戦前新聞エロ記事スクラップその3で78万7千おまけ
前回に引き続き、戦前地方紙に掲載されたエログロ記事の抜き書き、『久寿賀娯』だ。
今回は第19号のご紹介である。例によってタテのものをヨコとし、句読点代わりの空白を入れるなど手を加えている。
昭和の初めと云う、今日の人権意識など望むべくもない時代であるから、「これはちょっと…」とお感じになられる読者諸氏には申し訳ありませんが、"時代の味"と割り切ってグッと吞み込んでやって下さい。
ちなみに発行人含め、その全容は調べる手立てが見いだせず依然不明である。
19号の巻頭は、「一九三二年」と題された、編集人からの昭和7年新春の挨拶だ。前々回「78万5千おまけ」で全文載せてあるのだが、あらためて掲載する。
一九三二年
春雨
エロだ……グロだ……ナンセンスだ……といっている内に三回の春を温湯の街で迎えました。
日本語やアッチ語やら解らない言葉の流行せる此の頃エログロとはこんなものかと思って刷て出した久寿賀娯(すかご)が屑籠にも投げ込まれず好評を得ているかと思うと汗が出ます。
私の悪趣味の一片を幸いに後援して下さる親友もあるので心強く感じております。
どうかよろしく応援の程を。(昭和七、一、一夜)
屑籠どころか、古書市の店頭をくぐり抜け、今まさに電脳空間の彼方に飛び立とうとしているわけで、歴史を超えるモノズキ・ネットワークの一翼を担ってしまった(かもしれぬ)高揚感すら覚えている(プロバイダへの支払いが止まれば早晩消えてしまいますが…)。
記事の紹介に入ります。
睾丸のない亭主を/持った結婚後の悩み
睾丸事件として興味を唆(そそ)った滋賀県野洲郡中里村○ 中塚きよ(三三)が夫中塚文吉(四五)を相手取った離婚請求訴訟は 大津地方裁判所、池上判事係りで準備手続きを終わり十四日午後三時文吉、きよの両人を召喚し和議をすすめた結果、これはまた珍無類原告から被告に二百五十円の慰謝料を提供することとなり、離婚の手打ちが出来た、文吉、きよの両人は大正十三年十二月結婚同棲したが 結婚一ヶ年前文吉は病気のため睾丸を剔出(てきしゅつ)したのをきよに秘して結婚したもので 結婚したものの夫婦生活は不能であり、きよは同棲生活とは名ばかりで満たされぬ苦痛から出訴に及んだものである(六、一一、一六夕刊大阪)
記事を読む限りでは、「不能」を隠して結婚してしまったがゆえの性的トラブルと捉えられ(矮小化され)ている。子供が欲しいわけでもなさそうだ。離婚請求した妻の方が慰謝料を払うのは、なるほど「珍無類」と云える。
しかし「睾丸事件」の呼び名、興味本位に過ぎないか。
続いては、映画館の暗がりで男女(ポリティカルなんとか的に良くない表現)がイケナイ事をしていた話。
映画館でエロ/ワンワン以上
(と)ても勇敢な若者…と云っても例の美談では断じてない…ただ人間がエロにかけても 決してワンワンに負けないと云う事を立証した勇敢な若者の話―廿四日午後九時頃 神戸湊川新開地映画館相生座の一等席にそのワンワン若もの二人連れが出現だ。程良き映画に胸たぎらし 暗いと云ってもほのぼの見える真中で 厚かましくもエロ実演と来たから堪らぬ。第一観客が騒ぎ出した、臨検の巡査もこれにはダァと参り 勇敢真最中を逐々「コラッ」と取り押さえ調べると神戸市池田○町一丁目長澤二郎(二〇)と同東尻池三野きく(一七)と判明…(六、七、二六大阪時事)
「例の美談」とあるが、それだけで内容がわかったらスゴイ、なんて与太はさておき、客のいる映画館―「ほのぼの見える」とあるのだから暗闇でもない―の客席で若い男女が「エロ実演」。「ワンワン以上」と云うくらいだから、キスだけではあるまい。近くの客は映画どころぢゃあないだろう(笑)。
「映画館でのデート解禁」(ことばマガジン、朝日新聞DIDITAL)なる記事を見つける。昭和6年1月30日付東京夕刊記事「活動写真常設館の/男女席撤廃に決す/警視庁が全国にさきがけて/さばけた改正決行」を紹介して、文章を現代の視点で点検するものだ。かつては映画館の客席は男女別になっていたのだ。
記事には規制撤廃時期の記述はないが、現在の映画館が東京日比谷の大劇場から地方のミニシアターまで、男女の区別なく映画鑑賞が出来るのだから、どこかで規制緩和があったわけだ。
『全国に於ける活動写真状況調査』(文部省普通学務局 編、文部省普通学務局、大正10年)附録「東京其の他の府県に於ける活動写真取締規則及び興行物取締規則」によると、大正10年時点で「一、興行中男女客席を区別すること」を実施している府県は25あった(当時は東京『府』)。
兵庫県の規則(『興行場取締規則』兵庫県令第四二号、明治四十四年十二月、大正七年五月兵庫県令第三六号改正)の一部を、ひらがなに直して引くと、
第十一條 主として活動写真の興行に為す常設興行場に在りては前号各号の尚(ママ)左の制限に従うべし
一、男女の客席を区別すること
二、男女客席の間隔は三尺以上とし且つ看易き場所に其の区別を標示すること
なんて書いてある。府県によっては「家族席」の設置まで求めるところがあったり、男女席間隔の指定が「二尺」になっているなど様々だが、こんな規則があったのだ。それを乗り越えた者は、当然、劇場から排除される。よって規則が存在している限り「ワンワン以上」の真似をやる余地は無い。
警視庁の規制緩和方針が記事になったのが昭和6年1月の終わりで、件の「ハプニング」が7月である。つまりその間に規制がなくなった事になる。その機を逃さず、敢えて一等席を選び行為に及んだ、「勇敢な若者」に開拓者精神を認めるものである。記録に残ってないだけで、全国で10組くらいはやらかしているんぢゃあなかろうか(公衆の面前での性行為自体も犯罪なので推奨はしません)。
「犬」でなく「ワンワン」とした、記者の言語センスがユニークだ。ドーでも良いことだが、往来で犬の交尾なんて見た記憶がない。
(写真は本文と関係ありません)
こちらもエロな小事件。
裸体ダンス女給
九日、夕闇迫ると云う頃、堺の三宝海岸の人気なき浜で、これは又一糸も纏わぬ裸体娘が三人 頻りにダンスを踊っていた。腰を抜かしたのが巡回の堺署員 「こりゃ」と叱りつけると裸体共驚いたがかくれ場もなく、おかしや、砂をかぷせて逃げ惑う。で三人共本署に引っ立てられたが この途方もない娘共は住吉区杉本町佐伯きみ(一八)仮名=外二名という女給、同夕海水浴をしていたがあたりに人気だないと見て興に乗り、お腰までサラリと捨てて大いにエロを発散させてたものと判明(六、七、一一大阪時事)
「一糸も纏わぬ」ですから、これは「全裸で」案件だ。しかし表記は「裸体」。当時はこれで充分扇情的だったと云うコトか。
「砂をかぶせて逃げ惑う」は、警官に砂を投げて逃げようとしたと解釈する次第だが(着物をちゃんと拾い上げたのか気になる)、三人バラバラの方向に逃げれば、一人くらいは逃げおおせた気もする。
彼女らがどんな舞踊をやっていたのかを記事から知ることは出来ないが、江戸川乱歩の幻想小説「火星の運河」を思い出してしまう。
そして今回のメイン記事である。
エロ女給が/特別室で曲芸/ 不良カフェに手入れ
最近カフェー界を吹き捲る不景気風は殊にひどく その上歓興税問題等で明眸の女給群は益々エロサービスを振りまいて風紀を紊しているので、警視庁保安部風紀係では目下係長以下連日大活動をして これ等不良エロ女給の検挙を続けているが 九日神田区通新石町一七カフェーABCでは二十日の営業停止を命ぜられた、同店には八人の女給がいるが中松田つま(二〇)及川とし(一九)太田千鶴子(二九)須田春子(二〇)宮村とし子(二〇)石黒かわ子(二六)の六人が 特別室を巧に利用して超エロサービス「卓上の五十銭」「ビールビンの上の五十銭」等の曲芸を演じ 一ヶ月一人宛九十円から百円の収入を得ていたことが判明したものである(六、一一、一〇国民新聞)
「エロ女給」「特別室」「曲芸」!
文字面だけでコーフンしてしまいます。
「カフェーのエロ・サービス」は、「エロ・グロ・ナンセンス」時代を語るに避けて通れぬものながら、その当時具体的に報じると風俗紊乱で検挙されてしまう。そのため、主筆は昔何かで読んだ「地下鉄サービス」(エプロンのポケットが素通しになっていて、手を突っ込めると云うモノ。その先ドーするかまでは知らぬ)くらいしか聞いたことが無い。この「曲芸」は、いわゆる「花電車」芸の一種と云える。
八木澤高明『花電車芸人』(角川新書)は、オビに「花電車芸とは、女性器を使って芸をすることである。」と記され、「ファイヤーヨーコ」さんが「火を噴く」写真が載っている。本文には「女性器でおもちゃのラッパを吹く、筆を女性器に突っ込み習字をする」などの芸が記されている(全部は書かぬので、興味のある方は本を買おう)。
「卵を女性器に入れて出し入れしたりする」「コインを入れたまま歩く」なんて芸も紹介されているから、「卓上の五十銭」「ビールビンの上の五十銭」は、「取る芸」なのだろう。客の出した硬貨をチップとしていただき、ご祝儀も頂戴するわけだ。
コイン・ショップで一枚買ってくる。「超エロサービス」を再現する手立ては無いが、せめてどんな硬貨を使っていたかは知りたい。
「昭和8年」とあるが、5年なのが御愛嬌
戦前1円=2千円説に立てば千円、3千円なら1500円の価値があるはずが、このお値段。いちおうは「銀貨」なのだが…。
現行硬貨と大きさを比べてみる。
500円硬貨、中国1元硬貨(1996年)と
百円玉より縁のぶんだけ大きいから、やってみようと云う奇特に過ぎる方は、まずは百円硬貨で練習されるのが良かろう(事故があっても『自己責任』です。念のため)。
記事は「不良エロ女給」と書いているが、女給の給料が客からのチップである事を思うと、「不良」呼ばわりは失礼千万な話で、「曲芸」をマスターする努力も認めるべきだ。一ヶ月で「九十円から百円の収入」なら、当時のそれなりの企業に勤めるサラリーマンの月給程度であるから、荒稼ぎしているわけでは無い。
この50銭銀貨が、「曲芸」に使われたモノである証拠は何処にもないが、違うと云いきる事も出来ない。と云うわけで、わがサイフの中身が、どんな人たちの手を経てやって来たのか、考え始めて眩暈がする。
(おまけの余興準備)
「ビールビンの上の五十銭」をやってみる。瓶の上に硬貨を置くところまでだ(笑)。
ビールビンの上の五十銭(表裏)
瓶の口より硬貨の方が小さいとは思わなかった。
全景(ビールは大瓶)
ビンを倒さずやるのは難しそうである。中身は抜いてあったんぢゃあなかろうか。
「特別室」の構造が解らないので、妄想するしかないのだが、イスを使うテーブルに女給を立たせるのは危ないので、住居に使っている座敷を「特別室」と云うことにして、座卓の上で「曲芸」を披露していたのだと思う。
(おまけの余談)
「1万円出してくれたら『スペシャルルーム』で特別サービス」と誘われ、大枚上乗せしたら、同じ作りの「隣の部屋」に通されただけだった、なんて話を聞いたことがある。ぼったくられたのだ。
下心はほどほどにしよう。