背負う、投げる

雑誌の標語で77万8千おまけ


 為政者から見て、昭和戦中の日本ほど「やりやすい」国はなかったろう。
 明治末は日露戦争講和をめぐり暴動が起こり、大正も米騒動があった。しかし昭和初期に労働運動が鎮圧されてしまうと、示威行動は翼賛の提灯行列に取って替わられてしまう。帝都で軍隊の叛乱(未遂)はあったが、厭戦理由のものではなく、敗戦間際になっても集団投降・脱走の話が伝わらない。
 市中からモノが無くなろうと、税金が上がろうと、政権へのあからさまな批判が(おおっぴらに書け)ない。上手く廻ってなくても何とかなってるようみんなで体裁を整える。戦災で家財・家族を失っても、「敵のせい」だから失政を問う声に繋がらず、敗戦は終戦になるから焼き討ち騒ぎは散発的なモノで終わり―火は懲りごりなだけかも知れぬが―と云うのだから、ロシア・アメリカ・欧州・アフリカ問わず、今の為政者の多くは「当時の日本人がウチの国民だったら…」と、口にこそ出さねどみんな思っているはずだ。

 そんな都合の良い国民だったのに、戦争に大負けしたのが面白いですね。
 国に方針がなかった、資源を持って来る手段が無くなった、技術も自慢するほどのモノではなかった…ダメな理由は本屋さんに行けばナンボでも見つけられるが、煎じ詰めれば「自由にモノが云えない」(下々)と、「聞きたくない話に耳を傾けない」(エライ人)の合わせ技に落ち着く。
 タクシーに乗り、行き先を指示せず黙って座っていたら、車は動かない。「前のクルマを追って!」で走らせれば「運転手、道が違うぞ」と、ドコまで連れて行かれるか知れたものではない。運転手も、「道知らないんで教えて下さい」と云えば良いモノを、聞くの恥ずかしさで何となく走り続けていたら、最後はガス欠だ。
 古本屋で『週刊毎日』(『サンデー毎日』を戦時中だけ改題)を見つける。それほど高いモノでもなかったので買ってくる。
 表紙が気になったのだ。



『週刊毎日』昭和18年4月4日号

 荻須高徳描く、「南の島」と題されたのどかな表紙に、赤い文字が加えられている。
 拡大して見ると…


決戦だ 国に縋(すが)るな 国を負え

 アメリカのケネディ大統領の就任演説の一節、

 米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。

 世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由 のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。
 (註:アメリカンセンター掲載の大統領就任演説より

 を彷彿とさせる標語だ。
 ケネディのそれは名演説と讃えられているが、こちらは上から目線の押しつけ感。オマケに余り知られちゃあいない(主筆も今回初めて知った)。

 読めば意味は通じる。泣き言は云わず、国を背負って立つ気概を持って戦争を支えよう。
 受け手の信条次第で評価が海にも山にも変わるのが、この手の標語の常だ。当時の読者はそうだね、くらいに受け止めて粛々と日々を暮らしていたのだろうなあ…と思ってしまう。しかし、『戦前不敬発言大全』、『戦前反戦発言大全』(井ホアン、ハブリブ)に載っている庶民(指導的立場の人もある)の不平・不満・グチの数々を読むと、カゲでは色々云ってたのだろうなあと思う(一気に読むと疲れますが、面白い読み物です)。
 標語の出元は知らない。

 「国に縋(すが)るな」の標語を持ちながら、敗戦が免れぬ状態になって、よその国―よりによってソ連―に縋って痛い目を見たとは、<貧すれば鈍する>の見本ではないかと黒い笑いが抑えられない。
 しかし、縋った相手に袖にされたおかげで、西側のオミソとして復興し、一時は世界第二位の経済大国を自認できたことは否定出来ない。
 ソ連が戦争終結の仲介をやっていたら、その対価として満洲・南樺太・千島列島はソ連の勢力下に持って行かれ(史実と殆ど変わらないゾ)、北海道も危ない。国体は護持されたと云っても、帝国憲法の第一条が、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇「ソヴィエト」社会主義共和国連邦ノ指導ノ下之ヲ統治ス」になり、昭和25年頃には人民共和国に変わり、アメリカが介入して東西日本が誕生するのがオチだろう。


(参考)東西分断された日本を舞台にしたマンガ

 危険思想の総本山、共産革命の輸出元と、さんざ喧伝していた国であっても、国体の危機とあらば<過ちては改むるに憚ること勿れ>と、過去は忘れて擦り寄るのが政治のリアリズムなのか。ならば庶民も庶民なりの身の処し方を持っておくに越したことはない。「鬼畜米英」が「ギブミーチョコレート」になったように…。

 歴史の教科書には、悪政の果てに暴動が起こって政権が覆った話がいくつも載っていて、現代の世界でも報道されるものだが、先の戦争であれだけ酷い負け方をしても騒擾にならなかったのだから、この頃の日本人が自国の民だったらなァ…とあの世で羨んでる為政者は少なくないと思う。
(おまけの余談)
 2020年4月が自粛の中で終わりを迎える。
 更新を「自粛」するネタも考えないではなかったが、せっかく続く月イチ更新なので、それを潔しとは出来ない。