訓令式 幻の凱歌

ローマ字綴方をめぐる内ゲバ文書で78万2千おまけ


 私は「カナ入力」主義者である。
 ある日、図書館の蔵書検索システムで私は七転八倒していた。「カタカナ ひらがな」のキーを何度叩いてもアルファベットしか出て来ないのだ。「なんで英文字になっちゃうの?」 泣いちゃうとこだった。

 検索用端末の日本語入力システムが、ローマ字入力モードになっていただけのことである。それに気付くまで5分キーボードと格闘し、切り替え方法がわからぬまま、ローマ字で本のタイトルを入力すべく四苦八苦したのである。
 その後まもなく、会社のパソコンが新しくなり、ようやく切り替え方法を理解したのだ。

 阿佐ヶ谷の古本屋に行く。
 駅前の本屋で、『日曜ポルノ作家のすすめ』(わかつきひかる、雷鳥社)など買ってしまったのでカバンが重たい。そんな折りに古書店に足は向けたくないのだが、山があるから登るように、北口に古本屋がある以上、入らぬわけにも行かぬ。
 そこでこんな紙切れを見つける。


ローマ字教授について 御注意

 裏側には、


「文部省の通達」

 とある。以下タテのものをヨコにする必要は無いが、カタカナやかな遣いは調整して紹介すると、

 文部省の通達
 昭和 13n.11gt.15nt.(地・図第144号) (昭和13年11月15日)

 各学校の外国語科教授の際に於ける国語のローマ字綴方の取扱に関しては昭和十二年九月二十一日内閣訓令第三号統一の国語のローマ字綴方に依るべきものとす。
 但し当分の内は教科書及辞書等の関係にて従来の綴方(ヘボン式)を併せ課することは適当と認むるも書写の場合は内閣訓令の綴方に依らしむること

 ローマ字を教えるにあたり、当面は従来のヘボン式とあわせて教えてもかまわないが、実際に「書く」場合は内閣訓令第三号で決めた綴り方に従えと云う通達だ。ローマ字に、「ヘボン式」、「訓令式」とあったのを思い出す。
 おおざっぱに云う。米国人ヘボンが、和英辞典を編纂した際に作成したのがヘボン式。日本語の音を、英語のアルファベットの発音をもとに表記するものだ。訓令式は、五十音図を参照して日本語の子音・母音の組み合わせで考案した、「日本式ローマ字」を一部改編したものである。
 「シ」を、英語風に「shi」と記すのがヘボン式。サ行の子音「s」に母音「i」の組み合わせで「si」と表記するのが日本式あるいは訓令式となる。
 現在、世に見られるローマ字はヘボン式が多く見られるようだが、戦前日本は昭和12年9月訓令式に統一し、その定着を進めていたのだ。「訓令」に基づくから「訓令式」なのですね。
 ここでチラシの表側に戻る。
 「ローマ字教授について 御注意」とは何を意味しているのだろう。原文では文頭の一字下げは施されていないのだが、こちらで段落分けや読点代わりの空白を追加などしているので、一字下げを付けてある。

ローマ字教授について
御注意

 日本語のローマ字綴に関しては 既に御承知の通り昭和十二年内閣訓令第三号を以て 日本式を使用することに規定され着々実行に移されて居りますが、尚誤解等による不徹底もあるやに見受けられます、
 下の如き例は国家の方針に添わないものですから御注意をお願いします。

第一例
 ××県の或る中学校では訓令式とヘボン式とを平等に教え、生徒が使う場合も自由選択に任せて居ります。

 此の種類の取扱は他にも中々多いことと察します。此の取扱をする教師は公平な意志で、悪意のないことは認めますが、之は文部省の通達が充分徹底し知れ渡っていない所から来るのであります。
 文部省の達し(昭和13年地・図144)によれば、教師が黒板に書く場合、生徒がノート、答案、学用品に名前を書く場合等は 凡て訓令式を用いなければなりません。ヘボン式を併せ教えることは差し支えありませんが、之は読めるだけに止め、使ってはならぬという注意をすることを お忘れないように願います。

 ローマ字は(旧制の)中学校で教えるものだったのか、と感心するのも良い。しかし、「国家の方針に添わない」、「悪意のないことは認めますが」と、妙に日本式=訓令式を使わせることに力が入っているように感じられませんか?裏を返せば、ヘボン式は「使ってはならぬ」、いや、「使わせない」強い意志が伺えるのだ。

第二例
 横浜の或る女学校の女教員は 訓令式は不合理であるからもっと正しい綴方を教える、内閣訓令は近い内に撤廃されるものだと称して ヘボン式を教えて居りました。

 之は以ての他ですから 本会から校長先生に厳重抗議を申込みましたが、既にその時は此の女教師はスパイ事件で退職して居りました(新聞にも出て居た、外国人から四千円貰ったあの女教員です)。

 もってのほかと、厳重抗議を申し込むのもドーかと思うのに、その教員は「スパイ事件で退職して居りました」。それで終わりでよいモノを、「外国人から四千円貰った」と追い打ちまでかけている。発信者は、あきらかに「ヘボン式支持者=外国のスパイ」の意識づけを目論んでいる。ヘボン式に並々ならぬ憎悪を抱いているのは明白だ。
 そして続く文章は、ローマ字方式の統一をめぐる、ヘボン式を推す一派の策動が述べられるのである。

 最近国際ローマ字会とかいう会(此の会は役員以外に会員というものがなく、併し金は豊富に持って居るというまことに奇妙な会です)から各方面にパンフレットを配り、内閣訓令第三号を撤廃せよという請願が 衆議院の請願委員会で採択されたから 内閣訓令は間もなく廃止になると宣伝して居ります。
 之程インチキな宣伝はありません、此の請願が採択されたことは事実であります(貴族院では握りつぶしになった)が、元来議会の請願委員会で採択されたということは大した意味はなく、直接大きな実害のない内容でさえあれば 何でも大抵採択になるのが例で、政府は少しもそれに責任や義務を負うものではないのであります。しかもその請願も一定の手続きさえ踏めば、署名人の人数等にも何等制限はありませんから 中には随分突飛な実行不能な請願も採択されて居ります。
 此のヘボン式の請願も近年毎年採択されて居りますが、同時に訓令式のローマ字を小学校に入れよという反対の請願も毎年採択になって居ります(今年は御承知の通りの議会でしたから 私共の会では請願を出すことを遠慮しました)。
 そういう事情を知らない人には、議会で採択になったと言えば あたかも法律案が通過したのと同様な印象を与えるものですから、そこをねらったのがあのヘボン式のデマ宣伝なのです。

 議員・議会などへの請願には、まったく意味がない。請願が採択されたとて、誰も実行の責任なんか負わない。今どきの市民運動家が読んだら、全身から血を吹き出して死んでしまうぞ。
 ヘボン式復権の請願が採択された話を、「毎年採択されている」(が実行されることはない)と切り捨て、「訓令式ローマ字教育を小学校から始めよ、の請願も毎年採択されている」とカウンターを当てている。訓令式で行くと決まってもなお、泥仕合が続いていたのだ。何ともヒドい話ではありませんか(笑)。
 ヘボン式・訓令式ともに「ローマ字」で括られてしまう存在である。英語教育を小学生から始めようとする、今の日本から見れば、それこそ取るに足らない話に違いない。しかし、当事者にとっては大問題なのだ。

 元来日本式ヘボン式のローマ字綴方論争は明治の初年からありましたが まさしく之は思想問題であります。我国最初のローマ字論者である南部義籌(よしかず)にしても馬場辰猪(たつい)にしても、日本語を愛し国語本位の考え方に立つものは皆日本式を使って居ります。
 所が明治十八年に羅馬(ローマ)字会が出来て 一時二万からの会員を集めるに及んで その綴方委員会は一部先覚者の反対を押し切ってヘボン式採用を決議しました。丁度その頃がいわゆる鹿鳴館時代で欧化主義全盛、これより明治大正を通じ上下を挙げてまさに自由主義思想に溺れ去らんとしたのですが、之がヘボン式全盛時代と全く一致して居ります。

 明治時代に入り、世の中の仕組みが改められる中、日本語もまた、改革が求められていく。「言文一致」と云う、あらたな書き言葉の誕生は、現代日本語に続いていく大きな成果と云える。日本語の表記についても、文明化・社会の効率化―生産性向上―の観点から、漢字廃止・使用の制限、国語の英語化、かな文字のみの使用と、いく通りかのやり方が提唱される。日本語の「ローマ字化」も、その一つとして産み出されたものである。
 ヘボン式採用の経緯を主筆は知らぬが、西欧人寄りの姿勢はあったのだろう。いっしょに入手した『日本ローマ字会の目的、沿革、事業』なる冊子には、「外人の日本学者(略)の説に従う多数英学者」との間に論争があったとある。
 文書に戻る。

 所が昭和の御代に入りますと 満洲事変を契機として我国は 土蜘蛛の如く粘り強くからみついているユダヤ財閥の魔手を一つ一つ切り離して行きました。それと時を同じくして設けられたローマ字調査会は 委員会を開く毎に日本式の勝利を確実にし、遂に日支事変の始まる前年 日本式の圧倒的勝利を以て終わりを告げました。近衛内閣成立し日支事変が始まると その九月この調査会の結果は法制化せられて内閣訓令となったわけであります。

 「ユダヤ財閥の魔手」とあるだけで胡散臭くなる。
 ヘボン式の天下は、満洲事変以降の国内情勢の変化により、"日本的でない"ことで失墜したようだ。当面はヘボン式と併存することにはなるが、10年20年後に日本のローマ字は訓令式に一本化されるはずだったのだ。そうならなかったのは、戦争に負けたのが大きい。

 「思想問題」は、個人の内面に留まらない。むしろ個人の内面を度外視し、無害か有害(となり得るか)の線引きに用いられるモノサシに用いられる。

 斯様にローマ字綴方問題の帰趨は 常に思想問題の動向と平行を保ち、むしろその先駆となって居るのでありますから、前記横浜の女教員スパイ事件も決して偶然ではありません。
 国家の方針に反抗してまでヘボン式を固執する人達は、現実にスパイ行為がないとしても少なくとも著しくその傾向を持つものであり、英米の第五列たる資格を充分備えているものでありますから 若し御校教員中に左様のものが居りましたら注意していただかなければなりません。

 このチラシの相手が判る。「御校教員中」とあるから、学校関係者(上位の)と知れる。「第一例」に対するコメントが、通達の周知が徹底してない以上、責めるわけには行かないとの態度を取っているのは、学校経営者に気を遣っているからなのであった。
 しかし、意識的にヘボン式を使おうとする人は、「英米の第五列」(内応者)と見なす姿勢は崩さない。そう云う教員を抱えていたらタメになりませんよ、と脅しているのだ。

 ここで話は辞書に移る。

和英辞典
 文部省が訓令式に添えてヘボン式を教えることを許しているのは、和英辞引(ママ)がまだヘボン式になっていることから来た過渡期の便法であります。併し もう例えば三省堂のコンサイス和英辞典など立派な訓令式に改版せられましたし、他にも続々訓令式のよい辞典が出来て来ますから ヘボン式教授はやがて禁止されることになりましょう。

 辞書も遠からず訓令式に統一されると謳っている。ホントかどうか、この頃のコンサイス辞典が欲しくなる。それを置く場所は無いし、買っても使うトコロがないし、安くもないんだろうが…。

 本文は結びに向かう。

 外人は我国が能率国家として発展することを極度に怖れ、何時までも富士と桜と芸者と怪談の神秘の国にして置きたいのでありますから 合理的な訓令式ローマ字の採用に反対します。然るに日本人であり乍ら そのお先棒をかついで訓令の徹底を妨害するもののあるのは情けない次第です。米内内閣の出現が日本人の誰も知らぬ間に英京ロンドンにちゃんと知れていたり、日独伊三国同盟の締結に水をさしたり、松岡外相のヨーロッパ行きを妨害したりしたのは 凡てこの英米の利益を計ることを趣味とし 国家の進路の見えない連中の仕業であります。

Syw.16n.6gt (昭和16年6月)
Nippon Rōmajikai Riji (日本ローマ字会 理事)
Saeki-Kōsuke sirusu. (佐伯功介 記す)

 外国から大枚はたいて日本に遊びに来る人の多くは、日本が「富士と桜と芸者と怪談の神秘の国」―現代は「怪談」のかわりに「アニメ・マンガ・ニンジャ」が入る―であって欲しいと思っている(と主筆は信じている)。西欧先進国と同じ(と日本人は思っているが、西欧人はイミテーションと見なす)になっていたら楽しくないだろう。古い建築物や街並が好きな人が、それを取り壊しての再開発を喜ばないのとおんなじだ。
 しかし発信者は、古い日本はとっとと取り壊し、西欧と同等の文明社会を築きあげるべきだと考えている。日本が「能率国家」として発展するためには、ローマ字による日本語文章の効率化が必要で、それは「訓令式」でなければならない。そこには、明治維新・文明開化から世界の一等国に向かうベクトルが厳立している。日本人が作ったモノを使わなければ、目標に到達しても、それを認めない「愛国心」があるのだ。
 だから、反対者は英米の走狗・スパイ扱いされる。

 日本語を(候文から)改良する・世界に広める、壮大で志の高い話が、実行レベルに落とし込むと、思想、いや宗教対立の様相を呈してしまったのだ。
 ローマ字表記方式の正当性を謳う話だと思っていたら、日本の行く先をドーするかをめぐる、日本人同士の対立(歴史読み物で触れられてはいるが)が、妙な生々しさであぶり出されてきて、エライ紙切れを買ってきてしまったと、今では戦慄している。
(おまけのおまけ)
 ここの資料を使うと、ちょっとだけ書いたモノに箔がつく「アジア歴史資料センター」の資料に「ローマ字綴方ニ関スル請願」(JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02031435900、帝国議会関係雑件/建議及請願関係(A-5-2-0-1_7)(外務省外交史料館))なるものがあったので目を通す。

 中身は、第七十五回帝国議会衆議院請願委員会議録抄(昭和15年3月22日)で、「ヘボン式」の復権を請願するものだ。
 全文紹介するのはしんどいので、面白いところを抜き出し要約する。青文字ばかりになるので、原文は「」で括る。

 「我国文化を世界各国に紹介するのみならず、又各国からの文化を取入れると云うことは、我国の為すべき重大なる使命」である認識のもと、それには「どうしても羅馬字に依らなければならぬ」前提があると云う。
 ローマ字は、すでに「ヘボン式」が70年にわたって使われて来たのであるが、「田中館と云う人が数年に亘って日本式なる美名の下に新しい羅馬字を使わせようとして居ります。」
 デファクト・スタンダードとして70年使われている「ヘボン式」を廃して「日本式」=「訓令式」を使わせようとする策謀が語られる。提唱者の田中館愛橘は、当時から著名な学者であるが、この請願を取り上げた笠井重治に云わせれば「田中館と云う人」扱いで、これだけで双方のいがみ合いの程が知れる。

 「世界各国に於ける日本に関する図書目録で有名な『ウエンクスターン、ナハード』の著者に依れば日本に関する書物千二百七十部は従来の羅馬字を使って居りますが、田中館式即ち日本式なるものは一冊もない」
 「日本式」に、世界におけるシェアはまったく無いと批判し、「唯日本式と云う美名の下に隠れて(略)彼等は国家の為め非常に不利益を与えたのであります」と語る。議会なので言葉を選んでいるが、これは非国民呼ばわりに等しい。

 その欠点を挙げれば、

 表音の明示としての意義は不充分不完全
 実際的の価値が無い
 国語の醇化統一を攪乱
 日本民族の海外発展を阻止
 我国文化の国際的進展を害する
 国際関係を悪化させる
 帝国将来の為に宜しくない
 となる由(訓令式推進者は、同じくらいヘボン式の欠点を列挙できるはずだ)。

 具体的な事例も語られている。
 日本のシンボル富士山を、日本式・訓令式で表記すると、外国人が混乱すると云うのだ。
 「秀麗千古に聳ゆる富士の山を 今までは『フジ』即ち『エフ・ユー・ヂェー・アイ』(註:FUJI)と綴ったのでありますが、昨年突如として之を『エッチ・ユー・ゼット・アイ』(註:HUZI)として 大きな富士山の写真を紐育及び桑港の大博覧会に出しました、その写真の説明の為めに其の下に『エッチ・ユー・ゼット・アイ』と書いたので、数百万の欧米人の観覧者は是は何だと聞いたと云うことであります」。
 「富士山が『ホゥズィサン』と発音されるように改悪されて居りますことは 絶対に許す可からざることであります」
 国際的に孤立(ドイツ・イタリアは一応味方ではあるが)していても、外国の評判は気になっているようだ。

 さらには、日本を訪問したイタリアの経済使節員が、特急「富士」に乗ろうとして「HUZI」と書いてあるのを見て、これは「フジ」ではない「ヒュズィ」だ。この態(ざま)は何だと文句を云った話まで紹介されているのだ。

 他の委員からも、ラテン・アメリカ(最も沢山の人口を有し、広い面積を持って居る、と言及)の人に読まれたら、「ウジヤマ」になってしまう懸念が寄せられる。「訓令式」を落とせば落とすほど、「ヘボン式」が浮かび上がるカラクリの請願であるから、遠慮と云うモノがない。

 「政府としては目下変更の意志なき旨説明」しているから、ハナっから出した訓令を引っ込めるつもりが無い。しかし、請願人の面子を立てるため、「研究の余地がありますならば研究致して見たい」くらいの理解は示す。そして請願はめでたく採択となる。
 しかし、研究はするかもしれないが変更するとは云ってないから、「ヘボン式」が復活する話は敗戦後までは聞かない。なるほど先のチラシに書いてある通り、請願の採択そのものに、何の実効性も無いと云い切ってしまえるわけだ。
(おまけのギモン)
 「どうしても羅馬字に依らなければならぬ」
 それにしては、大東亜戦の緒戦で得た、占領地の住民に日本語を教える際に、カタカナを使っていたのが解せない。実は広報用で、ウラではローマ字による日本語教育をやっていたのだろうか?
(おまけの余談)
 「グルジア」が「ジョージア」に、気が付いたらなっていた。同じアルファベットの綴りを用いていても、発音が違うことがあるものだ。
 昭和15-6年時点でヘボン式に70年の実績を誇っていても、訓令式だって訓令が出てから80年経っている。戦争に勝っていれば!
 カタカナを世界標準文字にしようと画策していることだろう…。