独軍に蹂躙せられたのも、独国が、大戦直前僅々数師団の増兵すら許されず、遂に大戦当初の対仏作戦に蹉跌を来し、五年の永きに亙る長期作戦に導くの愚を演ずるに至ったことも、原因は前述の如き妥協的国防の欠陥に在るのである。
 之に反し蘇連邦は、世界赤化の大理想実現の為には、世界最強の軍備を必要とし、国力を挙げて之が充実に邁進し、国防本位の経済組織を採り、既に数に於ても、装備に於ても世界に冠たる陸軍を建設し、将来の飛躍準備を終らんとしつつある。右は所謂積極的国防であって、国策遂行上真に必要とする軍備は、万難を排しても建設せんとするものである。
 皇国は今や、列強の重圧下に在って、国運の岐路に立って居る。依然として、姑息なる消極的国防を以て甘んずるに於ては、此の非常時局を突破し、皇国の大理想の実現に向って邁進し得るや些か不安無き能わずである。而して現在の経済組織を以て、真に必要なる国防を建設せんとするは、木に寄って魚を求むる如きもので、遂に国家財政を破綻せしめ、国民生活を脅威し、果ては国民精神を弛緩せしめ、国防を完からしめんとして、却って国防を破るの結果となるであろう。

 消極国防・積極国防の考え方が示されている。アメリカがイラク、アフガニスタンに進攻(侵攻)したり、イスラエルがよそを爆撃しに行くのが積極国防だ。やられる前にやれ、の世界である。日本の歴史に戻れば現地部隊と中国軍の小競り合いを大きくさせてしまったり、石油が枯渇する前にアメリカに一泡吹かせてやれとやらかしてしまったのが、この考え方だ。ちょっと考えてみれば、これを遺憾なく実行しようと思ったら、いくら軍備があっても追いつかないことに気が付く。「無い袖は振れぬ」とはよく云ったものだ。
 にもかかわらず、「国策遂行上真に必要とする軍備は、万難を排しても建設せんとする」と云うのだ。どうやって?
 ここで慎重陸軍が顔を出す。「現在の経済組織」そのままで軍備を拡張すれば「国家財政を破綻」、「国民生活を脅威」して、「国防を完からしめんとして、却って国防を破るの結果となる」と云う。この理性がその先も続いていればアメリカと戦争することはなかっただろう。
 帝国日本が軍事費を増大させた末に国を破滅させたのは事実であり、そのために産業統制や徴税のやり方までも変えてしまったことも確かだが、支那事変完遂―ナゼか大東亜戦に拡大させて終わる―と云う、当時の日本人が異を唱えられぬ大義名分があったことは留意する必要がある。余談はさておき、「現在の経済組織」に代わるものが何かと云えば、当時の常識で考えれば"赤くなる"でしかないはずだ。
 本文に戻ろう。

 今日我が国に必要なるは、国防を経済に調和せしめんとする旧思想にあらずして、国防に経済を追随せしめんとする、新思想でなくてはならぬ。則ち国防に必要なる経費をば、国民生活に脅威を与うることなくして捻出し得る如き経済組織を設定することに在る。日本精神の高調拡充国防本位の国策を遂行するに必要なる新機構の創造経営は、昭和維新の目標であり、理想である。国を挙げて、朝も野も、文も武も斉しく此目標、此理想の把握実現に邁進せねばならぬ。本件に就ては更に稿を更めて述べることにする。

 国民生活に脅威を与えない=税金は上げないとする前提で、国防資金を捻出しようとするなら、「経済組織」からのアガリが財閥・資本家に入らないようにするしかないだろう。資本家の得る利潤―戦前日本で建てられた趣味の良い邸宅や装飾の凝ったビルディングなどはそれで成立していたと考えて良い―を国がいただく方法は、増税か私有財産の制限と産業の国営化―少なくとも国家のコントロール下に置く―方策となるわけで、それはどうひいき目に見ても社会主義・共産主義と変わるものではない。
 本冊子が「昭和維新の目標」とまで云う「新機構」とはどのような姿をしているのか? それは、すでにお判りの通り「稿を更めて述べることにする」なのだ。
(おまけのおまけ)
 治安維持法に「私有財産制度ヲ否認スルコト」とさえ記載していなければ、社会主義者・共産主義者は地下に潜ることもソ連の支援を期待することもなく、出版物で伏字など使わずに前向きな議論が興り、戦争を起こさなくてももう少し労働者にやさしい帝国日本が存在し得たと思っている。
 マルクス・レーニン主義がソ連の"国是"であっても、そのやり方を真似るのに先方の許可なり使用料を払う義務は無い。『資本論』を訳した高畠素之は天皇制は維持した上からの「国家社会主義」の実施を唱えていたし、北一輝の『日本改造法案大綱』も、天皇の威光を使い一定額を超える私有財産を国が取り立てることや、企業の国有化を主張している(2・26事件の後始末で死刑となる原因となる)。
 戦前の社会主義・共産主義と云うと、今時の"愛国者"は「コミンテルン」(第三インターナショナル)の陰謀云々を主張したがるが、それは先人に失礼であろう。

 天皇制を維持したまま日本に社会主義経済体制が成立し、日本とソ連が社会主義国家のリーダーの座を争う、あるいは日ソで世界を東西に分割統治する世界があったのではないかとさえ思うのだ(と書きつつもディストピア感を覚えるのは何故だろう)。「八紘一宇」実現の方向が社会主義を指向した植民地解放であったならば、戦前日本の精算はもっと早く済んでいたに違いない(結末は同じで天皇制は終わってしまったかも知れないが)。
(おまけの二度手間)
 今回の記事をおおむね書き終えたところで、「兵器生活」ネタ補強で時々使っている神戸大学附属図書館新聞記事文庫に、『満洲日報』に掲載された、この冊子の本文抜粋があることを知ってしまう。知っていればテキスト化を試みることはなかったと思う。しかしテキスト化をやらないと内容がアタマに入ってこないから、ここまで楽しく読めたかどうかは怪しい。
(おまけの無駄足)
 この『躍進日本と列強の重圧』の全文、アジ歴で読めてしまう事を知る。これも書き終えたあとで知ってしまったのだ。馬鹿である。
 "論文等への引用例"での表記をそのまま使うと、「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15120507000、陸軍省新聞班パンフレット(13冊) 昭和9年〜昭和13年(防衛省防衛研究所)」となる。その表紙のタイトル文字が昭和モダンしていて、ちょっと交換したくなってしまう。

(おまけの政治の話なんてしたくはない)
 読みたいことしか読まず、人からの批判は拒絶。歩み寄ることすら敗北と考える心掛けは持ちたくないものだ(全然持ってないとはさすがに云わない)。
 出来の悪い床屋政談の真似事などやりたくもないのだが、「兵器生活」の元ネタは"全文引用"するタテマエがあるので、何かしら"本文"を用意せねばならないのだ。今回はネタの内容が内容なので"本文"もそれに引きずられてしまっている。おおむね読んだ本で得た知識(誤解曲解なしとも云えない)が元になっているのは云うまでもなかろう。総督府の本の山のどこかに埋まっているのでいちいち記すことは出来ない。